公演後いただいたメールでの感想

 

今日はすぐれていい芝居を観せてもらいました。

時代は遠く隔たりながら、近しいものを感じ取りました。まさに今日的なテーマでもあります。日露戦争とは一体何だったのか。世界と日本の歴史の中でどのような位置にあるのか。そして当時の「動員」とは?そんなこととは別に、建前で生きる人間と、本音で生きる人間との対比も見ます。辛酸を舐め尽くし、「私どもには名誉は紙屑です」、「さげすみだけでなく哀れみを受けなければいけないのですか」と言ってのける女の本音。その強さが響く一方、「世間を狭く渡りたくない」。どうせ男なんて、恰好で生きている部分があるのでしょう。それにしても、この時代に岸田国士はよくぞこのような芝居を書いたものと評価します。

長い間、あの小屋でよい芝居を観せていただいたことに感謝しております。他では見られないいい芝居小屋でしたーーーロンドンのウェスト・エンドの一角にはこんな小屋もありますが。今後も一層お励みください。(70代男性)

 

素晴らしい芝居をありがとうございました。満員の観客で埋め尽くされおめでとうございます!どろの芝居小屋は独特の空間で役者との極端に近い距離が気持ちを高揚させ芝居の世界へ引きずり込んでくれます。思い出の詰まった芝居小屋がなくなる事は短い期間のわたしでさえ感慨深く・・・31年の歴史を歩んだ合田さんは、どれほどの思いかと考えるだけで胸が熱くなりました。いつもありがとうございます。

拙い文章ですが心がふるえた芝居の感想を昨晩の興奮のうちにブログに記しました。抜粋してお送りします。http://imoan.blog3.fc2.com/blog-entry-852.html

終演後に鈴子役の志加子さんがニコニコ微笑みながら仰った「老体に鞭打ってがんばったわー(笑)」ベテランの演技力で少佐夫婦がググッと芝居を日常のリアルさにしてくれている。少佐の迫力ある声や風貌は威厳があり(お腹の出っ張りも・笑)男尊女卑が支えてきた一時代を体現している。鈴子も声が若く明るく役とのギャップなど感じることなどなくかえって落着きと品のある身のこなしがピッタリあてはまった。

従卒は会話も少なく律儀な性格が中島さんそのものでいい味がした。女中よしは強烈な印象でのほほんとした感じがよく出ていた。ラストで悲鳴をあげ腰砕けの状態で途中立ち上がりかけて這っていく姿がリアルだった!

友吉は、あの優柔不断さが八木さんの優しい面とダブって見えた。役者の持っている本質的なものが舞台では滲み出てくる。舞台中央で褌姿になってのセミヌードの着替え@@服を脱ぐのにちょっと躊躇している・・・「戦争に行くといったら待遇も変わるなぁ」と褌姿でさらしを身体に巻いていくシーンは、おお、でた! やっぱり岸田國士だ! と期待通りの場面だった。過去に見てきた岸田作品には、必ずワンポイント的に意外なシーンがあった。足のマメをつぶしたり・・・恋仇に花占いで恋の勝負をもちかけたり・・・舞台中央での褌姿は、この友吉という男の軽薄さを何も身につけないというシチュエーションで表していてポリシーも生き方も考えない素の愚かしさを表現していてスゴイと感じた!

数代は鈴子と相対する役どころ。「戦争に行くのが偉いのなら、戦争に行かないことだって偉いはずよ。さうでせう、人を殺さないですむんですもの・・・」この台詞がこの芝居の芯だ。数代の登場はまず少佐夫婦の会話から人物像を浮かび上がらせて、台詞から3度結婚していて、友吉とは死んでも添い遂げたいと願っている女心を語らせ核心を掘りこんでいく・・・脚本の巧さにうっとりする。はじめから狂気を感じさせすぎているのが惜しい気もしたが迫真の演技だった。鈴子が自然体だっただけに、演技の強張りが異常さをさらに強調し対照的に映った。

芝居を見に行くと、必ず自分自身が演じるなら・・・と考えてしまう。あの狂気の度合のコントロールが難しそうだ。初めの結婚で亭主に病死され、2度目では浮気され捨てられ、3度目の正直と、こんどは亭主が死んだら自分も死ぬと。浮気されないように出先には自分もついていくのだと。失敗に終わった過去の結婚を踏まえて暮らしを支えてきた女。苦労して3度めの結婚にこぎつけたことは会話の中で徐々に明かされ背水の陣で男との暮らしを守っている女なんだと認識。女が守ろうとしているのは他の登場人物のもつ世間体や見栄や愚かしい自尊心などではなく、ただ自分に課した愛の成就なのだ。愛が成就するのはカタチではない。3度の結婚で結婚が終結ではないことを身をもって知っているから愛をまっとうするのは互いの素直な心だけなのだと信じて、それを貫けずに挫折してラストに繋がっていく。ラストの場面はあのとってつけたような友吉の叫び方が気になったが・・・違う違う、嘘だ嘘だを呟かせ、呆然とへたり込み暗転。

人は自分と波長の違う次元で正直に生きようとすれば喜劇かまたは悲劇になる。世の中はみなそれぞれだけれど同じステージにいるものだ。同調を拒み特別な主張をすれば周囲にはじかれるか自分からステージを降りねばならない。ステージを降りて新しい次元へ旅立てるならそうしたいが・・・、現実は不本意でも合わせていくか孤独に耐えるかだ。わたしたちは同じ波長をもった人を求めて・・・生きているのだ。演出の挨拶にあったように「人間の、謎に迫った」良い作品だった。(N.T)

 

すばらしい芝居をありがとうございました。動員挿話について、帰る道々、うちのボスと、いろいろ語りました。あの当時の作品を、もっと現代に通用する充分なアレンジをしてしまってもよかったのじゃないか、と仰いました。原作を存じませんし、合田さんがどのように原作通りに、あるいは原作を発展させて演出なさったのか存じませんので、私は見たままの感想しか持ち合わせませんでしたが、なるほどそういう意見もあるのか、と思いました。

女性として鬱屈したものと現実を抱え込んでにっちもさっちもいかないのに前向きに生きようとする女性が好きです。だから、「メアリー・スチュアート」で拝見したエリザベスが好きだし、ワーニャおじさんのソーニャが好きです。セチュアンの善人のシェン・テ演じるシュイ・タ(!)が好きです。或いは、脳天気な(?)魔女サマンサが好きです。で、今回拝見した動員挿話の、数代は、いただけませんでした。(演技はバッチリ。役柄の問題だと思います。念のため。)死を選ぶ結末に、女性の狂気と脆さだけが際だってしまったように思います。あの当時なら、それはそれで、革新的な女性の地位を築くに充分だったのかもしれませんが、現代の価値観にどっぷり浸る私のような人間には、ちょっと、納得出来ませんでした。ああ、精神を病んでしまって絶望しかなくてお気の毒ね、という感じ。女性として死を選ぶしたたかさ、がもっと見えてもよかったかな、と思いました。(したたかなら、死なないし、男と別れても大阪に行きますよ、今の女性は。)岸田國士さんの意図するところは、どうなのか、合田さんのお考えはどうなのか、また、機会があったらお話し下さい。(S.E)

 

今日もよりよき『動員挿話』を観させて頂きありがとうございました。昨日より、強調が際立っていたように思い、声もびんびんと感情がより伝わってきてとてもよかったです。今日の友吉さんも豊かな感情表現でまた良かったです。今日のラストでは、友吉はやっぱり行かない、と思いました。かずよさんはきれいなーと今日は見とれていました。ですが、井戸に向かう時の表情はとても力を感じました。奥さまの気持ちも、将軍がたくさんお酒を入れた気持ちも、しみじみと伝わってきました。よしさんが、またよくてクッション役というか、ユミさんも分析していたようにどこか客観的に観ていて劇中で、ほっとするものがありました。大田の従順ぶりも徹底していて面白かったです。

岸田國士さんも、あの後、戦争に行く政党に入らなければならなくなったとも聞き、苦しむものがあっただろうと思いました。ほんと、でも昭和の始めのあの時代に書いた意味と勇気を思います。

本当におつかれさまでした!!これからも『どろ』のお芝居をまた観たいと思いましたし、ファンでいたいと思いました!!(M.N)

 

どろの芝居『動員挿話』の感想ですが、あのうねりの時代にあれを岸田國士が書いた意味を考えながら観ていました。軍人の奥さまが『自分の感情を素直にだせるのは羨ましい』と言うような台詞や、馬蹄の妻が『自分と夫が別々に引きさかれるのに涙を流さないのは女じゃない』と言うようなハッとさせられる大事な台詞が随所に出てきて、ドキッとします。ひとことで反戦と言うだけでなく生きていることの意味や夫婦の愛、大きなロマンや軍人と馬蹄の夫妻の対比なども含まれていて、今回も、面白かったと思いました。

この作品は前に違う劇団で観たことがありましたが、兵庫芸術文化センターは会場が広すぎて、やはりこう言う芝居は、どろの芝居小屋のような空間で観た方がベストで、作品全体がより伝わってくるように思えました。ずうっと慣れ親しんできたあのどろの小屋には懐かしい思いがいっぱいつまっていますし、あの小屋がなくなってしまうのは私自身も寂しいと言うのやノスタルジックないろんな思いあります。小屋が違っても面白くすてきな芝居これからも劇団どろには、ずうっとしていってほしいし、それを期待しています。(M.N)