かって、前原三丁目辺りの神明宮・光明院(現在はない)近辺に首塚、胴塚があったといわれるが、現在は住宅地になっており何の形跡もない。 歴史背景 後醍醐天皇の崩御後の室町幕府初期、足利尊氏と弟直義の対立から正平七年二月に尊氏は鎌倉で直義を誅殺した。 この混乱に乗じて新田義貞の遺児、二男義宗、三男義興が上野で旗挙げし、一時は鎌倉を占拠したが、三月には尊氏勢に取り返され、翌年正平八年夏まで相模足柄郡河村城に拠って尊氏軍と対峙した。 金井原の戦はこの時、新田軍が鎌倉へ入る時の戦いである。なお、新田義興は鎌倉に潜入しようとした延文三年(1358)十月十日多摩川の矢口渡しで謀殺されている。
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