菅野盾樹編 『現代哲学の基礎概念』(大阪大学出版会、2008) 「まえがき」

 19世紀後半から20世紀末までの時代相を知識の様態によって特徴づけるなら、〈科学〉 とりわけ〈自然科学〉が知識のパラダイムとして君臨し信奉された時代だと言えるかもしれない。この時期をへて21世紀の現在にいたるおよそ一世紀半の時代に営まれ、またいまも営まれつつある哲学を〈現代哲学〉と呼ぶことにしよう。

 はじめの頃〈現代哲学〉は自分も科学的であろうとする擬態を演じた。ものごとを人間の自己と世界の全体にかかわらせ実質的に考察する伝統的哲学の問いや言説は無意味なものと貶められ、哲学の任務は単に人が使用する概念の分析や明晰化にあるに過ぎない、という哲学観が喧伝された時期もあった。この種の分析から貴重な多くの知見が導かれたのも確かなことである。

 しかしながら、〈現代哲学〉が「科学的であるとはどういうことか」という問いを手放すことは一度もなかった。〈科学〉 の知識としての性格が明らかにされ争につれて、哲学上の科学主義はやがておおはばに説得力を失う羽目になる。知識を漸次的に積み上げて前進するというイメージで捉えられた科学の進歩主義にかわって、時代や社会や文化と相即する、個性的で非連続的な知識としての科学にむしろ関心が集中した。この事態には西洋中心主義や近代中心主義の限界が多くの人の目に明らかになった事情も与っていた。

 20世紀後半には、科学の領域でも従来の枠組みを超えようとする種々の試みが行われた。この種の試みでは現代哲学と科学が協働する場面――もしばしば見られた。こうした曲折をへて、経験科学の知見に学びながら、いまや〈現代哲学〉は人間の自己と世界をめぐる問いに取り組むスタート地点に再びたどり着いたとおもえる。

 このような問題意識を背景にして本書は編まれた。本書の目的は、タイトルにあるように、〈現代哲学〉 の基礎概念をできるだけ原典やそれに準ずる典拠を参照しつつ解説することである。本書は大阪大学大学院人間科学研究科ならびに人間科学部で実際に哲学を教えてきた、〈現代哲学コース〉 の教師グループがとくに基本的で重要だと判断した用語を精選し、解説を加えるテキストとして企画されたものである。紙面の制限のために説明の足りない部面については、読者が自発的に原典や参考文献などによりさらに知識を深めるようにお願いしたい。

 本書の類書にない特徴は、原典やそれに関連する研究書の原文を掲載したことであろう。この措置によって、本書は哲学のリーディング(読本)の体裁をすこしばかりそなえることになったし、またある意味では短いながら基礎概念をめぐる論文集の趣を呈することともなった。したがって読者は、必要におうじて本書を哲学辞典として使用してもいいし、哲学の参考書あるいは研究書として読みすすめることもできるだろう。その際には、掲載された原文を辞書にあたって味読することが何よ
りも大事である。

 また本書を大学の学部ならびに大学院レベルにおける哲学あるいは哲学関連の授業のためのテキストないし参考書として遣っていただくこともできるのではないかと考えている。

 もちろん本書に盛りこまれた用語だけで、〈現代哲学〉が当面する問題やこれまでの成果のすべてを知ることはできない。本書の制約を超えて問題の広がりを追求し深めたい読者は、上に述べたように、原典に直接あたり参考文献を参照するなどして自分自身で哲学的思索を営むことに努めていただきたい。本書が〈現代哲学〉への懇切な案内役の役割を果たすことができれば幸いである。