本所上水


本所上水は古上水堀、小梅古上水、白堀上水とも呼ばれた。

 明暦3年1月(1657年)の大火(振袖火事)のあと、江戸幕府は本所深川
 に、新に市街地を造ることを計画した。両国橋はそのために墨田川に架けられ
 た。竪川や横川等の掘削により、湿地帯の排水を図るとともに、掘り揚げた土
 で埋め立て、町造りをはじめた。そしてここに住む住民の飲料水供給のため計
 画されたのが本所上水である。本所上水は、取り入れ口が越谷市瓦曽根溜井の
 葛西井掘(葛西用水)と、八条用水の圦樋(いりひ)の間に設けられた。
  上水の幅は2間(3.6m)で葛西用水に並行して掘られた。東京都と埼玉県境
 の旧桁村(がけむら)の先は、亀有より四つ木、小梅(業平)を経て墨田区石
 原4丁目の報恩寺橋まで引かれた。完成したのが、万治2年(1659年)で
 ある。(葛西用水史記載の西片村「旧記」には延宝3年(1675年)新開と
 ある)。なお中井掘も亀有付近で分水されて古上水に並行して掘られ、四つ木
 付近より分かれて、亀戸方面に流れ、現在の北十間川に合流している。

  本所上水は勾配のある玉川上水と異なり、勾配のゆるやかな平坦地を流れる
 ので、渇水期、用水期を通じて、管理に苦労が絶えなかったようである。(越
 谷市役所内の水準点が海抜高6.5m、吾妻橋3丁目の三角点が3.9mで、その間
 直線距離で約21kmである)。その後、掘抜井戸の技術が進み普及してきた
 ので、享保7年(1722年)廃止される。廃止されたあと灌漑用水路として
 利用され、亀有から小梅までは曳舟によって旅人を運ぶ曳舟川としても利用さ
 れ、曳舟川また古上水とも言われた。

  現在は、足立区内は葛西用水親水公園となり、葛飾区内の亀有駅付近は道路
 として使用され、亀有4丁目から南は、曳舟川親水公園となって現在(平成1
 5年)も公園化が進められている。そして、荒川(放水路)から南は、古上水
 跡は曳舟川通として、中井堀跡は東中居堀通として道路に使用されている。業
 平橋駅南の北十間川からは、大横川親水公園となり、竪川からは大横川として
 小名木川と更に南の仙台堀川と合流している。


           (葛西用水史より)

葛西用水(葛西井堀)取水口。右側道路は本所上水跡。
越谷市相模町1丁目。
   
埼玉県、東京都境の桁川。
曳舟川親水公園。葛飾区四つ木5丁目付近。
葛飾区四つ木4丁目の陸橋より北を望む。
正面道路は水戸街道。左は曳舟川親水公園。
曳舟川通。正面建物は曳舟文化センター。
墨田区京島1丁目。
言問通と東武伊勢崎線高架。左方向業平橋駅。
向島2丁目交差点より。
大横川親水公園に架かる業平橋。
上は浅草通り。
大横川親水公園。
大横川親水公園に架かる法恩寺橋。
上は蔵前橋通。
葛西用水