ワシは「ビールを飲むのが趣味」じゃなくて「ビールの空き缶を集めるのが趣味」なんよ。しかし、これほど家族の顰蹙を買うような趣味があったものか...はやく言えば「ゴミ集めが趣味」みたいなもんじゃけんね。しかし、趣味の神髄っちゅうんは、やはり「金をかけんこと」これに尽きると思うとるんよ。ワシ個人としては、誰にも迷惑かけとるともりもないし、高尚な趣味じゃと思うとる。しかし、なかなか「缶」というのは収集しても保存するんが難しい。引っ越しの度に収集した「缶(おたから)」を捨てねばならなかった日の事を思い出しながら、「空き缶収集学」とは何かをここで展開していこうわい。
ビールの空き缶を集めることにどんな意義があると言うのか?普通に考えると、こんなものを集めてみてもメリットなどあるわけがない。しかし、考え方によっては、付加価値というものはいくらでも存在するのである。◆「種の保存」という動物的性(さが)のなせる技
「たばこ空き箱」でも述べているが、「俺はやっぱりキリンのラガーだ」とか「アサヒスーパードライじゃなきゃ、飲んだ気にならない」などと、1つの味にこだわるつもりなどワシには更々無い。大体、一般の我々が飲んでみて、ビールの味の違いなどわかるもんじゃない。ビールのソムリエになるんでもないんだから、「一穴主義」など捨てたほうがいい。折角ビールメーカさんが一生懸命あの手この手で新商品を開発しているのだから、色々な味に接してみたほうが同じ230円(350ml)払うんならば得した気分になるのではないかということだ。
そして折角飲んだならば、その「飲んだ」という証を遺したいと考えるのは、種を残そうとする人間の性というか、ごく自然な営みであるとワシは思うのある。◆地球環境に優しいエコロジストとしての使命感
地球資源にも限りがある。アルミニウムだっていつか底を尽くに違いない。その時、貯金ではなく、「貯金属」があれば、ひょっとしたら「空き缶成金」になれるかもしれない。
「あき缶はリサイクルへ〜あき缶はすてないようご協力ください」などと、三角アルミ印(リサイクルマーク)と共に記載されているコピーを眺めながら地球環境について思いを馳せてみるのも、ISO-14000取得に汗を流す製造業会社員にとっては必要なことである。
とにかく「廃品に別の付加価値を見つけることが、環境問題への取り組みへの第1歩」と考える。◆インテリア・アートとしての価値
ビールのロゴ・デザインは非常に美しい。インテリア的にも優れたものも多い。現にバドワイザはッハイネケンなどは、デザイン分野での市民権を得て、Tシャツにプリントされたりしているではないか。レタリングの研究という意味でも価値が大きい。油絵で静物画を描く際のオブジェにも成り得る。
みんなその事に気付いていないのかもしれない。やがて「私の部屋」「素敵な奥さん」などの雑誌に「空き缶で部屋が見違えるように!」といったコピーの特集記事が並び、脚光を浴びるかもしれない。インテリアコーディネータの常套手段の1つになるかもしれないのである。◆「缶ぽっくり」にはならないという悲しき現実
「缶ぽっくり」とは空き缶上部に紐を通し、下駄のように履いて遊ぶ遊具である。(「缶馬」とも呼んだ。)昔は缶詰の缶を後生大事に取っておいて、こしらえては乗って遊んだものである。
しかし、最近の飲料水系の缶はアルミニウムやPETが殆どであり、スチールが持つような「遊具としての強度」が損なわれて来ている。これは「缶ぽっくり」のみならず、「缶蹴り」にも影響を及ぼしている。「一度蹴ったら終い」というんじゃ困る。遊びが長続きしない。
こうして、利便を追求する社会が子供の遊びをも圧迫し、しいては病理的な社会問題を引き起こす結果に繋がっていっているのかもしれないと思う次第である。
しかしながら、空き缶を収集・保存するのは容易ではない。 まず収集であるが、いかに収集に金を投資しないとは言え、ゴミ箱漁りなどもっての他である。誰が口をつけたかわからないようなものを拾い集めるのはプライドが許さないし、衛生的にも問題がある。飽くまでも「自分が飲んだものを集める」、これが鉄則である。
次に保存である。
「たばこ空き箱」のほうは、箱を開封・展開してスクラップブックに貼り付けるという極めてオーソドックスな方法により分類・収集することができたが、空き缶ともなればそのような手法は使うことはできない。ワシはこれをいかなる手段で克服したか?それを紹介しようではないか。当初は収集した缶を本棚、机上など空いたスペースを探して、無造作に置くという手法を取っていた。しかしながら、収集数が増加するとともに保管スペースの確保は至極困難を極めるようになった。収集開始当初は社宅に居たため、自分の研究スペース確保さえもままならず、ましてやこのような「ゴミ」が居座る前に人間が生活するスペースを確保することをまず第一優先に考えねばならなかった。
以前は、ビールや清涼飲料水の缶は「リングプル式」で開封するものが殆どであった。「リングプル公害」ということでポイ捨てする輩が多く、環境保護的に問題だということで段々廃れ、今では「ステイオンタブ方式」が主流となっている。リングプルはリングプルで、繋ぎ合わせて鎖を作ったり、「リングプル飛ばし」と称して、開封時に折れ曲がった部分をバネ代わりにして環状部分の溝に引っ掛けて飛ばす遊びをすることができた点で多いに価値あるものであったが、節操無くあちこちに捨てられることが多かったことを考えると止むを得ない感もある。
しかしステイオンタブとなってからというものの、「空き缶保存学」はおおいに飛躍した。ワシの取った保存手法というのは、実にステイオンタブの「缶と一体化している」という特性をフル活用したものである。
といっても大袈裟に構える必要はなく、ただこのタブの環に紐を通して天井に近いとこに数個の缶をいっぺんに釣り下げる手法をとっただけに過ぎない。
これは居住空間を確保するとともに、収集品保存が生活に害を与えないという意味でまさに画期的であった。ただ、美観的にはかなり難があり、来訪者にバカにされることも度々あったということも敢えて記しておくべきであろう。その後、ビデオカメラで撮像する方法、それを画像ファイルにコンバートする方法なども試してみたが、それはあまり満足行くものではなかった。やはり「実物」が手元になければ集めたことにはならない。「缶」としての触感をたまに確かめることができないのでは困る。
◆飲み口のところにも「顔」がある。