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●長養寺周り
■宝篋印塔
・町指定文化財
・享和三癸亥歳(1803)七月吉日
・「天下泰平
奉納大乗妙典日本廻国
日月清明」
■イボ神様
・「高覚道眼醫師 安永四未年十二月十二日」
・安永4年(1775)
■三机大川
「土石流危険渓流 大川水系三机大川」と記された看板が横たわっている。辺りを確認するも、川らしい川の姿は見当たらない。
■長養寺八十八ヶ所・三十三観音
「長養寺山林ニ四国八十八ヶ所三十三番観音様ヲ祀テ有タ
道路新設ニ散在シ詣モデキナイノデ三机老人会員外有志ノ奉仕ヲエテ復興シ供養デキル事ニナル
昭和五十四年三月二十一日記念シテ之ヲ建テル 井上重利氏ノ寄贈ニヨリ碑ヲ建テ後世ニシルス
昭和五十四年十二月 老人クラブ会有志一同」
■長養寺参道上り口の地蔵堂
●町民センター前公園
■旧役場跡
■瀬戸町合併記念碑
●須賀公園
■注連石
■ウバメガシ林
■六艘堀
■境内末社
■改築記念碑
・和霊神社、恵比須神社、厳島神社、三社神社(大神宮/大山祇神社/三島神社)、合祀社、八坂神社、客神社、海津見神社、天満神社
■九軍神慰霊碑
・昭和41年8月吉日建之
・古野繁実少佐、岩佐直治中佐、横山正治少佐、広尾章大尉、横山薫範特務少尉、佐々木直吉特務少尉、上田定兵曹長、片山義雄兵曹長、稲垣清兵曹長
の9人を慰霊する。
■忠霊塔
■鳥居
■常夜燈
■魚霊塔
■自然海浜保全地区
●堀切
■松根東洋城句碑
■藤村儀作之碑
■地蔵
●松浦岩蔵記念碑
「養蚕組合創立功労者 松浦岩蔵記念 昭和六年一月建之」
・塩成小学校前の道路沿いにある。
●塩成小学校
■開校百年記念碑
「1981 開校百年記念 町立塩成小学校」
「昭和56年11月建之 記念事業推進委員 委員長
門田徳次郎 ...」
●海岸端の神社・地蔵・祠
■神社 (社名不明)
■三界万霊
■地蔵
■阿部官三郎記念碑
「大正十年一月九日建之」
●大神宮
・「昭和62年6月新築」とある。
●佐古岡神社(馬木町)
■柳泉学校跡
・柳泉学校は明治15年(1882)に開設された。
■常夜燈
・柳泉(りゅうせん)学校跡(現在は野間氏邸)の前にある。
・常夜燈は、文化十二年乙亥年に造られたもの。(文化12年は1815年)
■佐古岡神社
・景観樹林保護地区(指定年月日:昭和54年3月30日、指定番号:第28号、位置又は区域:松山市馬木町(1,238u))
・祭神:大己貴命(大国主命)、少彦名命、猿田彦神、河野通治、河野通遠(通治の子)
・元弘3年5月7日、足利軍との戦いにおいて、敵方武将・大高重成(おおたかしげなり)との一騎討ちに敗れて討死した河野七郎通運(みちかず)(通遠)を祀ったので「七郎明神」とも呼ばれる。
■神名石
・村社 佐古岡神社
■注連石
・右:威稜扶宇宙
・左:恩重福生霊
・大正9年(1920)9月建立。(「大正九年庚申歳九月建之」)
・田所成恭書。田所成恭は陸軍大佐か。
■菅公一千年祭紀念碑
・明治30年4月
■狛犬
・建造年月は刻文が摩滅していて判読できず。
■戦捷記念碑
・日清戦争(明治27年(1894)7月〜明治28年(1895)4月)、日露戦争(明治37年(1904)2月〜明治38年(1905)9月)、日独戦争(大正3年(1914)8月23日〜大正7年(1918)11月11日)
の戦勝を記念したもの。
・大正8年(1919)12月、陸軍中将正三位仙波太郎謹書とある。
・陸軍大学校第1期卒業。(明治18年)
・陸軍中将。愛媛県生。幸雄の長男。陸軍大学卒。日露戦争では陸軍少将として出征し、のち中将となる。当時、桂太郎・宇都宮太郎とともに陸軍の三太郎と称せられた。衆議院議員。昭和4年(1929)歿、75才。
■拝殿
・社殿は明治36年(1903)に建造された。
■境内末社(拝殿左側)
・素鵞神社、生目八幡神社/天満宮/金比羅宮、素鵞神社(一番右端に瓦製の御室も祀ってある)
■境内末社:出雲大社
■手水石
・慶應三(丁)卯年十月、平田村中(慶應3年は1867年)
白形邸・田所邸を眺めながら南へ。
●白形邸
●田所邸
●城北食品工業所
●善福寺
・宗派:真言宗智山派
・山号:堂聖山
■本堂
■布袋尊
・平成13年1月
■大師堂
・松山新四国霊場16番札所
■修行大師像
・平成10年11月
■六地蔵
■頌徳碑
・大正3年1月
・誰を頌徳したものかは詳らかではない。碑文をざっと見たところでは、歴代住職関係と思われる。
■水子地蔵尊
・平成14年3月
■弘法大師千百年御忌供養塔
「處々遺跡不闕影向」
●JR和気駅
■佐々木義潔翁・芳野市蔵翁頌徳碑
●丹生神社(にゅうじんじゃ)
・祭神:水波能売神(みずはのめのかみ)
・祭日:10月9日
■鳥居
・大正9年8月
■注連石
・明治29年8月
■神名石
・大正4年11月
●円明寺
・明治8年(1875)、円明寺の客殿を借りて鶴聞(かくぶん)学校が開設された。
・山号:須賀山(元々は海岸山だったが、元和元年(1615)、須賀専斎重久が塔ノ口から移転・再建時に山号を改めた。)
・院号:正智院
・四国八十八ヶ所霊場第53番札所
■八脚門(やつあしもん、はっきゃくもん)
・県指定重要文化財
・入母屋造り、本瓦葺
■中門
■本堂
■仏足跡
「仏足跡とはお釈迦さまの足跡を印したものです。お釈迦さまが入滅され、現在のような仏像が造られる以前は、お釈迦さまの足跡を印し礼拝してきました。この左足の仏足はインドグブタ朝五世紀の作で最も古い仏足跡の模刻です。
この仏足跡を合掌し、礼拝した手で身体の悪い箇所を撫でると罰障を滅し、所願を成就するといわれています。」
■仏足跡建立協賛者碑
・平成14年10月建立。
■閻魔大王
・本堂前。仏足石の隣。
■おびんずる様
・本堂の濡れ縁に置かれている。全身真っ赤。
■大師堂
・「松山新四国霊場第11番 須賀山 圓明寺」
・平成11年9月
■不動明王
■観音堂
■鎮守堂
■句碑 「島遍路 干潟歩きて 近道す」
・平成10年1月、愛媛運河俳句会
■常夜燈
・大正10年3月
・八脚門の右側にある。
■句碑 「鈴の音に 笠共々に 霞みけり」
■句碑 ・「いかにして 剪りたる 泰山木能花」 井寒
・昭和46年10月27日建立。
■キリシタン灯篭
■須賀専斎重久の墓
■句碑 「麗かや めくらの眼にも 弥陀の像」 三允
・昭和46年10月27日建立。
■句碑
■へんろ道道標
●御堂
■常夜燈
・円明寺西の御堂前に建っている。
●恵比須神社
・祭神:事代主命
・祭日:10月9日
・昔、恵比須像が和気の海岸に漂着し、それを祀ったのが始まりという。
■鳥居
・昭和18年1月
■狛犬
・昭和18年1月
■注連石
・大正8年5月
■松の木
■常夜燈
■拝殿
●和気浜漁港
・昔は、ここから宮島(広島県)行きの船が出ていた。(→See.円明寺前へんろ道道標)
■領門神社
■常夜燈
■汐先八百蔵の墓
■地蔵
■水門
●七人のへんろの墓
・昔、嵐に遭って漂着した七人の旅人を、村人は海賊と誤って皆殺しにしてしまった。それ以来、雨が降る度に鈴の音が聞こえたり、足腰を病む人が増えたりした。これは七人の旅人のタタリに違いないと考え、地蔵を祀って供養した。
●円明寺奥之院
・御詠歌
「われ住めば四海静謐(せいひつ)波静か
種々の願いをかなへ得させむ」
・松山新四国霊場第13番 海岸山 円明寺
・天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(749)、聖武天皇の勅願により、行基が開創した。開創地は、現在の奥之院より少し登ったところにある。この山を寺山と呼ぶ。本殿跡には、地蔵が祀られている。
・文永5年(1258)、戦火により焼失。元和元年(1615)、須賀専斎重久(すがせんさいしげひさ)が現在の円明寺に再建した。
■常夜燈
●坂浪金毘羅神社
■ホルトノキ(=モガシ=シチジョウ)
・「坂浪金毘羅神社に大きなホルトノキが聳えている」というので訪れてみたものの、それほど大きいとは思えない。樹齢約300年ということだが、どう見ても50〜60年ほどのものである。昔の写真と照らし合わせてみても、格段に小さい。おそらく、山茶花が植わっている所の傍にある切り株が、ホルトノキの巨木の名残なのだろう。「現在は枯死している」と判断して間違いなさそうだ。今度は現地で話を聞いてみることにしよう。
・昭和53年4月27日に松山市保存樹木に指定されている。
■常夜燈
・享和元年(1801)建造。
●勝岡八幡常夜燈
●中野山若宮神社
・この小山は中野山と呼ばれ、小千命が白人宮(うらんどのみや)という社を築いたところである。
・例祭は8月7日。
・現在は若宮神社と称する。
■中野山
■若宮神社
■常夜燈
●片廻公民館前
■常夜燈
■蘇鉄
■へんろ道道標
■四国のみち道標
●素鵞神社
■拝殿
■本殿
■常夜燈