伊予の伝説
狸伝説

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2006年3月26日
です。


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Index

 四国では、全般的に見て「キツネ」に纏わる話が少なく、「タヌキ」に纏わる話が非常に多いんよね。
その昔、弘法大師は利口者の狐を大層可愛がりよったんじゃが、だんだん頭がいいことを鼻にかけて人を騙して困らせるようになったんで、怒った弘法大師が四国から狐を追放し、その代わりにタヌキを可愛がるようになったらしいわい。

松山八狸


松山の狸(その他)


愛媛の狸


愛媛のたぬき噺


四国の狸

◆徳島県


etc

●たぬきの呼称
・ばたばた(広島)
・畳叩き(高知)

八股榎お袖狸【松山市役所前、堀端】

市役所の前の交差点の隅に赤い鳥居、幟が立っとるの知っとるやろ。あれは八股榎大明神言うんやけど、ここにあった大きな榎の木に住んどったお袖狸は、昔は勝山松山城)の 森ん中に住んどったんじゃが、西暦1830年ごろ移り住んできたそうな。
八股榎加藤嘉明夫人が人夫達に握り飯を饗したところと言われておるわい。
商売繁盛、病気回復など色んな願い事が叶うということで、たくさんの人が御参りしにきよったということじゃが、昭和11年の春、伊予鉄の市内電車の複線化で堀の一部が埋め立てられることになり、お袖の榎も切り倒さなならんなったんよ。ところがなぁ、切り倒しにかかると工事従事者が次々と病気・怪我をし、これはお袖の祟りに違いないということになって、誰も仕事をせんようになったそうな。
このありさまを見よった堀之内の憲兵隊(昔は堀之内に連隊営所があったんよ)が、「何を馬鹿げたこと言いよるんぞ。狸の祟りなんぞあるもんかい。」と仕事に取り掛かった。ところが兵隊も同じ様に腹痛に見舞われ、手をひいてしもうた。
伊予鉄の計画中止も持ち上がったんじゃが、熱心な狸信者が石井の天山にある喜福寺への榎移転計画を実行したんよ。念には念をのお祀りをしたんで、祟りもなく移転することができたらしいんじゃが、生憎古木じゃたんでまもなく枯死したんじゃと。
お袖狸はしゃーないんで、大井駅(今の大西駅)に宿替えしたらしいが、昭和22年頃から再び古巣の堀端にもんてきたそうな。


元松山市長で産婦人科医の安井雅一氏は、お袖狸にお産の世話をさせたという。


安産・縁結び・商売繁盛・家内安全・学業成就・交通安全など多くの願いを叶えると評判である。


大杉社狸【松山市緑町】

 


《ただいま調査中なんよ。すまんなぁ。また来てやんなはい。》


 六角堂狸【勝山町〜東雲町】

松山東署と上一万のあいなかの西手に六角堂っちゅうのがあって、そこの榎に六角堂狸が住んでおったんと。
そこの狸もお袖狸と並んでご利益があるっちゅうんで、えらい人気があったらしいわい。
この六角堂の住職がある朝、榎の木を見上げると髑髏を枝の上で四方八方に振りまくりよったんじゃと。ほしたらそこを通りがかった侍も同じように西へ東へ行ったりきたりふらふらと歩いておったんじゃと。
これは狸に化かされたんじゃなぁと思うたらしいわい。
ある日、狸がその髑髏を枝の上に置きっぱなしにしとるのを住職が見つけ取り上げたところ、狸は神通力を無くしてしもうて、「おしょさん、髑髏返してもらえんじゃろか」と泣きながら懇願したんよ。ほしたら和尚は「人をたぶらかすんに使うだけじゃろが。替わりに法衣をやるけん、泣くのはやめいや」と言うたそうな。
狸は「これからは人間様をたぶらかしたりせんけん、こらえて下さいや」と固く誓ったんで、和尚は仕方なしに髑髏を返してやったんよ。
それからというものの、六角堂の近くを通ってもなんも起こらんようになったし、却ってお参りすると御利益があるようになったんで、お参りする人が増えて賑やかしゅうなったらしいわい。


むらさき狸【松山市石手 へんろ橋】

 

《ただいま調査中なんよ。すまんなぁ。また来てやんなはい。》


赤幟狸

 

《ただいま調査中なんよ。すまんなぁ。また来てやんなはい。》


おさん狸


《ただいま調査中なんよ。すまんなぁ。また来てやんなはい。》


金平社[きんぺいしゃ]狸【松山市上野町】


松山市上野町の大宮八幡神社の境内に大きなビャクシンの木があるんじゃが、昔ここに金平狸っちゅう男狸が住んでおったんじゃと。金平狸は伊予狸族きっての学者狸で、読書家で字を書くこともでき、しかも算術が得意で、算盤(そろばん)をよくはじいておったんよ。大宮八幡神社の代々の宮司大西家に絶対服従の御使い狸で、主人思いで心優しく、地元の人にも親切じゃったことから、金森大明神の位をもろうて、今でもこのビャクシンの根元に祭られておらい。


毎月、9、19、29の日が金森大明神の祭日。


留守番狸



《ただいま調査中なんよ。すまんなぁ。また来てやんなはい。》


おみつ狸【松山市萱町】

 萱町は三津街道への出入口じゃったので三津口と言われており、そこに辻番所 っちゅうて、今の警察みたいな仕事をしよるとこがあったんよ。
 雨がしとしと降る冬の寒い晩、その日の自身番に当たったんは佐兵衛じいさん じゃった。「辻番」と呼ばれる置き炬燵に薄っぺらい煎餅布団をかけて、角行灯 の薄暗い光を背にして街道を眺めよると、突然別嬪な娘が現れた。娘は傘もささず 奇麗な友禅の袂はひこずる程で、帯もだらりと尻尾のように垂れていた。
 佐兵衛じいさんは「ははぁ、こりゃ狸が化けとるのう」と思うたが、知らんふりして 「まあ、入って一休みおしや」と入れてやった。娘は落ち着きのない様子で、きょろ きょろしておった。そこを佐兵衛じいさん、ぱっと飛び掛かって縄で縛りあげた。 「さあ、正体を現したらどうぞね!」と青葉松を炬燵の火でいぶしあげると、娘は 縛られたまま煙にむせいでもがき回った。
やっぱり、これはじいさんの睨んだ通り、「おみつ狸」と呼ばれる雌狸じゃった。 じいさんがこの日大可賀で釣ってきた魚を狙うて来たんじゃと。
 それからというものの、三津口番所のことを狸番所、辻番炬燵のことをおみつ炬燵というようになったらしい。

 昔話だから良いものの、むやみやたらにこげなことしよったら「SM警官『佐土兵衛』、いきなり娘を縛り上げる」 などと大見出しで新聞の3面をすっぱぬき、非難轟々浴びるぞね。


宝蔵院の狸

宝蔵院の和尚が吉田からの帰り道にとても美しい女に出会うた。「おんぶしてもらえん やろうか...?」と言うたが、和尚は「ははぁ、こりゃ狸じゃのう」と覚って縄で縛り上げて 寺まで連れてもんて、境内の木に縛りつけた。
「もう悪さはせんじゃろのう!」と和尚が問い糾すと「もう二度と悪さはしません」と狸が約束したので、 和尚は縄を解いてやった。
狸は「やれやれ恐ろしや宝蔵院さんよ、マイマイコンコン、チリコンコン」と歌いながら狸は逃げて帰ったんじゃと。

おいおい。この和尚もアブノーマルなやつかぇ?じゃけん、いきなり縛り上げたらいかんっちゅうて 言いよるじゃないか。「あきれた和尚。欲求不満爆発か」などと全国版でたたかれるぞね。 それに、無邪気なたぬきが、ただ女に化けて「おんぶオバケごっこ」したかっただけかもしれんじゃないか。 そげなことしよったら、どこぞの動物愛護団体がプラカード持って境内埋め尽くすぞぉ。
じゃけんど、「マイマイコンコン....」と歌うあたり、案外ハイテクな狸かもしれんのぅ。


定秀寺の狸【松山市三津】

この寺の銀杏の木の下に狸がおって、よう悪さをしよったらしい。

悪い狸がおったそうな。ただそれだけしかわからん.....


お茶屋狸【松山市祓川】

お茶屋は、江戸時代、久松公が参勤交代のときに潮待ち(船で本州に渡るには、瀬戸内海の潮流を計算に入れんといかんかったんよ) するために作った別邸で、清水が湧く井戸があったんよ。ほいでなぁ、その井戸のすぐ側に樹齢数百年の柳の木があって、そこに狸が住んどったらしいわい。
今は三津浜小学校になっとるんじゃけど、小学校で遠足や運動会などの行事を予定すると、いっつも雨にたたられるんは、どうもこの お茶屋狸の祟りらしいわい。っちゅうわけで、この井戸は「狸井戸」と呼ばれておった。
何で「狸の祟り」と囁かれるようになったかというと、三津小学校が「梅田の国民学校」と呼ばれていたころに溯るんじゃが、「昔、この学校に狸が出てきたのを、校長が殴り殺して、井戸の中に放り込んだからだ」という噂が流れたのが発端なんじゃと。
噂が噂を呼んで、色んな亜種の話も出現したみたいなわい。「あの井戸の回りを3べん回って蓋を開けて『明日雨になぁれ』と言うと雨が降る」 と言う者もおったりしたんじゃが、狸の祟りを恐れ、実行に移す者はなかったといわい。


小女郎狸(こじょろうだぬき)

雨がしとしと降っとる晩には、狸がよう化けて出るっちゅうんで、わざわざ見に行った男がおるんじゃと。
夜もふけてきた頃1匹の狸が現れたんで、物陰に隠れて眺めよったんよ。ほしたら、始めに草の葉を頭に乗せ女の髪の毛に化け、ほして次に藁を被って着物を着た美しい女に化けたんよ。ほして、足元に転がっていた小さい石を拾い上げて、赤ん坊に変えたんよ。
この一部始終を見とったんじゃが、知らんふりして出ていくと、その狸は綺麗な声でこう言うたんじゃと。
「川ん中に大事な櫛を落としたんで、拾う間だけでええけん、この子を抱いとってもらえんじゃろか」
男は「騙されんぞな。小女郎狸め。今に見よれよ。こらしめてやるけん」と腹ん中で思いながらも真面目な顔して「はいはい」と赤ん坊を受け取った。ほして、女が川ん中に入ろうとしたその背中めがけて赤ん坊を投げつけてやった。
赤ん坊は火のついたように泣き叫び、女は「なんでこんな酷いことするん!川の中に投げ込むなんてあんまりやないの!」と男に詰め寄ってきた。
仰天して「ありゃぁ...確かに狸が化けたはずじゃが....。ひょっとして、狸が化けよるとこを見たっちゅうこと自体が化かされとったんじゃなかろうか」と思い、「えろうすまんことをしたのう」と土下座して何度も何度も謝った。
そこを通りかかった村人が、雨ん中で一人で土下座しておる男を見掛け「あんた、何しよるんぞね。こげな雨降る中を傘もささんと」と肩を叩いた。ほれで男は「ありゃぁ...やっぱ狸に化かされとったんか...」と気付いたんじゃと。

なんか「クレタ人の嘘つきパラドックス」に陥りそうじゃね。嘘つきが「私はどんなときでも絶対に嘘をつきます」っちゅうたとき、その言葉が真じゃったら嘘つきじゃなくなるし、偽じゃったら嘘はつかないことになるし....。


お社の供え物を失敬して追放され、一文字笠に化けて釣り舟に便乗したものの鯛の目玉を盗み食いして水葬になるところを金の茶釜に化けるといって免れて、山陽路で女郎となって金を稼いでは新居浜市の一宮神社に奉納を続けたという。


性別:メス


犬神刑部(いぬがみぎょうぶ)

むかし、久万山に八百八匹の狸を家来にしている「犬神刑部」という強い狸が住んでおったんじゃと。ほいで、松山藩家老奥平久兵衛は狸退治を後藤小源太という男に頼んだそうな。刑部狸をはじめ八百八狸はいろいろな神通力で対抗したんじゃが小源太にはてんでかなわなかった。そこで仕方なく刑部狸は和尚に化けて「狸退治をやめるんじゃったら、ワシら狸は一生あんたを守ってやろわい」と約束したそうな。
その頃奥平久兵衛は松山藩乗っ取り計画を立てておって、小源太と狸は心ならずともその計画に荷担してしもうた。それからというものの松山藩内では狸のいたずらで次々と不思議な出来事が相次いだんじゃそうな。そこで奥平久兵衛に城を乗っ取られるのを阻止しようとした家来が、神杖を操る稲生武太夫にじゃまな狸を退治するよう依頼したんよ。ほして、武太夫の不思議な杖の力によって狸たちは久谷の山奥に封じ込められてしもうたらしいわい。
久谷中組にある「山口霊神」は、その狸たちをまつったものと言われておるわい。


喜左衛門狸【東予市北条 大気味神社

・喜左衛門狸は東予北条の大気味神社に御仕えする狸であったが、長福寺の南明和尚と事のほか仲がよく、時々小僧に化けてお供をしていた。ところがつい尻尾をだらりと出して、「これ、喜左衛門」と注意されることがある。喜左衛門は「わしも年をとったものよ」と若い頃を思い起こしていた。
・阿波の金長と六右衛門が争った阿波の狸合戦に仲裁をかって出た讃岐浄願寺の禿狸と五分の相撲をとったことを懐かしく思い出し、禿狸と会いたくなって讃岐へ飛んだ。禿狸は薬罐に化けて、腹の毛をちりちりに焼かれたりするへまもやったが、風邪が流行ると木の葉を金に見せて薬を買い貧しい人たちに分けてやる優しさもあった。
・さて禿狸は折角だから手合わせをやろうといい、ぽんとバック転をして、壇ノ浦の源平合戦を見事に演じた。そして「喜左衛門。おぬし何を演る」と得意顔になった。 そこで喜左衛門はお国入りする小松の殿様のことをふと思い出して「お前には負けるが、五月の五日に大名行列を見せよう」と約束した。
・約束の日に、禿狸が街道筋で待っていたら「下に、下に」と行列がやってきた。禿狸は手を叩きながら「喜左衛門、うまいうまい」と駕篭に近づいたら「無礼者め」と直ちに斬りつけられてしまった。禿狸は「わーっ。こりゃ本物じゃ。喜左衛門にやられた」と屋島へ逃げて帰ったという。


・今でも大気味神社の境内に喜宮明神(きのみやみょうじん)として祀られている。
・鼬(いたち)・蝗(いなご)封じに霊験があるという。
・踊りが好きで、もう帰ろうと誘う人間に必ず祟ったという。
・菊間の瓦屋の竈で哀れな死を遂げたという。


小女郎狸【新居浜市 一宮神社



《ただいま調査中なんよ。すまんなぁ。また来てやんなはい。》


おみつ狸【新居浜市 正光寺山】

・JR新居浜駅より東に約300mのところに、正光寺山という小高い山がある。ここには「おみつ狸」という牝狸が住んでいて、夜になると美女に化けて人をよく騙したという。
・山の穴には、かわらけを沢山もっていたという。


明神木狸【西条市大町】

・与平が壬生川から連れて来た。
・別嬪な女性に化けて、壬生川に荷物を届けて帰りがけの与平を呼び止めたが、与平にすぐに見破られて、逆に「わしは屋島の狸じゃ。お前みたいな下手糞な化け方じゃ、すぐにばれるわい」と騙され、化け方を与平に是非教わろうと友人達を引き連れて皮袋の中に入って西条まで連れて行かれた。
・この一件によりいたずらを止め、人助けに徹し、大町に住み着く御手伝い狸になったそうである。


立石狸【重信町立石】





手引き松の狸【重信町横河原】





黒岩谷の相撲好き狸【砥部町大谷】


柿取り狸【砥部町五本松】

・昔、砥部の山奥の秋のこと、水晶谷の山にも山吹色のうまそうな実が沢山なる柿の木があった。
・麓の村に、この柿の実を大層楽しみにしている男がおり、そろそろ食べ頃かと、背中に大きな籠を背負い、この柿の木の側まで来ると、食い散らかした柿の実がそこらあたりに散乱していた。
・「こりゃ、狸の仕業じゃな!うまそうな柿をこんなにしやがって!」
・腹を立てた男は、木の側に罠を仕掛けて家に帰っていった。ところが、それからというものの、どうも頭が痛くて仕方がない。とうとう熱を出して寝込む始末である。
・「きっと、狸が取り憑いたに違いない」
・翌日、男は山へ罠を取り外しに行った。すると、どうじゃろう、忽ち熱は引き、頭痛もなくなったという。




たかぼうず【砥部町北川毛 高野橋】

・昔、一本橋が架かるこの川に大きな「たかぼうず」という化け物が出るという噂が広まり、誰一人この橋を渡るものはいなかった。
・ある日、力自慢の樵が「たかぼうず」の正体を明かそうと、余りの背の高さに顔もよく見えず、恐ろしくなり逃げて帰った。
・そこで、今度は仲間の樵4〜5人を引き連れて「たかぼうず」を探しに行った。すると丁度山から「たかぼうず」が下りてくるところであり、樵達は辺りに身を隠しじっと様子を伺った。「たかぼうず」はやがて川まで下りてくると水を美味そうに飲み始めた。川面に映ったその顔をこっそり覗き込むと、それは一匹の狸であった。




馬子とたぬき

むかし、ある山の村に正直で知恵のある馬子がおったんじゃと。正月も間近なその日も、馬子は朝早うから出かけて、村から町へ、町から村へと荷物を運んで精出して働いておったんじゃが、夕方には雪もちらついてとても寒うなった。
馬子の家は山ん中にあるけん、大きな林をなんぼも越さんといぬことができなんだんよ。
一つ目の林を越えたとこに一人の侍が立っとって、「これこれ。私はこの先の村まで急ぎの用事があるのじゃが、日が暮れかけて困っておる。お前の馬に乗せて貰えまいか」と言うたんで、「へいへい。帰りがけですけん、村までなら五十銭も戴けたらお載せしましょうわい」と侍を馬の上に押し上げてな。そしていきなり縄でがんじがらめに縛りつけ、そして呑気に鼻歌を歌いながら林を越えて家までいんだんよ。
戸口に馬を繋いで「おーい。今もんたぞね。今晩はええもん持って帰っとるけん、包丁を研いで持ってこいや」と女房に声を掛けた。馬の背にくくりつけられた侍は、実は狸じゃって、がたがた震えながらその正体を現して「どうぞ馬子さん。命ばかりは助けておくんんなさい」と懇願したんよ。
馬子は、いたずら狸を可哀想に思って離してやったんじゃが、それから何日かしてお供を連れた侍がやってきて、ずっしり重い千両箱を置いていったんじゃと。

これも「いきなり縛る」パターンじゃね。(^_^)


たぬきことば

たぬきはなぁ。みずいろの手拭いで頬被りをしとるんぞな。そして、夜になって戸をコトコトと叩いたら「誰ぞな?」と聞いておみ。「おらだ」っちゅうたら人間で、「おら」とよう言わずに「いらだ」っちゅうたら狸ぞね。化かされたらいかんけん、戸を開けなさんんなよ。 

「土佐の幡多郡でも、狸には誰じゃと聞くと必ず「ウラヂャガ」と答えるといふ。即ち「オラ」とは謂ひ得ないのである。そこで此方でも「ウラならもとよ」と言い返してやると、もう閉口っして化かすことは無いといふ」 柳田国男集 妖怪談義より