伊豫の隅々

 

朝倉村(Asakura Village)


このページの最新更新年月日は 
2002年4月14日
です。


市町村概要
キャッチフレーズ
(1).「水と緑と文化の里」
(2).「水と緑でむらづくり、活力あるむらから町へ」

選定モノ
村の花 村の木 村の花木 村の鳥
ツツジ クスノキ

特産物

インフォメーション
朝倉村役場  (TEL)0898-56-2500

沿革
・昭和31年3月31日、上朝倉村と下朝倉村が合併して発足した。
字と地名探訪
 
大字
文化財探訪
国指定有形文化財

国指定無形文化財

国指定天然記念物

県指定有形文化財

七間塚【朝倉村野々瀬】

多伎ノ宮古墳群【朝倉村 多伎神社

斎藤別当実盛供養塔【朝倉村下万丁 満願寺

県指定無形文化財

朝倉矢矧神社の獅子舞とにわか

・県指定無形民俗文化財(平成12年4月18日指定)
・5月3日の春季祭礼時に奉納される。
・にわか狂言は、掛合による寸劇のようなものである。獅子舞は油単(ゆたん)に10人ほど入るムカデ系獅子で、拝み出し、式三番叟(しきさんばそう)、寝獅子、もちまきなどが行われる。

今治及び越智地方の獅子舞

・県指定無形民俗文化財(平成12年4月18日指定)

多伎獅子舞保存会:朝倉村古谷(多伎神社

鳥生獅子連中:今治市祇園町
高部獅子舞保存会:今治市高部
神宮獅子舞保存会:今治市神宮
矢田獅子舞保存会:今治市矢田
野間獅子連中:今治市野間
延喜獅子舞保存会:今治市延喜
宅間部落獅子連合会:今治市宅間
阿方獅子舞保存会:今治市阿方
杣田獅子舞保存会:今治市杣田
波方青年獅子連中:波方町波方
樋口獅子舞保存会:波方町樋口
小部獅子保存会:波方町小部
養老獅子保存会:波方町養老
脇獅子連:大西町
別府獅子連:大西町別府
九王獅子連:大西町九王
県指定天然記念物

村指定有形文化財

肩切地蔵【朝倉村朝倉下】

2002/3/3
・下朝小学校の校庭の片隅にある。
・平安時代末期、源氏方の河野通清と平家方の西寂入道とが高縄山を中心に争った。朝倉では辻堂辺りで激しい戦いが繰り広げられたが、河野氏側が西寂入道を滅ぼし、勝利を収めた。そのとき討ち取った西寂入道方の48人の首を血洗池で洗い、その傍に社を建てて首塚を築いた。その上に辻堂のお蔵さんを持ってきて丁重に弔った。

樹本古墳【朝倉村朝倉下】

笠松城跡【朝倉村朝倉南乙】

村指定無形文化財

笠鉾祭

弓祈祷

村指定天然記念物

その他の文化財

史跡探訪
城址
神社仏閣探訪
寺

岡之庵【朝倉村下村】

・本尊:釈迦如来
・昔は浄光寺と称していた。

武田車竜翁の墓碑

歓喜寺【朝倉村町谷】

龍門山城城主・河野通明源六の墓碑

喜積寺【朝倉村下村】

・本尊:阿弥陀如来
満願寺住職・秀亮上人が桜井郷より勧請した。
・森山の南麓に建立した草庵であったが、後に森山の北麓に転住した。
・庵跡には石垣・井戸が残る。

光蔵寺【朝倉村水の上(朝倉上甲918)】

高大寺【朝倉村高大寺】

・山号:南嶺山
・院号:金光院
・本尊:薬師如来〜特に眼病に霊験有り。(世田山城主・大館氏明公の臣であった山本某が、世田山城落城後に南朝方の戦死者を慰霊するために住職となったが、眼病で一生苦労し、死去に際して「薬師信仰をすれば眼病に霊験があるだろう」と遺言を残したことによる)
・武田家の持庵であり、光蔵寺の末庵である。

地蔵庵【朝倉村平林】

・本尊:地蔵尊〜安産祈願のため安置された。
光蔵寺の末寺。武田医院の元持庵であったが、今は部落の庵となっている。
・いつの頃か定かではないが、部落の人に排除されたのを悲観して、自分の腹に鉄砲を撃って自殺した者があった。その後、部落の人にタタリをもたらしたので、これを鎮めるために石仏の観音像を祀った。この観音は現在、飯成神社に神として合祀されている。

正善寺【朝倉村朝倉南甲410】

・本尊:延命地蔵菩薩(行基作と伝えられる。)
・脇仏:薬師如来、弘法大師
・院号:地蔵院
・開基:宥学上人
・昔は七堂伽藍を有する大寺であった。
・河野氏が朝倉郷中村(現本郷)に祈願寺として建立し、法隆山本道寺と称した。当所は阿弥陀如来を安置した。
・暦応3年(1340)、行司原の岡武蔵守光信が諸堂再建した時、寺号を正禅寺(禅宗)と改めた。
・貞治年中に焼失。
・室町末期に本道寺を現在地に移した。寺殿玄関前にある石は、本道寺の塔礎石である。
・貞治年中(1362)、真言宗となり、正禅寺正善寺と改めた。

本堂寺の礎石

善吉寺庵【朝倉村太原赤坂】

・本尊:延命地蔵尊
・重城(じゅうじろ)善吉寺と称していたが、戦国時代に焼失した。
・武田氏が当地に来た時、武田一族の菩提のために光蔵寺末寺として中興した。
・天正11年、宇佐八幡窮の仏師・山月が本尊を安置した。貞享4年に火災により堂宇・什器等を全焼。これを村長・武田義ヱ門の請により京都の仏師・市兵衛が本尊を修復した。

斎明天皇御陵(?)

竹林寺【朝倉村古谷(こや)(古谷甲1249)】

自然・景観探訪
山

天道ヶ峠【朝倉村】

2002/3/3

金山【朝倉村】

2002/3/3

笠松山【朝倉村南野々瀬】

鷹取山【朝倉村】

霊仙山

・標高 156.6m。

霊仙山城

竜門山【朝倉村】

・標高438.9m
樹木

胴塚の楠(村民グラウンドの大楠)【朝倉村一丁寺】

2002/3/3
八ヶ所さんとも呼ばれる大楠。
・寿永3年(1184)2月、伊予の源氏・河野通信が平家方の尾道の僧・額の西寂(ぬかのせいじゃく)入道軍を掃討しつつ、朝倉郷辻堂付近まで追いつめた。河野方は西寂方の武士48人を討ち取り、血洗池で死体を洗い、首を現下朝小学校の首塚に埋め、その上に辻堂の肩きり地蔵を、胴体は血洗池のすぐそばに埋めて、その上に楠の木を植えたという。
・河野軍は更に西寂軍を追撃したが、途中矢玉が無くなったので、頓田川の小石を拾ってそれを打ち投げて戦った。西寂軍は桜井郷長沢の方に逃散した。そのため、朝倉と長沢の境にある峠は石打峠と名付けられたという。

四季桜(竹林寺桜)【朝倉村 竹林寺

・秋冬春の三度にわたって花が咲く。
・今治藩に仕えた古谷村(現 朝倉村古谷)の藩士・堀半七が参勤交代のときに江戸から持ち帰って寄進したもの。

横戸の桜【朝倉村】

しだれ桜【朝倉村 無量寺

根上り松【朝倉村】

2002/3/3
・昭和31年、白石敏男氏により建立された碑が建つ。昔この場所に根の部分が競りあがった巨松があったという。今はその姿を想像すらできない。

一本松古墳(根上松古墳)

「県の天然記念物に指定された松の巨木があり、根の形から根上り松と呼んだ。昭和55年虫害のため枯れ、台風で倒れてしまった。根元から銅鏡が出土した。松は古墳の上に植えられた一里塚であろうか。」との説明書きが建っている。

朝倉の巨木

番号 名称 場所 目通り 
幹周
樹高 樹齢
1 村民グランドの大楠(胴塚の楠) 村民グランド 9.0m 23.0m
2 エノキ  下朝小学校 2.7m  17.0m
3 ムクノキ  高大寺川(?) 3.6m 11.0m
4 ネズミサン(ヒムロ)  樹ノ本古墳 2.3m 19.0m
5 ヒノキ 多伎神社 2.8m 32m
6 スギ 多伎神社 2.9m 33m
10 モミノキ 満願寺
11 シグレザクラ 満願寺
25 一位樫(イシイガシ)  客天満宮 3.6m 15.0m
26 双子杉  皇子神社 3.7m 31.0m
27 一位樫(イチイガシ)  皇子神社 4.0m 9.0m

川

頓田川

山越川[頓田川支流]

黒谷川

白地川

渓谷

滝

鮎返りの滝【朝倉村】

雷雷の滝【朝倉村 白地川】

木がくれの滝【朝倉村】


・龍門保育園敷地に隣接している。
・その昔、河野源六の住居であったことから源六殿屋敷と呼ばれているが、江戸時代には天領の大庄屋武田家の屋敷であった。その当時、度々今治藩主が訪れ、滝を賞でたと古文書に残っている。又、文人墨客の来訪も多く、幕末の碩学頼山陽はこの滝を「里中(りちゅう)の山滝」と褒めたたえた。
橋

風景

朝倉ダム【朝倉村】

その他自然景観

鹿子池

紀伊守の妻子の墓

鷹取山城の項を参照
道探訪
峠

さやの峠【朝倉村/玉川町】

2002/3/3

石打峠【朝倉村/今治市桜井】

平安時代末期、辻堂において源氏方・河野勢と平家方・西寂入道の激戦が繰り広げられたが、
林道
碑探訪 公園探訪 祭り・イベント探訪 施設探訪

朝倉村B&G海洋センター【朝倉村朝倉下乙104-2】

・体育館(アリーナ、格技室)、温水プールがある。
・料金は多少割高ではあるが、村外者でも利用できる。
伝説探訪 レジャー・行楽
キャンプ

海水浴

その他

鹿ノ子池【朝倉村】

五葉の里【朝倉村】

朝倉村水源地


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