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(1).「水と緑と文化の里」
(2).「水と緑でむらづくり、活力あるむらから町へ」
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村の花 村の木 村の花木 村の鳥 ツツジ クスノキ
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朝倉村役場 (TEL)0898-56-2500
・昭和31年3月31日、上朝倉村と下朝倉村が合併して発足した。
大字 字
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七間塚【朝倉村野々瀬】
多伎ノ宮古墳群【朝倉村 多伎神社】
斎藤別当実盛供養塔【朝倉村下万丁 満願寺】
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朝倉矢矧神社の獅子舞とにわか
・県指定無形民俗文化財(平成12年4月18日指定)
・5月3日の春季祭礼時に奉納される。
・にわか狂言は、掛合による寸劇のようなものである。獅子舞は油単(ゆたん)に10人ほど入るムカデ系獅子で、拝み出し、式三番叟(しきさんばそう)、寝獅子、もちまきなどが行われる。
今治及び越智地方の獅子舞
・県指定無形民俗文化財(平成12年4月18日指定)
多伎獅子舞保存会:朝倉村古谷(多伎神社)
鳥生獅子連中:今治市祇園町
高部獅子舞保存会:今治市高部
神宮獅子舞保存会:今治市神宮
矢田獅子舞保存会:今治市矢田
野間獅子連中:今治市野間
延喜獅子舞保存会:今治市延喜
宅間部落獅子連合会:今治市宅間
阿方獅子舞保存会:今治市阿方
杣田獅子舞保存会:今治市杣田
波方青年獅子連中:波方町波方
樋口獅子舞保存会:波方町樋口
小部獅子保存会:波方町小部
養老獅子保存会:波方町養老
脇獅子連:大西町脇
別府獅子連:大西町別府
九王獅子連:大西町九王
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肩切地蔵【朝倉村朝倉下】
2002/3/3
・下朝小学校の校庭の片隅にある。
・平安時代末期、源氏方の河野通清と平家方の西寂入道とが高縄山を中心に争った。朝倉では辻堂辺りで激しい戦いが繰り広げられたが、河野氏側が西寂入道を滅ぼし、勝利を収めた。そのとき討ち取った西寂入道方の48人の首を血洗池で洗い、その傍に社を建てて首塚を築いた。その上に辻堂のお蔵さんを持ってきて丁重に弔った。
樹本古墳【朝倉村朝倉下】
笠松城跡【朝倉村朝倉南乙】
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笠鉾祭
・300年前から伝わる牛馬の祈願祭。
弓祈祷
・無病息災・五穀豊饒を祈願する。
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梅ヶ月城【朝倉村峠/白地】
南越山城【朝倉村】
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岡之庵【朝倉村下村】
・本尊:釈迦如来
・昔は浄光寺と称していた。
武田車竜翁の墓碑
歓喜寺【朝倉村町谷】
龍門山城城主・河野通明源六の墓碑
喜積寺【朝倉村下村】
・本尊:阿弥陀如来
・満願寺住職・秀亮上人が桜井郷より勧請した。
・森山の南麓に建立した草庵であったが、後に森山の北麓に転住した。
・庵跡には石垣・井戸が残る。
光蔵寺【朝倉村水の上(朝倉上甲918)】
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・山号:医王山
・宗派:高野山真言宗
・府中四国 20番霊場
・本尊:薬師如来〜厄除け薬師
・せとうちバス「上朝倉」停留所
・推古天皇の御宇・小千益躬(おちますみ)が創建した。
・天正13年、豊臣秀吉四国平定にて縁起什宝を焼失。
・文禄2年に智尊が中興。庫裏・客殿・堂于を再建した。
唐椿
大般若経
高大寺【朝倉村高大寺】
・山号:南嶺山
・院号:金光院
・本尊:薬師如来〜特に眼病に霊験有り。(世田山城主・大館氏明公の臣であった山本某が、世田山城落城後に南朝方の戦死者を慰霊するために住職となったが、眼病で一生苦労し、死去に際して「薬師信仰をすれば眼病に霊験があるだろう」と遺言を残したことによる)
・武田家の持庵であり、光蔵寺の末庵である。
地蔵庵【朝倉村平林】
・本尊:地蔵尊〜安産祈願のため安置された。
・光蔵寺の末寺。武田医院の元持庵であったが、今は部落の庵となっている。
・いつの頃か定かではないが、部落の人に排除されたのを悲観して、自分の腹に鉄砲を撃って自殺した者があった。その後、部落の人にタタリをもたらしたので、これを鎮めるために石仏の観音像を祀った。この観音は現在、飯成神社に神として合祀されている。
正善寺【朝倉村朝倉南甲410】
・本尊:延命地蔵菩薩(行基作と伝えられる。)
・脇仏:薬師如来、弘法大師
・院号:地蔵院
・開基:宥学上人
・昔は七堂伽藍を有する大寺であった。
・河野氏が朝倉郷中村(現本郷)に祈願寺として建立し、法隆山本道寺と称した。当所は阿弥陀如来を安置した。
・暦応3年(1340)、行司原の岡武蔵守光信が諸堂再建した時、寺号を正禅寺(禅宗)と改めた。
・貞治年中に焼失。
・室町末期に本道寺を現在地に移した。寺殿玄関前にある石は、本道寺の塔礎石である。
・貞治年中(1362)、真言宗となり、正禅寺を正善寺と改めた。
本堂寺の礎石
善吉寺庵【朝倉村太原赤坂】
・本尊:延命地蔵尊
・重城(じゅうじろ)山善吉寺と称していたが、戦国時代に焼失した。
・武田氏が当地に来た時、武田一族の菩提のために光蔵寺末寺として中興した。
・天正11年、宇佐八幡窮の仏師・山月が本尊を安置した。貞享4年に火災により堂宇・什器等を全焼。これを村長・武田義ヱ門の請により京都の仏師・市兵衛が本尊を修復した。
斎明天皇御陵(?)
竹林寺【朝倉村古谷(こや)(古谷甲1249)】
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・山号:五台山
・本尊:文殊菩薩
・天武天皇の頃、越智大領小千守興(おちもりおき)が願主となり、僧観堂によって開基した。
※朝倉村誌によれば、当地出身の観量大徳が堂を建立し、多伎都比売命と昆盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を勧請安置して真如坊と号したとされる。「観堂」は転記ミスかな?
・貞治3年(1364)、世田山合戦で自刃した河野通朝の子息・徳寿丸(河野通堯)をかくまった寺である。
・戦国時代は鷹取山城主・正岡氏の祈願寺として栄えた。
・江戸時代には、今治藩主・松平侯、小松藩一柳侯の帰依・尊信を受けた。
「古谷村字寺内に在り 白鳳二癸酉年僧観量これを創建し 昆盧遮那仏を安置し真如坊と号す 後ち聖武天皇の御宇行基自ら文殊の像を刻しこれを安置して竹林寺と改号す 境内に東堂あり 薬師の像を安置す 此像は聖武天皇の御宇吉備大臣漢土五台山於て求め得る所の仏像なり 元と多岐神社に安置し在しが明治四年此寺に移す」(伊豫温故録)
智恵の文殊さん
富沢赤黄男句碑
四季桜(竹林寺桜)
正岡紀伊守の墓(鷹取城主供養塔)
・正岡紀伊守(鷹取山城主)を祀る五輪塔。 →鷹取山城の項を参照
長井忠五衛門の墓
・長井忠五衛門は提灯測量で治水に一生を捧げた。
| 多伎神社由緒
・旧社格:式内大社、県社
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「当古墳群は三十数基による群集墳であるが、これらの円墳の内に一基は盛土のかわりに石を積み上げた積石塚(円墳)があります。古墳の内部は他の古墳と同様に横穴式石室と推測されています。 朝倉村教育委員会」
「朝倉上村字行司原に在り 日本紀斎明天皇巻曰、七年春正月丁酉朔壬寅、御船西征、始就于海路、甲辰御船到于大伯海、太田姫皇女産女焉、仍名是女曰大伯皇女、....(中略).... 四月天皇遷居于朝倉宮、同天皇巻曰く、五月乙未朔癸卯、天皇遷居于朝倉橘廣庭宮、是時斬除朝倉社木....」(伊豫温故録)
荒木大明神【朝倉郷中村】
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天道ヶ峠【朝倉村】
2002/3/3
金山【朝倉村】
2002/3/3
笠松山【朝倉村南野々瀬】
・瀬戸内海国立公園特別地区に指定。
・標高 327.7mの山頂には平和観音堂がある。
・自然歩道があり、ハイキングが楽しめる。
・中世伊予の豪族河野氏の居城跡。
・平安時代中期、寛弘年間(1004〜1011)、浮穴太夫河野為世の隠居城となり、その後、子孫である岡氏の居城となった。
・南北朝時代、南朝方の伊予国守護大館氏明が世田山城に、新田四天王の篠塚伊賀守重広は笠松城に、岡武蔵守光信は行司山城によって、北朝方の細川頼春の大軍の来攻を防戦したが、興国3年(1342)9月、氏明・光信は討死し、篠塚伊賀守は敵中を突破して、今張浦から因島に行ったという。
・南北朝末期の貞治3年(1364)、河野通朝が、そして康暦元年(1379)通朝の嫡子河野通堯が世田山城・笠松山城によって、細川頼春の来攻を防戦し討死している。
・室町時代末期になっても、阿讃の細川氏、周防の大内氏、土佐の長宗我部氏が来攻し、この山城を占領している。
●野田登山口より1.2km
●野々瀬登山口より1.2km
●世田山山頂より1.1km
笠松山古墳群
鷹取山【朝倉村】
霊仙山
・標高 156.6m。
霊仙山城
竜門山【朝倉村】
・標高438.9m![]()
胴塚の楠(村民グラウンドの大楠)【朝倉村一丁寺】
2002/3/3
・八ヶ所さんとも呼ばれる大楠。
・寿永3年(1184)2月、伊予の源氏・河野通信が平家方の尾道の僧・額の西寂(ぬかのせいじゃく)入道軍を掃討しつつ、朝倉郷辻堂付近まで追いつめた。河野方は西寂方の武士48人を討ち取り、血洗池で死体を洗い、首を現下朝小学校の首塚に埋め、その上に辻堂の肩きり地蔵を、胴体は血洗池のすぐそばに埋めて、その上に楠の木を植えたという。
・河野軍は更に西寂軍を追撃したが、途中矢玉が無くなったので、頓田川の小石を拾ってそれを打ち投げて戦った。西寂軍は桜井郷長沢の方に逃散した。そのため、朝倉と長沢の境にある峠は石打峠と名付けられたという。
四季桜(竹林寺桜)【朝倉村 竹林寺】
・秋冬春の三度にわたって花が咲く。
・今治藩に仕えた古谷村(現 朝倉村古谷)の藩士・堀半七が参勤交代のときに江戸から持ち帰って寄進したもの。
横戸の桜【朝倉村】
しだれ桜【朝倉村 無量寺】
根上り松【朝倉村】
2002/3/3
・昭和31年、白石敏男氏により建立された碑が建つ。昔この場所に根の部分が競りあがった巨松があったという。今はその姿を想像すらできない。
一本松古墳(根上松古墳)
「県の天然記念物に指定された松の巨木があり、根の形から根上り松と呼んだ。昭和55年虫害のため枯れ、台風で倒れてしまった。根元から銅鏡が出土した。松は古墳の上に植えられた一里塚であろうか。」との説明書きが建っている。
朝倉の巨木
番号 名称 場所 目通り
幹周樹高 樹齢 1 村民グランドの大楠(胴塚の楠) 村民グランド 9.0m 23.0m 2 エノキ 下朝小学校 2.7m 17.0m 3 ムクノキ 高大寺川(?) 3.6m 11.0m 4 ネズミサン(ヒムロ) 樹ノ本古墳 2.3m 19.0m 5 ヒノキ 多伎神社 2.8m 32m 6 スギ 多伎神社 2.9m 33m 10 モミノキ 満願寺 11 シグレザクラ 満願寺 25 一位樫(イシイガシ) 客天満宮 3.6m 15.0m 26 双子杉 皇子神社 3.7m 31.0m 27 一位樫(イチイガシ) 皇子神社 4.0m 9.0m
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頓田川
山越川[頓田川支流]
黒谷川
白地川
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鮎返りの滝【朝倉村】
・頓田川上流にある。
雷雷の滝【朝倉村 白地川】
・白地川上流にある。
木がくれの滝【朝倉村】
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・龍門保育園敷地に隣接している。
・その昔、河野源六の住居であったことから源六殿屋敷と呼ばれているが、江戸時代には天領の大庄屋武田家の屋敷であった。その当時、度々今治藩主が訪れ、滝を賞でたと古文書に残っている。又、文人墨客の来訪も多く、幕末の碩学頼山陽はこの滝を「里中(りちゅう)の山滝」と褒めたたえた。![]()
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朝倉ダム【朝倉村】
2001/9/29
・頓田川支流黒谷川上流にある。
・貯水量140万トン。
・朝倉・今治の農地約1000haの農業用水を供給する。
多目的広場
遊歩道
休憩施設
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鹿子池
紀伊守の妻子の墓
→鷹取山城の項を参照
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さやの峠【朝倉村/玉川町】
2002/3/3
石打峠【朝倉村/今治市桜井】
平安時代末期、辻堂において源氏方・河野勢と平家方・西寂入道の激戦が繰り広げられたが、
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朝倉村B&G海洋センター【朝倉村朝倉下乙104-2】
・体育館(アリーナ、格技室)、温水プールがある。
・料金は多少割高ではあるが、村外者でも利用できる。
鹿ノ子池【朝倉村】
五葉の里【朝倉村】
朝倉村水源地
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[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous Information Laboratory]
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