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広田村(Hirota Village)このページの最新更新年月日は |
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(1).「健康と緑豊かな陶石の郷」
(2).「みどりのふるさと清流の広田村」
(3).「豊かな自然とゆたかな心」
(4).「ふれあいとやすらぎ育む峡(きょう)の郷(さと)」
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村の花 村の木 村の花木 村の鳥 こぶし
(タムシバ)クヌギ
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広田焼
広田せんべい
うどんだし
おからクッキー
自然署![]()
広田村役場産業課 〒791-22 伊予郡広田村総津385 (tel)089-969-2111
明治23年地方自治制度により、総津、高市、玉谷、満穂、中野川、多居谷、猿谷、栗田の8カ村が合併、昭和4年に栗田村を分村、昭和22年の地方自治発布により現在の形となった。
広田村の名の起こりは、昔イノシシが出て折角つくった田畑を荒らし、「ぬたば(奴田場?)」にしてしまうことから、「広奴田郷(ひろぬたごう)」と呼ばれ、それが転訛したものといわれる。
広田村に初めて村落が形成されたのは、平安時代後期の高市辺りらしい。
大字 字 総津 高市 玉谷 満穂 中野川 多居谷 猿谷
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満穂万才【広田村満穂】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
篠谷獅子舞【広田村篠谷】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
中野川獅子舞【広田村中野川】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
鴨滝獅子舞【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
・10月23日の地方祭に、高森三島神社で行われる。
・明治20年頃、稀代の獅子頭の使い手であった亀岡音五郎が伝授したとも、窪田和乎が教えたともいわれている。
・雄獅子1頭と、子役の猟師(長男に限る)を伴う。
・「肩おろし」「尻かぶり」「四方固め」「三番そう」などの演目がある。
本村獅子舞【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
総津獅子舞【広田村総津】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
・10月23日の総津三島神社の祭礼(地方祭)に行われる。
・「どんちゃか」、「おや」等の演目があり、大人の猟師が出演する。
・明治の中頃、現砥部町麻生より、安部多賀石が伝習したとも、また河地文六が荏原から習って帰ったとも伝えられる。
仙波獅子舞【広田村仙波】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
多居谷盆おどり【広田村多居谷】
・村指定民俗文化財(昭和55年8月20日指定)
高市舎儀利(しゃぎり)【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和56年9月1日指定)
・ひょっとこ、動物、猿など色々な御面を被って行列する祭り。
・少なくとも6人以上の男児が必要で、しばらくは過疎化により子供が居なくなったため途絶えていたが、近年復活した。
・明治時代初期には既に成立していた。数え年14歳で太鼓かき、15歳になったら愛俗会に入り横笛を吹いた。
立花太鼓【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和60年4月1日指定)。
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立花城趾【広田村総津】
2002/8/18
・立花城は、人皇105代後奈良天皇の御時、立花三郎兵衛直澄が築城した。
・その後天正13年7月、豊臣秀吉の四国征伐により親城・大除城とともに落城した。
「橘城 総津村に在り 大野九郎兵衛直周居る 大洲秘録には大野九郎兵衛直純とあり 直純は直周の子なるか」(伊豫温故録)![]()
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七ツ墓【広田村】
「猿谷村庄屋の前に在り 総津橘城合戦のとき討死の者を葬りたるなりといふ」(伊豫温故録)
広田鉱山【広田村 神の森地区】
野地鉱山【広田村高市】
満穂鉱山【広田村満穂】
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石鉄寺【広田村】
2002/8/18
・四国八十八ヶ所霊場第51番札所・石手寺の奥の院。
・古文書によれば、弘法大師が青年時代に来臨し、修行したという。
秀禅寺【広田村総津】
「総津村にあり 本は当村字景市谷に在り 不老山長蓮寺と号し 橘山の城主大野九郎兵衛直周の創建なり 境内に直周の墓あり 法名長蓮寺殿清質浄翁大居士といふ 天正十五年下城後 此の寺も中絶す 後ち今の地に草庵を営み本尊を奉し景市山周善寺と号す 元文年中当村庄屋城戸氏更に再建して秀禅寺と改む
此寺に書本の般若経あり 其末に
奉施入 宇都宮大明神御宝殿地頭大旦那源高実
応永二年乙亥一夏真読 助緑旦那平服部真伝庵書了
又
至徳元年甲子十一月十日此丘無心願主 地頭大旦那高実
応念二年真読
又
大旦那伊賀前地頭因幡守源朝臣高実
大勧進比丘宗圓敬題
大久保村黒山城主に久保伊予守源高実といふものあり 応永四年九月十八日卒すといふ 此経巻の奥書は伊賀前地頭播磨守源高実とあり 其時代も同年代なれども其の卒したる時と此経巻を納めたる時と其の間の年数の短にして考ふるときは別人なるに似たり 伊賀前は伊賀崎とも五十崎とも書し 喜多郡五十崎郷古田村 龍王城主にて天文中亡ひたる 伊賀崎修理太夫綱実は此高実の末なるべし」(伊豫温故録)
福善寺【広田村高市】
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伊雑神社(いざおじんじゃ)【広田村篠谷】
2002/8/18
・神名石は三輪田米山の筆によるもの。
正八幡帝王神社(しょうはちまんていおうじんじゃ)【広田村仙波】
・神社の海抜は約540m。
・正八幡神社と帝王五社神社が明治42年に合併して現在の名前になった。
・スダジイ、シラカシ、ウラジロガシなどの大木が社叢林に聳える。
「帝王神社 猿谷村字宮中にあり 此社は芳我台女帰国の時壷に神像と馬の角己れの生髪とを入れて持帰り これを祭りて帝王五社大明神と称す 其壷には’Y’かくの如き角 この女の元服頭になりたる時の髪を入れありといふ壷は三斗ばかり入るべき大さなり」(伊豫温故録)
高森三嶋神社(たかもりみしまじんじゃ)【広田村高市】
2002/8/18
・神社の海抜は約400m。
・天正15年(1587)に、高野家の土居高市、武者所高盛が大三島より勧請し、高盛の名前をとって高森三嶋神社と称した。
玉森三島神社(たまもりみしまじんじゃ)【広田村玉谷】
2002/8/18
・文化7年(661)に勅願により大三島から三島大明神を勧請した。その後、この霊神を上浮穴郡総津に遷宮し、跡地に大明神の分霊を祭って玉谷三島神社と称した
九十九穴権現→三所権現
三所権現【広田村玉谷】
2002/8/18
・この岩山は通称滝山と称し、三所権現(さんしょごんげん)、滝山岩屋寺とも呼ばれる旧蹟。約700年前に開所された。
・上の宮、中の宮、下の宮から成り、これが三所権現と言われる所以である。
・岩松が多い。
・「瀧山 玉谷村にあり 瀧山の瀧は嶽なるに嶽も瀑布と同じく たき といふ 此地は嶽山にて瀑布にあらず 其の嶽高六十間横三十間 岩穴数多あり これを九十九王子といふ 上の宮 中の宮 下の宮といへども 今は上に宮なし 下の宮へは嶽急にして行れず 中の宮に書付ありといへども分らず 裏板に書付 貞和二年九月五日玉谷村岩谷寺とあり 同社棟木に菊水宮といふ字見ゆるのみ」(伊豫温故録)
九十九の穴
豊峰神社(とよみねじんじゃ)【広田村】
2002/8/18
・権現山(広田石鎚)の山頂に鎮座する。麓に社殿有り。
芳我神社【広田村】
「猿谷村字西屋敷に在り 大洲旧記に云ふ 芳我台女の霊を祭る 昔し平家の代に京都より懸り人あり 兄弟大ぜい有れども これを忌みて 我行かんといふものなし 其中に女子ありて名をはがんたいといふ 甚だ剛強にして男子も及ばず 此女のいふやう我男子の形となり行くべし 左なくは一門の命あるまじ 若し女体あらはるる時は是非に及ばず これを家門の運と決し給ふべしと出でて仕ゆること年久し 其の内人知りあわれみて取りなし暇たまはり無難に帰りたり 最早年もたけたれば家の厄介として暮しけるが こころ猛けくして家内の者いとひ 果ては炭を起し火中に投入して焼殺しけるが 祟をなして家に凶事のみ打ち続きければ 僧に頼み塚を営み 微笑院宝影了知大姉と号しとむらひけるが 後遂に神祭りたるなりといふ」(伊豫温故録)→c.f.正八幡帝王神社
三島神社【広田村多居谷】
2002/8/18
三島神社【広田村総津】
※広田村に三島神社が多く鎮座しているのは、大山祇神が「山の神」であるためか.....。2002/8/18
「総津村字松尾にあり 大宝に年越智玉興の創建といふ 由緒に斎明天皇玉谷村の地に行幸す 其の時当社を勧請すといふは他の古記にも見へざる説なれば取らず」(伊豫温故録)
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高市鴨滝薬師堂【広田村高市】
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千人塚【広田村】
・天正年間長宗我部軍との戦いに敗れた総津立花城の将兵を埋葬した塚と伝えられる。
・戦場となった場所を「千人ヶ成」、将兵の休んだ場所を「桜休場」という。
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権現山(小型石鎚、広田石鎚、総津権現、西の権現、伊予の西石鎚)【広田村】
2002/8/18
・標高440m。
・豊岳(遠見嶽)、権現嶽(雄岳)、赤の水岳(雌岳)の3つの山嶽が聳え立つ連岳峰。
・通称「広田石鎚」と呼ばれ、古くより山岳信仰の地となっており、地方信者をはじめ、山伏、修験者に親しまれてきた村の旧蹟。
・山頂には「蔵王権現社」が祭祀されている。
・「天狗谷」「のぞき場」など壮快な景色が楽しめる場所が幾つかある。
・毎年旧暦の6月1日には「お山開き」が行われる。★登山道には本物の石鎚と同じように3つの鎖(「一のくさり」「二のくさり」「三のくさり」)が設けられとらい。山頂からの眺めもなかなかのもんじゃ。
★麓から約40分で往復できる手軽な登山コースになっとらい。手軽なっちゅうても、登り降りするんは結構しんどいわい。
素麺流し
・期間 :7/1〜9/14 (休業日:8/14〜16)
・営業時間:09:00〜16:00
・料金 :大人400円
立花山【広田村】
2002/8/18
立花城址
コクゾ峰【広田村】
・標高825m
・山名は総津権現の社の奥の院として虚空蔵菩薩を祀っていたことに由来するという。
・広田村出身の画家・倉橋正泰氏の権現山俯瞰図には「虚空蔵山」と記されている。
ウツブキ山【広田村】
北ヶ森【広田村】
北ヶ森の黒ドンコ
リュウのコマ【広田村】
リュウのコマのドンコ
・リュウのコマの頂の池に棲むという。
白滝山【広田村高市】
白滝山の天狗
蒲山【広田村】
・標高874m。
蒲山の天狗
水梨山【広田村】
・標高728.9m
※元々は「水無山」だったのではなかろうか。水涸れで困った村人が、言霊信仰的に「水無し」を忌み嫌って、果汁が多くて瑞々しい「水梨」の字を当てたものと推測する。
三郷の辻【広田村/久万町】
・標高931.9m
高土の峰【広田村】
・標高796m![]()
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玉谷川【広田村】
夫婦川【広田村】
中野川【広田村】
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仙波ヶ嶽/仙波渓谷【広田村】
1994/4/3
・伊予十二景の一つに選ばれる景観の地。その記念碑が路傍に建立されている。
・その昔、仙人とか天狗が棲んでいたとの伝説がある。
「猿谷村に在り 双方へ岩かふきて凄まじき所なり 此村庄屋城戸彌三郎といふ者通ると橋の東詰にて頭を撫でけるを抜き打にしけるに天狗の羽がひを切落したり 其の太刀は荘平といふ者今に持ち伝ふと大洲旧記に見ゆ」(伊豫温故録)
★水も綺麗なし、紅葉は綺麗じゃし、ひとときの安息にはもってこいじゃね。
「伊予十二景 仙波ヶ嶽」の碑
・大正15年10月建之
・海南新聞社主催
土居不可止句碑
「 石斛(せっこく)や 天そそり聳(た)つ 仙波ヶ嶽 」
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白糸の滝【広田村】
・赤の水岳(閼伽の水岳)の奥深くより端を発した渓流に、高さ15mの白糸の滝がある。
・滝壷の直径は約5mで、水深は約2m。
・権現山の浄域として深く信仰と結びついており、中世時代の往古より滝垢離(たきごり)の「行場」とされ修験者達が大切にしている。![]()
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上尾峠【広田村/砥部町】
2002/8/18
・国道379号線、砥部町との境界に位置する。
・上尾は広田焼の陶石の産地である。
(旧)上尾峠【広田村/砥部町】
2002/8/18
・峠には民家が一件。
大佐礼峠【広田村/中山町】
大佐礼隧道
鍛冶屋峠【広田村/中山町】
2002/8/18
境柱峠【広田村/中山町】
サレガ峠【広田村/久万町】
がくが峠【広田村/小田町】
別府峠【広田村/小田町】
間戸峠【広田村/砥部町】
2002/8/18
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・電話番号:089-969-2258、(fax)089-969-2766
・1階には16畳の研修室(和室)、2階には宿泊室(和室)が8部屋あるわい。
昔、この山の麓に洞穴があって、その底には深い水たまりがあり、大きな黒ドンコが住んでいた。
この噂を聞いた三津浜のエンコが早速生け捕りにしようと思いやってきた。やっとのことで捕まえて、背負って旧街道を急いで帰る途中、通り谷の池の土手に差し掛かったところ、池の蛇が大きく首を出して、「よーい。キタガモリのドンコどん。どこへ行くんぞ?」と声をかけてきた。
「おー。退屈なもんで三津ヶ浜へ砂かぶりに行こう思うて行きよらいのー」と返事をした。
これを聞いたエンコは、持って帰って焼いて食おうと思っているのに砂かぶりにいくというのでは気持ちが悪い。「これは食うどころではない。こっちのほうがやられる」と思い、急いで引き返し、元のところに戻したという。
★「物云うドンコ」伝説の典型パターンじゃね。
★北ヶ森の南に「リュウのコマ」という場所があるんじゃけど、そこにも「物云うドンコ」伝説が転がっとるそうじゃかぃ。
| ドンコ伝説地 | ドンコ棲息地 | ドンコ強奪犯
ドンコ発見者 |
ドンコが喋った場所 |
| 北ヶ森 | 北ヶ森 | 三津浜の河童 | 通り谷の池 |
| リュウのコマ | リュウのコマの頂の池 | 三津浜の河童 | 鳴滝(千里口) |
| どんこ池 | 砥部七折のつちこが池 | 余戸の百姓 | − |
| 小田 | 池の成の大池 | 村人 | 落合の橋 |
★丹原町の「正善寺生木地蔵の話」と相通じる話じゃね。
★しかし、パターン2,3の話はちょっと矛盾が生じる。大師と天邪鬼がお互いに掘ったのだから、少なくとも140〜150の穴は出来たのではないか!大師が「穴掘るでぇ!」と言いながらも御就寝されていたなら別だが。
★2002/8/18探訪時、近所のおばちゃんに聞いた話では、「天の邪鬼」+「弘法大師」の組み合わせであった。
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長曽池オートキャンプ場【広田村長曽】
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