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(1).「自然と文化に溢れる人間都市」
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市の花 市の木 市の花木 市の鳥 エヒメアヤメ クスノキ
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北条市観光協会 (TEL)089-992-1423
大字 字 北条 新町、上町(かみまち)、胡子町(えびすまち)、北本町、浜町、新立、日之出町、
本町、栄町、袋町辻 上辻、米沢、中辻、権現堂、朝日町、養開(ようがい)、辻町、新玉(あらたま)、
港通、片町、駅前、鹿島町、新開(しんがい)土手内(どてうち) 大町、春日町、三穂町(みほまち)、三穂町児玉、住吉町、美住町 八反地 椋之原、善源(ぜんげ)、門前(もんじょ)、突分(つくわけ)、南中井手、清水、
中井手、南中、北中、西中、四反地(したんじ)、下馬場、西馬場、馬場、
上馬場、北馬場中西内 中西外 松尾、池之内、久保、中ノ郷 高田 院内 日浦、土居 神田 門前(もんじょ) 庄 堂ノ元、小坂、井手上、谷、老僧(ろうそう) 上難波 寺ノ谷、大阪、島田、中筋、西町、要開(ようがい)、高土手 中通 宝福(ほうふく)、足谷、三島、西浦、河原、宝地(ほうじ) 下難波 中ノ谷、西鼻、大西、大崎、池尻、坂、大師、新城、法橋(ほっきょう)、
石風呂、大浦(おうら)河野 柳原、宮内、閏谷、高山(こやま)、片山、中組、善応寺、九川、佐古、
中須賀、別府、横谷、牛谷、常保免、夏目、大河内(おうかち)粟井 小川 磯河内 払川、宮ノ下、入江 鴨之池 和田 河原 安岡 麓 鹿峰(かのみね) 苞木(すぼき) 常竹(つねたけ) 本谷 西谷 久保 崩口(くえくち) 大西谷 笹ヶ峠(ささがとう) 客 矢田、長井方(なんかた) 平林 小川谷 浅海 浅海原 原、味栗(みくり)、京ヶ森、原浜、子持、大久保、山本、上通、下通 浅海本谷 本谷、小竹、真沖、浜田、新開、通谷(とりたに)、高山(たかやま)、名石(めいし) 萩原 立石 才之原上 才之原下 猪木 滝本 尾儀原 小山田上 小山田下 坊田 猿川原 湯裾(ゆうそ) 猿川上 猿川下 大遊寺(だいゆうじ) 中村 儀式 米之野 庄府(しょうぶ)
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木心幹漆菩薩立像(もくしんかんしつぼさつりつぞう)(1躯)【北条市庄 薬師堂】
・国指定重要文化財[彫刻](昭和40年5月29日指定)
・平安初期の作。
・ハルニレ一木彫の木層(こくそ)法・奈良風の優れた像である。
木造菩薩立像(1躯)【北条市庄 薬師堂】
・国指定重要文化財[彫刻](昭和40年5月29日指定)
・四国最古の仏像と言われる。![]()
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エヒメアヤメ自生南限地【北条市下難波 腰折山】
2001/2/18
・国指定天然記念物(大正14年10月8日指定)
・こかきつばたの名でこのように歌われた腰折山のかれんな花は、「こかきつばた」とは別種の牧野博士が命名したエヒメアヤメである。
・エヒメアヤメは、アヤメ科の植物であって、根茎はやや偏平で細くやせ形、葉は線形で薄く、葉長は10〜15cmが普通である。
・陽春4月上旬を開花期とし、数cmの高さの花軸に普通1花を、時に2〜3は名を咲かせる。花色はうすい紫色で外花蓋には黄白色の斑点を持っている。
・元来大陸北部に分布する植物で、我国では中国・吸収・四国の瀬戸内海に沿う各地に生育し、古書に「たれゆえそう」と名づけられたと記録されている。
・腰折山はその南限地として世に知られ、古くからこの花にまつわる哀れな民話とともに、「こかきつばた」の名で親しまれてきたのである。![]()
奥の谷古墳(難波奥谷古墳)【北条市庄 奥谷】
・県指定文化財[史跡](昭和25年10月10日指定)
横山城跡【北条市麓】
・県指定文化財[史跡](昭和28年2月12日指定)
恵良城跡【北条市 恵良神社】
・県指定文化財[史跡](昭和52年4月7日指定)
木造十一面千手観音菩薩立像(1躯)【北条市米之野 高縄寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和55年3月21日指定)
木造聖観世音菩薩立像(1躯)【北条市 光徳院】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和38年5月31日指定)
木造阿弥陀如来立像(1躯)【北条市 光徳院】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和38年5月31日指定)
大蟲和尚の石造宝篋印塔(1基)【北条市八反地 宗昌寺】
・県指定有形文化財[石造美術](昭和51年4月6日指定)
・貞治3年(1364) 大蟲禅師三回忌の折、宗昌禅尼により建立された。
木造大蟲禅師倚像(1躯)【北条市八反地 宗昌寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和51年4月6日指定)
・貞治3年(1364) 大蟲禅師三回忌の折、宗昌禅尼により建立された。
木造文殊菩薩坐像(1躯)【北条市八反地 宗昌寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和51年4月6日指定)
・康安24年寅年(1362)の刻銘有り。
・座高78.5cm、桧材による木造寄木造り。
宝冠釈迦如来坐像
・県指定文化財(昭和50年4月10日指定)
木造大暁禅師倚像(1躯)【北条市下難波 大通寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和52年4月7日)
・像高80cm、重さ7kg。桧材3枚から成る。
・寺伝によれば、延文2年(1357)、南北朝時代の作と伝えられる。
絹本著色月庵(げったん)宗光の画像(1幅)【北条市上難波 最明寺】
・県指定有形文化財[絵画](昭和40年4月2日指定)
・月庵和尚は京都に生まれ、大江宗光(そうこう)といわれた。
・正平16年(1361)、北条市八反地宗昌寺の大蟲和尚の教えを受け、のちに上難波に最明寺を建立した。
・但馬に大明寺を開き、慶應元年・元中6年(1389)3月、大明寺にて死没。朝廷から大祖禅師の号を受けた。
・画像は、死去7年前(永徳2年=1382年)に描かれ、自筆の漢詩の讃が入っている。
・横幅38cm、縦92cm。
木造兜跋毘沙門天立像(1躯)【北条市庄 毘沙門堂】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和37年11月1日指定)
・貞観時代の作。
善応寺古文書(5巻)【北条市善応寺 善応寺】
・県指定有形文化財[書跡・典籍・古文書](昭和30年11月4日指定)
・鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、善応寺に送られた69通が巻き物5巻に収められており、同寺を菩提寺とした河野氏が田畑などを贈った寄進状が最も多い。
金銅誕生仏立像(1躯)【北条市善応寺 善応寺】
・県指定有形文化財[彫刻]
木造釈迦如来及び両脇侍坐像(3躯)【北条市善応寺 善応寺】
・県指定有形文化財[彫刻]
善応寺の石経28個【北条市善応寺】
1999/4/25
・県指定有形文化財[考古資料](昭和39年3月27日指定)
・石丸浅太郎氏邸の庭に保存されている。
・この石経は、凝灰岩、緑泥片岩、砂岩、安山岩等の比較的柔らかい自然石に妙法蓮華経の経文を表裏にわたって刻んだものである。
・石経を造った意趣は判然としないが、末法思想による現在安穏、追善供養のために築かれた経塚への納石と考えられる。
・筆跡より見て、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて作られたものと推定されるが確証はない。だが当時の仏教思想、金石文等に関する貴重な資料である。
・指定された28個は石丸浅太郎氏の裏の山肌から発掘されたもので、たくさんの南無大日如来の名号石の中に混入していたものを選び出したものである。
★経文が刻まれた28個の石経は、庭の隅の鍵のかかった祠の中に収められている。一方、名号石のほうは数が多いせいか、無造作に別の祠の中に積み上げられている。
★丁度、訪れたときに、石丸氏が庭の草むしりをされていたので、「見せてください」と打診すると、親切に色々なことを教えて下さった。石経のこと、河野郷のこと、辺りの山々にあった河野氏の居城のこと、善応寺古墳(「お塚さん」と呼ばれていた)のこと、善応寺の社地がこの辺り一帯に及んでいたこと...など、盛り沢山の内容を教えてくださった。
金銅誕生仏立像【北条市】
・県指定文化財(昭和55年3月21日指定)
雲門寺厨子(附神像)(1基)【北条市本谷 雲門寺】
・県指定有形文化財[建造物](昭和40年12月21日指定)
八脚門[国津比古命神社楼門](1棟)【北条市八反地 国津比古命神社】
・県指定有形文化財[建造物](昭和28年12月25日指定)
・元禄年間(1688〜1703)、松山市阿沼美神社の八脚門をここに移したと伝えられる。
・桃山時代の技法を取り入れた豪華な建造物。単層の入母屋造、本瓦葺。柱は円柱仕上げ。一部分唐様を取り入れた和様建築となっている。![]()
鹿島の櫂練【北条市 鹿島】
・県指定無形民俗文化財(昭和41年4月5日指定)![]()
鹿島の鹿【北条市 鹿島】
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・県指定天然記念物(昭和23年10月28日指定)
・九州の屋久島鹿に属する。
・「この島の鹿は、キュウシュウジカと推定され、体が一般に小さく、臆病で警戒心が強く、人に馴れにくいのです。 鹿は春から夏にかけて袋角になっていてやわらかいが、飽きになると袋はは◆◆ち、かたい角に変わります。この時期になりますと鹿は、角で木の皮をよくいためます。山の中へ入ると、そのような木をよく見掛けます。 鹿が成長しますと雄は、時々荒々しくなり、雄同志で付き合うこともあります。」との説明書きがあるが、だいぶん文字も薄れかかっている。
・「角の発育と年令の関係」という図解説明もあり。
イブキビャクシン【北条市宮内】
・県指定天然記念物(昭和36年3月31日指定)
南柿【北条市本谷 雲門寺】
・県指定天然記念物(昭和34年3月31日指定)
大師松【北条市下難波 鎌大師】
・県指定天然記念物(昭和26年11月27日指定)
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六地蔵の板碑【北条市磯河内】
・市指定有形文化財(昭和38年8月23日)
・県内唯一のものである。
池之内古文書【北条市池内】
・市指定有形文化財昭和38年2月16日指定)
得居氏墓碑群【北条市柳原】
・市指定有形文化財(昭和54年10月8日指定)
・恵良城主・得居通久ほか、一族の墓地。
沼田氏五輪塔【北条市柳原】
・市指定有形文化財(昭和54年10月8日指定)
白石兎遊句歌碑【北条市柳原】
・市指定有形文化財(昭和54年10月8日指定)
造地蔵菩薩座像【北条市小川 粟井坂大師堂】
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
礎石(茶臼権現)【北条市別府】
・市指定有形文化財(昭和49年6月10日指定)
石造大通智勝仏座像【北条市善応寺】
・市指定有形文化財(昭和53年5月10日指定)
善応寺古墳(河野塚)【北条市善応寺】
・市指定有形文化財(昭和49年6月10日指定)
木造釈迦三尊【北条市善応寺 善応寺】
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)
木造達磨大師座像・木造百丈禅師倚像、三牌【北条市善応寺 善応寺】
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)
木造宝冠釈迦如来座像【北条市下難波 大通寺】
・市指定有形文化財(昭和51年4月10日指定)
・鎌倉末期の作風である。
大暁禅師倚像【北条市下難波 大通寺】
・市指定有形文化財(昭和52年4月7日指定)
写本大般若経【北条市猿川原 蓮生寺】
・市指定有形文化財(昭和53年5月10日指定)
中村三十三墓【北条市中村】
・市指定有形文化財(昭和49年5月10日指定)
金毘羅宮御神像一座・本殿拝殿各一棟【北条市庄】
・市指定有形文化財(昭和50年12月11日指定)
・十輪寺境内に隣接し、本殿の扇垂木、拝殿周りの十二支彫刻、宝剣を持つ神像など、いずれも一級品の美術品である。
木造薬師如来座像【北条市庄 薬師堂】
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
仏像群【北条市庄 薬師堂】
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
層塔・五輪塔【北条市苞木】
・市指定有形文化財(昭和51年9月8日指定)
河野通清供養塔【北条市小川 粟井坂2】
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
・治承5年(1181)、河野通清は平家に叛き当国を押領した。
木造地蔵菩薩座像【北条市小川】
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
山の神古戦場【北条市小川甲28】
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
・河野通清が奴可入道に攻められて粟井坂にて戦死した際の古戦場。
大般若波羅蜜多経[1巻]【北条市院内】
・市指定有形文化財(昭和44年6月10日指定)
法蓮華経[8軸]【北条市】
・市指定有形文化財(昭和44年6月10日指定)
南宮の戸貝塚【北条市八反地】
・市指定有形文化財(昭和53年7月10日指定)![]()
伊予万才[下難波アヤメ]
・市指定無形文化財(昭和40年4月7日指定)
伊予万才[別府双葉会]
・市指定無形文化財(昭和45年9月10日指定)
萩原の盆踊り【北条市萩原】
・市指定無形文化財(昭和51年9月8日指定)
安居島の盆踊り【北条市安居島】
・市指定無形文化財(昭和51年9月8日指定)![]()
荒神社のクスノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)
荒神社のカゴノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)
とうつばき
・市指定天然記念物(昭和53年7月10日指定)
イヨスミレ【北条市下難波 腰折山】
2001/2/18
・市指定天然記念物(昭和57年8月11日指定)
・松山市の梅村甚太郎氏が明治31年4月17日発見。牧野富太郎がイヨスミレと命名し発表したものである。ところが、山の樹木繁茂とともにその姿を消し、幻の花と言われてきた。しかし、昭和56年山火事にあい、焼け跡から翌年再びこのイヨスミレを湯山勇氏夫婦が再発見されたのである。
・イヨスミレは中国東北地区から朝鮮半島にわたる北方大陸産のフィリゲンジスミレに最も近遠の植物である。前川先生の言をかりれば、日本のゲンジスミレは二つの系統がある。一つは長野県に産する満州など大陸系のものと、もう一つは朝鮮半島系のものがあり、イヨスミレは朝鮮半島系と言われる。満州・朝鮮を南下して氷河時代に日本に分布していたゲンジスミレのうち腰折山に生き残ったイヨスミレ、同じくエヒメアヤメと人家近いこの山に二つも残留植物の存在していることは興味深いことである。
明見神社・海蔵寺境内の自然林【北条市中村】
・市指定天然記念物(昭和49年5月10日指定)
鎌大師境内【北条市下難波 鎌大師】
・市指定天然記念物(昭和48年4月9日指定)
積善寺の蘇鉄
・市指定天然記念物(昭和47年11月15日指定)
イブキビャクシンの自然林【北条市 恵良神社】
・市指定天然記念物(昭和38年2月16日指定)![]()
二神信濃守の墓【北条市磯河内】
・「二神信濃守」は、近くの山城の城主であった。
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名石山城跡(めいしやまじょうあと)【北条市浅海原】
・整った三角錐形の山で、航海の目印とされた。
・昔は河野備中守通安の居城であった。
・古墳時代の箱式石棺も出土している。
横山城跡【北条市麓】
・中世の豪族・河野氏による高縄城の支城。
・県指定文化財(昭和28年2月12日指定)
高穴城跡【北条市】
宅並城跡【北条市】
恵良城跡(えりょうじょうあと)【北条市 恵良神社】
2001/2/18
・中世の豪族・河野氏による高縄城の支城。
・県指定文化財(昭和52年4月7日指定)
・昔、難波次郎長浦が築城し、元弘中は赤橋重時、後に望月六郎、更に得居通之らが居城したと言われる。
・「浅海原村と難波村との界、恵良山の頂にあり、俚諺集に云、元弘年中赤橋駿河守の息、駿河太郎重時住之、貞治中望月六郎衛門これに居り、足利の将仁木義尹を防ぐ、二名集に云ふ、高田修理亮居之、観應四年二月三日頼之率大軍打越、道後河野通尭捨大空(おおうつろ)攻口令引籠高縄城一族河野十郎・同次郎・土居新左門以下属細川家國人等多以依生異心不能相支、四月十日令入當城給、當城山巌高聳潤谷深幽要害堅固廓内狭迫、更難大軍間、以陣僧被仰事由於能島城、古蹟志曰、上難波村在故城曰、烏帽子山或曰冠山、望月六郎衛門・徳井通久・赤橋重時所居也、又曰、山上有神祠曰、恵良宮祭白山金峯赤山神山形如戴黒帽故名焉 半井云ふ、當城は赤橋武蔵守守時の長子重時といふ人の城址なり、南北太平記に云ふ伊豫国立烏帽子城北条重時・土居・得能が兵を支へ居たりけるに、筑紫河内の朝敵己に亡びぬと聞へければ今まで親しかりける者も忽ち約を變して敵となりける程におのづから城に兵少くなりければ土居得能時を得たりと一万餘騎にて押寄せしかは三日も経さるに初めより頼みきったる金子五郎右衛門敵に與みして土居が兵を城中へ引入ければ重時郎従十八人自害して失せにける 按ずるに赤橋重時は北條の一族にして當國の守護に置たるものなり、初は當城に居たるが土居得能のために攻め破られて城を守る能はす偽りて自殺と称し、潜に城を逃げ出つ、其の後周布郡鞍瀬山の険に據り、砦を構へて立烏帽子と称し、再び兵を挙げしが、得能今岡等に攻められ、遂に虜となり、誅に伏せり、南北太平記に當城にて自害すとは後来周布郡にて再挙のことを洩らせしなるべし」(伊豫温故録)
日高城跡【北条市】
・中世の豪族・河野氏による高縄城の支城。
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南宮の戸貝塚【北条市】
安養寺遺跡【北条市】
椋ノ原遺跡群【北条市】
柳が内遺跡【北条市】
女夫池遺跡【北条市】
夏狩遺跡【北条市】
稗佐古遺跡【北条市】
萩原遺跡【北条市】
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天狗谷古墳群【北条市】
小竹8号上古墳【北条市】
小竹8号古墳群【北条市】
高山古墳【北条市】
丸山古墳【北条市】
新城古墳群(しんじょうこふんぐん)【北条市】
・古墳時代後期(6〜7世紀)のものが殆どで、横穴式の両袖、片袖或いは奥壁に板状の棚を備えたものなどがあり、出土品も鉄鏃、馬具、人物・馬の埴輪などがある。
才の谷古墳(さいのたにこふん)【北条市萩原】
・玄室内の床が割石で3区分され、奥を祭壇状に10cmほど盛り上げている。
難波奥古墳群【北条市】
難波奥の谷古墳(なんばおくのたにこふん)【北条市庄 奥の谷】
1999/4/25
・県指定史跡(昭和25年10月10日指定)
・横穴式古墳
・古墳時代後期のもの。
・明治25年盗掘に遭い、副葬品などは一切不明となっている。
・この古墳は丘陵の斜面を利用し、入口が南に面した両袖式の横穴式石室もつ円墳である。内部は羨道と玄室に区分せられ、その奥行きは12m、入口の高さ1.25m、玄室の高さは3mである。
・すべて巨大な花崗岩を使用しており、羨道、玄室ともに天井は各3枚の巨石の持ち送り方式によって構築している。奥壁は幅1.8m、高さ3mにおよぶ巨大な一枚石を使った豪壮なものである。
・使用されている石の大きさや構造などから見て、古墳時代後期である6〜7世紀の内、比較的遅い時代に造られたものと考えられるが、横穴式のものとしては県下で最も大きな古墳の一つと言えるであろう。
★玄室内部に入ることができる。
小原古墳群【北条市】
波田神田古墳群【北条市】
櫛玉比賣神社古墳【北条市八反地】
・櫛玉比賣命神社参道左手にある。
・竪穴式石室を有する前方後円墳。
・古墳中期以前の形式と見られる。
萩尾古墳群【北条市】
地蔵堂古墳群【北条市】
龍徳寺古墳群【北条市】
善応寺古墳(河野塚)【北条市善応寺辻の内上土居】
1999/4/25
・市指定史跡(昭和49年6月10日指定)
・横穴式古墳として丘陵斜面の南西に口を開き、内部は玄室と羨道に区分されている。玄室の奥行4.8m、幅2.4m、高さ2.8mで、天井は4枚の巨石で構成されている。
・安政2年4月娑婆池の修築また後世当河野神社建築の際、羨道などの石は多数使用され、現在奥行4.1m、幅1m、高さ1.9mを残している。
・発掘の際、人骨、渦紋土器、鏡、刀剣などが発見たが、散逸して全く残在されていないのは遺憾である。
厨子(附神像)
・県指定文化財(昭和40年12月21日指定)
南柿
・県指定天然記念物(昭和34年3月31日指定)
1999/4/25
・山号:弘法山
・院号:丹生院
・宗派:真言宗醍醐派
・風早四国八十八ヶ所 第65番霊場
・風早西国三十三ヶ所 第23番霊場
・知恵の文殊菩薩
知恵の環
「知恵の環を くぐらばいつか 我も亦 頭の下がる 人となるかも」
・開基河野通盛(みちもり)(1364没)は、通有の末子に生まれ、河野総領家を継いだが、元弘の乱(1331)に失脚し、鎌倉建長寺の南山士雲(なんさんしうん)をたより、旧勢を保つことができた。この時、南山士雲の恩に報いるため、越智玉澄以後800年に亘る居館であった河野郷土居館を京都東福寺に擬して寺院に改築し、建武2年(1335)に河野一族の氏寺として好成山善応寺を創営した。
・通盛(法名善恵=ぜんね)は、南山士雲の法嗣(ほっす)正堂士顕(しょうどうしけん)を東予市長福寺から迎え開祖としたが、正堂法嗣の寺として永代住持(住職)を定めた。この後、貞治3年(1364)には諸山の列(宮寺)に加えられた。
・古文書によれば、寺域を「東限鳩谷(はとだに)之透、南限揚岐庵山(ようぎあんざん)過山峰之透、西限娑婆山(しゃばやま)之透、北限土居山(どいやま)尾新宮山」とし、現在の善応寺部落全域にわたり、その面積は60町歩に及ぶ広大なものであった。
・七堂(仏殿、法堂=はっとう、僧堂、方丈、庫司=くす、東司=とうす、浴室)、十三塔頭(たっちゅう)(通玄庵、萬松庵、千手院、養寿院、大崇院、宗玄院、林少院、萬年院、一心庵、見寿院、明智庵、霊雲庵)を有する大禅刹であった。
・その後、善応寺は代々河野氏の帰依を受け盛観を呈したが、天正13年(1585)7月、河野氏没落と共に戦火に焼失荒廃した。
・江戸時代中期、善応寺十一世の黙翁士徹(もくおうしてつ)によって将軍徳川吉宗の厚遇を受け、明智庵のあとに現在の善応寺を再建した。
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)
1999/4/25
★春日社と金毘羅大権現の間に、合掌する石仏有り。
1999/4/25
・河野伊豫守通信、河野通俊父子によって文治3年(1187)10月に創建されたと伝えられている。
本殿は扇量木を使用し、彫刻物は竹田番遙、飛田円道の作品があり、拝殿かえる股には十二支の彫刻があって、好道の刻名がある。
御神像は三宝剣を■し威厳があり、明治以前の両部神道、神仏一致の行装を示している。社殿はしばしば修理を施されているが、扇量木をはじめかえる股等の彫刻、組木などは原形が保存されていて貴重である。
本尊像 一躯
奥殿 一棟
拝殿 一棟
・市指定有形文化財(北文第32号、昭和50年12月12日指定)
1999/4/25
・祭神:味■高比古根命、八重事代主命
・境内神社:荒神社(祭神:大己貴神)
・例祭:10月2日
・当社は文武天皇の御宇、創祀されたといわれる。
・その後、元久年中、浅海太郎頼■の厚い崇敬があり、社殿を造立した。
1999/4/25
・当神社はそれぞれ別の場所に三ヶ所あり、柳神社(神田)は天忍穂耳命、■幡千々姫命が鎮座して、河野氏・柳原氏等の崇敬深い社であった。新宮神社(波田)は遠玉男命・産霊神・天香語山命を奉り、刑部大輔より水田寄進の■状あり。素鵞神社(寺谷)は素戔鳴命・稲田姫命・少彦名命が鎮座し、和邇氏、河野氏の崇敬するところであったが、明治45年維持の方法を確定し、その設備を整え、官の免許を得て現在地に合祀奉遷し、高田神社と称して氏子の崇敬を集めた。
・その他に和霊神社(境外神社)、熊野神社(境内神社)があり、地域崇敬者に手厚く祀られている。
・昭和7年に不審火により本殿を除くことごとくを焼失したが、氏子らにより再建した。
1999/4/25
・祭神:大山積神、高おかみ神、鳴雷神
・高縄山は古来、神霊天降る峯として、山麓はもとより広く斎灘一帯の海上から仰がれた神山であり、かつて三島大明神を奉じ、瀬戸内水軍を率いて天下に雄飛した小千(越智)河野一族は、当地風早郡河野郷に発祥した。
・社伝によれば、河野氏の遠祖小千命九世の孫、小千躬尺は、別名を小千高縄とも称し、三島大明神の神託により高縄山に居城したと言われ、後六世を経て、第15代小千益躬は推古天皇7年(599)、山頂天神ヶ森(てんじがもり)に社殿を新設、三島大明神を主座に天神地祇を奉斎して高縄神と尊称した。
・「類聚国史」には、当神社を推古天皇勅願社の一つに数えており、「三代実録」貞観5年の項には神階授与のことが見え、当時より神威赫然たりしことが偲ばれる。
・越智氏第27代の家督を継いで高縄城主となった河野親清は、天神ヶ森の高縄神を奉遷すべく御神意を伺い、当地を卜定(ぼくじょう)して、保延2年(1136)3月23日に現在地に鎮座した。河野新宮とも河野三島宮とも尊称され、社殿は大山祇神社に擬して造営された。
・以来当神社は河野氏の産土神として崇敬され、親清の子通清から末孫通直まで神領安堵神田寄進累代に亘り、荘厳を極めた。
・戦国時代河野氏は滅亡して、当神社の神領神田は悉く没収され、更に慶長5年(1600)9月20日の夜、兵火に罹って社殿・神宝・古文書等をすべて焼失した。
・徳川時代半ばになって当神社はようやく復興の緒につき、文化3年拝殿を再建、文化9年に本殿を再建。明治3年に社号を復古して高縄神社と改め、同4年河野一郷の鎮守として郷社に列格、同28年には県社に昇格した。
・現在は神社本庁傘下の宗教法人となり、神縁深き河野地区の氏子によって護持されている。★絵馬堂で奉納額をしばし眺めていると、一台の車が駐車場まで上ってきた。車を停めると、助手席に息子を置いたまま、一人の男が近寄ってきた。「近所の人じゃろか?」と思いながら、奉納額を再び眺めていると、「もう絵具がだいぶ落ちてきて見えにくくなってるでしょ?」と話しかけてきた。しばらく、色々と奉納額の古さや絵柄などについて話していたのだが、ふと、「この辺りに住んでおられるのですか?」と訪ねると、「私は宮司なんですよ」と答えられた。「ありゃ、そりゃ失礼いたしました。」(1999/4/25)
1999/7/20
地蔵堂
・本尊:聖観世音菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第85番霊場
・県道197号線沿いに建つ。
地蔵堂
・風早四国88ヶ所霊場 番外第20番
三島神社
★鳥居には「天保十五申辰」の銘有り。★県道197号線は結構綺麗な道だ...などと思いながら菊間町に入った瞬間、がらっと道路状態は酷いものとなる。車1台通行するのが精一杯のワインディングロードだ。久々に警笛を鳴らしながら運転する。(1999/7/20)
1999/4/25
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
・薬師堂に安置されている仏像約30体の中で、比較的保存のよい大小の像である。製作年代の幅は広く10〜12世紀のものと推定される。武装した形の二体は帝釈天像、天衣をまとった形の軟顔の三体は吉祥天像と思われる。薬師如来を中心として十二神将の一部と吉祥天、帝釈天がこの仏堂に集められていることは、この地にかなりの規模の伽藍のあったことを証明づけるものである。昔時兵火にかかり享保7年と明治19年の大洪水にあいながら、今日までこれだけの諸像が損傷しながらも保存されていることはまことに幸いである。
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
・薬師如来像は薬師堂の本尊で、堂内にある菩薩像2体よりずっと後の室町時代(1339〜1573)後期の作といわれ、作者は明らかにされていない。愛媛県下で最も大きい地方作風顕著な木像である。座高2.5m、腰幅1.85m、総桧材の寄木造りの座像で、昔から諸病平癒に霊験あらたかなお薬師様として、地方民の信仰厚く、毎年8月17日の縁日には参拝者が多い。しかし、薬師如来を盛りたてる日光菩薩、月光菩薩、十二神将など脇仏のそろわないのはまことに惜しい。
・国指定重要文化財(昭和40年5月29日指定)
・木心乾漆菩薩立像はセンダンの木の一木造りで、損傷が目立つが、殆ど乾漆をつかって仕上げたものである。面持ちは童顔に近く美しい。
肩張り、胸の厚み、腰から脚へ流れるような衣紋など、奈良期の作風がよく示され、平安初期の製作で、県下では最も古い彫像として注目されている。
・国指定重要文化財(昭和年月日指定)
・木造菩薩立像はカツラの木の一木造りで、髪は頭上に束ね、天衣をかけ、胸飾り、腕輪をつけ、■の膝をゆるめて立つ。ひるがえる波のような膝下の■など平安期の特色をあらわしている。
木心乾漆菩薩立像・木造菩薩立像は、ともに古風を保ちながら地方作風の粗豪さが出ており、伊予造像の貴重な作例といわれている。
1999/4/25
兜跋(とばつ)毘沙門天立像(多聞天)
・県指定有形文化財(昭和37年11月1日指定)
・毘沙門天は護法神の一つで十二天のうち北方の守護神であり、仏法守護の役割を表わすために武装念怒の形をとっている。
本木造は毘沙天の一異形である兜跋毘社門天であることは、地天の上に直立していること、胴の部分にからだに密着した鎧を着用し三面立の宝冠のあとなどで知ることができる。
この毘沙門天は両手に鼻頭その他欠損が見られるが一木彫成法による彫刻であり、身体全体が量成と力の充満した堂々たるものであり、突出した山形の眉、小さな顎などは明らかに貞観時代(810〜823年)、平安初期の彫刻の特性を備えているといえよう。
木造の相貌で見ると送八の字に上つき眉、見開いた両眼、角張った頬骨を突き出した口などの全体から受ける念怒表現、堂々たる体躯は1.82mの大きさとは思えない強大な迫力を感じ、護法神の名を高くしている創造沿革を知る文献資料はないが、古来から部落民信仰の的となっており、庄府寺の境内に建てられたものといわれ今もその地を庄府屋と呼んでいる。
1999/7/20
・山号:田中山
・寺号:立江寺
・本尊:彌勒菩薩/地蔵菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第19番霊場★国道196号線、堀江から新バイパスに入り、一直線で北条を突き抜け、突き当たりを右に折れ県道17号線(北条玉川線)へ。才の原の県道17号線と県道197号線の合流点のところで「十二ヶ滝 滝本の滝/猪木の弓祈祷」の看板を発見。右手に折れて細い道を上っていく。1km強 車を走らせたところに、御堂が建っている。(1999/7/20)
★更に200mぐらい進むと、滝本の滝の看板が立っており、左手には鳥居が見える。(1999/7/20)
1998/2/19
1998/2/19
・国津比古命神社参道脇にある。
風早四国88ヶ所86番 地蔵堂【北条市猿川原】
1998/2/19
風早四国88ヶ所霊場番外18番 小竹地蔵堂【北条市浅海本谷】
1999/4/25
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恵良山(えりょうさん)【北条市】
2001/2/18
・標高302m
・頂上1haに亘って約150株のイブキビャクシン自然林となっている。この自然林は、市指定天然記念物となっている。
恵良城跡
恵良神社
腰折山(こしおれやま)【北条市下難波】
2001/2/18
・標高214m。
エヒメアヤメ自生南限地
・国指定天然記念物(大正14年10月8日指定)
・えひめ自然100選
・アヤメ科
・「たれゆえそう」とも言う。(「誰がこの花になったのだろうか」の意で)
イヨスミレ
・市指定天然記念物(昭和57年8月11日指定)
高縄山(たかなわざん)【北条市】
1994/9/15、2003/6/15
・奥道後玉川県立自然公園
・えひめ自然100選
・標高 986m
・一等三角点
・東経132度51分、北緯33度56分
・『源平盛衰記』の「治承5年(1181)2月」の項に、「河野通清去年の冬より謀反をおこし、道前道後の境高縄城に引き篭もる」とある。
天神ヶ森
・山頂付近一帯に位置し、神が天から降りてきて鎮座する峰といわれる。
・県内屈指のブナ原生林が存在する。
・河野氏が砦を築き、道前道後に号令した遺跡とも云われる。
高縄寺
高縄神社
・山頂部に鎮座する。高縄大権現。神名石の裏側には、「伊豫国守護河野家先祖 河野通清公 河野通信公 粟井坂にて討死の一族十六将を御祭神とする」と刻まれている。
陣ヶ森【北条市/玉川町】
2001/2/18
[往路]笹ヶ峠−(40分)−林道終点−(5分)−山頂
[復路]山頂−(5分)−旧林道終点−(25分)−笹ヶ峠
貫之山【北条市猿河原】
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・春先には、県道北条玉川線沿いにある貫之山(紀貫之神社がある)の西側斜面を多くの躑躅が色鮮やかに染める。広さ約55haの斜面には、約3800本の躑躅が植えられている。
宅並山【北条市】
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荒神社のクスノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)
・目通り6m、根周り8.5m、高さ30m
荒神社のカゴノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)
・根周り4m、目通り3.8m、高さ20m
・幹は高さ3〜4mのところで2つに分かれ、1つは切断されているように見えるが、その幹の中から青々としたモウソウチクが顔を出している。![]()
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十二ヶ滝 滝本の滝【北条市滝本】
1999/7/20
・鳥居前の社号碑の裏面には「伊與旧紀曰風早郡神途郷滝本邑有國社號熊野滝宮」と書かれている。
・滝本川沿いに続く小径を上っていくと、やがて鬱蒼とした鎮守の森が見えてくる。
熊野神社
延命地蔵堂
滝本観音堂
・本尊:聖観音/地蔵菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第20番霊場★上ってきた道を引き返し、県道17号線に下りた後、今度は県道197号線(菊間才の原線)を通り菊間へと向かう。(1999/7/20)
滝本の滝
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神途橋(じんどばし)【北条市尾儀原】
1998/2/19
・平成8年9月竣工。
・県道17号線と県道197号線(才之原−菊間線)の合流点に架かる。
・欄干にはエヒメアヤメがかたどってある。![]()
1999/4/25
・「豊穣の源 俵源池」と刻んでいる。
・昭和28年5月建立
・池の周りには、至る所に野藤が薄紫の花をつけている。
・ゴルフ場建設に先立って、(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターによる遺跡発掘調査を実施した結果、弥生時代中期の遺跡や、箱式石棺一基(5世紀頃)、古墳7基(6世紀後半〜7世紀初頭)、土坑墓(6世紀末〜7世紀初頭)などが見つかった。そして、弥生時代中期の人々の生活痕跡(遺構)からは、土器や石包丁、鉄製のやりがんな等が出土した。
・この遺跡から出土した古石で円墳が築かれている。
◆諸元
位置:愛媛県北条市米之野字大遊谷
河川名:立岩川水系大遊谷川
基礎岩質:花崗岩閃緑岩
流域面積:直接1.8km2、間接5.0km2 計6.8km2
型式:中心コア型フィルダム
堤長:48.2m
堤頂長:175.0m
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窓坂峠(まどさかとうげ)【北条市小竹】
・安山岩(柱石)の三面に「郡境・これより北乃間郡・これより南風早郡」と刻んだ2.6mの郡境石がある。
・昔の重要な交通路であった。
1998/1/18
「馬方に 山の名をとう 霞かな」
・常保元橋の袂に建つ。
・昭和28年12月、薫風吟社が建立した。
・仙波花叟は、名を衡輔といい、早くから鳴雪、子規、虚子等に教えを受け、霽月、極堂と親交があり、風早吟社をつくった功績は大きい。父は仙波縄。代々大庄屋で、多くの偉人を出した家柄である。
1998/2/19
・昭和3年10月建立。景浦松東書。
2001/2/18
1998/2/19
2001/2/18
★恵良山を借景した造りになっているのがニクイ技である。門前から北方を望めば、邸越しに烏帽子形の山容が美しく広がっている。
1998/2/19
1998/2/19
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造林記念碑
仙波花叟(せんばかそう)句碑
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