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伊方町(Ikata Town)このページの最新更新年月日は |
「私は海の中で生れた 1901年1月28日 一枚の鱗にさう書いてあった 伊予の西南の象の鼻のやうに突き出た半島の中ほどの伊方である」 高橋新吉
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(1).「みかんと杜氏の町」
(2).「いま拓く 豊かな伊方 ゆめ・未来」
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町の花 町の木 町の花木 町の鳥 ツワブキ クロマツ
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伊方町役場商工観光課 (TEL)0894-38-2288
・昭和30年3月31日、町制実施。
大字 字 大浜 中之浜 仁田之浜 湊浦 河内 小中浦 中浦 川永田 豊之浦 伊方越 亀浦 九町 奥、向、畑、須賀、久保、西、九町越、長崎 二見 二見本浦、加周、田之浦、古屋敷、鳥津、大成、岩見
ナギの木【伊方町中浦】
市右衛門供養塔【伊方町中浦甲692 法通寺】
・町指定史跡。
丸岡城跡「城の台」【伊方町】
・戦国時代の城跡。
得能主膳ゆかりの地【伊方町九町安浦 得能神社】
・町指定史跡。
五輪塔【伊方町 妙楽寺】
一里塚【伊方町九町】
・町指定史跡。
・九町(くちょう)の高野山三宝寺の前に一里塚がある。
・三宝寺前の道は九町から二見へと通じる旧街道であり、昔、陸路の里程を表すために一里毎に塚を作り、これを一里塚と呼び黒松を植えた。
・藩主の参勤交代時の登り坂の休み場として利用されたと伝えられている。「これより左二見道を経て三机へ至る」
・九町一里松は、明治末期老衰のため枯死した。その後二代目黒松も成長していたが、昭和49年(1974)に枯死した。
一里塚【伊方町川永田甲888】
・町指定史跡。
・伊方町中央公民館には、この黒松の断片が保存されている。
・この地方は、明暦・元禄年間(1657〜1693)第2代宇和島藩主・伊達宗利(むねとし)の統治下にあった。この時期に宇和島藩内の主要街道に塚が作られたのだが、この地にも延宝元年(1673)に黒松が植えられ、一里松と呼んでいた。
・川永田の港は天然の良港であり、参勤交代時の交通路となっていたので、この一里松は旅の目印として活用された。
・この松は近年まで樹齢300年、幹周4.38m、樹高約13mの勇姿を誇っていたが、昭和53年(1978)2月に松食虫被害により枯死したので一里塚と改称した。
・伊方町中央公民館には、この黒松の断片が保存されている。(備考)
・織田信長が、36町(約3.93km)をもって一里とし、領内に塚を築き、その上に黒松と榎を植えさせたのが、我が国の一里塚の始まりである。
・徳川家康も信長に倣い、慶長9年(1604)、江戸日本橋を起点として諸街道に一里塚を築かせた。
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ナギの木【伊方町中浦】
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沖の城【伊方町九町】
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伊方八幡神社(いかたはちまんじんじゃ)【伊方町】
・神社明細帳によれば、第56代清和(せいわ)天皇御宇貞観14年(872)に勧請され、その後、文和元年(1352)に初めて神幸を営み、それから春秋の2回祭事が営まれるようになったと言われている。
・境内の池の側には、佐瀬部浦(させぶうら)の名を刻んだ石灯篭が2基ある。
大浜八幡神社(おおはまはちまんじんじゃ)【伊方町】
九町八幡神社(くちょうはちまんじんじゃ)【伊方町九町】
得能神社【伊方町九町安浦】
・伊方町中央部から、得能道と呼ばれる細い山道を登ったところに鎮座する。
・400年前の九町長崎城(*1)主・得能主膳を祭る。
・神社の辺りを「徳の森」と呼ぶ。
(*1) 「九町長崎城」と「得能森城」は同じ城を指すのだろうか?
氏子たちが鶏を飼わないこと
得能主膳ゆかりの地
・町指定史跡。
八坂神社(やさかじんじゃ)【伊方町河内】
・安徳天皇縁の地(安徳天皇の墓)と伝えられる。
・一説によれば、鯛の浦(退の浦)に上陸した第81代安徳天皇は、すでに崩御していて、遺体は鎧櫃に入れられ、退の浦より伊方越をして、河内(かわうち)の山中に手厚く埋葬されたという。この地が伊方の八坂神社であるという。
・八坂神社と名付けられたのは明治になってからのことである。
・地元の人々は、この山を天皇山、森を皇子ヶ森と呼び、神社のことを今でも親しみを込めてお天皇さまと呼んでいる。
八尺神社(やさかじんじゃ)【伊方町川永田】
・神社のある辺りを篠谷(しのたに)という。
・往古は神幸など営み、1000余年以前の鎮座と言われている。
・末社の一宮神社は、宇和旧記によれば「一宮棟札大旦那藤原氏宇都宮守綱並に歳女此の宮を立つ者也 天文17年(1548)」とある。
・この宮には「一ノ宮の蛇」の伝説が残っている。
鯛ノ浦神社【伊方町伊方越】
・平家縁の地と伝えられる。
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大師堂【伊方町】
・寺山の鐘楼前から小中浦へ下りると大師堂がある。
・この寺は、もと宇和島藩から下付され、移築したもので、昔は宇和島藩の四方に御堂を建て、城下の人々に日ごと祈祷させたという。
・ある日、御堂を取り除く話を聞き、願い出て下付されたという。
・小中浦から、船を仕立てて大勢の人夫を連れ、御堂を解体して港まで運び、船積みして持ち帰り、堂宇を建立したという。その後、再三修復・改築を繰り返している。
子安観音【伊方町亀浦】
・今から約300年前、隣村に仏像が漂着した。猟師が村に持ち帰り長老にそれを見せたところ、このようなものを村に置いていると大変なことが起きると言い、元の海に戻した。
・この仏像が亀浦に漂着した。一人の老婆が持ち帰り、祀ったところ、それ以来、亀浦では難産が無くなった。それゆえ子安観音と呼ばれ、安産の願が叶ったら底無し袋を奉納するようになった。![]()
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堂堂山【伊方町】
・標高397.1m。
・山頂まで車道が延び、頂上にはNTT無線中継所、展望所も設けられている。
大峯【伊方町】
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ナギの木【伊方町中浦】
・県指定天然記念物、町指定文化財![]()
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女子岬(めっこみさき)【伊方町】
亀ヶ池【伊方町加周】
・約500年前の大津波のため、入り江の大部分が一夜のうちに外海から遮断されてできた愛媛県下一の潟湖である。
・加周池(かしゅういけ)ともいう。
亀ヶ池の大蟹
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九町越公園【伊方町九町越】
観光物産センターきらら館
伊方ビジターズハウス
レッドウィングパーク【伊方町九町越】
・国道197号線沿い、九町トンネルの南東に位置する。
冒険の丘広場
・展望休憩所、ローラー滑り台、トリムコースなどが有る。
レッドウィング広場
・米国レッドウィング市との国際交流姉妹都市提携を記念し、インディアンの住居をデザイン化したステンレス製のモニュメントが有る。
町民グラウンド
・他目的広場、テニスコートがある。
亀ヶ池(加周池)の大蟹【伊方町加周】〜八畳敷の大蟹
・約400年前までは入り江だったという潟湖「亀ヶ池」には畳8枚分の大蟹が棲んでいるという。
・昔、九町池に大きな蟹がいた。
・蟹は日に日に大きくなって、やがて畳八畳もの大きさになり、九町池では思う存分泳ぎまわることができなくなった。
・蟹はもっと広い池が欲しくなり、隣部落の加周池に行った。そこには一匹のえんこが住ん
でいたが、えんこにはこの池は大きすぎて、もっと小さくて住み良い池に移ろうと考えていたので、喜んで蟹に住処を譲ってやった。
・広々とした池に住みはじめてからというものの、蟹は毎日思う存分池の中を泳ぎまわった。ところが蟹が泳ぎまわるようになってから毎日のように加周池の水が溢れるようになった。そのため、池を渡って仕事に行く百姓の船がしばしば転覆した。困った百姓達は神主に頼んで蟹を池の底深くに閉じこめて貰った。
・今でも閉じこめられた蟹が出てこないようにと、秋祭には「牛鬼」が加周池を渡っていく習わしが残っている。
一ノ宮の蛇【伊方町川永田 八尺神社】
得能神社の氏子たちが鶏を飼わないこと
・天正12年(1584)2月、長宗我部軍が得能主膳の城を攻め立てたがなかなか落城しない。
・一方、主膳側は度重なる合戦に疲労の色を示し、主膳は家来達を呼び集め、「武運は尽きた。明朝、一番鶏が鳴いたら、それを合図に城を脱出する」と命じた。
・しかし密通者が居て、長宗我部軍にこのことが漏れてしまった。長宗我部軍は、主膳らの脱出時刻をずらすために、鶏の足を火で温めて時を告げさせた。
・そうとは知らない主膳ら一族は城を脱出し、待ち構えていた長宗我部軍に全員討ち取られてしまった。
・このような伝説に由来して、得能神社の氏子達は鶏を飼わないという。
伊方町の平家落人伝説
●上場(うわば):伊方越。壇ノ浦から従三位門脇中納言肥前守教盛(のりもり)を先頭に安徳天皇を奉じて上陸した場所。
●鯛の浦(たいのうら):伊方越。「退の浦」とも記す。平家落人達が舟を捨てた場所。
●大峠(おおとうげ):平家谷に落ち延びる途中に越した峠。
●平家谷(へいけだに)
●戦場坂(せんばさこ):追手の源氏との合戦が繰り広げられたという。
●勝負ヶ崎(しょうぶがさき):戦いの見張り場所
●赤はた:平家の武士が立て篭もった場所
二見ののぞき岩【伊方町二見】
・加周峠(かしゅうとうげ)に高さ1m、幅50cm、中央に10cm程の穴が開いている緑泥片岩(りょくでいへんがん)がある。
・源平合戦以来、平家の落人が佐田岬半島に居住するようになり、こののぞき岩は、外敵の侵入に備え、見張り所として作ったものと伝えられる。
・のぞき岩より約200m離れた所に墓地らしき畳6枚敷きぐらいの平石を敷いた所が二ヶ所ある。これらはいずれも平家さまと呼ばれ、昔から財宝が隠されていると言われてきたが、祟りを恐れ、平石を開けた者はいないという。
・のぞき岩より約800mの所に屋敷跡らしい所があり、のぞき岩との連絡所ではないかと伝えられている。
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室鼻(むろのはな)海水浴場
九町(くちょう)海水浴場
加周(かしゅう)海水浴場
伊方杜氏(いかたとうじ)
「伊方杜氏は日本でも古い伝統を誇る杜氏である。」(大阪学芸大学篠田博士)伊方杜氏の歴史は古く、江戸時代半ばに櫨(はぜ)の実搾りやイリコの行商に行ったものが酒造技術を習得したのが始まりと伝えられる。
最盛期の昭和11年頃には、中国、朝鮮、県内外で約700人に及ぶ杜氏が酒造りに従事していた。
加周【伊方町】
・「嘉聚」と記していたのを書き改めたものと思われる。これは「幸の集まる」という意。
・往古は双見ヶ浦と呼ばれていた。これは入江の両端に大岩が二つ見えることに由来する。
すずしめばや(すずめばや)
・「ばや」とは「鼻」が転訛したもの。
・東にあるピラミッド形の女岩。
・頂には弁天を祀る。
西のおおばや
・丸味を帯びた男岩。
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[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous Information Laboratory]
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