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久万町(Kuma Town)このページの最新更新年月日は |
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(1).「自然と共生する高原文化のまち」
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町の花 町の木 町の花木 町の鳥 ササユリ 杉(すぎ)
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トマト、木材
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久万町役場 (TEL)0892-21-1111
久万町観光協会 (TEL) 0892-21-1192
久万町へ 明治22年市政町村制施行 藩政時代 久万町(昭和34年3月31日合体) 川瀬村 直瀬 上畑野川 下畑野川 久万町(昭和18年9月1日合体) 明神村 東明神 西明神 入野 久万町(大正13年2月11日合体) 菅生村 菅生 久万町(明治34年8月20日町制) 久万町村 久万町 上野尻 下野尻 久万町(昭和34年3月31日合体) 父二峰村 露峰 二名 父野川
大字 字 東明神 三坂、樅ノ木、高山、皿木、横通、野地、中、本上、山神、本下 西明神 北条、槙ノ川、栄谷、沖、高殿1、高殿2、仰西[こうさい] 入野 新開、梶山、影、日ノ地、駄馬1、駄馬2、春日台、新春日台1、新春日台2 久万町 住安町上、住安町中、住安町下、本町、桂町、福井町上、福井町下、曙町1、曙町2、曙町3、古町、辻上、辻下、緑ヶ丘、旭ヶ丘 上野尻 上高、大谷、上野尻1、上野尻2、上野尻中、上野尻下、北馬頭 下野尻 日切、下野尻 菅生 中ノ村1、中ノ村2、中ノ村3、宮ノ前、中通、中ノ上、中ノ下、東国、北村
、槻ノ沢、中通3、宮ノ前2、槙の谷上畑野川 東河之内、西河之内、東明杖[ひがしあかづえ]、西明杖[にしあかづえ]、宝作、岩川、上西之浦、下西之浦 下畑野川 上田、中村(畑)、上河合、東河合、西河合、柳井、新狩場、西峯、上狩
場、南狩場、東狩場、紅吉、嵯峨山直瀬 房代野、上永子、下永子、上之段、下之段、仲組(久保)、仲組(庵)、仲組(大西)、仲組(鳥越)、仲組(直)、竹屋敷、下沖、古宮、東組、駄馬(直)、中通(直)、吉久、西之川(直) 二名 永久、徳好、宮成、森田、由良野、東条、黒沢、中条、上厚、帯石、富重、瀬戸 露峰 橋詰、西ノ川(父)、中村(父)、中組(父)、若宮、落合 父野川 大久保、馬ノ地
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旧石丸家住宅主屋【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・江戸時代後期の建築物。入母屋造り、三間取り。
土蔵【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治3年(1870)の建築物。木造2階建。
極楽堂【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治31年(1898)の建築物。
旧渡辺家住宅主屋【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治12年(1879)の建築物。木造平屋、入母屋造り。
隠居屋【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治38年(1905)の建築物。木造平屋、入母屋造り。![]()
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古岩屋【久万町直瀬】
2002/12/23
・所有者:久万町
・国指定名勝(昭和19年11月7日指定)![]()
三島神社拝殿(1棟)【久万町菅生 三島神社】
・所有者:三島神社
・県指定有形文化財(建造物、昭和37年11月1日指定)
八幡神社本殿・拝殿(2棟)【久万町直瀬 八幡神社】
・所有者:八幡神社直瀬総代
・県指定有形文化財(建造物、昭和43年3月8日指定)
鰐口(1個)【久万町西明神 高殿神社】
・所有者:高殿神社
・県指定有形文化財(工芸品、昭和54年3月20日指定)
三十三燈台(1基)【久万町菅生 大宝寺】
・所有者:大宝寺
・県指定有形文化財(工芸品、昭和39年3月27日指定)
仰西渠(こうさいきょ)【久万町西明神 仰西】
2002/7/14、12/23
・所有者:久万町
・県指定史跡(昭和25年10月10日指定)
・長さ 約57m(トンネル部分 約13m)、幅 約2.2m、深さ 約1.5mの用水路。
・元禄年間(1688〜1704)(*1)に山之内彦左衛門(仰西)(*2)が、農業用水確保のために私財を投じてノミとツチだけで掘削した灌漑水路である。
(*1)碑文では元禄年間とされているが、文献によれば明暦から寛文年間にかけてという。
(*2)山之内家の先祖は村上水軍の将・村上義弘という。
仰西渠之碑
・国道33号線沿いの小高い岡の上に記念碑がある。
・明治10年(1877)9月に建立され、明治17年に現在の場所に移された。
・藤野正啓撰。
・「仁人之沢 百世悠久 巌渠不竣 翁名無朽」と仰西を称える碑文が刻まれている。
・「里民のために永世の利を計る。資を損て、工を鳩め、崖を穿ち渠を開き、本流を分って、以て之に灌ぐ。中間峻厳に遇う。すなわち窟を穿つ。窟の長さおよそ三九尺、広さ四尺、深さ之にたたふ。渠の長さおよそ一四八尺、広さ窟に同じ。三たび戯を閲して工を竣る....」
山之内仰西翁頌徳碑副碑【久万町 久万中学校下】
菅生山【久万町菅生】
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・所有者:大宝寺
・県指定名勝(昭和43年3月8日指定)![]()
川瀬歌舞伎【久万町下直瀬】
・県指定無形文化財(平成12年4月18日指定)![]()
イヨダケ(スダレヨシ)自生地【久万町露峰】
・所有者:久万町
・県指定天然記念物(昭和24年9月17日指定)
・自生地は久万町露峰イヨス山(標高877m)の中腹750m北斜面あたり。
「伊予すだれ」記念碑【露峰旧道入口】
「.....明神村小倉強氏の所有となっておったが、昭和24年に文化財として顕彰保存の運動が起こり、小倉氏の犠牲的な篤志によって父二峰村に寄付せられ、同年天然記念物の指定を受けた.....」と記してある。
カヤの樹叢【久万町畑野川 住吉神社】
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・所有者:住吉神社
・県指定天然記念物(昭和54年3月20日指定)
東明神のコウヤマキ【久万町東明神】
・所有者:山之内一孝
・県指定天然記念物(昭和59年1月10日指定)![]()
幽谷上人入定の地(ゆうこくしょうにんにゅうじょうのち)【久万町下畑野川】
1999/5/1
・町指定史跡
・上人は阿弥陀寺の住職であったが、同寺奥の院の地下で寛永8年(1631)11月2日に入定した。地底から鉦の音が21日間聞こえたという。上人入定後、村人は奥の院をお霊屋(おたまや)と称して尊崇し、聖地として石畳の道を裸足で「裸足参り」するようになった。
幽谷上人の事歴
・幽谷上人は戦国時代初期の弘治3年(1557)、伊予郡松前町に生まれ、浄土宗を修め南予で研鑚したが、後に霊地を求めてこの地に庵住し、山谷を跋渉して超人的な修行を積み、仏道の奥義を極めて、寛永4年(1627)阿弥陀寺を創定した。功徳の奇蹟は、人々を驚かし、尊崇帰依する者が甚だ多かったが、寛永8年(1631)75歳の時、奥の院の地下に入り入定した。
・上人の徳化はこの地方に至大の影響を興え、お十夜盛りの祭祀や、阿弥陀寺の相撲は昭和の始め迄盛大であった。また地方の子供を集めて寺小屋を開き、学修の指導に力を入れ、その学統は明治大正の時代に及んだ。人々の上人に捧げる畏敬賛嘆の念は、今も多くの伝説となって語り伝えられている。
はだし参りの参道
・お霊屋(たまや)へお参りする石畳道で、白砂を敷き詰め、清浄な霊地としてはだしてお参りした。明治の頃まで樹木が鬱蒼と茂り、霊気が身にしみる参道であった。
行場(ぎょうば)
・上人が座禅を組み修行するため自ら建造したもので、周囲は石で囲み、屋根は緑泥片岩の板石で葺き、自然の洞穴を象ったもので、昭和47年に修復した。
・傍らの窪みは閼伽の水を汲んだところである。
名号石(みょうごうせき)
・堅質の安山岩に南無阿弥陀仏の六字の名号が彫り込まれ、宝珠の彫り添えられたものもあって行場の正面と参道にも建てられている。上人が指で彫ったものと伝えられ、今は苔むしているが、その字体は霊感ほとばしるが如く独得無比のもので、書道の上からも尊重されている。
墓碑と五輪の塔
・上人入定後に建てたお墓がある。五輪の塔は供養のためのもので古い様式を象っている。
幽谷上人霊廟
・奥の院として上人が建てたもので、後人が霊廟として尊び鞘堂を設けたので朽敗することなく、火災も免れて当時の建造を伝え、床下には建築の時に設けた上人入定の壕がある。
・正面の扉には上人修行の地の遍路の書き付けが判読される。
・今の霊廟は再建したものである。![]()
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法蓮寺のシダレザクラ【久万町露峰 若宮 法蓮寺】
・町指定天然記念物
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大除城跡(おおよけじょうあと)【久万町菅生 槻之沢(けやきのさわ)】
・久万の平地部の東に聳える標高約690mの山頂に、土佐軍の侵入を防御するために湯築城主・河野氏が築いた大除城があった。
・この山は南面が砕石採取で大きく削られているので、すぐに判別することができる。
・城の名前は、「大いに敵を払い怨を除く」の意をもってつけられた。
・城主として喜多郡の宇津城主・大野氏を迎え、直家・利直・直昌の三代続いた。
・「大除城址 東明神村にあり 河野家の将大野山城守直昌という人 天文の頃土佐一条家の兵を防ぎ新たに城塞を久万山に築きて大除と名づく 敵兵の害を除くの義にとると云えり」(愛媛面影)
※大野安芸守直家、大野山城守直昌(おおのなおしげ)
★「四国のみち」の歩道沿いに「大除城の跡」と記された案内板が建っている。その内容は以下の通り。 (2002/7/14)「大除城は、天文年間(1532〜1554年)に、道後湯築城主の河野氏が、土佐の長曽我部一族の侵入を防ぐためにこの前方の山頂に築いたものです。以後、城主の大野家は3代にわたり繁栄しましたが、天正13年(1585)に秀吉の命を受けた小早川隆景軍に河野氏が降伏し、大除城を明け渡したのです。」
物見櫓跡
・大除城より北東に約200mの位置にある。標高は約710m。
笠松城【久万町東明神】
・鶴原和泉守居城。
船山城【久万町東明神】
・船草出羽守居城。
・屋敷は、東明神の窪(現字名不詳)というところにある。
越木ヶ甫気城【久万町西明神】
・山内丹波守居城。
天神森城【久万町入野】
・梅木但馬守居城。
上之段城【久万町上畑野川 真畑】
・武智近江守居城
高薮城【久万町上畑野川】
・船草五兵衛居城。
筋野城【久万町直瀬】
・小倉丹後守居城。
勝山城【久万町直瀬】
・鳥越左門居城。
池峠城【久万町上野尻】
・渡辺左馬助居城。
野尻館【久万町上野尻】
・山口豊前守山口順甫が居た。
柳小路館【久万町上野尻】
・大家又兵衛が居た。
槻澤大代家城【久万町菅生 槻ノ沢】
・大野直重居城
沖屋敷【久万町菅生】
・露口清左衛門居城。
尾首城【久万町露峰】
・長尾城とも云う。
・尾首掃部直幸が居城。
眉見城【久万町父野川】
・眉見某が居城した。
・この人が大蛇を射たところ、屋敷が裂けてしまったため、そこを立ち退いた。その屋敷跡の釜屋と思しきあたりにその割れ目が残っている....と大洲旧記に記されてようである。
虎太郎城【久万町二名】
・丸山城とも云う。
・中村伊豆守が居城。
片山城【久万町二名】
・宮田右京進源道俊が居城。
・道俊は東国の士であり、戦いで利を失って伊予にやってきた。河野家に頼み、度々河野領を犯す土佐勢を抑えるため片山城を与えられた。
・土佐勢が仁淀川を攻め登ってきたとき、道俊は防戦の末討死した。そして道俊の子四郎右衛門が城を相続した。
・戸田民部少輔所領のとき、四郎右衛門の子九郎兵衛が二名村の庄屋となった。
・宮田右京進の墓が片山城の麓にあるという。
飯森城【久万町二名】
・片山城の属城で、寄騎8人(土居伊豆、竹鼻上総、竹内彌六、井手上讃岐、東市之助、岡田善助、宮下雅楽、中屋三郎兵衛)が在番した。![]()
笛ヶ滝遺跡【久万町】
・笛ヶ滝公園内にある池の背後の丘陵にある。
・十字形石器、三叉形石器といった、九州的な色彩の濃い石器が出土している。
山神遺跡【久万町】
・久万カントリークラブ内にある。ゴルフ場建設に伴い、昭和48年('1973)に発掘調査された。
・舌状に延びた段丘から、三基の環状列石が検出された。その内の1基の環状列石内からは体高125cmの雄の小型馬が埋葬されていた。
・縄文後期から晩期前半にかけての遺構と見られる。![]()
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大宝寺【久万町菅生】
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・四国八十八ヶ所霊場第44番札所
岩屋寺【久万町/美川村】
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・四国八十八ヶ所霊場第45番札所
浄福寺【久万町直瀬】
1999/5/1
・宗派:臨済禅宗
・山号:慧光山
イチョウ
・町指定文化財(平成2年8月7日指定)
・樹高22m、周囲5m、樹齢約200年
善通寺【久万町下畑野川】
1999/5/1
・宗派:臨済宗東福寺派
・山号:永隆山
定禅寺【久万町上畑野川(?)】
・今でもこの寺が残っているかどうかは定かでない。
・伊予温故録に「上畑野川村上ノ山に在り 土岐頼政の位牌あり 古跡のよしいひ傳ふれども詳かならず」とある。柳谷村の大寂寺にも「土岐頼政の位牌」があるという。果たして源頼政は上浮穴で生涯を閉じたのであろうか。
福城寺【久万町二名】
法然寺【久万町】
1999/5/1
・慶長年中、加藤嘉明の家老・佃十成が創建したと伝える。
★すっかり荒れている様子。それとも草木萌える季節なので境内の木々が枝を伸び放題に伸ばしているだけか?
★町の住宅地内にある立派な門構えの寺なのだが、本堂前にはゴミくずが積み重ねられている。勿体無さを感じずにはいられない。
法蓮寺【久万町露峰 若宮】
シダレザクラ
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大元八幡神社【久万町中組】
葛城神社(かつらぎじんじゃ)【久万町二名】
1999/,2000/6/10
鴨宮(加茂宮?)【久万町直瀬】
1999/5/1
★直瀬に住む「小倉さん」がこの名前を教えてくださった。漢字でどう書くのかはわからないが、「かものみや」と呼んでいるらしい。
河上神社【久万町二名】
五社神社(ごしゃじんじゃ)【久万町直瀬】
★伊勢神宮と同じ祭神か?
★地元の人の日参が多いのには驚く。それほど、氏神信仰が根強く残っているということか?それとも単に朝早く神社に訪れたからそう感じるだけなのか?
★「神寄■五社神社」という神額が架かっている。(■:窓の心が木となっている。)
★赤穂浪士だろうか、多くの奉納額が架かっている。
★樹叢はかなり豊かで、杉の高木が林立している。
金刀比羅神社/総河内神社【久万町上畑野川明杖】
1999/5/1
・慶應二丙寅年三月の銘の入った奉納俳額有り。
★参道の階段下の広場では、老婆が三人、ゲートボールに興じていた。
金比羅宮【久万町直瀬】
1999/5/1
★年2回、2月11日と秋(11月)に火祭りという祭りを行っているらしい。仁淀村(だったかなぁ..)にある秋葉神社へ輪番制で2人が御札をとってきて神社に奉納した後、寄り合いをするらしい。
御調神社【久万町父野川】
住吉神社(すみよしじんじゃ)【久万町畑野川】
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榧(カヤ)の樹叢
・県指定天然記念物(昭和54年3月20日指定)。
奉納俳額
・安永5年(1776)に奉納されたもの。
総河内神社(そうこうちじんじゃ)(金刀比羅神社)【久万町上畑野川】
奉納俳額
・安政3年(1856)上畑野川の農民達が奉納した百句にのぼる二面の俳額。
・松山藩の家老・俳人、奥平鶯居(おくだいらおうきょ)が点者となって奉納した。
・農民俳諧の地方的師匠、稲田尾白(いなだびはく)を始めとした上畑野川の人々の俳諧が多く残されている。
高殿神社(こうどのじんじゃ)(神殿神社)【久万町西明神】
2002/7/14
・明神右京が日向の高千穂にある高殿より移して祀ったという。
鰐口
・昭和54年3月20日に県指定有形文化財(工芸品)に指定された。
明治43年三嶋神社合祀記念碑
・三嶋神社の神名石に「明治43年」「合祀記念」を掘り加えたものと思われる。
露口大明神[耳戸明神]【久万町露峰(?)】
・露口左京(隼人)を祭る。
八社大明神【久万町奥河之内】
奉納俳額
・慶応2年(1866)、久万俳壇の指導者、相原如江(あいばらじょこう)選の五十句の俳額が奉納されている。
八幡神社【久万町】
1999/5/1
・県指定文化財(昭和43年3月8日指定)
・八幡神社は鎌倉時代の創祀と伝えられる。現在の社殿は寛政元年から2年に亘って築造されたものである。本堂は鞘堂によって古風を伝える素朴さが守られており、拝殿も簡素ななかに習合の平安期の曲線風や鎌倉期の唐様の感じられる部分があり、内部構造の特徴もこの時代のものとしては珍しい棟梁が地元であり、よく古風を守ったと察せられる拝殿の屋根裏から寛政元年の号を記した尺杖が発見され、確証・指定に至った。
★樹叢も非常に良い状態で残っている。
★郵便局横から東へ堂山神社参道の看板が立っているが、所在不明。
三島神社【久万町菅生】
1999/10/23
・参道には「弘化三丙午年九月」の狛犬2体が佇む。・宝亀年中(宝亀4年(733))、大三島の大山積神社をこの地に勧請した。
・
拝殿
・昭和37年11月1日、県指定文化財に指定された。
御神木:千年杉
・目通り周囲:6.6m
・推定樹齢:800年
杉の巨木
参道の階段を上がりきったところには、両側に神木らしき大杉が立っている。また、社殿の後方を取り囲む社叢林の一角、拝殿に向かって左側に「地元選択精英樹」(上浮穴林研グループ連絡協議会、平成3年)に指定されている大きな杉が立つ。
三島神社氏子館
三島神社拝殿文化財指定記念碑
本殿は社伝によれば宝亀4年・西紀733年、大三島なる大山祇神の御分霊を勧請し、久万郷並びに小田郷の総氏神としてまつったことに創り、爾来実に1200年の古社である。
旧社殿は慶長8年、佃十成公の修造にかかる桃山様式の建築である。其後、貞享年間に大修理を加えたが害われることなく現存し、県下稀にみる貴重な古建築と稱せられ、久万町の文化財に指定されている。近年腐朽甚だしく為に大修理の必要にせまられるに至り、関係者の間でしばしば協議を重ねた結果、この由緒ある社殿を解体修理し、県の文化財の指定を受けることに決し、その目的達成のため、昭和33年2月復興奉賛会を組織した。
その後紆余曲折はあったが、遂に同36年9月着工の運びとなる。途中種々困難に出会ったがこれ克服して、翌37年6月竣工し、同年11月1日、県より指定を受け初志を貫徹した。この工事に要した総経費は約1000万円である。この復興によってえ神威いよいよあらたかに郷士の総鎮守としてながく氏子はもとよりひろく郷土にその恵沢をたれたもうことを祈念してその来由を石に刻し後世に伝えるものである。
昭和37年11月吉日 宮司 土居重喜 謹誌 祢宣 辻田盛雄
高岡貞一郎翁頌徳碑
碑文は愛媛県知事・久松定武の書。昭和37年10月に建立された。三島神社氏子館の横に建つ。
三島神社御鎮座1200年記念碑
駐車場脇の小川の横に建つ。井部栄治が昭和48年7月に建立した。
土居重喜先生顕彰碑
土居重喜は三島神社宮司であった。碑は昭和57年11月29日に氏子一同により建立された。
五神太鼓
・7月下旬の三島神社夏祭で競演される。
・戦国時代に上浮穴地方を治めた大除城主・大野直昌の故事に着想して、1994年に創作されたもの。![]()
お久万大師堂【久万町住安町】
・当初、久万町古町に建てられていたが、昭和43年(1968)に住安町の伊予鉄バス久万営業所東側に移転改築した。
お久万の伝説
地蔵堂(浄福寺)【久万町下直瀬】
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瀬戸新四国八十八ヶ所【久万町二名 瀬戸】
2000/6/10
久万「瀬戸新四国八十八ヶ所」の由来
「ここ久万町大字二名瀬戸部落は、古来より十五戸余りの集落であった。約百五十年の昔、この地にはやり病が蔓延した折、お大師様をまつり息災を念じた処その霊験によりたちどころに平癒したと伝えられ、爾来ここは大仏谷と称され霊地として崇められていた。
その後明治時代終り頃、原町村宮内(砥部町)に住む越智カメ女が発心し奉賛を呼びかけて、上尾峠の青石による石仏を奉納したと伝えられている。
大正年間に入り、富重部落の渡部四郎三郎氏らの■進により御本尊様を囲んでの新四国八十八ヶ所建立となり、大仏谷周辺に篤信家奉納の石仏が建立されたのである。
そののちこの新四国の石仏は、長らく忘れられていたかの如く風雪に打たれ、雑草に埋もれてしまっていた。これを昭和五十八年、地元の方々の発心と松山市徳風会の人々の御奉仕と山主の方々の御芳志により、同年九月十六日奉賛会員一同の念願がかない、開帳法要の運びとなったものである。
以来、毎月十六日の縁日、そして九月十六日の大法要をはじめとして善男善女の参拝者は後をたたず、霊場に香煙のたゆることなく今日に至っているのである。」
と、久万町むらおこし事業実行委員会の建てた看板が県道沿いに立つ。向かって右より、「瀬戸新四国八十八ヶ所」の碑、修行大師像、得徳院佛母禅定大姉石像(由来碑有り)、水子供養地蔵が建ち、八十八体の石仏が立ち並ぶ場所へと続く階段が左端にある。
石仏達は皆、赤や黄色の涎掛けを纏っている。
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皿ヶ嶺【久万町/重信町】
1999/10/23、2000/8/12、2000/11/19、2001/5/13、2003/7/6
・標高1270.5m
竜神平
十字峠
引地山【久万町/松山市】
1999/10/23、2002/12/23
・標高1026.8m
・山頂は植林のスギに覆われ、景観は良くない。
パラグライダー発射場
引地山無線中継所
・ここからの道後平野の眺めは格別である。
陣ヶ森【久万町/重信町】
2000/11/19
・標高1206.9m
黒森山【久万町/松山市】
2002/7/14
・標高1154.2m
中の峰
船山【久万町東明神】
2002/7/14
・標高910m
船山城址
笠松山【久万町東明神】
2002/7/14
・標高868m
笠松城址
菊ヶ森【久万町上畑野川】
・標高:914.1m
・伊予二名集に「菊ヶ森城在奥山、山之内若狭守 天正十三酉年落城」とある。
・久万町法然寺山内家過去帳に「初代山内二郎若狭守通政、天正二年河野氏滅亡後主従百余人と共に土佐より久万へ出て居住、天正十七年三月十五日没」とある。
餓鬼ヶ森【久万町上畑野川】
・標高:954.4m
桂ヶ森
2000/6/10
・標高:1224m
千本高原【久万町下畑野川】
1999/5/1、2001/4/22
・標高620m。
・菊ヶ森の東麓の山裾に広がる高原。
・昔は草競馬が催されたり、大正末期にはスキー場となり、愛媛スキー発祥の地とされる。
★「愛媛スキー発祥の地」の碑が三坂峠のドライブインの裏にある。
千本高原キャンプ場
・昭和46年、キャンプ場として整備された。
★何も無いところだが、名が通っているせいか、それともオートキャンプ可能ということなのか多くの人(といっても10数人といったところか)がテントを張って野営していた。['99/5/1]
石墨山【久万町/面河村(/川内町)】
2000/4/29、2001/7/22
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法蓮寺のシダレザクラ【久万町露峰 若宮 法蓮寺】
・町指定天然記念物(昭和59年指定)
・樹齢約150年、樹高約10m、幹周2.2m。![]()
有枝川
遅越の滝
直瀬川
久万川
露峰川
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遅越の滝(おそごえのたき)【久万町明杖】
1999/5/1
・皿ヶ嶺から南へ流れる有枝川の支谷、遅越の谷にある。
・高さ約24m。三段で、平均勾配約45度。
★道路から300mほど山道を上ったところにある。案内の標が建っているが、見落としやすい。結局、あれこれ探していてもわからないので、仕事中の農家のおじさんに訪ねると、「ほれ、そこんとこを上がっていったらええわい」と教えてくれた。
★滝を見て帰ってくると「どうじゃったかな、暗いけん写らんかったろが。え、写った? ほじゃな、フラッシュたいたら大丈夫よな。」と奥さん共々、気さくに話し掛けてきてくれた。![]()
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1999/5/1
・標高720m。
・正岡子規も明治14年(1881)、明治22年(1889)の2回、友人と共に訪れている。
正岡子規句碑+漢詩(三坂即事)の碑
種田山頭火句碑
「秋風あるいてもあるいても三坂峠」
へんろ道道標
・明治に造られたもの。「右へんろみち、左松山道」とある。
檜垣翁顕彰碑
「四国スキー発祥之地」の碑
久万公園【久万町】
1999/5/1
・千本高原キャンプ場の下辺りに位置する。
★5月3日からのまつりの準備にいそしんでいる。
★建物の中には何があるんじゃろか?と覗いていると、「おーい、お客さんぞぉ」と叫ぶ声が。ワシって何のお客?「あ...ワシ、まぁお客じゃけど、お客じゃないんよ」と意味不明な回答をすると、「ほうかな、お客じゃないんかな」と会話が無理矢理成立するあたり....
★道路脇には多くのロッジが立ち並んでいる。
百八灯(ひゃくはちとう)【久万町直瀬】
・8月14日の旧盆に松明(肥松(こえまつ)、麻殻(あさがら)を束にする)を持ち寄り、鉦と太鼓で念仏を唱えながら一斉に燃やして祖先の霊を迎える。
・長慶明神陵(長慶天皇の伝承上の墓)が直瀬にあるといい、この行事は長慶天皇の霊を供養するために行われるという。
・北朝に敗れた長慶天皇は、上直瀬に落ち延び、そして病没したといわれる。
・直瀬には「天皇越」(段と永子の境)という天皇縁の地名が残る。
御用木まつり【久万町】
・大宝寺では、毎年盆の16日に「大宝さん」と呼ばれた大山鎮めの祈願をかける「山の神まつり」を行い、農林業の豊穣を祈る大祭として信仰されていた。
・初代松山藩主・加藤嘉明の松山城築城の際、重臣・佃十成(つくだかずなり)が久万御領地頭として城普請の用材を久万山に求め、その時築城祈願を込めて大宝寺で用材に祈祷を受けて御用達したという。この機等の儀式は、その後「山の神まつり」と合わせて「御用木まつり」と称し、久万山の祭りとして盛況を極めた。
・その後、いつしか途絶えてしまっていたのであるが、最近になって若者達により復活されている。
川瀬歌舞伎【久万町下直瀬】
・県指定無形民俗文化財(平成12年4月18日指定)
・県内唯一の地歌舞伎である川瀬歌舞伎の発祥地は下直瀬である。
・直瀬は僻地で娯楽がなかったことや、四国霊場44番札所大宝寺と45番札所岩屋寺の中間であり遍路がよく立ち寄り、その遍路の中に浄瑠璃などを語る人も居たことから郷土芸能として定着していったということである。この「歌舞伎を伝えた遍路」は阿波国から訪れた遍路であり、阿波の人形芝居が発展したものだとも言われる。
・演技としては、「三国伝来玉藻前旭袂三段目」「道春館の段」「絵本太功記十段目すしやの段」などがある。
「井部栄治先生を讃えて」と副碑が添えられている。
1999/5/1
★郵便局から1.8km上がったところにある。
★ここから南への眺めは美しい。
2002/12/23
★客の入りが芳しくない。とは言え、こういう自分も単にひやかしで店内を物色しただけで、全然売り上げに貢献していないのだが。
お久万の伝説(おくま大師)【久万町】
久万町は昔はもの淋しい村で、夜などは一人歩きもできないほどであった。
ある時、一人の貧しい身なりをした遍路(あるいは旅の僧)がこの村を通りかかった。 長旅をしてきたと見え、着物は薄汚れ、手足は埃まみれであった。この遍路が 丁度村のえんまどの辻という所にさしかかった時に、バタントントンと機を織る音が聞こえてきた。ふと足を止めると、それは小さな小屋から聞こえている。気立ての優しい娘の「おくま」が熱心に機を織っていた。
・遍路は汗を拭う織り布を所望した。おくまは惜しげもなく布を鋏で切って遍路に差し出した。その遍路が「何か望みがあれば一つだけかなえてあげよう」と言うので、おくまは、 この淋しい村を立派で賑やかな村にして欲しいと所願した。
・やがてその村は、おくまの願い通り繁栄し、立派な町になっていった。その時の遍路は弘法大師であり、弘法大師はおくまの名前を取って、町の名前を久万町と名付けた。
シャバガナル(見付嶽)【久万町西明神】
・明神右京と露口左京が腰掛けて、菅生山大宝寺の本尊十一面観音の後光を見つけた大岩のあるところを見付嶽(みつけだけ)と呼ぶ。
※久万町二名の富重にも見付嶽所在説がある。
・見つけた観音像に着物の袖を通して祀ったところを玉小袖(たまこそで)と呼ぶ。
龍駒石【久万町二名 富重】
・30坪ほどの大きな石で、ある時龍の駒が下りてきて、この石の周りに生えていた裏白の笹を食べたといい、その言い伝えに因んで龍駒石と名付けられた。
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千本高原キャンプ場【久万町】
・標高 約620m
・高温水晶の産出地。
・昔はこの原っぱで草競馬が催された。![]()
※久万町には海はない!
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ふもと温泉【久万町直瀬】
1999/5/1
・電話番号:31-0065
・「四国で星に一番近いお花畑」というキャッチフレーズがお洒落である。
1999/5/1
・直瀬中学校は平成11年(1999)3月閉校となり、久万中学校に統合された。
直瀬中学校校歌
「水清らかに 山気澄む 心直瀬の 平和郷 わが学び舎に みなぎるは 勤労の風 進取の気」
1999/5/1
・平成11年(1999)3月、52年間の歴史を閉じ、久万中学校に統合された。
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