伊豫の隅々

松前町(Masaki Town)


このページの最新更新年月日は
2002年9月14日
です。

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).「緑と水辺豊かなパークタウン松前」
(2).「視界新鮮 ふれあいさわやか 松前町」

選定モノ
町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ヒマワリ

特産物

インフォメーション
松前町役場  (TEL)089-084-2111

沿革
・明治22年、北黒田村、浜村、筒井村(以上松山藩領)、南黒田村(大洲藩領)が合併して松前村となった。
・大正11年、町制を施行し、松前町となる。
・昭和30年3月、北伊予村、岡田村を合併した。


・かつては、松山藩主・加藤嘉明が松山城を築城するまでは城下町として栄えた。
字と地名探訪
 
大字
文化財探訪
国指定有形文化財

国指定無形文化財

国指定天然記念物

県指定有形文化財

義農の墓【松前町 義農公園

・県指定史跡(昭和28年12月指定)
・松山藩主・松平定静(まつだいらさだきよ)が、安永6年(1777)、「義農之墓」と彫った墓標を建てた。
・その石碑の背後に義農作兵衛の本墓がある。

義農神社

県指定無形文化財

県指定天然記念物

なんじゃもんじゃの木【松前町 愛媛亜熱帯植物園

・県指定天然記念物
町指定有形文化財

松前城跡【松前町筒井】

1998/3/8
・町指定史跡(昭和44年指定)
・築城年代は未詳。平安時代初期すでにこの地に定善寺性尋寺、今の金蓮寺)があり、軍事・交通の要衝として境内に砦が設けられたのが始まりであろうといわれている。
松前城の文字が初めて文献に現れるのは、建武3年(1336)、祝安親軍忠状である。「大山積神社文書」によると、南北朝時代、南朝方の合田弥四郎貞遠のたてこもる「松崎城」を北朝方の祝彦三郎安親が攻略したとある。(松前城主・合田弥四郎貞遠と、湯築城主・河野道盛(こうのみちもり)が戦ったともいう。)
・後に大森彦七も居城したという。湊川の戦に楠木正成を討った功により、砥部の豪族大森彦七が松前城主を兼ねたが、やがて荏原の平岡氏と交替する。
・正平年間(1360年頃)穴草入道、同出羽守らが松前城にいたが、南朝方で九州に赴いていた河野通直が大兵を率いて松前浜に上陸、松前城を攻略した。
以後、松前城は河野氏の本拠湯築城の西方海上防衛の出城となった。
その後、河野氏の武将栗上因幡守通宗、同但馬入道通閑らが松前城にいたが豊後の大友氏、安芸の毛利氏、土佐の長宗我部氏らが相次いで侵攻し来り、松前城攻防の激戦が幾度となく繰り返された。
・天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐があり、河野通直は侵攻群総帥小早川隆景の軍門に降って栗上氏らと共に安芸竹原に退去した。
・天正16年(1588)、栗野木工頭秀用松前城主となったが、秀次事件に連庄除封された。文禄4年(1595)、朝鮮の役で戦功をあげた加藤嘉明が淡路志智城より6万石をもって松前城に入った。翌慶長元年(1596)、嘉明足立重信らに命じ金蓮寺を現在地に移転、伊予川を改修して城郭及び松前港の大拡張を行った。
・「松前」は、古来「松崎」、「真崎」、「正木」、「柾木」、「満崎」等書かれており、「松前」に定着したのは、寛永12年(1635)松平定行入国以来である。
松前城の規模は明確ではないが、地の利を得て自然の要害堅固の城であった。慶長2年(1597)には嘉明は松前城を根拠地として2400余名の将兵を率いて朝鮮に出兵した。
・慶長5年(1600)関ヶ原の戦に嘉明は東軍に従って出征したが、留守に毛利勢3000が三津浜に上陸、河野氏の残党と松前城をうかがったが佃十成らの勇戦により撃退した。
関ヶ原の功により20万石となった嘉明は慶長8年(1603)松山城に移り、松前城は廃城となった。
・天保以降二の丸を耕地化し、余り土を盛った所が現在地である。
・明治42年耕地整理により様相は一変し、大正11年11月23日龍燈の松が倒壊して松前城を偲ぶものがなくなった。
・大正14年10月記念碑を建立し、昭和44年町に指定史跡となった。

●塙団右衛門

安土桃山時代の武将。出生は明らかではないが1550年頃、遠江に生まれたといわれる。名は直之、18歳の頃、織田信長に仕えた。義侠心に富み、友情は厚かったが、直情__、独断__するところがあった。やがて士分に取り立てられたが、酒豪で酒癖が悪く泥酔して人と争い傷つけたので追放された。
その後、京阪を徘徊していたが、ふとした縁で加藤嘉明に仕え、順次大功をたて累進し銃隊長となった。以来、嘉明に従って各地を転戦し大豪の士として認められるに至った。
数々の武功により禄千石を食むようになったが、____、嘉明の軍令を守らず、__の傾向があったため、嘉明に「生涯人の将たり得ず」と罵られて激怒し、床柱に「遂不留江南野水 高飛東海一閑鴎」と墨書して松前を去った。松前を去るにあたり、団右衛門が城を懐かしんで小川の橋の上に佇み、名残を惜しんだ石橋が平田東助撰文の「義農頌徳碑石」であると信じられている。
流々の後、豊臣家に仕え、大阪夏の陣では部下3000余騎を率いて勇戦奮闘したが、元和元年(1615)5月敗死した。

筒井門柱礎石【松前町筒井 善正寺】

・町指定史跡
・正方形の御影石2個から成る。
町指定無形文化財

町指定天然記念物

その他の文化財

史跡探訪
城址

遺跡

出作遺跡【松前町出作】

古墳

跡地

中村草田男寓居跡【松前町】

1994/7/1、1998/3/8
・松前港南西沿岸
・今はただ駐車場脇に石標だけが残るのみである。
「具寄風に乗りて帰郷の船迅し」

墨水小学校跡碑【松前町上高柳】


・明治6年11月9日、武市英俊は上高柳村長と相計ってこの地区に小学校を建てた。
・この学校は明治20年、村内統一まであったという。

鷲野南村塾跡 【松前町南黒田】

宗通寺より南へ。

義農作兵衛終焉の地【松前町】

1998/3/8
神社仏閣探訪
寺

吉祥寺【松前町出作84番地】

教明寺【松前町北川原182】

教深寺(きょうしんじ)【松前町大字大間330番地

金蓮寺(こんれんじ)【松前町西古泉65

西沼寺【松前町永田】

西沼寺(さいじょうじ)【伊予郡松前町恵久美(えぐび)267】

宗通寺【松前町北黒田】

1996/11/27, 2002/4/30
・山号:南光山
・院号:慈悲院
・宗派:真言宗智山派
・京都智積院の末寺
・本尊:十一面観世音菩薩
・開山・縁起不明であるが、真光寺(戦国時代に戦乱により焼失、現在では若干の礎石が貴布祢神社南方に残っているのみ)の塔頭(本寺に属する寺)の一つであったといわれている。
※我が家初の飼い猫「じん」(行方不明)を拾った所であり、思い出深い場所である。

性寺【松前町】

正寺【松前町筒井225

大智院【松前町筒井】

大念寺【松前町筒井】

長徳寺【松前町西古泉83】

天長寺  【松前町横田】

不動院【松前町西古泉58】

1998/3/8、2002/4/30、2003/6/29
・山号:岩本山
・寺号:松泉寺
・本尊:延命地蔵尊
・宗派:真言宗
・開基は推古天皇4年(596)修験道開祖役小角の末裔高麗僧恵慈上人渡来の時といわれ、護国山阿遮羅寺と称し、七堂伽藍八坊が建立され隆盛を極めたといわれる。持統天皇の691年、洪水により堂塔流失、本尊の地蔵尊は岩窟に難を避けたと伝えられている。
・神亀5年(728)行基諸国霊場巡拝の時、この岩窟に憩うと翁出で来たり当寺荒廃の由来を語り、堂塔再建を請い、突如襲来した暴風雨の中に消え去ったという。行基堂宇を再建し、岩窟あるにより「岩本山」、松林泉水あるにより「松泉寺」、地揺るがざるにより「不動院」と命名した。
・孝徳天皇の「勅命修験道場」指定を受け、松前城主加藤嘉明も篤く信仰した。近世末期には、修験道の権威・阿闍梨法印が居住し、呪術・霊力によって民衆の危難を救い、済度して尊崇されたが、不慮の災害にあい遷化して人々に惜しまれた。
・因みに修験道には、真言醍醐寺三宝院末の「当山派」と、天台聖護院跡末「本山派」の二派があり、松山藩内では当山派が圧倒的に多く、西条藩では本山派が圧倒的に多く、均衡を欠くが、松前地区では明治初年まで当山派5、本山派6であった。
・不動院、長徳寺、金蓮寺と寺院が連なる所を「寺町村」と称した。改畝は13町9反1畝24歩、村高は136石6斗1升8合であった。天和2年(1682)古泉村に編入するのであるが、効率の免(税)に苦しめられた。寛永12年(1635)より天和2年までの47年間を例にとると、村高以上の免をかけられた年が36回に及び、最も低い年でも「九ツ二ツ」であった。10石できれば9.2石が税である。しかし地域及び周辺の人々にとっては聖地であった。

本性寺【松前町徳丸】

1996/11/27
高忍比売神社の西側。

妙寛寺【松前町筒井宗意原1123】

神社

稲荷神社[稲荷大明神]【松前町西高柳】

伊予神社(いよじんじゃ)【松前町神崎】

岩崎天満宮【松前町永田】

蛭子神社【松前町本村】

恵比売(恵依彌)二名神社(えひめふたなじんじゃ)【松前町出作】

沖神社【松前町北川原松本】

義農神社【松前町 義農公園

貴布祢神社【松前町北黒田】

頭王神社 【松前町恵久美】

住吉神社【松前町浜(新立)468】

素鵞神社【松前町大字大溝字叶田】

素鵞神社(そがじんじゃ)【松前町大字東古泉一ノ関225番地】

素鵞神社(そがじんじゃ)【松前町大字大間天王】

素鵞神社(そがじんじゃ)【松前町横田】

高忍比賣神社(たかおしひめじんじゃ)【松前町徳丸】

瀧姫神社【松前町】

玉生八幡神社(たもうはちまんじんじゃ)【松前町西古泉】

鎮守神社【松前町永田】

天神社【松前町南黒田】

1996/11/27, 2002/4/30
・天慶5年(942)、筑紫の大宰府天満宮より勧請したと伝えられる。
・社殿南側に続く参道脇にはソテツの巨木がある。

境内社:淡島神社

境内社:午頭天王社

境内社:稲荷神社

境内社:庚申社

八幡神社(やはたじんじゃ) 【松前町筒井】

1998/3/8
・主祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
・配神:瑞穂建■命(義農神)、天照神(明治維新の際合祀)、豊受媛命、建速素戔鳴命、猿田彦命、天鈿女命、豊玉彦命
・貞観年間(859〜877)創立といわれ、明治12年村社となる。
・慶長年間(1596〜1615)松前城主・加藤嘉明が、数回にわたって社殿を造営した。
・その後、享保10年(1725)に神殿が改築された。本殿は流造瓦葺、16.8u(6坪)である。
・氏子はおおよそ250戸である。

和多津見神社【松前町北川原 塩屋】

御堂

塚

地蔵

自然・景観探訪
山
愛媛県で唯一、山の存在しない町だ!
樹木

雪勝桜【松前町 大智院

なんじゃもんじゃの木【松前町 亜熱帯植物園

川

大間の泉川【松前町大間】

2002/9/8
 
1大間部落を二分して流れる川が隅田川である。里人は大間川とも泉川とも呼んできた。その名の如く、泉水がこんこんと湧き出、水量が豊富で涸れることがない。
 昔は、両岸に松や柳が植えられ、清流とよく調和して風光明媚、特に有明橋での納涼岡田八景の一つになっていた。
   橋涼し人幾連れの夕月夜 浮世
 また、川岸には家ごとに洗い場(クミジといった)がつくられている。そこでは野菜や鍋釜の類まで洗っていた。
 有明橋袂の地蔵堂は、川での災難が起らないことを願って、建立したと伝えられている。以来、堂守りを決め、丁重にお祭りしている。
 盆には、地域独特の伝統火祭り行事がある。8月14,15日、日没から川に浮かべた麦藁に火がつけられ、村人総出で燃え上がる迎え火・送り火で祖霊を迎え、送るというものである。一方、有明橋上では108燈がともされる。
 地域の人々は、誇りに思ってきたこの川をいつの世までも保存しようと願っている。

有明橋

・有明橋の袂には延命地蔵尊がある。

有明公園

・泉の中には鯉が放流されている。

国近川

長尾谷川

ダンダラ川

神寄川(こよりがわ)

渓谷

滝

橋

風景

その他自然景観

福徳泉

おどろ泉

道探訪
峠

林道

碑探訪

正岡子規句碑【松前町高忍比賣神社

公園探訪 祭り・イベント探訪

義農祭(4/23)

秋祭り(10/14〜15)

施設探訪

愛媛亜熱帯植物園(窪田椰子園)【松前町中川原】

1993/12/26
・電話番号:089-984-2033
・休園日:年中無休
・開館時間:08:00〜17:00
窪田義直(くぼたよしなお)氏の個人経営植物園。
昭和10年頃、窪田氏が丹原町で1本の椰子の木を見つけて以来、私財を投じて約40年間集めて椰子園をつくった。
・1ha。椰子科植物 70種余り。カナリーヤシ、チャボトウジュロ、ブラジルヤシ、メタコイヤなど亜熱帯植物約56種が有る。
・昭和34年5月、椰子の模範栽培園として学術研究用並びに観光に供する目的で県指定、昭和44年22日、博物館法に規定する博物館に相当する施設として文部大臣より指定された。

なんじゃもんじゃの木

・県指定天然記念物

松前ふるさとライブラリ【松前町】

元気人村【松前町北黒田帰帆】

 ・電話番号 : 089-984-7771
  ・漢方薬草湯温泉
伝説探訪

山王原【松前町 JR北伊予駅付近】

・昔はこの辺りを山王原と呼んでいた。
・山王様を祀った祠があり、そこにはふすまと呼ばれる魔物が住んでいたという。また、首切り馬も夜中走っていたという。
・出作、神崎、鶴吉の三地区の人が毎年旧盆12日の夜に「お念仏」を唱えると、そのようなことは無くなったという。
レジャー・行楽
キャンプ

海水浴

塩屋海水浴場【松前町】

元気人村【松前町】

その他


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