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松山市:新玉地区 |
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街の木:キンモクセイ![]()
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うば桜【南江戸町5丁目 大宝寺】
・市指定天然記念物(昭和37年11月5日指定)
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地蔵寺(じぞうじ)【南江戸町】
・山号:猪谷山
・院号:十輪院
・行基の創営。延暦20年、桓部天皇
大宝寺(たいほうじ)【南江戸町5丁目】
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・山号:古照山薬王院
・宗派:真言宗豊山派
・本尊:阿弥陀如来
・大峰ヶ台(松山市総合公園のある山じゃね!)の南斜面に位置する。
・薬王院という院号が示すように、本尊を薬師如来とする信仰が古くからあったが、実は阿弥陀如来が本尊である。
・太宝元年(701) 国司 越智玉興(たまおき)の創立と伝えられる。
・開基を土地の角之木(すみのき)長者とし、地方住民によって維持されたとも云われる。
大宝寺本堂、附 厨子(1基)、棟札(1枚)
・国指定有形文化財[国宝](昭和28年3月31日指定)・本堂の建立は、その形式手法から鎌倉前期(平安末期?)と言われる。
・県下で最も古い和様の建造物で、桁行五間(10.65m)、梁間四間(8.85m)一重の寄棟造り、本瓦葺、格子天井、柱は全部円柱で隅柱の上にだけ舟肘木(ふなひじき)が用いられている。
・堂内に安置された厨子は三間、軒唐破風付(のきがらはふつき)、こけら葺で、寛永8年(1631)の作で、優れた手法である。又、貞享2年(1685)再興の銘のある修理棟札は、本堂とともに国宝に指定されている。大正10年に解体修理が施された。
阿弥陀如来座像
・国指定重要文化財
・木造寄木造
・一躯本尊
・藤原時代末期の作と見られる。
・坐高137.9cm
・伏し目、半眼、丸顔、緩やかに流れる法衣、膝を包む彫りの浅い衣紋等、宇治平等院を造った名匠定朝風である。
阿弥陀如来座像
・国指定重要文化財
・木造一木造
・一躯脇仏
・藤原時代初期。
・坐高68.2cm
釈迦如来座像
・国指定重要文化財
・木造一木造
・一躯脇仏
・藤原時代初期
・坐高83.6cm
愛染明王
息災、敬愛、降伏祈願の神である。
姥桜(エドヒガン、アズマヒガン、ウバヒガン)
速水句碑:「しだれ咲く 花の浄瑠璃 世界かな」
義郷句碑:「花見れハ 齢そのふる 世の人の 老ぬ薬や 桜なるらむ」
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朝日八幡神社(あさひはちまんじんじゃ)【南江戸5丁目】
1992/10/31
・電話番号:089-922-4468
・祭神:品陀和気命、帯中津彦命、息長帯比賣命、市杵島比賣命、多紀理比賣命、多岐津比賣命
・例祭:10月 6日
・社伝によると、はじめ足煩地主神を沼台に祭、沼戸明神と号し、その後、山城国で訓郡の山崎八幡宮を勧請し、山崎八幡宮と改称されたという。河野家代々の崇敬深く、神領を献じ、あるいは社殿を再建し、延文6年(1361)には、平範有が当社を沼台より今の地に移して社殿を新築したと伝えられる。
・加藤嘉明も慶長6年(1601)、城を松前から勝山に移してより、当社を深く尊宗した。
・朝日の差し込む美しい姿から、明治3年(1870)、山崎八幡宮を現在の朝日八幡神社と改称した。
・学問の神、交通安全の神、また神功皇后が三韓出兵の途中、身重の身体で立ち寄ったといわれることから安産の神として親しまれている。
山内神社(やまうちじんじゃ)【南江戸5丁目】
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・松山藩の忠臣、山内与右衛門久元を祭った神社。
・戦災により焼失したが、平成2年12月、往事の姿をとどめて再建された。
正岡子規の句碑:『西山に 櫻一木の あるじ哉』
吉重命霊社【南江戸町】
2003/4/12
・考古館から岩子山へ向けて細い山道を登ったところにある。
「大空城重臣 吉重命」の碑
・1985年[昭和60年]4月建立。
・1363年(貞治2年)此の里の頂に岩子山大空城という城が在った。 城主は健岩古命より三代山部蒿家公。当時中予一口郡の領主河野氏が堀江町の花見山に進出し、兵300をもって大空城に攻め込んだとき、城代家老軍師の宍草出羽守吉重公は父の出羽入道と共に防ぎ戦ったが、多勢に無勢にて父子供に切腹して果つと南北朝時代の戦乱の世に在って南朝の天皇に味方して戦った武将である。「葉は落ちて野末の散しとくちるともその根は枯れち春に栄えん」
貞治2年 9月 吉重
奉納歌碑
「奉納
願いごと 思ふがままに 導きて 萬の人を救い賜わん
身をもって 守りし城は 今はなき 昔を永遠に 語り伝えん
荒れ果てし 君の御霊は 今ここに 真心集い 石鳥居建つ
幸せを 此の世に命 ある限り 親子三代 後の世までも
石鳥居 社を建てし 世話役の 観音様に 顔もよく似て
昭和60年4月吉日 西谷政子55才」![]()
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姥桜(エドヒガン、アズマヒガン、ウバヒガン)【南江戸町 大宝寺】
・松山市指定文化財、天然記念物(昭和37年指定)
・根廻り 2.8m。高さは低いが枝張りが良く、その姿勢は美しい。
・松山地方では早く開花する種類で、彼岸桜の一種。
・名の由来は「姥桜の伝説」に基づく。
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松山市考古館【南江戸町】
1998/10/31
・電話番号:089-923-8777
・休館日 :月曜、祝日の翌日
・開館時間:09:00〜17:00
南海放送遺跡のはぎとり地層
古照遺跡復元
※1998/10/31
・平成10年度特別展「魂のゆくえ」
松山市総合コミュニティセンター【湊町7】
・電話番号:089-921-8222
姥桜の伝説【南江戸町 大宝寺】
・昔、ある長者(角木長者)が子供に恵まれず、松山の西山の麓、太宝寺のお薬師様に願かけをした。
・願いが叶って、女の子が生まれて、露(つゆ)という名前を付けた。
・大事に育ててきた乳母の乳が急に出なくなったが、お薬師様のおかげで治り、そのお礼に長者はお堂を建てた。それが太宝寺の本堂だという。
・お露は美しい娘に成長したが、15歳の時に病に罹り、乳母は我が命に替えてでもお嬢様を助けて下さいとお薬師様にお祈りした。その甲斐あって、お露は元気を取り戻したが、乳母はその約束だといって薬も口にせず、「お薬師様にお礼として桜の木を植えて下さい。」と言い残して死んでしまった。
・長者は乳母の言葉通り、桜を本堂の前に植えた。
・不思議な事に、桜は枝なしに幹から2〜3輪花が咲いた。その花の色は母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであったという。
・この話は明治時代にラフカディア・ハーン(小泉八雲)の手で英訳され、英国・米国で出版された「怪談(Kwaidan)」にも収められている。
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