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松山市:垣生地区 |
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街の木:ウメ![]()
大字 字 東垣生町(ひがしはぶまち) 西垣生町(にしはぶまち)
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鍵谷カナの墓【西垣生町 長楽寺】
・県指定記念物[史跡](昭和28年2月13日指定)
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村上霽月邸長屋門【西垣生町】
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・俳句の里 城西コース 6番
・垣生小学校(伊予鉄バス三島神社前停留所)の前に、松林を巡らせた門構えの村上霽月邸が有った。
・老朽化の為、惜しくも取り壊され、平成元年に長屋門が復元された。
・文人墨客の往来も盛んであった。
・バス停前には「村上半太郎翁頌徳碑」がある。
鍵谷カナ女頌功堂[頌功碑堂記念公園]【西垣生町】
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・昭和4年完成
・この地方は元、温泉郡垣生村今出(いまず)と呼ばれていた。今出は伊予絣の発祥の地と言われる。
・鍵谷カナは日頃より常に紡績に心を寄せていた。ある日、藁屋根の葺き換えのときに、藁屋根の押竹に白い縄目の跡が残っているのを見てヒントを得て、全く独力で絣を織ることに成功したという。(伊予絣の始祖)
・最初は、その地名により伊予絣と呼んでいたが普及するに従い、伊予絣と称するようになった。
・”嫁をもらうなら今出でもらえ 夜着もふとんもみな絣”
明治の中頃から大正時代にかけてこのような歌が歌われたという。
・明治27年には、全国生産の 26%を占め、全国 1位を誇ったこともあった。伊予絣は久留米絣、備後絣と並ぶ日本三大絣の一つであった。一筋一筋丁寧に藍で染め、丹念に織りあげていく伊予絣は、独特の暖かさと優しさが感じられる。
村上霽月の句碑
「朝鵙に 夕鵙に絣 織りすすむ」・俳句の里 城西コース 9番
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長楽寺(ちょうらくじ)【西垣生町1250】
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・宗派:新義真言宗 智山派
・新四国曼陀羅霊場44番札所
・伊予十二薬師巡り10番
・電話:089-972-3496
松風庵@
村上霽月が時々句想を練るのに使用した。
ミニ西国三十三霊場 12番近江岩間寺A
西垣生町の町中にはミニ西国三十三霊場としてお地蔵さんが多数点在しとるんよ。
六地蔵尊B
鍵谷カナ女之墓C
・県指定史跡(昭和28年12月25日指定)
鍵谷カナ嫗顕彰歌碑
長楽寺石柱D
・句が刻まれている。
辯財天堂E
稲荷神社F
薬師堂G
長楽寺 大師堂 N
長楽寺大師堂
+――――――――++――+ |↑|
| G @AB|| ■ | | |
| F |+――+ | |+―――+
| E C | | || ■|
| |D | ||鍵谷堂|
| | | |+H――+
+――――――――+ | | 鍵谷カナ頌功碑堂記念公園
鍵谷カナ女頌功堂
・昭和4年
★頌功堂のある場所には、もと「天王寺」があったのだろうか?伊豫かすり会館の展示パネルにはそう書いてあるのだが....
村上霽月の句碑H
『朝鵙に 夕鵙に絣 織りすすむ』
・俳句の里散策コース14番→城西コース 9番
・さわやかな秋の頃、朝に夕にけたたましく百舌が鳴く。その声に励まされて、ひたすら絣を織り進めている。
鍵谷嫗顕彰歌碑
『やちとせも いで湯の誇 伊豫絣』
『花木槿 家ある限り 機の音』 子規
『おもしろや 紙衣も着ずに 編む世なり』子規
飛白織工労姫命の碑
★伊豫かすり会館の展示パネルに書いてあったが未確認。三島神社に在る?
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恵比須神社(えびすじんじゃ)【西垣生町】
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・昭和49年1月建立
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|◎ ■ ■ ◎ +──
| +─+ 碑|
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| 松 井 松 |
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奥土居神社(おくどいじんじゃ)【東垣生町】
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・春祭は 5月1日で、祭典、神楽奉納が行われる。
・安産の神を祀るという。
・1994年、葺き替えを行う。
住吉神社(すみよしじんじゃ)【西垣生町1369-1】
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・景観樹林保護地区 協定番号 18号(昭和53年4月25日)
菅原道真公一千年記念碑
・明治35年3月25日建立
三島神社(みしまじんじゃ)【西垣生町1227-1】
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・景観樹林保護地区 指定番号3号【境内末社】
幸神社(さいじんじゃ):幸せの神
産神社(うぶじんじゃ):お産の神
鷺神社:病気治癒の神
白山神社:縁結びの神
稲荷神社
疫鎮神社(えきしめじんじゃ)
松尾神社:酒造の神
遥拝所
・垣生小学校より移した。
村上霽月の句碑
「初暦好日三百六十五」 ・俳句の里 散策コース12番→城西コース 7番 「酔眼に 天地麗ら 麗らかな」 ・俳句の里 城西コース 8番
村上半太郎翁頌功碑
八塚先生石碑
西村央翁頌徳碑
・西村央はもと垣生村村長。
村上霽月邸長屋門
・俳句の里 散策コース 12番→城西コース 6番
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ミニ西国三十三霊場【西垣生町】
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・垣生の街角の所々に、地蔵がひっそりと建っている。
・毎年1月上旬に公民館の前に皆が集まり、三十三霊場巡りを行う。
・お参りの後は公民館で暖かい七草粥で身体を温める。
・松山市役所垣生支所の正面に地図がある。
( 1).那智山 ( 2).紀三井寺 ( 3).粉河寺 ( 4).槙尾寺 ( 5).葛井寺 ( 6).壺阪寺 ( 7).岡寺 ( 8).初瀬寺 ( 9).南円寺 (10).三室戸寺 (11).上醍醐
観音堂(12).岩間寺 (13).石山寺 (14).三井寺 (15).今熊野 (16).清水寺 (17).六波羅密寺 (18).六角堂 (19).革堂 (20).善峰寺 (21).穴太寺 (22).総持寺 (23).勝尾寺 (24).中山寺 (25).清水寺 (26).法華寺 (27).書写寺 (28).成相寺 (29).松尾寺 (30).竹生寺 (31).長命寺 (32).観音寺 (33).谷汲山
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鍵谷カナ頌功碑堂記念公園【西垣生町】
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・今出は伊予絣の発祥の地である。
・鍵谷カナは天明2年(1782)、温泉郡垣生村今出に生まれた。
・鍵谷カナは、日頃より常に紡績に心を寄せていた。
・ある日、藁屋根の葺き換えのときに、藁屋根の押竹に白い縄目の跡が残っているのを見てヒントを得て、全く独力で絣を織ることに成功したという。
・最初は、その地名により今出絣と呼んでいたが普及するに従い、伊予絣と称するようになった。
・ ”嫁をもらうなら今出でもらえ 夜着もふとんもみな絣”..と明治の中ごろから大正時代にかけてこのような歌が歌われたという。
・明治27年には、全国生産の 26%を占め、全国 1位を誇ったこともあった。
・伊予絣は久留米絣、備後絣と並ぶ日本三大絣の一つであった。
・一筋一筋丁寧に藍で染め、丹念に織りあげていく伊予絣は、独特の暖かさと優しさが感じられる。
・鍵谷カナは、元治元年(1864)5月28日、82歳で逝去した。
今出(いまづ)【松山市西垣生町】
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