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松山市:坂本地区 |
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街の木:キンモクセイ![]()
大字 字 久谷町(くたにまち) 浄瑠璃町(じょうるりまち) 窪野町(くぼのまち)
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八坂寺層塔【浄瑠璃町】
・市指定有形文化財(昭43年10月25日指定)
八坂寺宝篋印塔【浄瑠璃町】
・市指定有形文化財(昭和43年10月25日指定)
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クスノキ【窪野町 正八幡神社】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)
イブキ【浄瑠璃町 浄瑠璃寺】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)
葛掛五社神社社叢及び蛇の釜並びに龍王渕衝上断層【久谷町 葛掛五社神社】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)
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小倉城【久谷町】
「小倉」(予陽郡郷俚諺集)
真城(新城)【久谷町】
「新城 久谷」(予陽郡郷俚諺集)
徳川城【窪野町】
「徳川城 窪野、平岡孫兵衛」(予陽郡郷俚諺集)
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石仙寺【久谷町】
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・山号:大本山
・院号:不動院
・宗派:真言宗久谷派
・ぽっくり観音
・新四国八十八ヶ所
浄瑠璃寺(じょうるりじ)
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・四国八十八ヶ所霊場第46番札所
・所在地 :愛媛県松山市浄瑠璃町327
・電話番号:089-963-0279
・山号 :医王山
・宗派 :新義真言宗豊山派
・本尊 :薬師如来 (県指定文化財)
・開基 :行基菩薩
・ご利益:病気平癒
・交通:伊予鉄バス浄瑠璃寺前下車すぐ
・景観樹林保護地区 37号・和銅元年(708)、行基が薬師如来を刻み本尊として祀ったのが始まりとされ、寺号の由来は本尊の別名瑠璃光如来にちなむ。
・一願弁天は知恵と芸術の守護仏としてあがめられており、1つの願い事を叶えてくれるという。
・養老5年(721)開創という。「医王山浄瑠璃寺 同所(荏原)、 」(予陽郡郷俚諺集)
宝筐印塔
・市指定文化財
アベマキ
・胸高幹周 2.5m
イブキビャクシン(柏)
・樹齢1000年といわれる。
正岡子規の句碑
「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」
・俳句の里 城南コース 11番
平岡遠州の墓
「…此寺に平岡遠州の墓あり(平岡氏の子孫は周防にあり、時々参詣したる由なり)、」(予陽郡郷俚諺集)
八坂寺(やさかじ)
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・四国八十八ヶ所霊場第47番札所
・所在地 :愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773
・電話番号:089-963-0271
・山号 :熊野山
・宗派 :真言宗醍醐派
・本尊 :阿弥陀仏如来 (県指定文化財)
・開基 :役行者小角・伊予十三仏霊場第10番
・大宝元年(701)、越智玉興が文武天皇の勅願により創建した古刹である。
・本尊の阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代、源信の作と伝えられる。
・この他、鎌倉時代作の印塔がある。
・並木の所々に残っている一筋の参道は、旧三坂街道につながっている。「湯谷山妙建院八坂寺 同所(荏原)、 本尊阿弥陀、縁起詳かならず、山伏持のよし」(予陽郡郷俚諺集)
木造阿弥陀如来坐像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻]
層塔
・市指定文化財(昭和41年5月指定)
極楽門/極楽橋
・1994年(?)に完成。
・小川に架けた橋と山門が一体となっている。
・橋と山門は、本尊のある本殿の東側に位置し、西方浄土がうかがえる。
・長さ約3.5m、幅約2mの橋には、大島の御影石を使用し、両側の石板に水鳥と蓮が刻まれている。
・門は高さ約5m、幅約2m、奥行き約3.5mで、桧と欅を使用。唐破風(からはふ)の銅板葺き屋根が奥まで続き、門の天井には来迎絵図が描かれている。
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生目神社(いきめじんじゃ)【浄瑠璃町】
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★八坂寺の手前から左に向けて、細い田の畦のような道をひたすら歩いていく。
・山の裾に沿って長い長い山道を登っていく。何m登ったことだろうか。足が棒のようになったと思った矢先、生目神社の鳥居が見えた。その向こうには白い霞に曇った松山平野が広々とした青い空の下に広がっている。
★生目神社は目の病気を治す神様らしい。社殿の向こうには何枚も「目」と書いた紙が張り付けてある。何枚かに目を通してみると、どうやら自分の歳の数だけ目という文字、あるいは目玉の絵を描いて奉納すると御利益があるらしい。早速、手持ちのペンと紙にて実践に移してみる。
六地蔵尊
葛掛五社神社(かつらかけごしゃじんじゃ)【久谷町甲1717】
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・古来、古社と称していたが、文武天皇元年(698)に、越智玉興が大和国葛城山より一言主神を勧請したもので、河野家葛城の城主は代々崇拝し、干魃の際には祈祷所とした。
社叢林(市天然記念物、昭和41年5月11日指定)
・イチイガシ群落、イチイガシ×5、ウラジロガシ×5、カゴノキ×6、ヤブツバキ×2
・高木層は、イチイガシが優占し、カゴノキ、ウラジロガシが混生する。
・いずれも幹周300cm前後の大木が含まれている。県内ではイチイガシは稀に社叢林などに生育しているが、群生は少なく、この社叢林は貴重な群落といえる。しかし、以前に比べると樹勢は衰えている。
金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)【久谷町出口】
2004/2/7
金平花大明神
正八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)【窪野町】
2000/3/5
・祭神:玉依比女命、品陀和気天皇、帯中比古天皇、息長帯比売命
・拝殿内部の由緒書きによれば「延久2年8月15日、伊予国司源朝臣頼義故アリテ山城国石清水正八幡宮ヲ勧請 窪野正八幡宮ト号シ奉献リ円福寺宮坊ヲ以テ別当トシ神領田ヲ寄進アリ 仁平3年正月源三位頼政心願アリテ領内産土神窪野八幡宮神殿再建シ社領久米田及別当社僧読経料水田寄進アリ 元久2年閏7月27日河野伊予守通信一族弥熊三郎頼重ニ命ジテ浮穴郡荏原郷窪野八幡宮神殿修補 弘安4年蒙古退治御祈願成就ノ時国守河野通有 河野通純ニ氏神殿修補 神領若子寄進アリ 延元2年3月8日征南将軍宮満良親王御祈願ノ文中荏原郷内窪野部百貫ノ地御寄進ノコトアリ 天文12年癸卯年8月吉日河野伊予守通宣ノ奥方乙丑年女大願ニ依リ筆写ノ大般若経全部奉納今尚現存セリ」
日露戦役凱旋紀念碑
クスノキ
・市指定天然記念物(昭和41年5月11日指定)
・樹齢約600〜700年
・根回り約8.5m、目通り周囲6m、樹高20m
山口霊神【久谷町】
2004/2/7
・拝殿内部には、「松山八百八狸 刑部 正三 窪野町 谷口増巳」の額が掛けられている。
・山口霊神拝殿天井梁部に掲げられた「狸碑建立費寄附者名」(昭和41年4月29日)には、「久谷部落」、「狸碑撰文 富田狸通」、「石工 相原誠鳳」などが見える。
・寄附者氏名には、相原、高市、武智、光田、渡辺、片岡、中川、野口...等の姓が見える。
松山騒動...の碑
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月見大師【浄瑠璃町】
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・久谷中学校の南に「月見大師」を祀ったお堂が建てられている。
・昔、遍路が浄瑠璃町のある家に泊まっていたとき、月光のさえる中で東の方に人が立っているのを見つけた。何とそれが弘法大師であったということで、「もったいないことじゃ。ありがたいことじゃ。」と拝むと、大師の姿はパッと消え、そこには丸い月の形の石が残っていた。その石には「月見弘法大師」と刻まれており、後にそれが月見大師となって、盛んにお祭りが催されたが、ある年この縁日でチフスが流行し、それが原因でさびれてしまったという。
・当時建てられたお堂は台風の影響でなくなり、長らく石は野ざらしの状態であったが、農道整備のため移転が余儀なくされ、現在のお堂に移されている。
・現在のお堂は 1994年4月29日に落成した。→(「ふるさとみてある記−月見大師」、広報まつやま)
馬頭観音【久谷町】
・馬頭観音は、顔が3つ、手が6本もあり、その頭の上には馬の頭が正面を向いている不思議な観音である。
・県道三坂松山線は国道33号線が開通するまでは久万・高知方面に行き来する旅人の旧街道として多くの人や馬が通っていた。その旅人や馬の無事を祈り、また村に住む人を天災や病気から守るために祭られたという言い伝えが残っている。そのためか待ちの入り口と出口にあたる場所に見られる。
・この石仏を地方によっては「めずかんのん」と呼んでいる。いつの時代に祭られていたかは不明だが、現在、榎、桜、奥久谷、久谷中組など周辺に8体ほどの馬頭観音が確認されている。
「油石 久谷村、 三坂往還端にあり、」(予陽郡郷俚諺集)
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網かけ石(鯨石)【久谷町】
・昔、農作業の邪魔になる二個の岩を村人総出で動かそうとしたけんど、びくともせんで困っておった。そこへ丁度通りかかった弘法大師が網を被せて棒で担って運ぶ途中、棒が折れてひとつは後ろの川に落ちてしもうて、もうひとつが今の場所に残ったと言われとらい。
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[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous Information Laboratory]
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