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松山市:八坂地区 |
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街の木:ツツジ![]()
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ニッポンタチバナ【北立花町 井手神社】
・市指定天然記念物(昭和42年5月24日指定)
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井手神社(いでじんじゃ)【北立花町2丁目4】
1998/9/27
・祭神:大山祗神
・電話:089-931-6384国土守護、開運、交通安全、農業、林業、酒造の神
木花開耶姫神安産守護の神
正一位橘諸兄公(たちばなのもろえ)出世開運の神
橘嘉智子皇后(檀林皇后)
橘諸兄は橘氏の祖であり、左大臣(現在の総理大臣に相当)になった。「井手の左大臣」とも云われる。災難除けの神
橘清之公
嵯峨天皇皇后で、、仁明天皇妃、淳和天皇妃の母でもある。開運の神
橘諸兄の孫
・交通:伊予鉄バス河原町下車3分
・ご利益:学業成就、開運厄除け、安産守護
・例祭:1月15日 初天神祭
5月1日 春の大祭
・五穀豊饒、安産の神を祭る。・往古は石手川の南側に社地が在ったが、慶安に今の地に移した。
・橘清友が当国の国司であった時に、この地に別荘を建て、先祖の霊を合祭し、井手大明神と称していた。その当時、夫人が妊娠し、木花開耶姫の霊徳を崇み、社地の砂を取り、産床の下にまき、その結果安産となった。この娘を嘉智子と名付けた。嘉智子は成長して嵯峨天皇の皇后となった。
・また、文政12年甘露寺大納言国長の女典妍子が妊娠した。社地の砂を献上することにより皇子を安産した。
・天保2年正親町中納言室光の女權典雅子が妊娠したときも、同様に献上することで、皇子■■を安産した。
境内社:素鵞神社/稲荷神社/祖神社
針塚
境内社:天満宮
・末社
・学業成就、交通安全の神を祀る。
・天満宮は松山市の天神さんとして古来有名な所であった。
・祭礼(明治期は旧暦6月25日、現在は7月24,25日)には賑わい、字が上手くなるようにと、人々は競って大文字の墨書を奉納した。
正岡子規句碑
「薫風や 大文字を吹く 神の杜」
・俳句の里城下コース23番
・昭和45年1月25日俳人有志建之
・明治30年(1897)の句。「俳句稿」、天文の部に「立花天神祭礼」と前書きしてこの句がある。
筆塚
・昭和45年11月25日俳人有志建之
「天満宮一千年祭紀念」碑
・古富卓謹書
・明治45年4月
河野通有公像
・平成7年5月建立
・「今から七百十余年前の弘安の役(1281)において国の安泰を護った伊予国久米郡石井郷の豪族河野通有公の功績を讃え「平和の象徴と史跡顕彰の一助にとその石像を建立する計画が故丹辺元氏(河野家末裔・元井手神社責任役員)、故横田政春氏(先代宮司)外数君の方々で進められ、建立場所の選定等協議の結果、井手神社に祀られる大山積神、木花開耶姫命は河野家とは御縁の深い神々であり当社玉垣の内がふさわしいのではと結論し、心を新たにして多数の方々にご賛助を仰ぎここに建立の運びとなった。」と記している。(謹書は正一位井手神社宮司横田政昭)
境内社:祖霊社(祖神社)
・末社
・芸術工芸の神を祀る。
市指定天然記念物:ニッポンタチバナ
・昭和42年5月24日指定
・和名:ニッポンタチバナ (ヤマトタチバナ)
・ミカン科の常緑小高木で、通常2〜4mの大きさになるが、この木は5.5mもある。 幹廻り70cm、樹齢は約150年といわれている。
・秋には直径 3cm位の実をつけ、ユズのような香りがする。酸っぱくて食用にはならない。
・また、6月頃には白い五弁の花を咲かせる。たちばな小学校の校章や文化勲章はこの花を象ったものである。
・柑橘類の多くが外国から輸入されたなかにあって、この種は日本の固有種であり、静岡県、愛知県、和歌山県、山口県、四国、九州の海岸地方に稀に自生しているといわれる。
・室戸岬の最御崎寺附近の山腹に自生のものは国の天然記念物に指定されている。
・ニッポンタチバナの実は、直径3cmぐらいの大きさで、ユズのような芳香があるが、すっぱくて食用にならない。
松山市保存樹木:イチョウ
・協定番号第28号(協定年月日:昭和52年12月27日)
・樹齢:300年
薄紅寒桜
・この桜は台湾や沖縄の緋寒桜と日本桜の自然交配により生まれた桜で、世界中で松山附近だけにしかない。二月下旬頃から咲くので早咲き吉野とも呼ばれる。
・松山山越の天徳寺の孝子桜(十六日桜)はこの桜と同じものであったが、戦災で焼けてしまい、今は代わりの桜が植えられている。
手水槽
・「文久二年壬戌五月」の銘有り。
金刀比羅宮松山分社(ことひらぐうまつやまぶんしゃ)【新立町】
2004/2/14
・電話番号:089-931-6770
・秋の大祭:11月9日
正岡子規の句碑
『新立や 橋の下より 今日の月』
・俳句の里 城下コース
・明治28年秋の句。
・新立橋は蓬莱橋と呼んでいた。寛政元年(1789)に架けられた橋で、長さ35.5m、幅 4.5mであった。
多賀神社(たがじんじゃ)【新立町4-23】
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・電話番号:089-933-2241
・祭神:伊弉諾尊(伊邪那岐命)、伊弉冉尊(伊邪那美命)
・ご利益:延命長寿、夫婦和合、縁結び
・交通:伊予鉄バス新立下車徒歩2分『 馬をさへ なかむるゆきの あしたかな 』
松尾芭蕉の句碑
・俳句の里 城下コース 21番)
・天保14年(1843)、芭蕉150回忌に際し、久万讃岐街道の風物を偲んで建立した。
・貞享元年(1674)の作で、「野ざらし紀行」に出ている。
・熱田滞在時に作った句である。・6月30日
わごし
さくら幼稚園
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極楽道観音堂【永木町】
2004/2/14
極楽道観音堂の由来
今を去る三百四十年余の昔。寛永の頃松山城主は領民の安泰と繁栄を祈願するため城下七ヶ所に観世音菩薩を安置したその一つがこの観音堂であります。
昔し罪を犯した死罪人が立花町の刑場へ引かれて行くときにこの前を通りお参りずると菩薩のご慈悲により罪一等を減しられその一命を助けられたと言い伝えがあり、昔から霊験あらたかで、一般の尊信あつく当時は立派な本堂や通夜堂も建立されていたが時代の変遷とともに建物は老朽化し明治四十年頃信徒により小堂が建立されていたが昭和二十年七月の戦災により焼失しました。
この本堂は昭和三十六年町内有志の世話人により一般からの浄財をもつて再建されたものであります。昭和五十年五月永木町一丁目町内会
永木町コミニテイ活動推進委員会
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