伊豫の隅々

美川村(Mikawa Village)


このページの最新更新年月日は 
2003年8月9日
です。

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).「人と自然の創る健康の村」
(2).「文化の里」

選定モノ
村の花 村の木 村の花木 村の鳥

特産物

インフォメーション
美川村役場  (TEL)0892-56-0211

沿革
1989年「全国美しい村サミット」開催〜1999年「美し村(うましむら)連邦」発足。→2003年10月3日解散
・茨城県美和村、美浦村
・長野県美麻村
・岐阜県美並村
・三重県美里村、美杉村
・和歌山県美山村
・岡山県美甘村
・徳島県美郷村
・愛媛県美川村
字と地名探訪
 
 
大字
有枝(ありえだ)
大川(おおかわ)
上黒岩(かみくろいわ)
黒藤川(くろふじかわ)
沢渡(さわたり)
仕出(しで)
中黒岩(なかくろいわ)
七鳥(ななとり)
東川(ひがしかわ)
日野浦(ひのうら)
文化財探訪
国指定有形文化財

山中家住宅【美川村上黒岩】


・国指定重要文化財(昭和45年指定)
・もと宇摩郡別子山村にあったものを、「岩陰文化の里」に指定された美川村が譲り受け、昭和51年に上黒岩に移築し、上黒岩遺跡とともに保存活用を図っている。
・建築年代は 18世紀中期から末期頃と推定され、茅葺き屋根で古風な佇まいの家の中には農機具などが収められている。
・茅葺入母屋造り平屋建て。
・面積約114u。屋根面積は約236u。
・平成11年(1999)、茅葺き屋根修復工事着手。
国指定無形文化財

国指定無形文化財

国指定天然記念物

県指定有形文化財

県指定無形文化財

県指定天然記念物

村指定有形文化財

村指定無形文化財

村指定天然記念物

その他の文化財

史跡探訪
城址

石本城【美川村大川】

梅木右馬之亟とその子彌九郎が居城。

錢居城【美川村日野浦】

菅新左衛門が居城。

鷹森城【美川村七鳥】

越智帯刀が居城。
遺跡

上黒岩岩陰遺跡【美川村】

古墳

跡地

純信の墓所【美川村東川】

2001/11/10
・よさこい節「....坊さんかんざし買うを見た....」のモデル・純信の墓所。
 
土佐民謡『ヨサコイ節』の主人公
僧 純信の墓所
文政2年 土佐市市野々 江渕要作の二男に生まれ、長じて竹林寺南坊妙高寺住職になった。
安政2年37才の時、17才のおうまと恋仲になり関所を破っての逃避行が国外追放の処分となって川之江に至った。寺小屋の師匠として教養人として生活を送っていたが、一年半で川之江から消息を断った。
 明治初年、中田與吉と名乗って当地の東川に転住した。娘サダヨに養子尾かもと寅吉郎を迎え子孫は繁栄している。
 明治21年9月29日 69才で没す。当地東光寺の過去帳に「慶應徳念和尚」に連記してある「僧禅之」の記事が、川之江から画家河田小龍に託したおうまへの手紙の末尾にかかれた「せんなり事 岡本要」とある「せんなり」とが符号することと、当地に残る数々の伝承との一致から、中田與吉こそ僧純信であると断定した。純信この地に眠る 合掌
発見者 土佐市市野々 矢野安民氏
執筆者 土佐市立図書館長 森喜一郎先生
昭和61年3月 美川村教育委員会
神社仏閣探訪
寺

山中家住宅近傍。河原沿いにある。
御堂

塚

地蔵

鳥畑地蔵【美川村東川 アオツエ】

2001/11/10
自然・景観探訪
山

大川嶺【美川村大川瀬】

中津明神山【美川村/柳谷村/高知県 吾川村】


石祠
・「天保3年(1832)壬辰6月25日 久主村中五良兵衛」
燈篭
・「嘉永7年(1854)寅六月吉日 村中安全 天太夫」

二箆山【美川村/高知県 池川町】

2001/11/10
・標高 1258.7m

猿楽石

猿楽大師堂

三光ノ辻山【美川村/面河村/高知県 池川町】

四辻ノ森【美川村/面河村】

樹木

双生矢竹【美川村黒藤川 二箆】

万年松【美川村七鳥】

川

面河川【美川村】

直瀬川【美川村七鳥】

東川川【美川村東川】

前川【美川村黒藤川】

ビキイシ谷川【美川村黒藤川 二箆】

大川川【美川村】

渓谷

滝

橋

風景

その他自然景観

道探訪
峠

くるすの峠【美川村/面河村】

色ノ峠【美川村】

ほうじが峠(法事ヶ峠)【美川村/小田町】

林道

林道 水押イショブネ線

2001/11/10
・幅員 4.0m、延長 12.5km

林道 蓑川線

林道 赤蔵ヶ池線

林道 平井線

2003/8/2

農道 蓑川線

農道 置俵線

碑探訪

双生矢竹【美川村黒藤川 二箆】

万年松【美川村七鳥】

 
公園探訪

祭り・イベント探訪

施設探訪

道の駅みかわ【美川村上黒岩】

2001/8、道の駅に指定。

農村活性センターみかわ

2001/8/12
国道33号線沿い。
・営業時間:09:30〜18:00
・休日:月曜日
・美川村特産品販売所、レストランがある。
伝説探訪
 

矢竹【美川村黒藤川 二篦】

2003/8/2
黒藤川の二篦にこんもりとした竹林がある。双生矢竹として有名である。
この竹は昔、京の都で快鳥ヌエを退治した時に矢柄として使われたといわれ、篦は矢柄の意味で、これが双生することから二篦の地名が起きたといわれる。
 
双生ヤダケ
 伝説では、源三位頼政が800年の昔紫宸殿(ししんでん)の怪物鵺(ぬえ)(=[空鳥])を射落し大功を立てた。
 その矢は二箆の赤蔵ヶ池(あぞがいけ)に隠棲の母親が二箆の矢竹で造ったものだった。
 母は池の主竜王に子の立身を一心に祈願、鵺に化身して久万山の夜霧に乗って京に飛ぶ
 紫宸殿に頼政が鵺を射落すと二箆赤蔵ヶ池の水が真赤になったという。
 二箆とは二(ふたつ)箆(の)で、箆は矢竹の意、その二つの矢竹が地名となった。ここの矢竹は節のそろった竹が二本ずつ出来るので双生矢竹、夫婦竹といわれる。
ヤダケの特色
1.笹の一種で竹の種類ではない。
2.皮が竹のように落ちないで、いつまでもついている。
3.一節から枝が左右に出る。どの枝も同じ方向で出るので扇形をしている。
4.葉がしのべ竹より広くてつやがよい。
所有者 美川村
文化財指定 昭和48年2月21日
美川村教育委員会

★双生矢竹の保存地は、黒藤川方面から登る道を進み、二箆の集落の入り口にある。
★赤蔵ヶ池まではここから5.9km。
★以前は、二箆小学校にも双生矢竹が生えていたらしいが、現存しないとのこと。

源頼政の鵺退治【美川村黒藤川 二篦】

 頼政の母は、寺町加賀守宗綱の女である。宗綱伊豫親王の子浮穴四郎為世の孫であり、京都にて任官し、加賀守となった。
 母はいつも「我が源家は清和天皇の末裔で次々と武将を生み出し、その威厳は他家に匹敵するものなし。しかし今や平氏が我が家の威厳を奪い、源家一族は衰退の一途を辿っている」と考えていた。都に居て平氏の栄華を見聞きすることは忍ばれないと家綱に依って当国にやってきて、二箆に移り、幽居した。
 そこには、矢竹にするのに丁度良い双生の竹があった。この竹を伐り矢を作ったことが二ツ野の名の由来という。(何時頃から二箆という字をあてるようになったのだろうか?)
 母も自ら矢を作り、京都にいる頼政のもとへと送り、「射術は武勇のたしなみであり、これに勉めること」と次げた。やがて母は病に臥し、危篤状態に陥った。そのとき赤蔵ヶ池に住むという怪鳥〜猿の頭、狸の胴体、蛇の尻尾、虎の爪(肢)、声はトラツグミに似た〜が母のもとへとやってきた。そして夜に飛び去った後、今度は京都にこの鳥が出現した。天皇の寝室の上でやかましく鳴くので頼政を召して射るよう命じた。頼政は母の作ってくれた矢でこの鳥を見事に一発で射抜いた。時を同じくして、母は息をひきとった。それ以降怪鳥も赤蔵ヶ池に来ることはなくなったという。仁平3年4月7日の夜のことであった。

長者屋敷【美川村黒藤川 二篦】

源頼政の母の住居跡と伝えられる。二箆に2ヶ所有り。

七鳥の地名の由来【美川村七鳥】

以下の7つの鳥が生息することから名付けられたという。
@三光鳥〜"日月星"と鳴く
A慈悲鳥〜"慈悲"と鳴く
B三宝鳥(仏法僧)="仏法僧"と鳴く
C鴻鳳鳥(おおとり)
D鈴鳥
E濃志居婦鳥
F杜鵑(とけん)=不如帰(ほととぎす) ※この他、子規、蜀魂、思帰鳥、望帝などとも書く。

姥神さま【美川村】

レジャー・行楽
キャンプ

海水浴

その他
「伊予の隅々」インデックスページへ戻るトップページへ戻る

 
こたろう博物学研究所:KOMIL [KOMIL:KOtaro's Miscellaneous Information Laboratory] 

Copyright (C) Kotaro Iseki (1996〜2002). 
All rights reserved. 

ご意見・ご感想はkotaro@a1.mbn.or.jpまで