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野村町(Nomura Town)このページの最新更新年月日は |
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(1).「ミルクとシルクのまち」・かっては蚕糸業で全国にその名を知られ、生糸は伊予糸、野村生糸と呼ばれ国内外での評価が高かったが、近年では養蚕農家も激減している。(2).「ミルクとシルクとすもうのまち」「乙亥相撲も有名なんじゃけんの」ということで、(1).に「すもう」を付け加えたのだが、かつての語呂の良さが失われてしまった感があり、ちょっと残念。(3).「いなか・都会・野村町」
(4).「ふたつ季節のある町のむら町」
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町の花 町の木 町の花木 町の鳥 ツツジ ブナ
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野村町役場 (TEL)0894-72-1111
・藩政時代には宇和島藩に属した。
町名の由来:藩政時代の文献に「伊予国宇和庄須智郷濃村」「四陽予州宇和庄須知郷野村」の記述が見られる。
大字 小字 溪筋(たにすじ) 白髭(奥/中間/中/白岩)、松渓(上/上中/下中/下)、
鳥鹿野[とじがの](上/中/下)、旭(上/下)、長谷、
四郎谷(陰の地/日の地/古谷/中/上)、河西、出合中筋(なかすじ) 滝山、頭王、大成、保堂、更生、小滝、舟坂、金集、杉山、榎、
成城、柿木、岡、成穂、惣財久、平野上、沖成貝吹(かいふき) 中通川[なかとがわ]、大西、鎌田[かまんた]、栗木[くりのき](川平/本村)、西 横林(よこばやし) 奈良野、大成、堂野窪、松尾、河成[こうなる]、大領地、
坂石、高丸、長谷、汗嵐野村(のむら) 上野、山本、岡、中村、荒瀬、深山、芒ヶ原、木落[こおとし]、大田、
中屋敷、新町、本町[1丁目/2丁目/3丁目]、法正[ほうしょう]、愛宕、
岩村、馬地[うまじ]、片川、次の川[つがのかわ]、古市、石久保、下氏宮、上氏宮、
竹ノ内、三島町、伊勢井谷、双津野、久保谷、峰、権現、緑ヶ丘、
下野、大暮[おおぐれ]、前石[さきいし]、阿下[あげ]、釜川旭、植木、岡成、
道野々、蔵良本村、中野、平治、手都合惣川(そうがわ) 協和、大窪、台、知野、龍徳、千代田、中久保、稲谷、天神、西下、西上、
寺上、寺下、奈良野、竹崎、藤之内、三島、平野、宮之成(下/宮之成/上)、
伊予之地、都、榎木、川久保、色納、大和、通、昭和、大久保、小松、寺山
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泉貨紙(せんかし)【野村町】
・国選択文化財(記録作成等の措置を構ずべき無形文化財、昭和55年4月4日国選択)
・今から 400年ほど前(慶長2年)に亡くなった兵藤太郎衛門道正(泉貨居士)の発明した泉貨紙は、昭和の初め頃まで全国的に用途も広く、現在のパルプ紙が発明され大量に生産されるようになるまで、重要図書、帳簿類、容器、雨具などに使用されていた。
・元禄初年に紙問屋が官営となり、同時に泉貨紙や杉原紙など自由に販売することが禁じられた。しかし弘化4年(1846)当時の記録によれば、野村組(野村、渓筋、中筋、貝吹)で 864人。山奥組(城川町惣川、横林)で 524人の紙漉業者がいたとある。
・太郎衛門は鎌田ヶ城主土居四郎勝正の孫で宇和郡の旗頭西園寺公広(宇和町の松葉城主)に仕え、若干18歳で功をたて「兵頭氏」の号を賜う。氏は晩年になって楮にトロロを混ぜ2枚合わせの厚手で丈夫な紙を漉くことを考案した。これが「泉泉紙」の起源である。
・泉貨紙は大正時代が最も盛んに漉かれていた。
・泉貨紙は13の工程を経て漉き上げる立派な工芸紙である。その技術も 400年以上の伝統も今では、日本で唯一高瀬の菊池製紙だけとなった。@楮切り(かじぎり)・泉貨紙と並ぶ杉原紙は兵庫県加美町が町立和紙研究所をつくりその伝統と技術を大切に保存し、後世に引き継ごうとしている。
A楮蒸し
B楮へぐり
C楮乾燥・貯蔵
D石灰水による煮沸
E楮さらし
F楮打ち
Gホゼ入れ
Hトロロ入れ
I紙漉き
J圧搾
K乾燥![]()
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泉貨居士の墓【野村町野村 竹ノ内 安楽寺】
2003/8/24
・所有者:土居一男
・県指定文化財(史跡、昭和24年9月17日指定)![]()
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小屋の羅漢穴(らかんあな)【野村町大字小松】
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・えひめ自然100選
・県指定天然記念物(昭和36年3月30日指定)
・所有者:中本文江
・延長388mの鍾乳洞。数百のドリーネから成る。
・洞内に林立する鍾乳石が五百羅漢に似ているから「羅漢穴」と名付けられたのであろう。
★小学校5年生んときには、野村町少年自然の家でキャンプして、ほして羅漢穴ん中へもぐりにいったもんよ。「ロープ持っとかんと、洞窟ん中で迷うてしまうぞ」と先生に脅されてこわごわ入っていった記憶が蘇らい。いっぺん入ったら、ジャージも靴もドロドロんなる。よそ行きの服装で行くとこじゃないわい。![]()
白木ヶ城跡(しらきがじょうあと)【野村町片川】
・町指定史跡
・宇都宮氏の本城。
・城跡からの出土品が多い。
・山裾の古市は当時城主の居館が置かれた城下町であった。江戸時代以前はここが野村の中心地であったという。
首無し馬の伝説
上城跡【野村町溪筋 松渓】
鎌田城跡【野村町渓筋 鳥鹿野】
・町指定史跡
竜ヶ森城跡【野村町野村 阿下】
・町指定史跡
・宇和西園寺15将の魚成氏の居城。
・山頂から段々仕切られた郭になっている。
岩村将監の墓【野村町貝吹 栗木】
・町指定史跡
・城川町の三滝城の城代家老で、猿滝城主を兼ねた岩村将監の墓。
五輪塔群【野村町貝吹 西】
・町指定史跡
・南北朝時代のものと推定され、この辺りに11基ある。
五輪塔群【野村町野村 阿下】
御番所跡【野村町中筋 高瀬】
・町指定史跡
・寛永年間、宇和島藩が大洲藩との境界に設けた関所跡。
御番所跡【野村町渓筋 白髭】
・町指定史跡
・慶長19年、宇和島藩が大洲藩との境界に設けた関所跡。
高橋玄蕃五輪塔【野村町予子林 松尾】
・町指定史跡(昭和39年12月12日指定)
・高橋玄蕃は道後湯築城主・河野通直の家臣で、越智郡高橋郷を治めていたが、天正13年河野氏滅亡後にこの地へと落ち延びて土着した。
・元和6年(1620)8月14日没。戒名は「高松院殿賢翁真徳大居士」。
大塚源十郎五輪塔【野村町中村】
・町指定史跡(昭和48年7月3日指定)
・中村墓地内にある。
・塔高約110cm。
・一ヶ森城主であった大塚源十郎の供養塔。白岩城、白石城、小振城にも拠った。
・通称「世柱様」
・大塚源十郎は、紀実平(さねひら)の孫・備前守通安(みちやす)の三男・長門守安親(やすちか)の別名。越智安親とも名乗った。
松溪経塚(まつたにきょうづか)【野村町溪筋 松溪】
・町指定記念物
・「入らずの山」と呼ばれる丘陵の斜面にある。
・鎌倉時代後期の徳治3年(1308)銘の経筒2個と経巻47巻が見つかった。
前嶽(まえがく)溝【野村町野村 慈眼堂】
・町指定文化財(1981年指定)
・野村町山本出身の徳山駒吉が建設した総長3545mの水路。
・宇和川(四郎谷出合)から野村盆地に水を引き込むため、1852〜1862年に私財を投じて測量・工事を行ったが水量不足であったため、宇和島藩(当時藩主は伊達宗徳)に直訴。1867〜1868に延べ11,895人を動員して完成した。
十一面観音像【野村町野村 次ノ川】
藩政時代の庄屋本宅〜土居家住宅【野村町惣川 天神】
・町指定文化財
船渡の森三島神社本殿【野村町惣川 三島】
神像(三島神社)【野村町渓筋 白髭】
一字一石像【野村町横林 坂石】
鬨の太鼓【野村町野村 阿下】
大審院長 児島惟謙苦学之地【野村町野村 本町2丁目】
大窪新四国八十八ヶ所【野村町惣川 舟戸】
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阿下歌舞伎(あげかぶき)【野村町阿下】
・町指定無形文化財
・約140年ほどの歴史を持っており、「狭間の合戦、太閤記の十段目、寿司屋の段」等々、数多くの狂言を昭和40年頃まで、年1回(2日間)夜公演がなされていた。
花取り踊り【野村町中筋 岡成】
・町指定無形文化財
・毎年9月第1土曜日に行われる伝統行事。
・元和年間の 8月5日、落雷による大火事が発生し、今後このような災難が部落内で起きないように、神様に祈願し、踊りを献上したのが始まりとされる。
・大太刀、小太刀を持った踊り手16名が軽快な踊りを繰り広げる。
小踊り【野村町惣川 小屋】
・町指定無形文化財
伊予の里神楽
・町指定無形文化財
・鎌倉時代に発生したといわれる郷土芸能
客神社の岩戸神楽【野村町横林 坂石】
・町指定無形文化財
五ツ鹿踊り【野村町野村 片川】
五ツ鹿踊り【野村町野村 次ノ川】
五ツ鹿踊り【野村町渓筋 鳥鹿野・旭】
五ツ鹿踊り【野村町中筋 高瀬】
五ツ鹿踊り【野村町中筋 富野川】
六ツ鹿踊り【野村町貝吹 西】
八ツ鹿踊り【野村町惣川】
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トゲナシテリハノイバラ(トゲなしバラ)
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・弘法大師が棘を封じて里人の苦しみを解いたという伝説がある。
・町指定天然記念物
猿坂峠の黒松【野村町馬地】
・町指定天然記念物
★ワシが小学生の頃には、野村小学校の西側に聳える山に一際大きな一本の松が雄姿を見せておったんじゃが、松食い虫にやられて、いつしか姿を消してしもうた。(よって、天然記念物は解除になっとることじゃろな。)
山もみじ【野村町阿下】
・町指定天然記念物
木斛【野村町阿下】
・町指定天然記念物
客神社社叢【野村町横根 坂石】
・町指定天然記念物
大椋【野村町溪筋 鳥鹿野】
・町指定天然記念物
天満神社あすなろ【野村町貝吹 中通川】
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鎌田城跡【野村町鳥鹿野】
・宇都宮成綱が築城し、東多田より独立して野村を支配した。
亀城(かめんじょ)【野村町】
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亀ヶ城(かめんじょ)跡の火の玉
猿ヶ滝城跡【野村町横林】
・「豫子林村に在り、城代岩木将監(*1)居る北ノ川の落城と同時天正十一年正月十三日長曾我部の勢攻め来り防戦力叶はず将監は城の麓に鹽屋の淵を游き渡りけるが敵城中より鐡砲を劇しく打ちかけたる故に栗木村の方川端に自害して死せり、今に於て坂石村高丸より下り船の分は此所の前に至れば必ず御酒を上げ念仏して通ると云ふ。寶徳年中新田義宗脇屋義治伊豫へ来る時河野の命にて最初宇和郡の猿ヶ瀧へ送り潜居せしめたりといふは此城なり」(伊予温故録)
※1 岩木将監ではなく、岩村将監の誤りであろう。
泉城跡【野村町】
鎧ヶ鼻城【野村町惣川】
・「相川村にあり、一に天神ヶ森城と云ふ、城代相伴伊豆守居る」(伊予温故録)![]()
四郎ヶ谷(しろがたに)【野村町松溪】
・幼い頃の記憶によれば、「四郎谷」(しろうたに)と呼んでいたような気がする。
・ここからは銅鉾が出土している。![]()
・春は4月21日、夏は7月21日。
・野村町指定文化財第16号(昭和47年12月2日指定)
・大山積神、雷神、高おかみ神の三神で、欅材による一木彫である。作者は不明であるが、藤原時代の作といわれている。
大窪バス停から山中の参拝道を抜け、大窪御堂に至る約8kmの道のり。
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源氏ヶ駄馬【野村町】
大野山【野村町/宇和町】
大判山【野村町/宇和町】
鉢ヶ森【野村町】
御在所山【野村町/肱川町】
高雄山【野村町西/肱川町西】
竜王山【野村町/肱川町】
岳山【野村町/肱川町】
大旗山【野村町/河辺村】
丸石山【野村町/小田町】
・標高1327.5m
碁石ヶ森【野村町】
・標高1185m
吉森山(よしもりやま)【野村町深山】
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・標高897m![]()
バラ大師のとげなしバラ
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・野村町指定天然記念物 第4号(昭和39年12月指定)
・学名:テリハノイバラ
・南予一帯の山野に自生するバラの一種で、このバラはトゲがないのが特徴である。6月下旬に白い花が咲き、秋には赤い実がつく。
・このトゲのないバラは、その昔、弘法大師が四国巡錫のとき、ここに野宿っされバラのトゲの痛みに悩まされ、この土地の里人のためにトゲを封じ込められた「とげなしバラ」と伝承されている。
・持ち帰ると、色々の災難にあう人が有ることが未だに不思議なことである。
とげなしバラの伝説
大師の野薔薇の上の一夜の野宿は「十夜」の苦しい修行と同じであった。「里人はこの野バラの棘で苦しむであろう」と、大師はこの土地の人の為に棘を封じ込めた。そして「他の土地に移すと棘が出て天罰にあいますぞ。くれぐれも注意しなされ」と言われたという伝説が残る。
未だに不思議な事がある。高知の学生がそれは迷信と、バラの移植の実験をしたところ、棘が出始めると家でも親戚でも不幸・災難が続き、自分は大変な交通事故をして「ただ私は深く後悔します」を懺悔参りに来た。
大正12年の官憲が「バラ大師は現代の邪教」と決めつけて、大師の尊像を警察に拘引、暴挙した。その為か、不思議なことに当時の署長や巡査部長など警察当事者達の身上に死者・発狂者が続発した。そして昭和25年3月、愛媛新聞社野村支局長や信者達の要請で当霊地に28年ぶりに返還された。
バラの小枝を盗み帰り、急に原因不明の腹痛に罹ったり、棘が出始めてから病気になり入院、その日に高いところから落ちたとか、急に親友と不仲になったといった話もある。![]()
肱川(宇和川)
稲生川
寺谷川
長谷川
桂川(かつらがわ)
砥石川
片川
富野川
高瀬川
成穂川
瀬田川
舟戸川
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桂川渓谷(かつらがわけいこく)【野村町深山】
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・行ってみよう!えひめ感動の地20選
蝶の楽園(ちょうのらくえん)
・野村町には、日本に生息する250種類の蝶のうち、約100種が生息すると言われてきた。
・蝶の楽園は、桂川渓谷にある。
・平成2年より、この渓谷の約2haを蝶の楽園として整備している。
・ネットは無く、蝶が好む彼岸花、ノウゼンカズラなど吸蜜植物やショカッサイ、ニオイスミレ、ニオイスミレなど食草を池の辺に植え、自然のままの状態に整備している。
・楽園の一角に羽化ハウスがあり、蝶の卵や蛹を天敵の蜂や螳螂、野鳥から守っている。
・現在約32種類の蝶が生息する。
乙姫神社(おとひめじんじゃ)
乙御前の滝(おとごぜんのたき)
馬淵(うまぶち)
仲の滝(なかのたき)
下女淵(げじょぶち)
滝野城(たきのじょう)
キャンプ場
乙御前の伝説
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樽滝(たるたき)【野村町旭】
・県道331号(高瀬・松渓線)を尼ヶ坂峠行き、ここから林道(樽線)を終点まで行けば、そこから徒歩10分で行ける。
樽滝(たるたき)
滝の裏には「観音堂」へ通ずる小道があり、ここから眺める景色は格別で、別名「裏見の滝」とも呼ばれ、他にも、しぶきが七色の虹を彩ることから「虹が滝」とも呼ばれている。
観音堂(かんのんどう)
「観音堂」には、戦国秘話によると、源氏の流れをくむ寺野六郎左衛門正直が寄進した「樽滝観音」が安置されている。
腰掛岩(こしかけいわ)
寛政7年、宇和島藩主伊達公が絶景探訪の折りに腰掛けられたという。
金剛滝【野村町貝吹】
2002/4/13
・国道441号線沿い、大和田小学校のやや下流側・瀬田川にある。
鮎返りの滝
※2003/8/24、鮎返りの滝が眺められるかと期待して、ちょっと寄り道してみるが、辺りを探せど全然姿が見つからず。![]()
天神橋
三島橋
野村大橋
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大野ヶ原(おおのがはら)【野村町小松】
2001/8/12
・行ってみよう!えひめ感動の地20選
・天正12年(1584)、土佐の長宗我部軍の攻撃を受けた久万大除城主・大野直昌が、元親の軍を追い払ったことから、大野ヶ原と名付けられた。
源氏ヶ駄馬(げんじがだば)
・壇ノ浦で敗れた平家残党が安住地を求めて大野ヶ原までやってきた。
・ある朝、見張り番が遥か彼方を眺めると、夥しい数の源氏が白馬に跨って周囲を取り囲んでいた。驚いた平家残党はすぐさまこの地を退去した。
★これは白い石灰岩を見誤ったとのことであるが、周りの様子など、到着した日か明くる日には気付くだろうし、見誤るはずもなかろうに....と思ってしまう。
ブナ原生林(小田深山ブナ原生林)
・えひめ自然100選
・小屋山県自然環境保全地域(昭和53年指定)
・野村町・小田町の境界の稜線部にブナ原生林がある。東西約3.5km、面積は約75haに及ぶ。
ポニー牧場
・動物達とのふれあい体験ができる。
つつじ公園
・6月中旬から下旬にかけてが見頃。
一夜ヶ森
竜王神社
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朝霧湖(野村ダム湖)【野村町野村】
2003/8/24
・行ってみよう!えひめ感動の地20選
・野村ダムは昭和57年に肱川下流の洪水調整、宇和島・八幡浜への水道水供給、南予の柑橘系栽培に供するための灌漑用水を目的に建造された。
・春には、ダム湖畔でのむらダム祭りが行われる。
・夏には、盛大に花火大会が行われる。
・冬にはイルミネーションが美しい。その数、26,000個であるとか。
日切地蔵公園
日切地蔵
シルク博物館
親水広場
出合大橋
自然の森
わんぱくランド
・平成4年(1992)7月23日オープン。
・芝スキーゲレンデ
・マウンテンバイクコース
・トリム
キャンプ場
・共同炊事場、トイレ、駐車場完備
・キャンプ場は約40張の広さ。
・4棟のログハウスが建っている。
親水石積公園
藤棚公園
鯉のぼり
約180匹の鯉のぼりが5月に架設される。
のむらダムまつり
毎年5月4〜5日に開催される。
納涼祭・花火大会(8/13)
野村町酪農創始50周年記念乳牛像「ビッグミル」
・野村ダム駐車場付近に置かれている牛のモニュメント
・高さ4.2m、体長6.7m、胴回り5.6m
・日本一の乳牛像らしい。
「碑文
野村町の酪農は、昭和19年静岡県よりホルスタイン種雌牛25頭の導入に始まり 同25年明治乳業野村工場誘致 同30年集約酪農地域指定 同36年生産地形成事業地域指定を受け飛躍的な発展をみた かくして昭和38年には 1058戸 2300頭の生産地になった。
その一方では低乳価の窮地に立たされることにもなり、その苦境を乗り越える為 酪農家は自らの組織強化に努め 乳価闘争を経て経営改善や多頭化を奨めながら乳価の安定をめざして昭和40年に愛媛県酪連の設立となった。
さらに二度に亘る生乳生産調整 貿易の自由化による打撃を受けながら 現在176戸 4000頭 生産販売高18億円と県下一の生産高を誇る酪農団地として大きく発展してきた。
酪農創始50周年を迎えるにあたり幾多の変遷を顧みて先人の功徳に深く感謝すると共に我々は地域の活性化を図り 併せて酪農家の団結を強め自由化等にも屈しない「酪農の郷」の更なる発展を願い 町のシンボルとしてここに日本一の乳牛像を建立した。
平成5年2月 野村町酪農創始50周年記念 乳牛像建立委員会」■野村ダム湖の愛称「朝霧湖」
■行ってみよう!えひめ感動の地20選 認定地 朝霧湖
■川柳碑
「北風の中で育った親思い」まもる
【花】
「灯台のようふるさとに母が居る」かほる
・平成5年 川柳のむら
ツツジ、サツキ、アヤメ
鹿野川ダム:坂石湖水【野村町坂石】
めがね橋[坂石]
・鹿野川ダムの水位が下がると水没していた橋が姿を見せる。
鹿野川湖:オシドリ渡来地【野村町貝吹】
・冬にはたくさんのオシドリが渡来してくる。
小屋山のブナ原生林【野村町大野ヶ原】
土屋隧道(つちやずいどう)【野村町双津野/広見町】
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(観光地でもないのにこんなとこ掲載してもええんかいねぇ?)
・国道441号線、広見町境に位置するトンネルで内部照明・緊急電話一切無し!
★ここはワシが小学生のときの「遠足コース」じゃったんよ。標高520mで、野村町の中心部を見下ろすことができるんよ。天気のいい日には、東方彼方に大野が原(らしき山)が見渡せらい。
★夏場はカブトムシ・クワガタムシの宝庫じゃけん、そこらへんにあるクヌギの木でもけつってみないや!ボトボト落ちてくるけんな。
★このトンネルはよいよ車の通行が少ないんよ。ほじゃけん、小学校行きよったころはここに遊びに来てトンネルん中で「肝だめし」したり、花火して遊んだもんよ。思い起こせばよいよ懐かしいわい。
★冬の朝なんかも抜群の景色でな。野村盆地を埋め尽くす雲海の風景なんかは絶品よ。
★ワシの「異郷への憧れ」の原点は、ここと城川町境の「桜峠」。この「トンネルを抜ける」「峠を越す」という行為は、その向こうに広がる未知の世界に踏み込むことじゃけんな。幼いワシの胸は躍りかやりよったもんよ。
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笹ヶ峠【野村町大野ヶ原】
この滝は、その昔、土地の信心なる人々の修行の滝として使われていた由緒ある滝である。真の名称はわかっていない。昭和47年、滝野城築城を始めると共に整備され、新たに「萬安の滝」と命名した。
野村ダム祭り(5/3〜5)【野村町野村 野村ダム】
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・1983年から始まった。
・1992年からは5月3日に「朝霧湖1周マラソン大会」を実施している。
龍王神社春祭り【野村町大野ヶ原】
・5月
納涼祭・花火大会(8/13)【野村町野村 野村ダム】
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・ダム湖に架けられた「ナイヤガラの滝」や「水中花火」が見物。
・山火事発生率が高いが、今年は大丈夫か!?
・道路事情が悪い場所、駐車場確保困難な場所で行われるので、例年大渋滞が巻き起こる。町外からお越しの方、車の運転には一層の注意を。
乙亥大相撲【野村町】
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・玉春日関を輩出した野村町は相撲のメッカ。これも、百数十年の歴史を誇る乙亥大相撲のおかげか。
・乙亥大相撲は、約150年前、嘉永5年(1852)の大火の際、当時の庄屋緒方氏(緒方与次兵衛)が火災防止祈願のため「100年間相撲を奉納しますので、町内に火災をもたらさぬよう」と旧暦10月の乙亥の日に愛宕神社に相撲を奉納・祈願して始めたもの。昭和27年(1952)にその100年の期限は越えたものの、町内の一大イベントとして定着しており、日本唯一のプロ・アマ対決相撲として県内外から多くの見物客が訪れる祭りへと発展した。
・最近は、大相撲九州場所千秋楽翌日に開催される。
稚児土俵入り
・子供の健やかな成長を祈願し、力士に稚児を抱えて土俵入りして貰う。
★ワシが小学校の頃は、現宇和島バス野村営業所北の元「フジマート」の横の広場や、児童館のグラウンドで大相撲が行われとった。今は野村町役場前の公民館で行われておるんかいねぇ?それとも野村ダム湖畔辺りでやりよんじゃろか?最近、ほんと御無沙汰しとります。
ギャンギャン奉納【野村町】
・「ギャンギャン」との愛称で地元の人達が呼んでいる念仏踊り。
・文政5年(1822)に先祖の供養として始まったが、昭和32年に一時中止になった。昔は境内にずらりと露店が並び、たいへんな賑わいであったが、今では廃れてしまっている。
・昭和55年に復活し、現在も続けられている。
パラグライダー大会【野村町大野ヶ原】
・10月
竹の内お念仏講【野村町竹ノ内】
・創始者は一遍上人であるという。宿を持ち回り、長々と念仏の唱和を行う。
・念仏の唱和が終わると、駄菓子、手作りの巻ようかん、卵酒のふるまいがあり、雑談・放談となる。
念仏呪文
日々光明遍昭十方世界念仏衆生摂取不捨摂取不捨の光明に念ずるところ照させ給へや
南無阿弥陀仏観音勢至の来光にこころを尋ねて向ふなり
・町指定有形文化財(昭和43年指定)
・170年の歴史を持つ四国最大級の茅葺民家。 藩政時代の庄屋本宅。
・文政10年(1827)の建築と伝えられる。
・平成9年(1997)屋根の葺き替えが行われた。
・平成10年(1998)6月28日、宿泊・交流施設「茅葺き民家交流館『土居家』」としてオープンした。
・休館日:月曜(祝日のときは翌日)、年末年始
・電話番号:0894-76-0636
・営業時間:9:00〜17:00
・詳細については、 http://www1.pasutel.co.jp/nomura/を参照。
・天神地区は、伊予と土佐を結ぶ街道の宿場として栄えた。
母家
農村体験交流館
「土居家」離れ(宿泊棟)
農村文化伝承棟
乙御前の滝【野村町野村
深山】
深山の利助さん【野村町野村
深山】
白木ヶ城に残る話【野村町野村
次の川】
首きれ馬【野村町野村
次の川】
村の境争い【野村町野村
権現】
熊野神社【野村町野村
権現】
草競馬【野村町野村
緑ヶ丘v
のまず川【野村町野村
手都合】
バラ大師【野村町野村
下野】
畑ヶ谷と豆ぶち【野村町中筋
畑ヶ谷】
わらびうち三助【野村町中筋
平野】
こぞうぶち【野村町中筋
惣財久】
虚無僧の刀【野村町中筋
頭王】
駄馬川のぬれおんな【野村町中筋
成穂】
星の御前【野村町中筋
成穂】
角藤五兵衛【野村町中筋
成城】
戦国時代の成城【野村町中筋
成城】
こしかけ岩さん【野村町中筋
成城】
だんご岩【野村町中筋
杉山】
保堂新左衛門【野村町中筋
保堂】
五郎兵衛堂【野村町中筋
小滝】
水地蔵【野村町中筋
舟坂】
仏うね【野村町貝吹
鎌田】
消えた女の子【野村町貝吹
鎌田】
まぼろしの城【野村町貝吹
鎌田】
中通川【野村町貝吹
中通川】
中通川の大火事【野村町貝吹
中通川】
消えた金の茶釜【野村町貝吹
中通川】
栗の木と西【野村町貝吹
栗の木・西】
大蔵坊【野村町貝吹
栗の木】
鬼切り新左衛門【野村町貝吹
栗の木】
岩本将監【野村町貝吹
栗の木】
大藤左衛門の怪力 【野村町貝吹
西】
大藤左衛門の知恵 【野村町貝吹
西】
七人の塚 【野村町貝吹
西】
不運の高雄城 【野村町貝吹
西】
横田池のだきあげ地蔵【野村町横林
中山】
大蔵坊【野村町横林
中山】
法力がなくなった薬師如来【野村町横林
坂石】
高橋玄蕃【野村町横林
野地】
御崎松のそとは【野村町横林
野地】
半四郎と友之丞【野村町横林
堂野窪】
大塚玄蕃【野村町横林
小振】
イボ神さま【野村町横林
小振】
子安のおくりオオカミ【野村町横林
大成】
茶堂のうめぼしタヌキ【野村町横林
大成】
平助道【野村町横林
佐須】
こがぶち【野村町横林
辰の口】
猿ヶ滝城に残る話【野村町横林
予子林】
丹後さま【野村町横林
予子林】
源氏ヶ駄馬【野村町大野ヶ原】
河西名水(自然湧水)【野村町渓筋 河西】
2003/8/24
★湧水地の南側の部落入口の三叉路のところに、以下のような看板が立っている。
●河西の道しるべ
「河西分館
・育てよう強く明るい河西の子
・少年によいうち(家庭)よい友よい遊び
・親と子の対話でつくろう明るいふるさと
昔と今の戸数と人口
・1706年(宝永3年)22戸 99人
・1757年(宝暦7年)25戸 118人
・1958年(昭和33年)38戸 206人
・1985年(昭和60年)26戸 82人
・むらおこし運動みんな参加 みんなで考え、みんなでまとめ、みんなで実行
・青少年健全育成活動 あなたとわたしの愛情で地域ぐるみで
河西愛護班・渓筋むらおこし推進協議会・渓筋公民館 」
三葉虫の化石発見場所【野村町大西】
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・県道29号線沿い、大和田小学校のやや西に下記のような説明書きが立っている。
「この道路の下は"三葉虫"の化石が発見されたところです。このたび道路改良工事のため、その場所が埋没しました。このためそのしるしとして、末永く記念標示するものです。三葉虫は、今から焼く五億年前の古生代の初め地球上に現われ古生代の終わりに一匹残らず姿を消してしまったと言われる生物で、その化石は世界の化石の人気者です。日本では古生代初期の地層がどこにも見つかっていないため、大変貴重なものです。なおここで発見された三葉虫の化石は、現在愛媛県立博物館で、大切に保管展示されています。 昭和60年3月 野村町、野村町教育委員会」
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