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大西町(Ohnishi Town)このページの最新更新年月日は |
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(1).「活力とゆとりをそなえた海と緑の田園都市」
(2).「みかんと造船のまち」
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町の花 町の木 町の花木 町の鳥 ツツジ ヒノキ
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大西町役場 (TEL)0898-53-3500
大西町観光協会 (TEL)0898-53-3853
大西町大字宮脇甲1515-2
・大和時代、怒麻(ぬま)国の中心地として栄え、奈良時代からは野間郡、藩政時代は松山藩に属した。
・昭和30年3月、大井村と小西村が合併して大西町となった。
明治23年町村制 大井村 宮脇村 大井浜村 新町村 紺原村 九王村 小西村 別府村 星浦村 脇村 山之内村
大字 字
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今治及び越智地方の獅子舞
・県指定無形文化財(平成12年4月18日指定)
脇獅子連:大西町脇
別府獅子連:大西町別府
九王獅子連:大西町九王
多伎獅子舞保存会:朝倉村古谷
鳥生獅子連中:今治市祇園町
高部獅子舞保存会:今治市高部
神宮獅子舞保存会:今治市神宮
矢田獅子舞保存会:今治市矢田
野間獅子連中:今治市野間
延喜獅子舞保存会:今治市延喜
宅間部落獅子連合会:今治市宅間
阿方獅子舞保存会:今治市阿方
杣田獅子舞保存会:今治市杣田
小部獅子保存会:波方町小部
養老獅子保存会:波方町養老
波方青年獅子連中:波方町波方
樋口獅子舞保存会:波方町樋口
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妙見山古墳【大西町宮脇】
・町指定史跡
藤山古墳【大西町宮脇】
・町指定史跡
重茂山城跡【大西町山之内、宮脇/玉川町与和木】
・町指定史跡
怪島城跡【大西町別府】
・町指定史跡
尊真親王陵墓参考地【大西町宮脇】
・町指定史跡
一里塚【大西町宮脇】
・町指定史跡
衣笠の弁天【大西町山之内】
・町指定史跡
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クロガネモチ【大西町山之内 加茂神社】
・町指定天然記念物
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重茂城跡【大西町】
・天正13年(1585)、中国地方を征服した豊臣秀吉は、小早川隆景を総大将として土佐の長曽我部元親が統一する四国の征伐を始め、伊予に攻め込んだ。30,000余の軍勢を率いた隆景は、越智郡の諸城を攻撃し、西へ侵攻して、ついに伊予国守護職河野氏の本拠地湯築城を攻め落とした。
・この戦いのとき、河野氏の武将岡部十郎は重茂城に立て篭もり奮戦したが、ついに落城・降参した。
・一説に戦死したとも伝えられるが、この重茂城の落城については色々な伝説が残されている。
怪島【大西町】
・昔より怪しき者=海賊が住み着き、沖を通る船を脅かし続けたので、いつしか「怪島」という名前がついた。
・戦国時代には、伊予の豪族・河野氏の将・神野左馬允が怪島城を築城し、全島を要塞化した。
・豊臣秀吉の四国征伐のときには合戦場となった。
怪島城跡
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衣黒山古墳(いぐろやまこふん)【大西町】
妙見山古墳群【大西町宮脇】
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・昭和42年5月、今治市の小学校教諭により古墳が確認された。
・全長50mを越える大型前方後円墳である。
妙見山古墳群1号墳
・2つの竪穴式石槨を持つ前方後円墳
・後円墳の長大な石槨が1号墳、前方部の石槨が2号墳と呼ばれている。
・1号石槨は、妙見山に登れば築造当時の本物の遺構を見る事ができる。
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安養寺【大西町紺原甲606】
大井寺【大西町山之内甲1328-1】
國恩寺【大西町別府】
1999/7/20
・別府運動公園南側。小高い山の裾にある。
★庫裏があるのみ。特にみどころ無し。(1999/7/20)
★寺の直下にある別府集会所では中年(老年?)男女4人が卓球に白熱していた。(1999/7/20)
真光寺【大西町大西町新町甲320】
法隆寺【大西町大西町宮脇甲1419】
明専寺【大西町脇1277】
明堂院【大西町大西町山之内乙86-1】
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碇掛天満宮【大西町星之浦】
1999/7/20
★鎮座している山の裾をぐるっとまわって南側の線路脇の参道登り口までは行ってみたのだが、足が疲れ気味なので登るのを挫折。(1999/7/20)
大井八幡神社【大西町】
1999/7/20
・祭神:阿佐利命(あさりのみこと)、若弥尾命(わかみおのみこと)、品陀和気命(ほんだわけのみこと)、帯仲津日子命(たらしなかつひこのみこと)、息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)、三筒之男命(さんづつのおのみこと)、武内宿禰(たけうちのすくね)、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)、尊真親王(たかざねしんのう)
・社伝によれば、文武天皇の詔勅によって大宝2年、乎智宿祢玉純(おちのすくねたまずみ)が奉行となって神殿を建営し、風速野間の国造であった阿佐利命、怒麻国造若弥尾命の2柱を崇祀して大井宮と称した。
・後に清和天皇の貞観元年に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路にあたる当郷の弓津恵島(ゆづえじま)に船泊した時。八幡神の神託があり、河野深躬が垂迹の智に八幡宮を勧請し仮神殿を建立奉斎した。
・寛平2年後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの郷で崩御され、その霊を当社に合祀した。
境内社:稲荷神社
大井八幡神社の奴行列
加茂神社【大西町山之内】
1999/7/20
・明治35年に勧請された。
クロガネモチ
・大西町指定天然記念物(昭和56年3月16日指定)
・太さ(根回り)5.15m、樹高20m、
推定樹齢250年。
・社地は古墳だったと考えられ、この木も神社建立以前の古い樹木と考えられる。
貴布祢神社【大西町】
九王龍神社【大西町】
1999/7/20
・雨乞いの神として信仰が厚い。
★マリンスポーツに興じる若者達、海パン姿で海の家の廃墟の屋根から飛び降りる高校生を横目で見ながら立ち寄ってみたが、これといって特筆すべきことは無し。やっぱり継ぎ獅子の時以外はみどころ無しか。(1999/7/20)
龍神社の船上継ぎ獅子
・春祭5月18日(19日? 今では5月の第3日曜日)に行われる。
・立ち芸としての継ぎ獅子は今治・越智郡一帯において今も受け継がれているが、ここの継ぎ獅子は船上で行われるのが興味深い。
・神社を出発した神輿は、海を渡り、各地区を巡幸する。それに供奉するために、船上で行われる。
諏訪神社【大西町】
諏訪神社祭礼絵馬
素鵞神社【大西町】
素鵞神社の船御輿
星神社【大西町】
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九王地蔵堂【大西町】
1999/7/20
・九王地蔵堂は、享保6年(1721)左甚五郎の流れをくむといわれる名工・阿波大によって建てられたと伝えられている。
・反りのある屋根の勾配の美しさ、素晴らしい正面の唐獅子並びに龍の彫刻、更に格子天井など、それら全体がよく調和した美しさを見せている。堂の中に三体の地蔵尊が祀られており、堂の周囲には、庄屋であった村瀬家の立派な墓石や、他の家の墓石がたくさんある。
・また藩政時代のいつの頃か、地蔵尊の参詣者がたくさん増え、賽銭が多く集まったので、そのお金で御堂を建てることを松山藩の役人に願い出たが、農民に倹約を勧めていた時代で許可が出難かったので、葬式の焼香場として必要であることを理由に願い出て許可を得たとも伝えられている。![]()
九郎兵衛は「山本九郎兵衛」という名前よりはむしろ「指切り九郎兵衛」と
いう呼び方の方が馴染みが良いであろう。「指切り」というとえらく物騒な
名前だが、その由来を辿れば責任感のある立派な人間像が浮かびあがってく
る。
九郎兵衛が庄屋を務めた頃、松山藩の租税は「六公四民」、即ち出来高の60%
は藩が税として取り上げ、残り40%が民衆の取り分であった。実際にはこれに
附加税みたいなものが加わり、出来高の70%ぐらいを持っていかれ、農民達は
苦労を強いられたのである。
見かねた九郎兵衛は、当時租税対象から外れていた綿の栽培を奨励した。田圃
も少ない大西の地では綿の栽培は好都合であり、忽ち大きな収穫量を得るまで
になった。
延宝年間(1673〜1680)、年貢徴収のために稲の収穫量を検査する「検見(け
み)」に訪れた役人は、その見事なまでの綿の出来映えを目にして、無税だっ
た綿にも税をかけようと思い付いた。しかし、九郎兵衛は、民衆のことを思い
「今まで無税だったのに何故課税するのでしょうか」
と訴えた。ところが役人は、
「無税?それでは無税であったことの証拠があるのか?」
と切り返した。
あいにく、九郎兵衛は綿が無税であることを示すような書類など持ちあわせて
はいなかった。しかし、このまま引き下がるわけにはいかない。思案した九郎
兵衛は、
「少々お待ちくだされ。今すぐにお持ちしましょう」
と奥の部屋に退いた。
しばらくして九郎兵衛は再び役人の前に戻ってきて、白い布包みを役人に差し
出した。
「これが証拠にてございます」
役人がその包みを開けてみると、その中には血に染り痛々しいばかりの切り落
とされた指が入っていた。役人は仰天するとともに、九郎兵衛の潔さ・責任感
の強さにいたく感銘し、九郎兵衛の訴え通り綿への課税を取り止めたという。
綿への租税を免れた民衆は、「指切り九郎兵衛」と呼び、その徳を頌えた。
九郎兵衛はその時の無理がたたったのかどうかは定かでないが、延宝8年(1680)
74歳で逝去した。九郎兵衛の墓は丸山墓地の入口にあるという。
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重茂山【大西町】
・標高294m。
重茂城跡
鳶鴉山【大西町九王】
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明堂の桜【大西町】
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鴨池海岸の夕映え(大西町)
・夢海道50景(読売新聞社選定)
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1999/7/20
村瀬武男翁の像
越智茂翁の像
合併記念碑
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[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous Information Laboratory]
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