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大洲市(Ozu City)このページの最新更新年月日は |
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(1).「水と緑の豊かな市民都市」
(2).「きらめき大洲21 肱川に映える地域中核都市をめざして」
(3).「伊予の小京都」
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市の花 市の木 市の花木 市の鳥 つつじ
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大洲市観光協会 (TEL)0893-24-2664
大洲市商工観光課 (TEL)0893-24-2111
・昭和29年:大洲町、平野村、南久米村、菅田村、大川村、柳沢村、新谷村、三善村、粟津村、上須戒村の10か町村を合併し、市制を施行。
・「元和以前は大洲を大津と書す」伊予温故録
・「近江の大津・土佐の大津」と紛らわしいとの理由より大洲と改められた。
大字 字 阿蔵(あぞう) 阿部(あべ) 市木(いちぎ) 稲積(いなずみ) 梅川(うめがわ) 宇和川(うわがわ) 大洲(おおず) 上須戒(かみすがい) 北只(きたただ) 喜多山(きたやま) 北裏(きたうら) 黒木(くろぎ) 蔵川(くらかわ) 恋木(こいのき) 五郎(ごろう) 菅田町(すげたちょう) 菅田、宇津(うづ)、大竹(おおたけ) 高山(たかやま) 田口(たのくち) 田処(たどころ) 多田(ただ) 手成(てなる) 常盤町(ときわまち) 徳森(とくのもり) 冨士(とみす) 中村(なかむら) 長谷(ながたに) 成能(なるのう) 西大洲(にしおおず) 新谷町(にいやまち) 新谷(にいや) 春賀(はるか) 八多喜町(はたきちょう) 東宇山(ひがしうやま) 平野町(ひらのちょう) 野田(のだ)、平地(ひらじ) 藤縄(ふじなわ) 松尾(まつお) 森山(もりやま) 野佐来(やさらい) 柳沢(やなぎさわ) 柚木(ゆのき) 米津(よなづ) 横野(よこの) 若宮(わかみや)
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如法寺の仏殿(1棟)【大洲市柚木 如法寺】
・国指定重要文化財[建造物]
大洲城(3棟)【大洲市大洲】
・国指定重要文化財[建造物]
大洲城台所櫓【大洲市大洲】
・国指定重要文化財[建造物]
大洲城三の丸南隅櫓(1棟)【大洲市大洲】
・国指定重要文化財[建造物]
芋綿(おわた)櫓【大洲市大洲】
・国指定重要文化財[建造物]
大野家住宅長屋門【大洲市菅田町】
・国登録有形文化財
・江戸末期の建造物![]()
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木造吉祥天立像(1躯)【大洲市手成 金竜寺】
・県指定有形文化財[彫刻]
木造兜跋毘沙門天立像(1躯)【大洲市手成 金竜寺】
・県指定有形文化財[彫刻]
大洲城下台所(1棟)【大洲市大洲】
・県指定有形文化財[建造物]
鱗鳳閣(1棟)【大洲市新谷町】
・県指定有形文化財[建造物]
臥龍山荘 臥龍院及び不老庵(2棟)【大洲市大洲】
・県指定有形文化財[建造物]
大洲城跡【大洲市大洲 三の丸】
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・県指定史跡(昭和28年2月13日指定)〜本丸跡、二之丸跡の一部
・比地ノ城(源平合戦当時、河野通信が拠った。これが江戸時代の大洲城である証拠は残念ながら無いが...)、地蔵ヶ岳の城ともいう。
・文治元年(1185)1月、阿波の田内則能が3000余騎をもって比地城を取り囲み、5日間にわたり猛攻を加えたが陥落することができなかった。
・元徳2年(1330)、宇都宮豊房が伊予国の守護に任ぜられて喜多郡を領し、元徳3年に地蔵嶽に新城を築き居城した。以降、地蔵嶽城には宗泰−泰輔−家綱−宣綱−清綱−豊綱が拠ったが、天正8年(1580)に家老の大野直之に追放され、城主の地位を奪われた。
・その後、豊臣秀吉の四国征伐で大野氏が滅び、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治と城主が変わった。
・元和3年(1617)、加藤貞泰が6万石大津城主として入城した。二代藩主加藤興泰のとき、名を大洲城に改めた。
中江藤樹邸址(邸跡校)【大洲市大洲 三の丸】
・県指定史跡(昭和23年10月28日指定)
・大洲高校校庭の一角に立つ。
・中江藤樹は江戸時代初期、陽明学派の祖として著名である。近江聖人とも呼ばれた中江藤樹は、少年期から壮年期の18年間を大洲で過ごした。
・中江藤樹は、慶長13年(1608)、近江国高島郡小川村の農家に生まれ、名は原、通称を与右衛門といった。元和2年(1616)、藤樹9歳のとき、伯耆国米子藩主の加藤貞泰に仕える祖父の吉長の養子となり、翌年加藤貞泰の大洲転封により伊予に移った。
・当初、吉長は大洲藩飛地であった風早郡の代官に任ぜられたため、中江藤樹は北条市柳原に居を構えた。
・15歳のとき、大洲に帰任した吉長没後家督を相続。
・寛永11年(1634)に脱藩して帰郷。
至徳堂
・中江藤樹の遺徳を偲んで昭和14年に建てられた。
中江の水
・邸内にある井戸。中江藤樹が朝夕に使ったという。
遺愛の藤
・近江の藤樹書院から移植された。
川田雄琴一家の墓【大洲市柚木 興禅寺】
1998/1/22
・県指定史跡
・川田雄琴は江戸時代の陽明学者。川田家からは雄琴以降三代にわたって陽明学者を輩出した。
木造地蔵菩薩立像(1躯)【大洲市柚木 如法寺】
・県指定有形文化財[彫刻]
絹本著色釈迦三尊及び十六羅漢図(3幅)【大洲市柚木 如法寺】
・県指定有形文化財[絵画]
絹本墨画騎獅文殊図(1幅)【大洲市中村】
・県指定有形文化財[絵画]
備前焼大甕(1口)【大洲市手成 西禅寺】
・県指定有形文化財[工芸品]
西禅寺文書(1巻)【大洲市手成 西禅寺】
・県指定有形文化財[書跡・典籍・古文書]
刀(銘豫大洲藩岡本治郎九郎源隆國)(1口)【大洲市大洲】
・県指定有形文化財[工芸品]![]()
大洲神伝流泳法【大洲市大洲】
・県指定無形文化財(平成13年12月26日指定)
・大洲神伝流保存会
・県内で唯一伝承される古式泳法。(全国では十二泳法が伝承されている。)
c.f.→寒中水泳大会![]()
金竜寺のイチョウ【大洲市手成 金竜寺】
・県指定天然記念物
八幡神社社叢【大洲市阿蔵 八幡神社】
・県指定天然記念物
矢落川のゲンジボタル発生地【大洲市田処〜喜多山】
2003/8/23
・大洲市指定天然記念物(昭和31年9月30日指定)
・愛媛県指定天然記念物(昭和34年12月25日指定)
・・
本種の発生地は矢落川の矢落橋から上流の田処にいたる約13kmであり、当地域は藩政時代に植えられたメダケ類がよう繁殖しゲンジボタルの発生地として適しており、「矢落川のゲンジボタル発生地」として県指定天然記念物となっています。
ゲンジボタルはヘイケボタルとともに我が国の代表的なホタルで甲虫目ホタル科に属する昆虫です。またこのホタルは本州から九州・対馬に分布し幼虫は比較的きれいな流れの中に住み、ホタルの餌となるカワニナの生育状況がゲンジボタルの発生数に大きな影響を及ぼします。
最近はその発生数が徐々に減少しつつあります。そのため地元の子供たちをはじめ大人の方々の養殖への努力は大変なものであります。
成虫はもちろん幼虫の餌となるカワニナの住みやすい環境をつくることも大切なことです。また川床の水草類を保護して産卵がしやすいようにしたり、また沿岸に植物が生い茂っていることも大切な環境の条件であります。
このゲンジボタルの発生地の指定は国でも十ヶ所余り、県下ではここ一ヶ所であり貴重な地域であります。従ってみんなで保護していく心掛けが必要です。そして指定地域全域がホタル採集禁止区域になっていることも十分知っていて欲しいものです。
大洲市教育委員会
大洲市田処字西川〜道成〜矢落橋に至る約12km 特に一の瀬より波千の洲の間に最も多く産し古くよりゲンジボタル発生地として知られている
ハルニレ【大洲市東宇山】
・県指定天然記念物
西禅寺のイブキ【大洲市手成 西禅寺】
・県指定天然記念物
森山のサザンカ【大洲市森山】
・県指定天然記念物
如法寺のツバキ【大洲市柚木 如法寺】
・県指定天然記念物![]()
おおず赤煉瓦館【大洲市大洲60番地】
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・市指定文化財
ニシノミヤ巨石遺跡【大洲市高山】
2003/8/23
・市指定史跡
・標高200mの山腹にある。
・高さ4.75mの石が直立している。
・東洋一のメンヒルとされる。※指定書「第一号 大洲市史跡指定書 高山ニシノミヤ巨石遺跡 右を大洲市指定史跡に指定する 昭和31年9月30日 大洲市教育委員会」がガラス窓に掲示されている。
「大洲市指定史跡 高山ニシノミヤ巨石遺跡 昭和31年9月30日指定 先史時代の人々の手でこの地に遺したとされ巨石の中で代表的な立石である。
古来前面を仏とし背面を神(権現様)として崇拝され、特に目疣(めいぼ)のある者が祈願すれば霊顕を得るとして参詣する風習があり、その前面には積石の祭壇を設け今なお香華を供している。
昔藩令によって久米喜幸橋の石材に用いようと運び出し翌日橋をかけようとしたところ、この巨石が夜のうちに元の位置に坐っていたという民話もある。
昭和3年11月故鳥居龍蔵博士の来洲によってメンヒルとしては東洋一のものだろうと推称されて以来にわかに有名になった立石である。平成三年一月吉日建立 大洲市教育委員会
如法寺山頂巨石遺跡【大洲市柚ノ木 如法寺】
・市指定史跡
・標高320mの山頂にあり、大小2個のドルメン、弥生期の祭壇石という。
如法寺【大洲市柚木】
・市指定史跡
新谷藩陣屋跡【大洲市新谷 新谷小学校】
2003/8/23
・大洲市指定史跡(昭和31年9月30日指定)
・新谷藩9代250年間にわたる藩邸跡。
・幕末に評議所であった麟鳳閣と庭園が現存する。
柳瀬焼窯跡【大洲市梁瀬】
・元禄11年(1698)、4代藩主加藤泰恒のお庭焼として開窯された。
止善書院明倫堂跡【大洲市枡形】
・市指定史跡
・大洲藩学唯一の学舎「明倫堂」は、1740年代に大洲藩主加藤泰温と陽明学者川田雄琴により建てられた。
・三瀬執斎の講堂を江戸より移設した。
・大洲藩校。
・土蔵造りの倉庫と老松が残る。
古学堂跡【大洲市阿蔵】
・市指定史跡
・阿蔵八幡の神職常磐井家の学塾。
・幕末・明治維新期に活躍した英才を輩出した。
矢野玄道の旧宅と墓【大洲市阿蔵】
・市指定史跡
武田敬孝兄弟生誕地【大洲市中村】
・市指定史跡
・兄敬孝は宮内御用掛を勤め、弟成章は函館の五稜郭を築造した。
山本尚徳邸跡【大洲市西山根】
・市指定史跡
・山本尚徳は大洲藩大参事であり、明治4年の大洲騒動を引責切腹で鎮めた。
三瀬諸渕生家【大洲市中町1丁目】
・市指定史跡
・近代医学の先達として日本医学史上重要な位置付けにある三瀬諸渕の生家跡。
・三瀬諸淵は大洲に生まれ、15歳で二宮敬作に医学を学び、16歳で村田蔵六に蘭学を学んだ。
・シーボルトの通訳としても活躍した。
・後年は、大阪病院兼医学校の開設に尽力するなど、医学の発展に貢献した。
巣内式部幽居跡と墓【大洲市八多喜 興覚寺】
・市指定史跡
・明治維新の御親兵隊長。
・讒言に遭い、免職され、不遇のうちにこの寺で死去した。
関谷・平地番所跡【大洲市関谷/平野町】
・市指定史跡
・関谷番所は大洲藩領、平地番所は宇和島藩領、野田川を挟んでの関所跡。![]()
藤縄神楽【大洲市八多喜 祇園神社】
・市指定無形文化財![]()
八多喜のイチョウ【大洲市八多喜町 聖臨寺】
柚木のエノキ樹叢 【大洲市柚木】
2002/5/11
・大洲市指定天然記念物(平成3年10月指定)
火防地蔵堂のネズミサシ【大洲市手成975 火防地蔵堂】
新谷のムクエノキ【大洲市新谷 新谷小学校】
2003/8/23
・大洲市指定天然記念物(昭和31年9月30日指定)
和霊神社のツブラジイ A・B・C【大洲市新谷 和霊神社】
2003/8/23
・大洲市指定天然記念物(平成4年10月27日指定)
一の宮神社 ムクノキ エノキ シラカシ群生地【大洲市柳沢】
・大洲市指定天然記念物(昭和34年11月3日指定)
五輪山の自生林【大洲市田処】
柳沢三島神社【大洲市柳沢】
・大洲市指定天然記念物(昭和34年11月3日指定)
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岡の城(おかのじょう)跡【大洲市柳沢】
・是城(これじょう)とも言う。
・城主は尾崎藤四郎。
土居城(どいじょう)跡
高森城跡【大洲市田処?】
・秋葉山西の標高506.0mピーク辺りか?
・「高森城墟 平地村夷嶽に在り。萩森宇都宮氏の家老梶谷伊豆と云人の城跡なり。宇都宮総州、法名異賢、高森にて病死、平地村に墓ありと云。.....[以下略]」(愛媛面影)
薄木城跡【大洲市里城】
元城【大洲市喜多山】
祖母井城【大洲市】
首無し馬の伝説
祖母井城落城悲話
針ふき女
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・都谷、矢落川、徳の森、菅田の上西/下西/上東、村島、宮の首では弥生時代の遺物が出土している。
大又遺跡【大洲市五郎】
・弥生中期の遺跡。小高い丘陵上にある。
慶雲寺(けいうんじ)遺跡【大洲市】
高山のメンヒル【大洲市高山】
常森(つねのもり)遺跡【大洲市北只(きたただ)】
・縄文後期の遺跡。
・巨石有り。
如法寺山頂盤座(いわくら=ドルメン)【大洲市】
梁瀬山の環状列石【大洲市】
都遺跡【大洲市】
・矢落川床。
都谷遺跡【大洲市】
・三角突帯の弥生式土器(壷)が出土している。
田合遺跡【大洲市新谷】
村島遺跡【大洲市菅田】
・弥生時代の遺跡。
・炉跡が出ている。
柚木遺跡【大洲市】
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阿蔵(あぞう)古墳【大洲市】
・大洲盆地で唯一、埴輪が出土している。
・久米小学校校庭にあった。
田合(たごう)古墳群【大洲市新谷】
塚穴古墳【大洲市新谷】
明治の家並み【大洲市】
姜抗顕彰碑【大洲市】
雪見塚【大洲市】
三瀬諸淵墓所【大洲市】
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安西寺【大洲市】
金竜寺(きんりゅうじ)【大洲市手成】
木造吉祥天立像(1躯)
・県指定文化財[彫刻]
・平安中期の作。桧材の一木造り。像高は160cm。
木造兜跋毘沙門天立像(1躯)
・県指定文化財[彫刻]
・平安中期の作。ハルニレ材の一木造り。像高は172.8cm。
金竜寺のイチョウ
・県指定天然記念物
慶運寺【大洲市五郎】
・弥生時代の遺構がある。
興覚寺【大洲市】
巣内式部幽居地・墓
興禅寺【大洲市】
1998/1/22
川田雄琴(かわだゆうきん)家の墓
・愛媛県指定史跡(昭和34年3月31日指定)
・川田雄琴は、名を資深と言った。三輪執斎について陽明学を修めたが、師の執斎が大洲藩主加藤泰温に招聘されたとき、その推挙によって享保17年(1732)大洲藩に仕えた。
・雄琴は、学校設立の必要を思い、藩学の止善院及び王陽(?)明・中江藤樹を祀った明倫室を創建することに成功した。
・また、彼は藩内を巡講して、孝子、貞■の表彰に力を尽くし、「大洲好人録」を著し、かくて彼は大洲藩の教育地形に身を捧げること20年、地方文化の興隆に大きく貢献した。更に嫡子資哲は父の業を継いで28年、資哲の長子資始が4年、そのあと次子資敬が14年、親子三代にわたって実に66年間、大洲藩の教学振興につくした。
光福寺【大洲市藤縄】
栖源寺【大洲市喜多山】
2003/8/23
・宗派:曹洞宗
・山号:天真山★栖源寺から南に仰ぐと、神南山を望める。
西禅寺(さいぜんじ)【大洲市手成】
・山号:横松山
・米津城の十六代城主、吉右衛門尉、藤原行春(津々喜谷遠江守藤原行春)は、家臣と共に菩提寺である西禅寺において自刃して果てたと云い伝えられている。
備前焼大甕(1口)
・県指定有形文化財[工芸品]
西禅寺文書
西禅寺のイブキ
・県指定天然記念物
寿衛寺【大洲市大洲】
国島六左衛門の墓
・国島六左衛門は、大洲藩士であった。
・坂本龍馬と交流があった。
宗安寺【大洲市柳沢】
2003/8/23
・宗派:曹洞宗
・山号:大功山
・寺号碑の裏には、「老いさびて 今なお夜半に見る夢は 人のまことの 情けなりけり 山田積善作」の歌が刻まれている。
山田積善先生誕生の地の碑
・平成6年4月吉日建立
・大洲市長 桝田與一書
城願寺【大洲市】
聖臨寺【大洲市八多喜町】
八多喜のイチョウ
善安寺【大洲市新谷】
2003/8/23
・宗派:臨済宗妙心寺派
・山号:神南山
矢野仲尾屋敷跡
惣持寺【大洲市】
大恩寺【大洲市新谷】
2003/8/23
・山号:仏光山
新谷藩主加藤家の墓所
東禅寺【大洲市】
十夜ヶ橋(とよがばし) 永徳寺 【大洲市十夜ヶ橋】
1999/9/18
・電話:0893-25-2530
・本尊:弥勒菩薩
・四国別格二十霊場第8番札所
・大師御野宿の跡
〔略縁起〕
大同二年大師四国巡錫の砌、大洲地方を通られたが、人家も少ないうえ農繁期で宿るに家なく、途中日が暮れて空腹のまま一夜を小川に架けた土橋の下で野宿され、夜の明けるのを待たれた。わずか一夜のことではあったが、夜明けまではそれこそ十夜の長さにも感じられる思いで過ごされ、「行きなやむ浮世の人の渡さずば一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠まれた。
・これから十夜ヶ橋と名がついたといわれ、また、遍路が橋を通る時、杖をつかないという風習もこの話から起こったと伝えられる。
十夜ヶ橋の由来
大師堂
奉賛殿
橋の下の御野宿大師像
田舎の四季
※地元では、4番の「松を火にたく...」のところを「そだを折りたく...」と歌っているとのこと。
1.春
道をはさんで畠一面に 麦はほが出る 菜は花盛り
眠る蝶々 とび立つひばり 吹くや春風たもとも軽く
あちらこちらに桑つむをとめ 日ましましにはるごも太る
2.夏
ならぶすげがさ涼しいこゑで 歌ひながらにうゑ行くさなへ
ながい夏の日いつしか暮れて うゑる手先に月かげ動く
かへる道々あと見かへれば葉末々々に夜つゆが光る
3.秋
二百十日も事なくすんで 村の祭のたいこがひびく
稲は実がいる日よりはつづく 刈ってひろげて日にかわかして
米にこなして俵につめて 家内そろって笑顔に笑顔
4.冬
松を火にたくゐろりのそばで 夜はよもやま話がはずむ
母がてぎはの大こんなます これがゐなかの年こしさかな
たなのもちひくねずみの音も ふけてのきばに雪降積るこの歌は大洲盆地のこの付近の農村風景を主材に堀澤先生が明治41年大洲中学校教諭当時作詞されたものです。国定教科書小学読本巻七にのせられ、また文部省唱歌として全国に普及し親しまれてきました。堀澤先生の略歴と歌碑は冨士山展望台のそばに建設されています。
如法寺(にょほうじ)【大洲市柚木】
1999/9/18
・如法寺全域は、大洲市指定文化財。
・大洲藩2代藩主加藤泰興が盤珪禅師を開祖としてに建立した。
・歴代藩主の帰依が深い。
・境内敷地3,000坪余りを有し、本堂、仏殿、経蔵、鐘楼、宝蔵等がある。
・大洲藩歴代藩主の墓所がある。(2代泰興、3代泰恒、4代泰統、5代泰温、7代泰武、9代泰候、12代泰祉)
仏殿
・国指定重要文化財
・寛文9年(1669)当時のもので、寛文の建築様式を止める。
如法寺のツバキ
・県指定天然記念物@五色八重散椿
A酒天童子(2本)
木造地蔵菩薩立像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻]
絹本著色釈迦三尊及び十六羅漢図(3幅)
・県指定有形文化財[絵画]
法眼寺【大洲市新谷】
2003/8/23
・宗派:日蓮宗
・山号:普妙山
新谷藩主加藤家墓所
・大洲市指定史跡(昭和63年2月24日指定
・墓碑は
@従五位下加藤出雲入道藤原泰賢之墓(文政十三庚寅歳十月二十一日)
A従五位下藤原姓加藤織部正直泰(天和二千戌暦正月五日)
B加藤百十郎(明和七庚寅歳閏六月)
新谷藩家老 徳田季一寄一寄隆の墓所
妹背の庭
宗忍庵【大洲市】
見性禅庵【大洲市】
龍護山曹渓院【大洲市】
・大洲市指定史跡
・大洲藩主加藤家の菩提寺![]()
粟島神社【大洲市北只】
2003/8/23
安政6年(1859)建立。大洲藩主の崇敬が篤かったという。
参道階段の左脇に「大洲文化発祥の地 巨石遺跡 ドルメン (昭和5年8月25日)」と記された標石が建っている。
本殿は巨岩の上に乗っている。この巨岩は少彦名命ゆかりの遺跡であるという。これが何故「粟島」と結びつくのであろうか。
奉納物を観ることは出来なかったが、女性の衣布などを納めているという。
一の宮神社【大洲市柳沢】
2003/8/23
一の宮神社 ムクノキ エノキ シラカシ群生地
・大洲市指定天然記念物(昭和34年11月3日指定)
稲荷神社【大洲市】
宇都宮神社【大洲市】
大洲神社【大洲市神楽山417-16(志保町)】
1998/1/22、2002/5/11
・祭神:大国主命、事代主命(恵比寿神)
・大洲城の東方に位置する。
・福徳の神、商売繁盛の神、安産の神として知られる。
・宇都宮家譜に拠れば、元弘元年(1331)、宇都宮豊房が大洲城築城時、城内総鎮守として下野国二荒山(ふたちやま)より勧請し、太郎宮として斎祭された。
境内末社:天満神社
境内末社:祖神社/火防神社
境内末社:若宮神社/宗忠神
境内末社:水金神社
境内末社:稲荷神社
境内末社:火防神社
十日えびす大祭
・1月10日
春日神社【大洲市喜多山】
2003/8/23
横谷道路拡張竣工碑
稲荷加茂春日大明神
・昭和7年建立。春日神社前の道路脇、横谷道路拡張竣工碑と並んでいる。
祇園神社【大洲市八多喜】
2000/9/15
・天智天皇の子孫・大友喜良喜(きらき)が、939年に京の祇園神を奉じて建立したとされる。
・水上安全、悪病退散、牛馬の神とされる。
・戦前は「八多喜のお祇園さま」として多くの人を集めた。戦後の一時期は衰退していたが、地元の八多喜商工会が復興した。
祇園まつり
・旧正月の24日に行われる。(2002年は2月12日〜15日に開催)
潮ごりまつり
・4月7日に行われる。
・1960年代半ばまでは神社から約1km下流の肱川大門河原でまつりが行われていたが、潮の遡上地点が上流に溯ったため神社近くの河原で行われるようになった。
@行列が神社境内を出発:天狗面、幟、オモッソ(供え物)
A太鼓を打ち鳴らしながら河原へ
B神事:宮司らが川で手を洗い清め、上流・下流に向かって拝礼
C巫女による神楽奉納
Dオモッソを川に投げ入れる→その後オモッソを食す(無病息災祈願)
藤縄神楽
五輪山大権現【大洲市田処】
2003/8/23
・石鎚権現分社の拝殿有り。
元来た道を引き返すのは性分でないので、秋葉山からの下りは田処方面へと向かう林道を用いることにする。こちらも相変わらずの未舗装で、決して走りやすい道ではない。「こりゃ選択ミスじゃったかいのぅ」と思ったものの、間もなく「←五輪山大権現 約1km」の案内標識を発見。途端に物凄く得した気分になる。地図にも載っていない「未知なる名前の山」との遭遇。行かない手はない。
ところが行けども行けども山へと上っていく気配がない。そして遂に案内標識の矢印は、急勾配の下り坂の方向を示すのである。軽四1台がやっとといった狭路である。Uターン出来なければバックでこの急勾配を上がって来なければならない。歩いて降りるべきかどうか悩んだが、何とかなるさと車で突き進むことにした。幸いにも行き着いた先にはUターンは勿論のこと、何台かの車が停められる駐車スペースが設けられていた。
五輪山の自生林
金比羅神社【大洲市新谷】
金毘羅宮【大洲市】
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★「川田雄琴一家の墓」を探してうろうろしていると、小高い山の中腹にそれらしき社が見えたので、民家の間の径を通って登ってみると、そこにあるのは、どうみても神社である。
少彦名神社【大洲市】
2002/5/11
肱川を渡ろうとされた少彦名命は激流にのまれて溺死された。土地の人々が『みこがよけ』の岩の間に骸をみつけて丁重に「お壷谷」に葬った。その後御陵を設けてお祀りしたのがこの神社である。少彦名命は医学・養蚕・酒造等の神様で県下は勿論のこと高知県、九州方面から参拝者も多い。命の神体を祀ってあるところは全国に多数あるが終焉の地は当地といわれている。 ・ここの樹叢林はなかなか神秘的で心地よい。
少彦名溺死伝説
昔、道後温泉をあとにした少彦名命が大洲にやってきて、肱川を渡ろうとしていた。洗濯をしていた老婆にどこが浅いかと尋ねると「そこらが深いですよ」と答えた。「そこが浅い」と少彦名は聞き違えて深みに入ってしまい、溺れて死んでしまった。[少彦名に纏わる地名]
- さいさぎ:少彦名を救出しようと村人が「さぁ急げ」と叫んで走ったので、これが転訛して「さいさぎ」になったという。
- 宮が瀬:少彦名が溺れたところ。
- みこがよけ:遺体が流れ着いたところ。
- 御壷谷:壷に入れて埋葬したところ。
- 御冠岩:少彦名の冠が流されてひっかかった川渕の岩。
大明神社【大洲市】
三蔭神社【大洲市】
八幡神社【大洲市阿蔵甲1843】
・大洲領総鎮守
・元禄11年(1698)、大洲藩第3代藩主・加藤恒公により造営された。
・祭礼日:11月2日
八幡神社社叢
・県指定天然記念物
お成り
・平安時代の衣装を纏って町内を練り歩く。
・大洲藩の江戸屋敷から江戸城に登城する姿を再現したもの。
・兵頭式部守敬(1709〜1755)の頃に行列が整備された。
藤縄三島神社(ふじなわみしまじんじゃ)【大洲市藤縄】
藤縄神楽
・旧正月に奉納される郷土芸能。
柳沢三島神社【大洲市柳沢】
三島神社【大洲市喜多山 河内】
2003/8/23
三島神社【大洲市高山】
2003/8/23
・高山総鎮守
・社号碑の裏面には、
「祭神 大山祇神、雷公神、高おかみ神、菊理姫命、大己貴命
当社は宝永年間当村庄屋弥七郎通孝越智郡大山祇神社の分霊を喜多郡久米郷高山村へ奉遷勧請し当村の大氏神として今の社殿の上に大榎あり其処に本殿を建立し祭祀す 其後安永三年現今の処へ社殿を造営し 安永七年鳥居を建立 天明三年五月十一日大洲城主加藤遠江守泰候公御代官品川平助司官富永直枝安寿神主中野政助通方其他組頭五人頭立会の上本殿を造営し大祭典を執行 天保七年八月本殿を建立 明治三十八年八月拝殿を建立す 大正十年境内の整備及び社殿の大修繕を行う 昭和二年七月十八日熊野神社山神社鉾神社を当社へ合社御遷宮祭典を行う 昭和二十六年境内の神木六人囲えの大杉が台風により倒木 拝殿を直撃崩壊 翌二十七年十月二十三日拝殿を修復建立す 爾来境内整備高山鎮守の威霊を以て
嘉一記」と記している。
森三島神社【大洲市喜多山】
2003/8/23
柳沢三島神社【大洲市柳沢】
2003/8/23
社叢林
・大洲市指定天然記念物(昭和34年11月3日指定)
和霊神社(大有霊神社)【大洲市新谷】
2003/8/23
和霊神社のツブラジイ A・B・C
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火防(ひよけ)地蔵堂【大洲市手成975】
火防地蔵堂のネズミサシ
下組集会所の御堂
2003/8/23
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蔵川八十八ヶ所霊場【大洲市蔵川】
柳沢・田処新四国八十八ヶ所
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神南山(かんなんやま)【大洲市新谷】
・五十崎町側を「女神南」、新谷側を「男神南」と呼ぶ。
謎の巨石群
神南山にカズラが生えない理由
冨士山公園(とみすやまこうえん)【大洲市】
1999/9/18、2001/5/6
・電話番号: 大洲市観光協会 0893-24-2664
・交通: 5月3日〜6日は如法寺河原から登山バスを運行(大人300円、小人150円)
・駐車場:有り、550台
冨士山(とみすやま)
・標高320m
・大洲盆地の中央にある見事な円錐形の山。富士山に似ていることから「冨士山」と呼ばれる。
・もともと、大洲藩主であった加藤家が所有していたものが大洲市に寄贈され、都市公園として整備された。
・躑躅の名所として有名である。
田舎の四季(堀澤周安作詞)
道をはさんで畠一面に 麦はほが出る 菜は花盛り
眠る蝶々 とびたつひばり 吹くや春風たもとも軽く
あちらこちらに桑つむをとめ 日ましましにはるごも太る
・昭和51年11月吉日 田舎の四季歌碑建設会が建立した。
・眼下にひろがる大洲の風物を中心に日本の農村生活を歌った「田舎の四季」は明治42年大洲中学校教諭堀澤周安先生が文部省の募集に応じて第一等となり、小学国語巻七に採用され小学唱歌として親しみ深い旋律と共に愛唱されたものである。
・先生は明治2年愛知県犬山市に生まれ、偉大な教育者として全国各地において独特の国語教育に専念され、善通寺高等女学校長在職中、昭和16年に73歳でなくなられた。また先生には校歌、市町村歌、和歌等多くの珠玉の作品があり、昭和3年「明治節」を作詞された。
オートキャンプ場
・電話番号:0893-23-2384
つつじまつり
梁瀬山【大洲市】
高山寺山【大洲市高山】
2003/8/23
・標高 561.0m
・山頂には、以下のテレビ中継所の鉄塔が立ち並ぶ。
※厳密に言えば、テレビ中継所があるのは、三角点のある山頂ではない。
@NHK
AEBC(テレビ愛媛)、FM愛媛
Bあいテレビ、EAT(愛媛朝日テレビ)テレビ中継局
CNTTドコモ四国 愛媛無線中継所
高山メンヒル
秋葉山【大洲市柳沢】
2003/8/23
・標高 722m
・展望台有り
★三角点がありゃしないかと、第1駐車場から見て東側の山を登ってみる。ところが期待外れで、ピークには三角点は存在しない。しかし景観はまずまず。食事休憩するには好適である。残念ながら本日の天気は余り芳しくなく、眼前の山々は白く煙って良く見えない状態である。
秋葉神社
秋葉社境内「三尺坊大権現・七福神様・お観音様」
・第一駐車場より
@弁財天様
A寿老人様
B毘沙門天様
C布袋様
お観音様
D大黒天様
E福禄寿様
F恵美寿様
G三尺坊大権現御本尊様
※これらは平成8年12月に奉献されたもの。
秋葉三尺坊大権現秋葉社改築縁起 碑
ぼけはらい 延命福聚観音
「ぼけはらい 延命福聚観音」の案内標識に従い、見晴らしの利く肩部まで歩くとどうやら別荘のような建物が建っている。余り長居するような場所でもないようだが、ここからの景観は抜群。
草屋敷【大洲市/内子町】
・標高 824.4m
牛の峰【大洲市/八幡浜市】
・標高 660.5m
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金竜寺のイチョウ【大洲市手成 金竜寺】
・県指定天然記念物
・根回り10.77m、目通り幹周3.58m、樹高約41m、枝張り東西28.3m、南北19mのものを始め、3本の大きなイチョウが聳える。
・樹齢約370年
・文化3年(1806)堂宇建築時に伐採されたが、再び大木となっている。
八多喜のイチョウ【大洲市八多喜町 聖臨寺】
・市指定天然記念物
・根回り8.7m、樹高34m、樹齢400年。
・粟津小学校〜聖臨寺に至る坂道の入り口にある。
・雌木
竹柏樹(ナギノキ)【大洲市新谷 新谷小学校】
・樹齢約300年。
※2003/8/23にこのナギノキを探しに行ってみた。
新谷小学校のサッカークラブ(?)が練習中。その練習風景を見に来ていたのか、新谷小学生の孫を連れて来ていた男性に尋ねてみたが、地元の人間ではないのでわからないという。小学生のお嬢ちゃんは親切にも「どの木かなぁ...」と辺りの木の名札を見ながら探してくれている。「いやいや、樹齢300年ほどの古い木っちゅう話やからそこら辺に植わっとるやつとは違うんよ。ありがとね」と御礼を言う。
中川東川沿いに歩き、近所の人に「新谷の怪樹・竹柏樹(ナギノキ)はどこにあるんですかね?」と尋ねてみるが、全く知らないという。「ムクエノキのこと?」という反応はあるのだが。
「ひょっとしてムクエノキ=ナギノキ?」などと考えてみるが
ムクエノキ(椋榎):ニレ科
ナギノキ:マキ科
であり、全く別物。@名前の由来譚
武蔵坊弁慶が引っ張っても切れなかったので思わず泣いてしまった。よって「なぎの木」と呼ぶ。Aタタリ伝説ある武家屋敷で年末に餅を搗いていた。下女がその餅を盗み食いし、主人に見つかり竹柏樹の根元で斬り殺された。それからこの樹のところに、下女の亡霊が現れるようになった。一層怒りを覚えた主人がこの樹を伐ると、その切口から真っ赤な鮮血が滴り落ちた。その後、この家で餅を搗くと、白い餅が赤い血に染まり、やがてこの主人も変死を遂げたという。
新谷のムクエノキ【大洲市新谷 新谷小学校】
2003/8/23
・大洲市指定天然記念物(昭和31年9月30日指定)
和霊神社のツブラジイ A・B・C【大洲市新谷 和霊神社】
2003/8/23
・大洲市指定天然記念物(平成4年10月27日指定)
八幡神社社叢【大洲市阿蔵 八幡神社】
・県指定天然記念物
ハルニレ【大洲市東宇山】
・県指定天然記念物
西禅寺のイブキ(ビャクシン)【大洲市手成 西禅寺】
・県指定天然記念物
・市指定天然記念物
・西禅寺前庭(山門左側)にある。
・根周り幹周3.66m、樹高15m
・推定樹齢 約600年(開山と同時期か?)
森山のサザンカ【大洲市森山】
・県指定天然記念物
如法寺のツバキ【大洲市柚木 如法寺】
・県指定天然記念物
火防地蔵堂のネズミサシ【大洲市手成975 火防地蔵堂】
・市指定天然記念物
・火防地蔵堂の前庭にある。
・根回り幹周5.3m、樹高13m
一の宮神社 ムクノキ エノキ シラカシ群生地【大洲市柳沢】
2003/8/23
・大洲市指定天然記念物(昭和34年11月3日指定)
・「一の宮神社境内に、ムクノキ2本、エノキ2本、シラカシ1本あり、そのうちムクノキの最大のものは目通り周 5.6m、高さ30mある。これらの巨木が相集まって神社を囲み永年守護しているかの如くある。
五輪山の自生林【大洲市田処】
・大洲市指定天然記念物
・「田処五輪山の山腹標高600mの約50eの地域は、石鎚神社の分社の境域として禁伐保護してきた所である。一般に表土が浅いために植物もまばらに生えているが、木本95種、草本50種が見られる。ケヤキ・コナラ・エノキ・イロハカエデ・シデ・イヌシデ・ハマクサギ・ウラジロウツギ・ウラジロノキ・ザリコミ・ニワトコの木本や、草本にはマルバコンロンソウ、サワハコベなどが見られる自然林である。石鎚大権現の社殿があるのだが、マナーの悪い登山者がいるもので、辺り一面に弁当やジュースの空きパックなどが散乱していて、些か興醒めしてしまう。
しかし、辺りを取り巻く林は、ここいらの低山にしては樹叢が立派で、趣の深いものである。東宇山のタブノキ群落
春賀の一本杉
東宇山のハルニレ
東宇山のヤブツバキ
東宇山のクワ
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肱川
・一級河川。総延長 103kmは県下最長。
臥龍淵【大洲市】
1998/1/22
・市指定文化財(昭和31年9月指定)
臥龍淵(がりゅうぶち)
・「昔、ひどい日照りが続いたとき、村人達は川の辺で朝早くから雨乞いをした。すると雨が降り出して、川から1頭の龍が出て、雨の中を天に上っていった。人々は肱川の辺にお宮を作って、龍を祀った」という言い伝えが残る。
・「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」という大洲藩3代藩主加藤泰恒公の言い伝えから「臥龍淵」と呼ばれる所以であるともいう。(藩主自身が実際に深淵に伏臥する雲龍を見て命名したともいう。)
臥龍山荘(がりゅうさんそう)
・肱川畔随一の景勝地臥龍の淵一帯は、藩主加藤泰恒候が、桜を吉野から、楓を龍田から移植して風情を加え、歴世の藩主遊賞の地であったが、補修されることもなく次第に荒れていった。
・明治30年頃、河内寅次郎がこの地を購入して、現在の如く建築、庭園などの結構を加えた。
・山荘は不老庵(ふろうあん)・臥龍院(がりゅういん)・知止庵(ちしあん)・庭園・臥龍蓬莱山とよりなっている。中でも臥龍院は桂離宮、修学院離宮、梨元御常御殿等を参考にして案を練ること10年、大工の草木国太郎をはじめ、漆工・金工・木彫り師などすべて京都の工匠を招き、着工以来4年の年月をかけて完成した。また庭園は、肱川・冨士山を借景し、神戸の植徳が10年を費やして築庭、昔の美しさ、「流れ積み」「乱れ積み」「末広積み」など石積みの工夫もおもしろい。
・山荘の景勝は、四季に亘ってそれぞれ風趣があり筆舌につくしがたい風致である。
・大洲市教育委員会は昭和31年(1956)9月、市の名勝に、更に昭和57年4月、臥龍院、不老庵を有形文化財(建造物)に指定している。→県指定有形文化財
・この地に初めて庭園を造ったのは文禄時代の渡邊勘兵衛である。
・「伊予の桂離宮」の別名を持つ。
・3代藩主泰恒はこの地をこよなく愛し、吉野桜、龍田楓を移植し、風致溢れる庭園を造った。
・幕末まで歴代藩主の遊賞地であった。
・観覧料金:大人500円、小人200円
・利用時間:09:00〜18:00(3/20〜10/31)、09:00〜17:00(11/1〜3/19)
★山荘内はカメラ撮影禁止!デジカメで撮りよったら、係りのおばちゃんに怒られてしもたわい。
臥龍院(がりゅういん)
・県指定有形文化財[建造物](昭和60年2月指定)
・明治の貿易商で新谷出身の故河内寅次郎氏が構想10年、工期4年と、その情熱の全てを注いだ建物。9000人の日役を要し、桂離宮・修学院離宮・梨本宮御殿などを参考にして、相談役に茶室研究家の八木氏を据え、大洲・京都の名匠を取り揃えて建築した。
不老庵(ふろうあん)
・県指定有形文化財[建造物](昭和60年2月指定)
知止庵(ちしあん)
・この建物はかつては浴室であったが、昭和24年に茶屋に改築した。
・「知止」の扁額は、10代藩主泰済の筆である。中江藤樹の説いた教えから、「知止」という名前を付けた。
・壁の腰張は皇室の名代を徳川家で迎えるとき、その接待役を務めた3代藩主泰恒の「茶方日記」の反古である。
国民宿舎「臥龍苑」
臥龍の渡し
・定期運航は日曜・祝祭日で、50人以上の団体客は平日でも予約があれば受け付ける。
・運航区間は、大洲市柚子の国民宿舎「臥龍苑」下の如法寺川原から、対岸の臥龍山荘の間の約300m。航行時間は約10分。
・運航時間は10:00〜16:00.料金は片道大人100円、小人50円。
矢落川
矢落川のゲンジボタル発生地【大洲市田処〜喜多山】
2003/8/23
・県指定天然記念物
矢落川の名の由来
八千の州(はちのす)
・淵の名前。
※矢落(やおち→やち)→八落(やち)→八千(やち)なる変遷を辿っているようにも思える。
中川東川【大洲市新谷】
本郷川【大洲市柳沢】
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長老淵(おさぶち)渓谷【大洲市柳沢】
2003/8/23
★「長老淵」はてっきり矢落川本流にあるものだと思っていたが、支流(河川名不明)の奥にあった。
道路脇の渓谷入口には、観光地らしく案内地図が建てられている。渓谷入口のやや西手の路側に数台の駐車スペースがあったのでそこに車を停めて、渓谷探勝へと繰り出す。
水車小屋
龍神淵
長老亀
・上に乗ると長生きできるという岩。竜神橋
★案内地図に敢えて記されているのだからさぞかし立派な橋が架かっているかと思いきや、単に丸太を渡した程度のものであった。以下の竜ノ瀬橋、長老橋も同様。
竜ノ淵
竜ノ金壷
★「壷」というくらいだから、八釜甌穴群(柳谷村)のように、深く河床を掘り込んだ特殊地形を思い浮かべたのだが、期待倒れ。「壷」らしき様子は全く伺えない。竜ノ瀬橋
権現橋
長老橋
長老淵
・龍王大神の小祠有り。
・特筆すべきは淵を取り巻く巨巌。と言うか、「巨岩の裂け目に淵が形成され、その奥に小瀑が勢いよく水音を立てている」という奇観がウリである。
長老権現
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稲荷山公園【大洲市】
1998/9/18, 2003/8/23
・えひめ森林浴八十八ヵ所 29番
紅葉山(稲荷山公園)
・大洲市指定名勝(昭和31年9月30日)
・神南山(標高654m)の麓、稲荷神社境内を含めた緩傾斜地帯60アールに、楓が林生する一帯を「紅葉山」として、名勝に指定されている。
・神社は旧新谷藩主の祈願所で、雨乞い、晴れ祈祷、平安祈願がなされ、一般藩民の崇敬も篤く、現在も旧初午祭、例祭など氏子との関連は深い。
・楓は「イロハカエデ」で、真紅に紅葉をする。約200年前、藩主が参勤の帰途、京都の高雄の苗木を持ち帰り、植え付けたと伝えられる。新緑の楓、晩秋の松・杉・桧の緑に映える紅葉を楽しむために訪れる人が多い。
・なお、霊台桜花、稲荷山晩楓、法眼寺暮鐘、南山晩雪の新谷八景(大正4年制「愛媛県案内」)の内、残る数景の一つである。
稲荷神社
・祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、等
・古き時代には神社の建物はなく、神南山が神様のおわす神聖な場所として、古代祭祀が行われていた。その後、現在の場所に神社が創立されたが、その年代は不詳である。元和9年(1615)初代加藤直恭公による新谷藩が成立しており、新谷藩主加藤累代の崇敬を集めた。
・造営修理は藩費で行われ、祭典も盛大に執行されていた。
・特殊神事:初午祭(旧暦初午の日)、湯釜祭(旧暦初午の日)、祈年祭(2/27)、本殿祭(10/5)、神幸祭(11/10)、新嘗祭(11/23)など■奉納絵馬
@慶應元乙巳年十二月吉日
A大正13年1月吉日
B大正13年1月吉日
湯釜祭
・天照大神が天の岩戸に隠れたときの神事を伝承して行うものといわれる。誠心誠意を神明に誓う意味より起こる行事であり、祭に参加する者の穢れを祓う目的である。
・若返りの若水の観念が含まれているという説もある。
改修記念碑
・平成14年6月★駐車場の端に佇む小祠には男根をシンボル化した奉納品が置かれている。「男神南」の裾野に位置することから男根崇拝に結びついているのだろう。
神南道路完成記念碑
内堀菖蒲園【大洲市】
1999/9/18
新谷菖蒲園【大洲市新谷】
新谷公園【大洲市新谷】
さくら見物公園【大洲市新谷】
2003/8/23
亀山公園【大洲市】
1998/1/22
・大洲市指定名勝(「臥龍及び亀山公園」)
・この「公園」は特定の敷地を指すのではなく、この辺り一帯を指す。肱川流域有数の景勝地である。
・対岸には関西屈指の躑躅園のある冨士山や盤珪国師が開山した如法寺を臨み、下流には山水画的な美しさを見せる臥龍ヶ淵や桂離宮を参考にした臥龍院などのある臥龍山荘があり、伊予の小京都と呼ぶにふさわしい趣にあふれている。また、肱川の美しい流れを舞台に、夏は鵜飼い、秋にはいも焚きが行われ、水郷大洲ならではの独得の風趣がある。
句碑
「京に似し伊豫の大洲に竹の春」 一乱
・昭和41年8月7日、大洲市観光協会、大洲俳句会、大洲白魚火会が建立した。
城山公園【大洲市】
1999/9/18
祇園公園【大洲市】
祇園祭り
フラワーパークおおず【大洲市】
・平成9年(1997)4月19日にオープンした。
肱川休憩地 【大洲市】
2002/5/11
・水洗トイレ完備 。
・「四国のみち〜肱川沿いのみちコース」の案内図が建っている。傍らには松根東洋城の句碑有り。
・公園脇には「如法寺案内図」の看板が掲げられている。
・肱川越しに臥龍山荘が見える
松根東洋城の句碑
祇園祭り【大洲市八多喜 祇園神社】
・旧正月1日〜4日
寒中水泳大会【大洲市中村】
・大洲藩の古式泳法「神伝流」の普及と、新成人の門出を祝って1月15日に実施される。
・ヤマツツジ、キリシマツツジなど約60,000本が咲き乱れる。
・4月25日〜5月15日、冨士山山頂付近で行われる。
おおず赤煉瓦館(おおずあかれんがかん)【大洲市大洲60番地(本町)】
1998/1/22
・大洲市指定有形文化財(平成3年9月指定)
・明治34年(1901)12月に大洲商業銀行として建築された赤煉瓦による建造物。 敷地は800uで、3棟の建物で構成されていた。@本館・事務所:煉瓦造木造瓦葺二階建:257.70u(附属建物として、管理室・宿直室が27.84u、便所が1.84u )・現在は、喫茶、物産、展示コーナーのある観光施設となっている。
A北倉庫:煉瓦造木造瓦葺二階建:352.22u
B南倉庫:煉瓦造木造瓦葺二階建:40.00u
・建物はイギリス積みの煉瓦構造で、軒の上部に装飾を置く程度の簡素な外観であった。
・屋根は、寄棟造りで和瓦を葺き、鬼瓦に「商」の字を入れ和洋折衷の様式をとった。
・明治後期の煉瓦造銀行建築としては県内では希有のもので、南予地方では唯一のものである。・営業時間:09:00〜17:00
大洲家族旅行村【大洲市 冨士山】
・冨士山周辺に広がるレクリエーション施設。
・ちびっこ広場、展望広場、じゃぶじゃぶ池、ファミリー園地、オートキャンプ場などがある。
エルンテ大洲【大洲市】
1998/1/22
・(株)ファームによる地ビール工房。
城山郷土館【大洲市三の丸】
大洲まちの駅 あさもや【大洲市大洲649-1】
大洲市立博物館【大洲市中村618-1】
・電話番号:0893-24-4107
・開館時間:9:00〜16:30
・休館日:月曜日・祝祭日
祖母井城(うばがいじょう)の伝説【大洲市春賀】
祖母井城落城秘話
・昔、ここに平松城があった。
・この城は、天文年間(1532〜1554)、大洲城主宇都宮氏に仕えた祖母井之重(ゆきしげ)が、家臣後藤新平と東宇和郡山田城を攻め取った褒美として粟津郷を賜り築いたものである。
・城を築いたものの、飲料水が無いので城を移転しようかといっているとき、老婆が現れて良水の在処を教えた。それで移転を思いとどまり、その泉を祖母井と名付け、城名も祖母井城とし、城主も祖母井に改姓した。
・ところが天正13年(1585)7月7日、宇津城主(菅田)大野安芸守直守の夜襲を受け、祖母井城は攻め落とされ、祖母井城主祖母井之照(ゆきてる)は愛馬の首をはねて、のちに自分も首をはねて死んだ。(夜襲・討死した説と、自刃説がある。)
・それ以来、毎年之照の命日7月6日の夜、菩提寺の東門寺に向かって、之照の霊を乗せた首なし馬が走るという。
首なし馬の伝説
・「旧暦7月7日の早朝、三善村春賀で和田の方から東門寺に向かって走る馬がいる。馬の轡(くつわ)の音を聞いたら大病になる。馬には人(祖母井之照?)が乗っているが首無し馬である。東門寺は6日の夜から7日の朝にかけて本堂の扉を少し開けておく。」という伝説。★「うばがい」という響きで連想するのは、柳田国男が「日本の伝説」で記していた「うばかいない」である。 そういや、「日本の伝説」には、首なし馬の話も載っていたなぁ...
・祖母井城跡から東門寺までの二丁の小道を首なし馬が走るという。
★馬は水の神を乗せて走る動物である。
★老婆=祖母=乳母は水の神に仕える女性とも考えられる。また神の子の大い子を育てる乳母とも考えられる。
★大い子=大子=だいし=大師となり、水の伝説に弘法大師が絡んでくる。
梅川【大洲市】
天神様の境内に梅の大木があった。
良い香りを漂わせるので評判になり、やがて殿様の耳にも入り、その木をお城に移すことになった。
梅の木を移す際、村人たちが川づたいに運んだので、その川は梅川と呼ばれるようになった。
鳥坂峠の狼【大洲市】
むかし、熊野甚之助という男が鳥坂峠で狼に出会った。甚之助は近寄ってきた狼の喉を掴んで殺そうとしたが、ふと見ると狼の喉に大きな骨が刺さっていたので、それを抜き取って放してやった。
数日後、狼は刀を咥えて甚之助のところに御礼に来たという。
矢落川の名の由来【大洲市】
戦国時代末期、土佐の長曽我部元親の大軍に新谷の元城と貞行城が攻められ、すっかり囲まれたときのこと。
2つの城は矢に文を付けて互いに連絡を取り合った。あるとき、矢が川に落ちて、大切な文が長曽我部軍に拾われてしまい、間もなく2つの城は攻め滅ぼされてしまった。
このことから、その川を矢落川と呼ぶようになった。
十夜ヶ橋の由来【大洲市】
大同二年、弘法大師が四国巡錫で大洲地方を通られたが、人家も少ないうえ農繁期であり、村人は誰も快い対応をしなかった。
大師は悲しんで、杖でトンと地面を突いた。すると忽ち土地は荒れ果ててしまったという。
大師は、宿る家なく、途中日が暮れて空腹のまま一夜を小川に架けた土橋の下で野宿し、夜の明けるのを待った。「旅人に対して不親切なので、一夜が十夜のように長く感じる」という歌を詠み、それから「十夜ヶ橋」と呼ばれるようになった。★「少彦名命が出雲から新谷の都に住み、そこが谷になっているところから都谷が橋と読んでいた」との話もある。
神南山にカズラが生えない理由
むかし、大鬼と呼ばれる大男がいた。この男が金山出石寺の頂に立って東方を眺めると、神南山が邪魔して眺めが悪い。そこで大きなカズラで神南山を縛りつけ、長浜沖に投げ捨てようとしたのだが、カズラが切れて大鬼は尻餅をついてしまった。怒った大鬼が「くそったれがぁ!神南山にはカズラは生えるな!」と叫ぶと、それ以来神南山にはカズラが生えなくなったという。
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大洲家族旅行村【大洲市菅田町】
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少彦名温泉
2002/5/11
・泉質:低張性アルカリ性冷鉱泉
・泉温:源泉20.4℃(気温6.6℃)
・温泉の成分:ph値 9.96
・100円で100g給湯する温泉スタンドが設置してある。
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