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西条市(Saijo City)このページの最新更新年月日は |
・うちぬきは、昭和60年(1985)、環境庁の名水百選に選ばれた。
・西条市は国土庁から水の郷の認定を受けている。
・NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」では西条藩が登場した。
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(1).「水の都 西条」
(2).「光る水 輝く自然 スカイブルーの似合うまち」
(3).「水と緑と文化をテーマにした潤いと活力のある快適環境都市」
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市の花 市の木 市の花木 市の鳥 桜 クロマツ カワセミ
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西条市商工観光課/西条市観光協会 (TEL)0897-56-5151
明治22年:西条町
大正14年2月11日:玉津村、大町村、神拝(かんばい)村を編入
昭和16年4月29日:氷見(ひみ)町、橘村、飯岡村、神戸(かんべ)村が合体して市政を施行
昭和31年9月18日:加茂村、大保木(おおふき)村と新居浜市大生院の一部を編入
・「西条」の名は、班田政策の条里制に因むといわれる。
・「島山以東を東條といい、島山以西を西條という」(深谷寺古文書[新居浜市角野])
大字 字
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木造仏通禅師坐像(1躯)【西条市中野 日明 保国寺】
・国指定重要文化財[彫刻]
社宝「予州新居系図」(1巻)【西条市中野 日明 伊曽乃神社】
・国指定重要文化財[書跡・典籍・古文書]
保国寺庭園【西条市中野 日明 保国寺】
・国指定名勝![]()
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王至森寺のキンモクセイ【西条市飯岡 野口】
・国指定天然記念物![]()
土居構跡(どいがまえあと)【西条市中野】
・県指定史跡
石造層塔[七重石塔](1基)【西条市福武 金剛院】
・県指定有形文化財[石造美術]![]()
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観音堂のフジ【西条市上喜多川 禎祥寺/観音堂】
・県指定天然記念物
天満神社の楠【西条市坂元】
・県指定天然記念物![]()
典籍七経孟子考文補遣【西条市中野 土居構跡】
・市指定文化財
石鉄修験道に関する古文書(巻物一巻)【西条市州の内 前神寺】
・市指定文化財
秋都庵:厨子【西条市】
・市指定文化財
秋都庵:須弥壇【西条市】
・市指定文化財
千人塚(せんにんづか)【西条市野々市】
・市指定史跡
高尾城跡【西条市氷見】
・市指定史跡
択善堂の扁額【西条市神拝】
・市指定史跡
大浜城跡【西条市大浜】
・市指定史跡
諏訪山古墳【西条市船屋内山乙27-36】
・市指定史跡
八堂山遺跡【西条市福武 八堂山】
・市指定史跡
旧西条陣屋跡【西条市明屋敷(あけやしき)】
1999/4/30、2002/4/14
・現在の西条高校のあるところに、西条陣屋があった。
・市指定史跡(昭和39年8月11日指定)
・1640年頃、西条藩主一柳直重が築造した。
・現在は西条高校の敷地になっている。
・寛永13年、伊勢神戸城主一柳直盛は郷国西条へ転封になったが、赴任の途次大阪で病没したため、長男直重が後を継ぎ西条に赴任した。直重は、西条陣屋を築造し城下町を開いた。直重の後を継いだ直興(なおおき)は、寛文5年改易となり一柳氏の治政は30年間で終わった。
・その後、寛文10年紀州から徳川頼宣の次男松平頼英(頼純=よりずみ?)が明治2年版籍を奉還するまで西条は城下町として繁栄した。
・現在陣屋跡は西条高等学校となっているが、校門となっている大手門、門脇の堤、前濠の石崖、お矢来、濠等に昔の面影が偲ばれる。
★時折学生達の雄叫びの声が響く。風情が一挙にトーンダウンするかの如く。(1999/4/30)
市立郷土博物館
愛媛民芸館
★両方とも残念ながら休館日であった。(1999/4/30)
西條藩邸址碑
「お堀」
・西条市名水・名木50選
「お堀のやなぎ」
・西条市名水・名木50選
野々市原古戦場(千人塚:せんにんづか)【西条市野々市】
2000/7/30
・市指定文化財
・天正の陣のとき、この地方の豪族と豊臣軍の一戦で、敵将はその武勇を称え、戦没者の首を一ヶ所に集めて供養した。
★千人塚を探してみたのだが、一向に場所がわからない。よって断念。(1999/4/30)
★以前(1999年4月30日)に禎祥寺観音堂(西条市上喜多川)の駐車場のおっちゃんに、「歴史が好きなら野々市原(ののいちばら)へ行ってみたら?」と教えてくれたのだが、場所がわからず、結局おざなりになっていた。
国道11号線を西進していると、途中で案内板が目に留まったので、すかさず左折して探しに行く。車一台がやっとの道であり、難儀な思いで進んでいくのだが、注意深く道端に目をやると要所要所に案内標識が建っており、3回ほど左折・右折を繰り返すと目的地に辿りつくことができた。
千人塚というくらいだから石積みの塚が数多く並んでいるものだという先入観を持っていたが、実物はちょっと拍子抜けするようなものであった。とは言え、「市指定史跡・野々市古戦場」という西条市教育委員会の立派な碑も建っており、郷土史を語る上での要所であることには間違いなさそうだ。「千人塚400年祭記念事業」として昭和59年9月には史跡公園として整備もされている。「天正の陣野々市原古戦場 千人塚四百年祭」と刻まれた碑も民家脇に堂々と建っている。
教育委員会が建てた碑には「豊臣秀吉の四国経略にあたり毛利輝元を総大将、小早川隆景を征討大将とする進攻軍に対し金子城金子備後守元宅を総大将とする郷土軍が激烈な攻防戦を行った。これが高尾城並びに野々市原である。天正13年(1585)7月12日に高尾の城攻めが開始され、7月17日に落城した。進攻軍の30000騎に対し郷土軍は2000足らずと衆寡敵せず郷土の勇士たちは力戦奮斗の末討死した。この戦のあと小早川隆景は首級を実験してこれを一墳にあつめねんごろに葬ったという。それが千人塚である。 昭和45年9月1日指定」とある。
千人塚の横には「生子山松木三河守安村公之碑」という碑も建っている。昭和9年7月17日に、11世の孫にあたる松木幹一郎氏により建てられたものであるが、裏面の碑文を読むと野々市原で討死した郷土軍の一人であるようだ。
史跡千人塚の案内標柱
史跡野々市ヶ原古戦場の案内標柱
・上の2つの標柱はいずれも野々市集会所前にある。![]()
西条まつり
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大保木のいちょう【西条市大保木】
旧大保木小学校のそめいよしの【西条市大保木】
上の原のうすぎもくせい【西条市大保木】
石鎚神社のひのき【西条市橘 石鎚神社】
野々市のやまもも【西条市橘】
阿弥陀寺ののだふじ【西条市楢木 阿弥陀寺】
阿弥陀寺のさかき【西条市楢木 阿弥陀寺】
市倉のかきのき【西条市神戸】
中野のたらよう【西条市神戸】
中野のなんてん【西条市神戸】
氷見のひがんざくら【西条市氷見】
石岡神社社叢(氷見のお旅所のくろまつ群)【西条市氷見】
大喜多のいちょう【西条市氷見】
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高外木城跡【西条市中野】
→c.f.白米城の伝説
高尾城跡【西条市氷見】
・市指定史跡
大浜城跡【西条市大浜】
・市指定史跡![]()
八堂山遺跡【西条市福武 八堂山】
・市指定史跡
・弥生中期から後期にかけての遺跡。
・古代住居が復元されている。
→詳細は八堂山を参照。
半田山遺跡【西条市】
・弥生時代の遺跡。![]()
下福古墳【西条市中野日明 伊曽乃神社】
諏訪山古墳【西条市船屋内山乙27-36】
・市指定史跡
土居構跡(どいがまえあと)【西条市中野】
1999/4/30、2002/2/10
・県指定文化財[史跡](昭和23年10月28日指定、久門範政所有)
・天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐で焼失した高外木城(たかとげじょう)の東の館で、現在も昔の建築様式を止めている。「土居構とは古い城郭の形式である。此処は約六百余年の昔、新居・宇摩2郡を支配した大野通直が築造したと伝えられる。主峯高峠を中心に麓に加茂川の急流をめぐらした城塞の拠点として偉容を誇った高外木城主の平生の居館の跡である。
時代は移って石川氏がこれに拠ったが、天正13年(1585)の兵乱に建物等一切焼亡して僅かに石垣芝生の犬走等のみ残存している。
寛永19年(1643)久門政武が中野村庄屋として入居し、子孫継承して今日に至っている。
寛文のはじめ建築した家屋はその後改造を重ねながらなお旧態を保っている。書院の庭園は江戸初期民家の代表的なものとして推奨されている。
本邸を囲む巨樹老樹を含む植物群は旧時よりの居住者の生活様式を類推し得る意義深いものがある。」西条市教育委員会の立て看板(昭和56年3月18日)より
典籍七経孟子考文補遣
・市指定有形文化財(昭和45年8月5日指定)
植物群
・県指定文化財。
・構跡内の植物は約40種で、植物群として貴重なものである。
塞神
・土居構入口の路地に立つ木の下にひっそりと祭られている。
お旅所跡(お旅所遊園地・新御堂児童公園)【西条市氷見 新御堂】
2000/7/30、2002/2/10
・ふるさとサイクリングコース★ふと「ふる里サイクリング」コースの案内板が目に留まる。ここは「氷見お旅所」らしい。市指定天然記念物「氷見お旅所のくろまつ群」(昭和45年8月5日指定。所有者:石岡神社)と記しているものの、見渡せどそれらしきマツの木は見当たらない。解説には「石岡神社の新御堂お旅所には7本の老クロマツ群がある。以前はもっと沢山あったが枯死した。西条藩松平氏の御代参道にもあたるところである」と記されており、西条祭りとの関係が深く、藩政時代の交通の要所であったことを匂わせる。道沿いには「右遍んろ道/左西條道」と刻まれた道標が建っており、古くより行き交う人も多かったに違いない。(2000/7/30)
大久保四郎兵衛の墓【西条市氷見大久保】
2000/7/30、2002/2/10
たごりの神様
・大久保四郎兵衛は、天正13年 大久保の城を守って討ち死にした。
・たごりの神、咳の神として今も祀られ、平癒の際には祠に湯呑みを奉納している。
★国道11号線の南側に並行して続く旧道を通り西進していると、散髪屋の隣に何やら小さな祠があり、その横に白ペンキの角材に黒文字で何やら説明書きがなされた標柱が建っているので、立ち寄ってみることにする。
「大久保四郎兵衛の墓」と記されている。大久保四郎兵衛は、天正13年 大久保の城を守って討ち死にしたのだが、何故か不明であるが「たごりの神」、「咳の神」として今も祀られ、平癒の際には祠に湯呑みを奉納しているということだ。しかし大久保四郎兵衛と「たごりの神」との間には何等因果関係が無さそうに見える。この祠の場所が、旧金刀比羅街道であることを考えれば、「道祖神信仰→賽の神→咳のおばさま」という流れを汲む場所と四郎兵衛の墓が存在した場所が単に一致したに過ぎないものと思われる。(2000/7/30)
阿弥陀寺【西条市楢木】
2002/2/10
・ふるさとサイクリングコース
清水寺
・新西国二十五番霊場
阿弥陀寺ののだふじ
阿弥陀寺のさかき
王至森寺(おしもりじ)【西条市飯岡3021(野口)】
2000/7/30
・新四国曼荼羅霊場 第31番札所
・宗派:真言宗
・本尊:大日如来
・舒明天皇が道後の湯へ赴く途中、気瑞を得て創建したと伝える。
・天正年間(1573〜1592)に再興されたという。
玉座石
戻ってきた木
王至森寺のキンモクセイ
お箸杉
吉祥寺(きっしょうじ)【西条市氷見(ひみ)】
1996/3/10
・四国八十八ヶ所霊場第63番霊場
極楽寺【西条市大保木】
1999/10/18
・電話:0897-59-0011
・「山岳信仰のメッカ」
・新四国曼荼羅霊場 第32番
・西条新四国観音霊場19番札所
・石鎚山真言宗総本山
壇信徒会館「金剛閣」
金剛院【西条市福武甲】
2000/7/30
・宗派:真言宗
・八堂山東方山麓にある。
七重石塔
・県指定有形文化財(石造美術、昭和29年11月24日指定)
・源実朝は承久元年非業の最期を遂げた。後堂北の方は落飾して京都遍照心院を建立し本覚尼となり亡夫の菩提を弔った。文永7年実朝の50年忌にあたり供養の本覚尼がこの塔を建立せられたものという。総高322cm。均整のとれた美しい石像美術である。本堂南側にある石段を登った右手にある。
定額位大僧正・佐藤明義翁銅像
秋都庵(しゅうとあん)【西条市】
・別名室山義通寺。
・本尊:千手観音
厨子
・市指定有形文化財
須弥壇
・市指定有形文化財
浄光寺【西条市野々市】
真導寺【西条市中野】
2002/2/10
・神戸公園南側に位置する。
・入口には「西國参道入口」の碑が建てられている。
西国三十三観音真導寺山霊場
昭和63年9月23日に西條史談会により建てられた標柱によれば「天保年間、郷土の有志により開創せられたこの霊場も、戦中戦後にかけて荒廃のままになっていたが、地元老人会の奉仕により旧態に整備復元された」とある
真導寺薬師堂
昭和63年9月23日に西條史談会により建てられた標柱によれば「奈良時代創建の真導寺の跡は、昭和50年県教委により発掘調査され、縄文早期土器、弥生式土器、須恵器、石器、古瓦奈良二彩等々夥しく出土した。寺跡は浄水場となったが、薬師堂は旧態のまま大きな....」とある。
禎祥寺/観音堂 【西条市上喜多川】
1999/4/30
・電話:西条市商工観光課 0897-56-5151
・駐車場:有料、50台
★駐車場料金\300を払って車を停める。「松山市内に駐車するより高いやんかぁ」と最初は怒り心頭あらわにしていたが、駐車場のおっちゃんがええ人で、ワシが色々と郷土の歴史などを調べよるという話をしたら、幼い頃のこの辺りの景観などの話を仕事そっちのけで話して下さった。(1999/4/30)
★380〜390年前から堤防の上には武丈に至る松並木があったという。堤防も今の位置ではなく、観音堂の横の土手が昔の堤防だったという。松並木は戦時中の食料政策で、新田を開拓するために切り倒されたという。松並木があったということは、江戸時代にここに街道が存在したことを暗に示しているのではないだろうか。(1999/4/30)
★更に時代を遡れば、加茂川は以前はもっと東よりに河口があったという。丁度現在の西条市街地を二分するような格好で流れていたというが、領地を二分するのは良くないと、当時の殿様が流路変更の工事を命令し、今の位置に流れが変わったという。よって、市街地附近には船川などの地名が残っているという。(1999/4/30)
禎祥寺
・西条新四国観音霊場31番札所
・宗派:臨済宗東福寺派
・山号:無量山
・奉納額のに、天保3年の水害での奇跡が記されている。8月6日夕方より7日朝に至る大暴風雨の際、難を逃れようと村人達はこの観音堂に集ったが加茂川の水は益々勢いを増し、終に堤防が決壊して水が流入してきた。しかし今教和尚の導きにより観音菩薩へ一心に祈ると本堂上まで浸水していた水は徐々に引き始め、百余人の命が救われた...という内容が記されている。
観音堂
観音堂のフジ
「河野通信公並子孫常住之寺」の碑
・昭和47年10月、石川氏が建立した。
旧伊予国東観音寺 光明天王勅願所記念の碑
・昭和47年10月、河村、藤田、石川氏らが建立した。
坂中寺【西条市坂中】
1999/10/18
・本尊:千手観音
坂中寺のスギ
・西条名水・名木50選
誓願寺【西条市千町 土居】
大福寺【西条市荒川】
法明寺【西条市洲之内 西原】
2002/2/10
明運庵
・西条新西国観音霊場第28番札所
三十六童子不動尊勧請記念碑
射場が谷
・西條史談会による標柱に拠れば「掻上土山城主・難波江氏(藤太夫・内蔵助)の弓の射場と伝えられる。地名の起因となる。」
菅五郎兵衛(中山)之墓
・西條史談会による標柱が平成9年11月に建てられている。それに拠れば「安知生村の庄屋の篤学の人。藩学揮善堂に勤務」とある。墓はこの標柱が建っているところから、谷川に沿って約250mのところにある。
保国(禅)寺【西条市中野日明】
1999/4/30、2001/4/1、2002/2/10
・山号:萬年山
・宗派:臨済宗東福寺派
・保国寺は、古く聖武天皇の勅願寺として開創され、建治年中(1275〜1277)禅刹となった。
石庭
・国指定文化財[名勝](昭和50年10月16日指定)
・室町時代(永享年間)の作と言われ、四国最古のもの。
・面積は約700u。
・本庭園は第4世大愚和尚のとき(1430年頃)の築造とされている。
・足利義満の命で宗阿弥が作庭したとされる。
・正面築山上に三尊石、その下に枯滝の石組を構え、左右の山畔から池辺にわたって多数の石を配し、池中に亀島をおいてある。
・特に石組は室町時代特有の傑出した手法をみることができ、庭園文化史上価値が高い。
木造仏通禅師座像
・国指定文化財(昭和46年6月22日指定)
・保国寺開山仏通禅師の座像である。像高78.3cm、等身大の木彫りの像で、肖像彫刻の代表的仏像ある。
・正和元年(1312)禅師の没後間もない頃の作と思われる。
。この倚像は、もと本山東福寺に安置されていたが仏遍禅師が保国寺中興の高僧であるため江戸時代の末期、乞うてここに移されたものである。
・像の地肌は黒光りしており、俗に黒仏さんと呼ばれている。堂々たる容姿はよく均整が取れ、重厚な顔かたちは、京都東福寺の管長であった傑僧の風格を良く現している。
・鎌倉末期の禅宗頂相彫刻の円熟した技法が伺える。
・昭和45年11月、アメリカのボストン美術館に日本の仏像代表として出典されたこともある。
保国寺のソテツ
・西条市名水・名木50選(平成3年3月指定)
石川備中守通清の墓
・石川備中守通清は高峠(高外木)城の最後の城主であり、天正の陣の前年に病没した。★保国寺の西側に聳える山の頂上に高外木城があった。
前神寺【西条市州の内】
・1996/3/10
・四国八十八ヶ所霊場第64番札所
妙昌寺【西条市東町230】
・宗派:日蓮宗![]()
飯積神社【西条市下島山川北】
・後方に聳える山は天神山という。
石岡神社【西条市氷見(ひみ)】
石鎚神社【西条市西田】
2002/4/14
・石鎚神社とは、西田にある本社、石鎚山中腹の成就社、山頂の頂上社を総称していう。
・中世以降、山岳仏教や修験道場として数多くの信者を擁す。
・日本七霊山の一つに数えられる。
※日本七霊山:富士山、御嶽山、大峰山、立山、大山、石鎚山、釈迦岳
石鎚神社口ノ宮 【西条市西田】
・西日本最高峰といわれる石鎚山を神体とする。
・修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)も52歳のころ石鎚山に登って修行したと伝えられ、蔵王権現示現の地として古来修験道の信仰の厚いところである。
成就社(常住社=じょうじゅしゃ)[中ノ宮]
・本殿は無く、拝殿の正面中央に石鎚山の頂上が臨めるようになっている。
・ここまでは、下谷からのロープウェイに乗れば容易に到達可能。
奥社(おくやしろ)[頂上社]
・頂上には奥社が設けられ、神霊の鎮座するところとする。
・古くから「境内七里四方」といい、そこを霊域と定めて女人禁制とした。
お山開き(7月1日〜10日)
お山市
・石鎚山の祭礼は7月1日から10日間行われていて、これをお山市という。
お山参り
・石鎚神社へ登拝することをお山参りという。
・多くの人はお山襦袢という白衣を纏って登拝する。
・お山襦袢の背中には丸に石の字を染め抜いている。
・信者が上り下りで行き逢うと「お上りさん」「お下りさん」と言って挨拶する。
伊曽乃神社【西条市中野日明】
祭神:天照大神、景行天皇の第2皇子 武国凝別命を祀る。
・社伝によると、成務天皇28年の創建という古い歴史を持つ。
・現在の社殿は昭和15〜16年に建て替えられたもので、総檜の神明造り(伊勢の皇大神宮と同じ)である。
★2001/4/1、花見がてらに出向く。
秋祭り(10月15日、16日)
下福古墳の遺石
・西条市中野字下福にあった古墳については、天保13年に書かれた「西條誌」に、
「塚穴は大石を積み上げ天井のようにして、内の広さ二坪ばかり、中野村庄屋作之介や組頭平作等が、度々中に這入ったと話している」
と書かれている。その後古墳も開畑・開田により破壊され遺石も散逸してしまっていた。
・下福道路の改修に当たった栗田建設の特別な奉仕により、遺石の蒐集・展示をするに当たり、高橋尚城氏や高橋進氏からも遺石の提供があった。
宝物館
・入館料:大人200円、小人100円
・館内写真撮影禁止。
★見物客はワシ一人であったが、宮司(年の頃合いは若く、30〜40才)の方が懇切丁寧に宝物の由来等を説明して下さった。
★日本画の巨匠が描いた作品が多数奉納されとる。
社宝「予州新居系図」
・国指定重要文化財(昭和27年3月29日指定)
・新居氏の一族である東大寺戒壇院の長老示観国師凝然が、弘安4年(1281)に伊予の豪族新居氏の家系を消息文の紙背(手紙の裏側)へ詳細に書いたもので、3.6m余りの横系図である。
・伊曽乃神社の祭神である武国凝別命の子孫が新居氏とよばれ、系図には、上は一条天皇の頃から下は後宇多天皇の頃までおよそ300年間にわたって12世500人が書かれている。
・この新居系図は、和気系図・海部系図と共に、日本三大古系図のひとつに数えられている。
・複製したものが宝物館に収蔵・展示されている。
社宝「西条祭絵巻(伊曽乃祭礼絵巻)」
・西条藩主がお国自慢として元禄年間に仙台候に贈ったもの。
伊曽乃神社の社叢
・西条市名水名木50選(平成3年3月指定)
大楠
境内正面にある神木の楠は、目通り周り約5.5m、高さ約30m、推定樹齢500〜700年の巨木である。
伊曽乃神社の大石
古茂理神社(こもりじんじゃ)
・中野村(現在の西条市中野)の産土神。
・祭神は木花之佐久夜毘賣命(このはなのさくやひめのみこと)。木花之佐久夜毘賣命は大山津見神の娘で、石長毘賣(いわながひめ)の妹。美人の神で、神武天皇の祖々母にあたり、後世安産育児の神として信仰がある。
境内社:遥拝社
・加茂・神戸両郷内諸社遥拝所
・古来より本社境外末社を遥拝するために設けられている。
境内社:天満神社
・祭神:菅原道真公、大物主命、可々背男命(かがせおのみこと)、大山積命、神田大明神
・古来天神さまとして崇められ、文化11年(1814)に勧請された。その後、大正3年加茂村荒川鎮座天満神社を合祀した。
・学問の神様として合格成就に霊験あらたかである。
境内社:山王神社/厳島神社/妙見神社
・山王神社は大山咋神(おおやまくいのかみ)を祭神とする。明治42年船形の鎮守神を合祀した。
・厳島神社は多紀理毘賣命(たぎりひめのみこと)、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)を祭神とする。古く境内桜間の池に祀られた神と併せて下町厳島神社の全祭神を併せて祀る。
・妙見神社は八千鉾神(大国主命の別名)を祭神とする。古来縁結び、病気平癒の神として崇められ、船形の鎮守神を合祀する。
境内社:瑞枝神社(みずえじんじゃ)
・祖霊(神葬者霊魂)並びに天正の陣に殉じた久門家の祖神を祭神とする。
境内社:鎮守神社(又野神社)
・又野の村上平兵衛、宇高の高橋孫兵衛、高橋彌一左衛門を祭神とする。
・宝暦3年(1753)、西條藩主頼淳(よりあつ)公定府(江戸在位)で、当時西条藩の苛政に窮苦した農民は藩庁に哀訴嘆願したが容認されず、加茂川原に集まり訴えた。
・ 祭神となっている三名は首謀者として捕えられ、宝暦4年江戸藩からの赦免状が間に合わず加茂川原で斬刑された。後日、藩公がその死を哀れみ三名の霊を境内に祀った。
境内社:御先神社(おんさきじんじゃ)
・猿田毘古神(さるたひこのかみ)を祭神とする。猿田毘古神は天孫降臨にあたり、先導をした国神。
寒風山トンネルの岩塊
・寒風山トンネルの坑内工事現場で採取され、平成7年7月高知県との県境到達の記念として鹿島・大成共同企業体より伊曽乃神社に奉納したもの。
・泥質片岩(黒色片岩)
大倉粂馬翁頌徳碑
・昭和15年11月1日建立
・大倉氏は伊曽乃神社が国幣中社に昇格したときの功労者である。
・南予出身の文学博士山本信哉氏が撰文した。
・書は芳翠(松本英一:元大蔵粂馬の秘書)による。
大元神社【西条市大保木】
2002/2/10
加茂神社【西条市福武乙】
2000/7/30
嘉母神社(かもじんじゃ)【西条市禎瑞】
うちぬき
・境内に湧出している「うちぬき」は、平成8年・全国利き水大会で「日本一おいしい水」に選出された。
秋祭
・体育の日の前の土・日曜日に行われる。
・太鼓台の宮出し→かきくらべ→宮入り
高智神社【西条市】
高智八幡神社【西条市東之川】
古長河内神社【西条市西浦】
2002/2/10
境内末社:岡八幡神社
境内末社:三社宮
・数多くの神社を合祀したと見え、寄り合った神々をずらずらと列挙した額が小さい社に懸かっている。それを見ると、どうやら中奥地区のあちこちに祀られていたものを一郷一社として纏めたようだ。
出雲神社 元 前田 古森神社境内鎮座 及仝所 伊藤梅吉庭内 一社 杵築神社 元 細野 曽我神社々内鎮座
元 前田 天満宮社内鎮座
仝所 天皇ニ鎮座 一社大皇神社 元 前田 古森神社々内鎮座 臍緒神社 元 前田 古森神社々内鎮座 八幡神社 元 中奥 字多郎兵衛地鎮座 加茂神社 元 中奥 大上ニ鎮座 荒神社 元 中奥 西鍛冶屋 仝.... 山神社 元 中奥 淀 字山神 前田西谷
仝字 西鎮座神明神社 元 細野 出店鎮座 敦賀神社 元 庄治川出店ノ岡 御先神社 元 細野東番組鎮守社ノ上佐古 西宮神社 元 中奥淀ノ上 西ノ宮 金刀比羅神社 元 細野 曽我山上 三社神社 元 細野 下加恵志畑中 生目八幡社 元 細野上曽我山上 若宮神社 元 細野久保鎮座
西條神社【西条市大町】
2000/7/30
・祭神:徳川家康公、徳川頼宣公、西條歴代藩主松平諸公
・松平諸公は家康公の御孫の系譜に当たり、西條藩主として10代200年の間、宇摩、新居、周桑の村浦に仁慈の政治を敷き、ことに西條地方発展の基礎を開いた。
・古くから西田二並山に祀られていた東照宮を合祀して明治5年現在地に創建された。もと大町村村社、後西條東照宮の名を西條神社と改めた。明治27年県社昇格。
・社宝は家康公の馬印。
・例祭日は4月6日。
伊曽乃宮お旅所の碑
一茶句碑
「冬の月いよいよ伊予の高根哉」「廿日大町はたごやに泊る。廿一日雨つれづれ昼寝して起きて見れば春雨晴れず日も暮れず」「桃の明スサ霧男眠気也」
江戸時代の俳人・小林一茶は寛政7年(1795)の春に伊予路を旅し、2月20日には大町に泊って句を作っている。句碑は平成元年7月建立。
鶴亀石
この石の背に乗ると延命長寿を祝福されると云われる。
下津ライオンズクラブ/西条石鎚ライオンズクラブ姉妹提携記念碑
乃木将軍の梅
高砂浦五郎碑
条内神社【西条市】
竜王の岩
→c.f.氷見石岡神社
杉尾神社【西条市洲之内】
2002/2/10
土山城址
「土山城は掻上城で、天正年間 難波江藤太夫 同内蔵助の拠ったところ。
杉尾神社には難波江氏の祖神をを祀り、近くに難波江氏の墓がある。
前の段畑は難波江氏の館跡と伝えられている。
この石は松平頼純公の腰掛石といわれている。」
(西條史談会による標柱[=昭和57年3月20日建]に記載)境内末社:恵比寿神社、金土神社、岩船神社、荒神社、若宮神社、久万神社、和霊神社
杉尾神社創建800年記念碑
杉尾神社末社七社之改築記念碑
・昭和53年7月建立年中行事
- 元旦祭 正月元日 10:00〜
- 年賀長寿祭 2月1日 13:00〜
- 春季大祭 4月3日 10:00〜
- 秋季大祭前夜祭 10月15日 17:00〜
- 秋季大祭 10月16日 10:00〜
- 月次祭 毎月1日、15日 13:00〜
筋神神社(筋神さん)【西条市】
2002/2/12
★新寒風山トンネル手前に「筋神神社入口」との看板有り。
・国道194号線路肩に車を停め、参道を約300m登ったところに鎮座する。所要時間約2分。
・天正13年、豊臣秀吉の四国征伐の折、高峠城は小早川隆景の大軍の攻撃を受け、虎武丸と生母(菊姫)(*1)は、土佐の長曽我部元親を頼って落ち延びようとした。しかし、中の池あたりで持病の筋病を煩い、その地でしばらく養生することになった。
・やがて高峠城落城の知らせを聞いた土民軍は反旗を翻し、現在の筋神神社あたりで虎武丸は討たれ、姫も自害して果てた。
・後世、人々は筋神神社と呼び、筋病に効験ある神様として祀るようになった。
・姫は生前冷酒を好んだため、願いをするときには、オリカケダルに御神酒を入れて供える。
(*1)「寿永4年(1185)、屋島壇の浦の戦いに敗れた平家の落人」とする話も伝わる。
筋神神社参道改修記念碑
丹民部神社(たんみんぶじんじゃ)【西条市氷見(ひみ)】
1999/4/30、2002/2/10
・丹民部守神社、民部さん、民部塚ともいわれる。
・身体障害者の神として信仰が厚い。
・ 「抑々丹家は河野家より出づ四十三代河野通胤大永三年土佐の一柳殿下より丹姓をを賜る代々久万郷笠松城主知行八百貫を領す即ち初代丹大炊介通胤享録四年三月八日六十二代丹市正貞胤弘治三年七月三日卒三代丹大学通豊天正六年四月七日卒四代丹民部守清光天正十三年七月十七日戦死五代丹兵部丞通光芸州竹原に落行民部守は笠松城を弟通尤に守らし天正の陣に高尾高峠両城に味方し楢木に土居屋敷を構え知行三百貫を領す身は緋縅の鎧に白籠頭の兜を付け御旗を押立て手兵三百余を率いて出陣武者振り堂々と小早川の軍勢を打破り大いに高名あり天正十三年七月十七日敵将吹上六郎と差違いて戦死法号英勝院殿雄義大居士長男の丹通義は黒瀬山に入る又部党に東條四郎五郎澄久と云ふ豪勇の名を印す
昭和37年10月6日建立 松山市 丹延元 丹長次郎 延元謹書」
★御近所に住んでいると思われる老婆が一生懸命祈りを捧げながら、時折膝のあたりをさする。病気平癒の神として崇められているのであろう。
民部さん
・天正13年(1585)、野々市ヶ原で討死した丹民部を祀る。
褄白社(つまじろしゃ)【西条市藤之石 下津池】
・止呂橋の袂、国道194号線脇にある。
・褄白狸を祭る。
・物を亡くしたとき、願掛けすると見つかるという。
天満神社【西条市藤之石 中之池】
天満神社【西条市坂元】
1999/4/30
天満神社の楠
・県指定天然記念物(昭和31年11月3日指定)
・根周り17m、目通り9.7m、樹高25mの大木。
「くすの木は、関東から九州にかけての暖地に生える常緑の木である。材は堅く光沢もあり、建材・器具材などに用いられ、芳香を放つ。油分は防虫剤・香料・医薬品などの原料に使われる。
天満神社のくすは、樹齢は明らかでないが、根まわり17m、目通り9.7m、樹高25mもの大木である。また枝張りは東に18m、西に17m、南に24m、北に22mも広がり、境内のほとんどを覆うほどであり、その端整な樹形は県下一と言われている。」(西条市教育委員会説明板より)
菅原道真公御神徳記
「天満神社の御祭神菅原道真公は五才で和歌を詠み、十一歳で詩を作り、白楽天の再来と言われた。宇多天皇に仕えて、皇太子相伝の壷切剣の制を創始し、長年踏襲の遣唐使を廃止し、学者としては、三代実録、類聚国史その他の編者に当り、右大臣にまでなったが、左大臣藤原時平の■訴にあって遂に太宰■師に落され給うた
東風吹かば 匂おこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
住み慣れた紅梅殿を後にして配所に行かれたが、■師は名誉長官で実際の仕事はない。
郡府楼は僅かに■色を見 観音寺は只鐘声を聴く
と歌われた様に、配所にひっそりと暮して法皇や帝の御恩を懐かしく思い起されるばかりであった
去年の今夜清涼に侍し 秋思の詩篇独り腸を断つ
恩賜の御衣ここに在り 棒持して毎日餘香を拝す
学問の神 和歌の神 書の神 剣の神 そして梅花をこよなく愛された丑年丑時生まれの神様道真公が、無実の罪に落されて配所に寂しく■ぜられた
延喜三年(西暦905年)二月生誕と同じ二五日であった
人々はその悲■を悲しみ 学徳を慕って神社を建てたが、その数は現在全国で一万、霊験天に満ち、祈れば必ず開いて下さる天満神社−当社はその一郷一社の天神さまなのである 平成元年四月吉日 天満神社元宮司 玉井忠臣撰文」
東宮神社【西条市大保木】
1999/10/18
止呂明神【西条市藤之石 下津池】
楢本神社【西条市大町】
2000/7/30
・西條神社の北隣には、戦争色の濃い神社が鎮座している。
・祭神は大国魂神他3柱。西条の名の発祥地であり、西条荘守護神として奈良朝以前に創祀されたが、詳細は天正の陣の兵火にかかり社殿と共に消失して詳らかでないらしい。
・社宝は貝正則作短刀一振と蝮封じ石2個とのこと。蝮石(はみいし)の方は境内で実物を見ることができる。説明書きには「天保年間編述の西条誌巻三大町村の項に左の如し記載しあり 八ヶ塔の用水井手の端にあり長さ三尺余、幅二尺位もあるべし。二つありて一つは少し小さし。當村むかしは蝮(はみ)に喰はるるもの少なからざりし。楢本明神この石の下え封じ込め玉い、その後蝮出る事なく患やむとあり」と記している。
関行男慰霊碑
真鍋嘉一郎誕生の家(嘉一郎の産湯に使った水を汲み上げた井戸)
・真鍋嘉一郎氏は東京大学内科物理療法学初代教授であるとのこと。生家はこの場所から北方へ約500mのところに建てられていたものを昭和53年8月に復元したものらしい。
大東亜戦争特攻記念館
神風特攻第一號敷島隊五軍神祀碑
竜神社【西条市禎瑞 難波】
・「竜宮さん」の愛称で親しまれている。
・禎瑞新田の北東に位置する。![]()
坂元観音堂【西条市坂元】
1999/4/30
・西条新西国観音霊場 10番札所
・天満神社の向かい(北側)にある。
・昭和63年10月に新築落成した。
・本尊:十一面観世音菩薩
西泉大師堂【西条市】
1999/4/30
・西条新西国観音霊場 5番札所
・本尊:種蒔大師
・西泉西集会所横にある。
川来須大師【西条市】
1999/4/30
地蔵堂【西条市福武甲 地蔵原】
2000/7/30
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花の木さん【西条市】
・上河ケ平(かみこがなる)にある。
・金子備後守元宅とその家臣36人を祀る。
・天正13年、豊臣秀吉の四国征伐の際に金子備後守元宅は、小早川隆景、吉川元長の軍と戦った末、この地で自害した。
・以前、この祠のあるところに、香の花の大木が生えていたところから「花の木さん」と呼ばれる。![]()
六地蔵【西条市今宮】
・寛政11年(1799)光明講が建立した。
地蔵尊菩薩【西条市津越】
2002/2/10
・もともとの首から上は失われ、まん丸い石が代わりに付けられている。
・地蔵の横には、以下のような文を記した碑が建っている。
「地蔵尊菩薩について
地蔵尊は世話人徳末惣吉山内芳造伊藤菊次槙田和蔵により明治十八年七月建立されたが由来については不詳である当初水地蔵尊が安置されていたのは当該場所から南東へ九メートル離れた所であったが平成四年四国縦貫自動車道建設に伴う作業道の拡幅工事により現在の場所へ移設されたものである 平成四年八月吉日 世話人 黒川正桂」
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石鎚山(いしづちさん)【西条市/小松町/面河村】
・石鎚国定公園
・えひめ自然100選
・えひめ感動の地20選
・標高1982m、西日本最高峰である。
・修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)や弘法大師が修行したという。
・中世以降、日本七霊山の一つとされてきた。
・山岳信仰の対象とされる霊峰。日本霊異記には「祭神は石鎚の神いますがためなり」と記されている。
・標高1982mの高さを誇る西日本最高峰。
・山岳信仰の山として知られ、毎年多くの人が訪れる。
・ロープウェイは料金が大人往復1,700円。約8分で一気に上る。
石鎚神社
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本社 0897-55-4044
成就社 0897-59-0106
・標高1450m
・祭神:石鎚毘古命
土小屋遥拝殿 0898-64-0200
前神寺
2002/2/10
・四国八十八ヶ所霊場第64番霊場
・石鉄山修験道総本山
奥前神寺
・標高1315m。四国霊場奥の院中最高山のある山岳宗教修験道の根本道場として有名
・石鉄山奥の院
・石鉄山蔵王大権現を奉祀
奥前神社
前社森
土小屋【西条市西之川】
2001/5/4
石鎚ロープウェイ【西条市西之川下谷】
・電話番号:0897-59-0331
石鎚の霧氷
・水蒸気や霧が氷点下に冷やされ樹枝に凍り付く現象。
・西日本最高峰の石鎚では、冬場によく見られる。
鶴ノ子ノ頭【西条市/面河村】
・標高 1637.1m
岩黒山(いわぐろやま)【西条市/面河村】
・標高1745.8m
伊吹山(いぶきやま)【西条市/高知県本川村】
2000/7/2、2001/5/4
・標高1502.8m
子持権現山(こもちごんげんやま)【西条市/高知県本川村】
2000/7/2
・
瓶ヶ森(かめがもり)【西条市/高知県本川村】
2000/7/2
・えひめ自然100選
・標高1896.2m
男山
女山
瓶壷
瓶ヶ森ヒュッテ
西黒森(にしくろもり)【西条市/高知県本川村】
・標高1861m
自念子ノ頭(じねんごのかしら)【西条市/高知県本川村】
・標高1701.5m
東黒森(ひがしくろもり)【西条市/高知県本川村】
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・標高1735m
伊予富士(いよふじ)【西条市/高知県本川村】
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・標高1756m
風透山(かざすきやま)【西条市藤之石】
・西条市と高知県を結ぶ国道194号線の風透山トンネルは平成10年(1998)2月25日に開通した。全長494m。
風穴
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・下津地バス停より徒歩15分。
・止呂淵の蛇神が住むと伝えられる。
・風穴からは、夏から秋にかけては冷風が吹き出す。
・冬には暖かい風が吹き出て、穴の入口には雪が積もらないと言われる。
→c.f. うすぐも姫
うすぐも姫の墓
黒森山【西条市/新居浜市】
・標高1678.4m
沓掛山【西条市/新居浜市】
2000/5/6
・標高1691m
笹ヶ峰【西条市】
2000/5/6
・えひめ自然100選
・日本二百名山
・標高1859.7m
チチ山(乳山)【西条市/新居浜市】
2000/5/6
・標高1855m。
寒風山【西条市藤之石】
2002/12/1
・標高1763m
新寒風山トンネル
・国道194号線「予土寒風ロード」にある。
・全長5,432mで、四国一長いトンネル。
・西条市と高知県本川村を結ぶ。
櫛ヶ峰【西条市】
標高 1112.1m
扇山【西条市】
・標高 1392.4m
高森【西条市】
・標高 1359.3m
二ノ岳【西条市】
・標高 1156.2m
大森山【西条市】
・標高 1399.3m
綱付山【西条市/小松町】
・標高 519.6m
八堂山・市民の森【西条市福武乙】
2000/7/30
・標高 197m。
・頂上へは、考古歴史館から220m、第3駐車場からは130m。
八堂山遺跡
・県指定史跡(昭和49年7月20日指定)
入面屋竪穴式住居
・昭和47年12月復元。昭和63年3月全面修復。
高床式円形倉庫
・昭和48年12月復元。昭和63年3月全面修復。
C号住居跡
・昭和46年発掘調査
A号住居跡
・この上層部に円形倉庫及び集石特殊遺構が存在していた。
西条市考古歴史館
・入館料無料
・開館時間:09:00〜17:00
・休館日:月曜日・祝日の翌日・年末年始
・3階ベランダからの西条市街地・瀬戸内海の眺めは絶品である。
・1FL:ホール、管理事務室、学習室、トイレ
・2FL:出土品展示室
・3FL:展示室、展望室
天神山遺跡1号石棺
・現地より移し復元されたもので、考古歴史館の玄関正面にある。
・「天神山丘陵頂上部北東端に検出された。主軸方向は磁北から32度西に振れ、長軸方向180cm、短軸方向40cm
の堀り方を持ち、石墨片岩を並べて側壁を造り、3枚の石材を横に使い1枚の石材を縦に付き合わせて蓋石として
おり、全体を淡緑色の粘土で固めていた。5世紀から6世紀の物と考えられる。」と説明書きがなされている。
記念の森
県木の森
梅林園
百桜園
・100種類以上の桜が植えられている。
冒険広場
・ローラー滑り台(延長95m)、回転ネット、吊り橋などのアスレチック施設がある。
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観音堂のフジ【西条市上喜多川 禎祥寺/観音堂】
1999/4/30
・県指定天然記念物
・目通り 2.6m、幹は東西 16m、南北18m(面積210u)の棚に整えられている。
・樹齢 400年余と伝えられる老大樹である。
・種名:ムラサキフジ、ノダフジ
・ゴールデンウィーク期間中(4月25日〜5月10日)が見頃である。
・「のだふじ」は一般にふじと呼ばれ、温帯から暖帯にかけて成育する蔓木で、山地に多いやまふじが左巻づるで花房が短いのとちがって、これは右巻づるで花房は大変長い。
天満神社の楠【西条市坂元】
・県指定天然記念物(昭和31年11月3日指定)
大宮神社の社叢【西条市西之川】
下谷のけやき【西条市西之川 下谷】
保野山の神巨木群【西条市】
大保木のいちょう【西条市大保木】
・市指定天然記念物
大喜多のいちょう【西条市氷見】
・市指定天然記念物
王至森寺のキンモクセイ【西条市飯岡野口】
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・国指定天然記念物
・根回り周囲4m、樹高約16m。
・山門西側にある。
上の原のうすぎもくせい【西条市大保木】
・市指定天然記念物
石鎚神社のひのき【西条市橘】
2002/4/14
・市指定天然記念物
・徒歩参道にある。
野々市のやまもも【西条市橘】
・市指定天然記念物
阿弥陀寺ののだふじ【西条市楢木 阿弥陀寺】
2002/2/10
・市指定天然記念物(昭和49年7月20日指定)
・根回り1.25m、樹齢未詳。
・花穂は60cmに達するほど長く、市内では観音堂の藤に次ぐ名花である。
阿弥陀寺のさかき【西条市楢木 阿弥陀寺】
2002/2/10
・市指定天然記念物(昭和49年7月20日指定)
・根回り1.72m、樹高約10m、樹齢未詳。
市倉のかきのき【西条市神戸】
・市指定天然記念物
中野のたらよう【西条市神戸】
2002/2/10
・市指定天然記念物(昭和44年11月3日指定)
中野のなんてん【西条市神戸】
・市指定天然記念物
氷見のひがんざくら【西条市氷見】
・市指定天然記念物
旧大保木小学校のそめいよしの【西条市大保木】
・市指定天然記念物
今宮の大杉【西条市】
坂中寺の杉【西条市坂中 坂中寺】
西田のむく【西条市西田】
2002/2/10
・石鎚神社参道脇にある。
市道3号線拡幅工事竣工記念碑
・平成4年3月完成
石岡神社社叢(氷見のお旅所のくろまつ群)【西条市氷見】
2002/2/10
・市指定天然記念物(昭和45年8月5日指定)
・「石岡神社新御堂お旅所には7本の老クロマツ群がある。以前はもっと沢山あったが枯死した。西条藩松平氏の御代参道にもあたるところである。
←城の谷池へ1500m 阿弥陀寺へ1200m→」![]()
加茂川【西条市】
「加茂川の源」碑【西条市西之川 岩黒山】
2000/7/2
・瓶ヶ森林道沿いの岩黒山(標高1746m)北斜面に建立している。
・1998年4月27日除幕式が行われた。
・碑は本碑と副碑の2基で、共に市特産の自然石「青石」を用いている。
・本碑は高さ1.8m、幅1.2m、厚さ0.45mで、文字は伊賀貞雪県知事が揮毫した。
・「加茂川を源とするうちぬきを市民の誇りとし、この恵みに感謝の意を込めて...」と刻まれている。
・副碑は高さ1.4m、幅1.2m、厚さ0.3mで、伊藤宏太郎市長が「水の都西条の母なる川....」と揮毫している。
・加茂川は、1988年建設省から「ふるさとの川モデル河川」の指定を受けている。岩黒山一帯が加茂川の源流とされる。
乙女川【西条市禎瑞(ていずい)】
・禎瑞地区は松平氏の西条藩三万石の藩政時代に干拓事業で生まれた新田である。この干拓事業は安永7年(1778)に始まった。
・乙女川はこの干拓事業で出来た遊水池であり、樋門から魚が出入りし、西条藩の御漁場として管理されてきた。「御免打ち」といって、一般庶民にも開放され、網打ちを楽しむことも許された。
・正しくは「お止め川(御止川)」「お留め川(御留川)」などと言われ、乙女の名前は川中に鎮座する竜神社の祭神である乙姫にあやかったとされる。
乙女川の川狩り
前神寺谷川水系:大谷川
2002/2/10
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三碧峡【西条市河口】
2002/2/10
・加茂川と河口谷の合流点近くに三碧橋が架かっている。三碧橋の袂にはなにやら洞窟が....。もとの洞門の跡だろうか。その謂れを記すようなものはどこにも見当たらない。近所の人を見つけて聞いてみようと思ったのだが、人の姿も見当たらない。ここはかつての石鎚参拝(成就ルート)の中継基地的存在として栄えた場所。石鎚のお山開きの時期には少しは隆盛を取り戻すのだろうが、季節は冬ということもあって、辺りはひっそりと静まり返っている。
・三碧峡は「西条市名水・名木50選」(平成3年3月選定)の一つに選ばれている。この三碧峡という名前は井上万寿蔵氏により、「渓谷を彩る緑色片岩、流れる水の青、茂る木々の緑」の三つの碧から成ることにより名付けられたという。橋から下を見下ろせば、その名の通りの三つの碧が織り成す美しい風景が広がっている。今は石鎚ロープウェイへ向かうまでの単なる通過点に過ぎないのだが、この風景を見過ごすのは少々勿体無い気がする。目鼻石
のぞき岩場
こりとり場
曽我部七蔵翁頌徳碑
止呂峡(とろきょう)【西条市下津越】
1999/10/18
国道194号線より笹ヶ峰登山口へと向かう林道折れてすぐのところに、吊り橋「止呂橋」が加茂川渓谷に架かっている。深い峡谷に架かるこの橋の上から下を見下ろすと、高所恐怖症の人などは足がすくんでしまうことだろう。しかし、紺碧の水の流れる様は、必見である。
加茂川渓谷
加茂の青石
・緑泥片岩(緑泥岩が地殻の変動により変成された岩)。「伊予の青石」とも呼ばれる。
・鮮やかな深青紫色で、緑を帯びた縞紋様に白色の石英片岩を含み、庭石として使用される。
止呂明神
止呂淵
大蛇が住んでいるという。
→c.f.うすぐも姫
名古瀬谷【西条市】
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津越の滝(つごえのたき)【西条市津越】
2002/2/10
・西条市名水・銘木50選
・下から鮎返りの滝(3m)、雌滝(10m)、雄滝(20m)の三態の滝が並ぶ。
★上津越橋(かみつごえばし)(平成3年2月竣工)より周遊観瀑のための遊歩道が続く。少し歩くと、公衆便所があり、その前に「西条市名水・銘木50選」の標石が建っている。
★2002/2/10の観瀑で一つ意外な発見があった。遊歩道入口にある上津越橋の袂に埋まっていた石標。これをよく観察すると「奥武丈瀧道」と刻まれているではないか。なるほど、昔は津越の滝ではなく奥武丈の滝と呼ばれていたのか。川下には桜の名所・武丈公園がある。松山市の道後に対する奥道後のように、津越の地が奥武丈と呼ばれていた時代があることを偲ぶことができたのは収獲である。
おたるの滝(お樽の滝、小滝)【西条市東之川】
・長さ20m。
・昔、この水で酒を作ったといわれる。
大樽の滝【西条市】
2002/12/1
・西条市名水・銘木50選
・大樽トンネル南口の直上。
・国道194号線を西条市内より高知県に向かい、石鎚芸術村チロルの森を過ぎ、大樽トンネルを抜けてすぐのところにある。
・朝日を浴びて滝に虹がかかることから、「七色の滝」とも呼ばれる。
大滝【西条市】
・加茂にある。![]()
伊曽の橋(メロディー橋)
・昭和58年完成。
・延長207m。![]()
千町の棚田
・天正の頃から営々と励んで形成されたもので、『東予の千枚田』と言われる。
『千町といわるるまでに耕して、住める村見ゆ谷のむこうに』
黒瀬ダム【西条市黒瀬】
1999/10/18、2001/12/30、2002/4/14
・黒瀬湖
・加茂川の上流10km地点にある県営ダム。
・昭和48年完成。
・ダムの高さ61.7m、長さ207.7m、底部幅48m、有効貯水量3400万トン。
黒瀬ダム湖のカモ類
・えひめ自然100選
1999/4/30、2002/4/14
・西条市名水・銘木50選(平成3年3月指定)
・県天然記念物のふじで有名な禎祥寺観音堂の側にあるので、観音水、観音泉と呼ばれる。
・ここを源とした水系は、アクアトピア事業により「水の都西条」のシンボルとして整備されている。
・この水系の水は、ホタルやアユなどが生息するほど清らかで、市街地を流れる水がこのように美しいのは全国でも稀である。
五月晴れの像
★上半身裸で腰に手を置き高々と南の空を仰ぐ姿がとても凛々しい。青春だなぁという感じ。
寒風山トンネル【西条市/高知県】
・旧国道194号線。
新寒風山トンネル【西条市/高知県】
・国道194号線。中四国で最長(5432m)。
・平成11年4月17日開通。![]()
夜明峠(よあかしとうげ)【西条市/小松町】
前田峠【西条市】
名野川越【西条市/高知県】
よさこい峠【西条市/高知県】
シラサ峠【西条市/高知県】
桑瀬峠【西条市/高知県】
2002/12/1
・寒風山トンネルより30〜40分。
・寒風山、伊予富士への登山路分岐点。![]()
瓶ヶ森林道
林道蔭地線
・延長12.2km、幅員3.6m
・菖蒲峠まで続く。(林道・ショウブ線、高森線へ合流。途中、扇山線へ分岐)
※扇山(1392.4m)、高森(1359.3m)への登山に用いると良いだろう。
うちぬき公園【西条市】
運動公園【西条市燧】
武丈公園【西条市福武(ふくたけ)西の川原】
・加茂川右岸にある公園で、桜の名所。100余種、約1500本の桜が植わっている。
・南には八堂山(標高197m)が聳える。
・江戸後期の天保6年(1875)、明神木の庄屋・加藤定右衛門(かとうじょうえもん)が、庵を建て、自分の俳号「武丈」から「武丈庵」と名付け、周りに桜を植えたのが由来という。
・加茂川の清流、八堂山と合わせ、「四国の小嵐山」とも称される。
八堂山
八堂山遺跡
金剛院
黒瀬ダム1号公園
黒瀬ダム2号公園
神戸公園 【西条市中野神戸】
1999/4/30
難波児童遊園【西条市禎瑞 難波】
藤棚
石鎚山お山開き[お山市、お山参り](7月1日〜10日)
・智・仁・勇の三体の神像が石鎚講信者によって背負われ、頂上社へと遷され、祭礼期間中(10日間)奉安される。
・この間、多くの信者が急峻な鎖場をものともせず頂上へと向かい、表裏二本の登山道に「六根清浄」の声や法螺貝の音が高らかに響く。
・神像に触れることで無病息災を祈る。
乙女川の川狩り(10月初旬)【西条市禎瑞 乙女川】
・数十の田舟やボートを浮かべてボラ、フナ、コイなどの獲物を狙って投網する。
・有料で開放している。
伊曽乃神社秋祭り(10月15日、16日)
・ダンジリは京都祇園祭りを模したものともいわれる。
西条まつり
・市指定無形文化財
・期間:10/14〜17
・市内3つの神社に奉納される「だんじり」「みこし」「太鼓台」は総数130台。各山車の豪華さと動的な美しさが一体感を織りなす姿は全国的にも例を見ない規模で、日本の祭の中でも特異な存在と言える。
・透かし彫りの見事な彫刻に飾られた豪華な「だんじり」と、金糸・銀糸の飾りが華麗に輝く「みこし」「太鼓台」。金と太鼓にはやされて練り歩く様は、時代絵巻を彷彿させる。
石鎚芸術村チロルの森【西条市藤之石古宮庚55】
1999/4/30、2001/12/30
・国道194号線沿い。
・地ビール「石鎚清流ビール」の工房や石窯パン工房などがある。
西条市石鎚ふれあいの里【西条市中奥1号25-1】
1999/10/18、2002/2/10
・宿泊料金:大人1,170円、高校・大学生880円、小・中学生590円
・ケビン:2〜4人用2,920円、4〜6人用:5,840円、6〜10人用:8,760円、7〜8人用10,220円
・キャンプ:大人200円、小・中学生100円
謙次郎句碑
「 源流の 青さに鳴りて 雪解川 」
・謙次郎は俳誌・冬草を主宰した人物で、句碑は平成10年3月に冬草西条支部が15周年記念に建立したもののようである。
「高嶺小学校跡」碑
「明治11年、開習学校開校。明治26年、中奥尋常小学校と改称。昭和16年、中奥国民学校と改称。昭和17年、大保木国民学校と合併し、高嶺国民学校と改称」と碑の側面に刻まれている。
千野々橋
・赤い鉄製のアーチ橋
・大正14年5月に建造された。
大元神社
「大保木中学校跡」碑
・側面には「昭和22年、大保木村立大保木中学校開校。昭和31年、西条市立大保木中学校となる。昭和63年、閉校」とその歴史が刻まれている。
ふれあい広場
大保木中学校運動場跡地は、現在「ふれあい広場」と名付けられ、近隣の人々のコミュニティ活動に活用されている。
市倉ファーム【西条市中野字市倉】
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・電話番号:0897-53-3400
愛媛民芸館【西条市明屋敷】
・入館料:大人200円、小人100円
・休館日:祝日以外の月曜日、祝日の翌日
・電話番号:0897-56-2110
・1966年に東予民芸協会が発足し、翌1967年に市立郷土博物館とともに建造された。
・開館10周年時に愛媛民芸館に改称され、また民芸協会も「愛媛民芸協会」に改称された。
・陶器1000点の他、木工品・玩具・織物等が展示されている。
犬人三神【西条市】
・黒森山加茂鉱山坑道辺り。柱谷−主谷(おもたに)合流点の崖の上。
・槍投げで熊としとめる名人の川村新蔵という猟師が土佐からやって来て、中之池のウワナル(上平?)や川来須(かわくるす)の民家に泊って熊狩りをしていた。
※ウワナルの屋敷跡は現存するという。
・新蔵は百頭熊塚を建てて供養することを念願としていた。あと1頭で念願叶うというある日、桑瀬峰の西、黒森の東の狭間へ愛犬の白と黒を連れて熊狩りに出掛けた。
・日暮れになり、岩陰に潜む熊を見つけた。しかし足場が悪く、槍を橋にして谷間を渡ろうとしたが足を滑らせてヒゾロ谷に滑落してしまった。
・2匹の犬はこれを知らせようと川来須の村人のところまで戻ったが誰一人気付いてくれない。仕方ないので谷に引き返し、新蔵の着物の裾を噛みちぎり、再び村人のところへと戻った。
・戻りが遅いと心配していた村人は、犬が新蔵の着物をくわえているのに気付き、異変があったことに気付き、ヒゾロ谷へと急いだが新蔵は事切れていた。
・村人は惜しんで、石を積み新蔵を祀ったが、愛犬はその場所を一歩も動こうとはしなかった。そして主人の後を追って死んでしまったという。
・村人は大層哀れんで両犬も合祀し、犬人三神と名付けたという。
うすぐも姫【西条市藤之石】
・天正2年 土佐窪川城主山内常清にひとりの娘が生まれ、名を「うすぐも姫」と付けた。幡多郡上山郷の内田野城主 田辺次郎九郎からの縁談申込を強要され、常清は湯月山城主 河野通直に相談(*1)の上、姫の身柄を風透山にかくまった。
・暫くして夜毎姫のもとに通う青年が現れ、姫もその青年に段々惹かれていった。
・この青年が何処から来て何処に帰るかわからないので、ある夜、侍女が青年の着物の裾に針を通し、おだまきの糸をつけておいた。翌日侍女と共にその糸を辿っていくと、昔から蛇が住むと言い伝えられている風穴に入っていった。風穴の中を覗きこむと、大蛇がとぐろを巻いて眠っていた。そして、その鱗には、昨晩通した針が刺さっていた。
・姫は余りの事に病に伏し、それ以来青年が訪れることはなかった。
・姫は何時の間にか身ごもり、やがて生まれたのは蛇の子であった。その蛇の子の数は盥(たらい)7杯半にも及んだ。姫は驚きの余り「うす雲を風透山に吹きおろし、桜と共に散りぬべきかは」と辞世の句を残し、止呂淵に身を投げた。(*1)西条市千町在住の伊藤近江守に相談したと伝える話もある。
おたちきさん 【西条市木曳野】
・西条市の鴨川大橋から横山に向かう途中に木曳野(こびきの)というところが有り、 そこに「おたちきさん」という小さな祠がある。水田の中にあって、大きい榎の木があり、地元の人々は七人みさきなどとも呼んでいる。
・戦国時代のことであるが、氷見高雄の城に石川源太夫という武将がいた。
・源太夫は西条高峠城主石川伊予守の一族であったが、自己の才気をたのむのあまりに専横のことが多かった。そこで石川伊予守の部下であった船形の近藤但馬守は他の武将と謀って密かに源太夫を討とうとした。源太夫を木曳野に誘い出し大勢の者で取り囲んだならば、例え勇猛な源太夫であっても討ち損ずることはあるまいと思い、ある日のこと源太夫を船形まで来るようにと誘った。そして木曳野には数百の兵を伏せておいた。
・源太夫は六人の部下を連れて馬に乗りこの木曳野を通りかかったところ急に伏兵が現れて源太夫に討ちかかった。源太夫もさる者であるからたちまちのうちに兵士7、8人を次々と斬り捨てたが、なにぶん多勢に無勢で、家来6人とともに討ち取られてしまった。
・そのことがあってから、夜がふけてから木曳野を通ると、源太夫とその主従7人が馬に乗って何かひそひそとささやきながら通るのに出会うようになった。そこで村人は木曳野に7人の霊を祀る祠を建てた。
・その後も7人の霊に夜道でめぐりあう人があり、めぐりあうと必ず病に罹かるので、西条保国寺(ほうこくじ)の住職が大施我鬼(せがき)をして源太夫ら7人の霊を慰めた。それからは7人の霊に行き逢う人は無くなったという。
・なお木曳野では五月の端午の節句には鯉のぼりを立てない風習があるが、これは源太夫の霊が敵の旗指物(はたさしもの)と見間違えて小蛇となり鯉のぼりを巻き倒すという言い伝えからである。
大師様の水枯れなしの井戸【西条市氷見】
・百姓から水を貰った弘法大師は、この地に水が少ないことを知り、持っていた杖で地面をポンと突いて、そこに井戸を掘るように教えた。
・その井戸はどんな日照りでも涸れることがなく、氷見の人々は大変喜んだ。
・井戸は今も水をたたえている。
白米城(高峠城)
・天正13年、西条の神戸山(かんべやま)の高峠城が小早川隆景に攻められた。
・激しい攻防が繰り広げられたが、高峠城はなかなか落城しなかった。しかし、段々と貯えていた水がなくなってきて、敵に覚られぬようと金子備後守は水涸れの川に白米を敷き詰め、水があるように見せかけた。
・ところが楢の木の姥ヶ橋で米研ぎをしていた老婆が、あれは水でなく米と小早川勢に教えてしまったため、高峠城は一気に攻められ落城してしまった。
土壇さん/西原の門松 【西条市飯岡西原】
お箸杉【西条市飯岡野口 王至森寺】
・「伊予の飯岡村の王至森寺にあるもの(お箸杉)に至っては、なん人の箸であったかということも不明になりましたが、それでも杉の木の名は真名橋杉、まなばしとは御箸のことであります。80年余り前に、この木を伐ってしまったところが村に色々の悪いことが続きました。或いは真名橋杉を伐ったためではなかろうかといって、新たに今ある木を植えて古い名を相続させ、それを木の神として尊敬しております。[老樹名木誌。愛媛県新居郡飯岡村](「日本の伝説」御箸成長、柳田国男、新潮文庫)
玉座石【西条市飯岡野口 王至森寺】
・舒明天皇が腰掛けられたという伝承がある。
・昔、舒明天皇が海路を道後温泉へ向かっていたところ、燧灘で暴風雨に遭い安全を祈念され、舟を導き着けられた地と伝えられ、奈良の僧行基菩薩が全国を巡回の砌、この由来によって、王の至る森、すなわち「王至森寺」と命名したという。このとき、舒明天皇が腰掛けられた石を玉座石と言う。
戻ってきた木【西条市飯岡野口 王至森寺】
・江戸時代に小松藩主が大阪に御蔵屋敷を建築するため、領内の王至森寺の裏山の木を建築用材として大阪に運んだところ、毎夜「王至森寺に帰りたい」と泣くような声がするので、恐ろしくなりその木を海に流した。数日後その木は西条の戻川に流れ着き、寺もとの人々によって社に安置されたと伝えられている。
・木の流れついた土地を「戻川」と呼ぶ。
竜王岩【西条市氷見 石岡神社】
・江戸時代の初期、氷見の多兵衛新開の開拓者、渡辺太兵衛が大きな岩を海から持ち帰り庭石としていたが、太兵衛がその後衰退し、竜神が惜しんだ岩を取ったためだと思い、その岩を吉祥寺に納めた。
・ところが吉祥寺の住職で若死する者が多く、竜神の祟りであろうと氷見の竜王社に納めたものである。
・現在この岩は条内神社に移されている。
伊曽乃神社の大石【西条市中野日明 伊曽乃神社】
・伊曽野の神は女神であったが、ある時に西条の奥の加茂川の畔で石鎚の神に巡り会った。石鎚の神は姿も凛々しい男神であったが、二人の神様は一目見るなりお互いに心惹かれるものがあった。
・女神はたいそう恋い悩んで石鎚の男神に結婚を迫ったが、男神はわれはこれから先も石鎚の山で修行を積まねばならぬのでとても結婚はできぬという。また石鎚山上は女人禁制でもあり、同行は許されぬ。しかし修行が終わればその時には結婚するから待っていて下され、私が石鎚の山の頂から大石を三つ投げるからその三つの石の真ん中の石のところに館を作って待っていて欲しいと言われ、そのまま石鎚の山にお昇りになってしまった。やがて山からは三つの石が投げられてきた。そして女神は真ん中のところにお社を建てて待っていられた。一方石鎚の男神は女神が修行の済まぬうちに待ちこがれて上がってこられては大変だと思い、天に向かって上がって行こうと思い、右の足を上げようとした。それ以来、石鎚の神様の像は右足が上がっているのだという。
・なお三つの石のひとつは一の鳥居の右手に今も残っている。
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