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宇和町(Uwa Town)このページの最新更新年月日は |
・宇和盆地には約160基の古墳が確認されており、県下有数の古墳群集地帯である。
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(1).「花と緑と太陽の町」
(2).「田園文化の町」
(3).「活力と歴史のあふれる田園文化のまち 宇和町」
(4).「伊予の軽井沢」
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町の花 町の木 町の花木 町の鳥 レンゲ ヒノキ
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宇和町役場商工観光課 (TEL)0894-62-1111
・「伊予国宇和郡」
・昭和29年3月:宇和町、多田村、中川村、岩城村、田之筋村、下宇和村が合併。
・昭和33年:大洲市の一部(鳥坂、正信)を編入
●卯之町(うのまち)・藩政時代、宇和島藩の在郷町・宿場町として栄えた。
・幕末にはシーボルトの高弟二宮敬作が医業を開き、洋学者高野長英やシーボルトの娘、楠本イネが訪れた。
・この一帯は昭和48年、愛媛県から「宇和文化の里」に選定された。
・天正年間末に西園寺氏が居城を松葉山から黒瀬山に移したとき、山麓の鬼窪村に町を作ったのが始まりである。慶安4年(1651)、町並みを現状の中ノ町に移した。この時、火災に関係の深い「松葉」の名前を、水と縁の深い「鵜之町」に変え、後に卯之町に改めたという。また、改名の年が辛卯(かのとう)の年であったため、卯之町にしたとか、卯之日(毎月4,14,24日)に市が立ったので卯之町にしたとか諸説ある。
大字 字 明間(あかんま) 明石(あげいし) 伊賀上(いがじょう) 伊崎(いさき) 伊延(いのべ) 稲生(いのう) 岩木(いわき) 卯之町(うのまち) 大江(おおえ) 岡山(おかやま) 小野田(おのだ) 小原(おばら) 皆田(かいだ) 上松葉(かみまつば) 加茂(かも) 河内(かわち) 清沢(きよさわ) 窪(くぼ) 久保(くぼ) 鳥坂(とっさか) 郷内(ごうない) 坂戸(さかど) 下松葉(しもまつば) 常定寺(じょうじょうじ) 新城(しんじょう) 瀬戸(せと) 神領(じんりょう) 田苗真土(たなえまつち) 永長(ながおさ) 西山田(にしやまだ) 野田(のだ) 信里(のぶさと) 東多田(ひがしただ) 久枝(ひさえだ) 下川(ひとうかわ) ひまわり 平野(ひらの) 杢所(もくしょ) 山田(やまだ) れんげ
・電話番号:0894-62-4292
・開館時間: 9:00〜17:00
・休館日:月曜 (月曜日が祝祭日、振替休日の場合は火曜日)
・料金:大人200円、小人100円
紙本墨書歯長寺縁起(1冊)【宇和町伊賀上 歯長寺】
・国指定有形文化財[書跡・典籍・古文書]![]()
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歯長寺縁起【宇和町伊賀上】
木造阿弥陀如来坐像(1躯)【宇和町小野田 極楽寺】
・県指定有形文化財[彫刻]
絹本著色熊野曼荼羅図(1幅)【宇和町明石 明石寺】
・県指定有形文化財[絵画]
絹本著色虎関師錬像(1幅)【字和町常定寺 常定寺】
・県指定有形文化財[絵画]
絹本著色回塘和尚像(1幅)【字和町常定寺 常定寺】
・県指定有形文化財[絵画]
金幣(1振)【宇和町卯之町 三島神社】
・県指定有形文化財[工芸品]
高野長英隠れ家【宇和町卯之町3丁目】
1998
・県指定史跡![]()
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二宮敬作住居跡【宇和町卯之町3丁目】
・町指定史跡
・宇和島藩主・伊達宗紀が、幕府の罪人であった二宮敬作を城下から外れたこの地で医院を開業・住まわせた。
小森古墳【宇和町山田】
・町指定史跡
樫木駄馬古墳【宇和町坂戸】
・町指定史跡
谷ヶ内古墳【宇和町小野田】
・町指定史跡
粟尻1号墳【宇和町山田】
・町指定史跡
東大谷古墳【宇和町岩木】
・町指定史跡
河内奥ナルタキ古墳【宇和町岩木】
・町指定史跡
妙法寺裏山古墳【宇和町田苗】
・町指定史跡
松ノ本古墳【宇和町田苗】
・町指定史跡
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飛鳥城跡【宇和町】
松葉城趾【宇和町】
・西園寺氏築城。
・南北朝時代に荘園を護るために築かれた。
伊延城跡【宇和町伊延】
黒瀬城跡【宇和町卯之町】
歯長城跡【宇和町】
・足利又太郎忠綱(*1)の築城と伝えられる。
・又太郎は歯の長さが一寸もあって「歯長又太郎」と呼ばれた。
・又太郎は俵藤太秀郷(ひでさと)(*2)の末裔ともいわれる。
・長宗我部氏来襲により歯長城が落城したことに関して、「白米城伝説」(*3)が伝えられている。
(*1)てっきり愛媛の人間と思とったら、下野国の人じゃったんじゃな。
(*2)俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと):藤原秀郷。近江国三上山の大百足(むかで)を退治した話で有名。
(*3)「白米を馬の背に掛けて水と見せかけた」とされる伝説。
下木城跡【宇和町】
・宇都宮永綱が居城した。(c.f.→安楽寺蛇骨堂)![]()
岩木赤坂遺跡【宇和町岩木】
・南予初の古墳時代初期の竪穴式住居跡が見つかった。
・標高約200mの平野部にある。
・5世紀後半の首長クラスの古墳と見られる。
岩木原田遺跡【宇和町岩木】
・弥生時代末期の土器が確認されている。
清沢遺跡【宇和町】
金毘羅山【宇和町清沢】
・弥生前期前半の重弧文の壷形土器などが出土している。
・周辺の狭間里(はざまり)からも重弧文の甕形土器が出土している。
・金毘羅山の南を流れる深ヶ川の河床や、河岸の横田からは、口縁の下に突帯を持つ、東九州の下条式系の弥生前期後半の土器が出土している。
城楽(じょうらく)岩陰遺跡【宇和町西山田】
田苗中市遺跡【宇和町】
・弥生時代後期の土器が出土している。
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・宇和盆地には条里遺構が広く残っている。
・岩木では複弁蓮華文軒丸瓦が出土しており、奈良時代の廃寺跡であると考えられている。
・藤原宮出土木簡には「宇和評小■代熟」と墨書されており、7世紀に宇和評が成立していたことが伺える。
・田苗(たなえ)、真土(まつち)、坂戸、上松葉、入宇(にゅうう)などからは弥生時代の遺物が出土している。
粟尻1号墳【宇和町山田】
・町指定史跡。
・標高360mの山頂一帯に散在する。
・粟尻古墳小群の一つ。
・直径16mの円墳。石室全長7.5m、玄室長5m、幅2m、高さ2.6mの横穴式石室。
・ほう製珠文鏡1面、金環、銀環、ガラス製勾玉、鉄刀が出土している。
伊勢山大塚古墳【宇和町下松葉】
・直径約15mの円墳。陶質土器4点が出土している。
・6世紀後半の須恵器が多数出土している。
大江垣内古墳【宇和町大江】
・採石工事により消滅した。
・双竜環状柄頭(そうりゅうかんじょうつかがしら)、金環2個が出土した。
大塚穴古墳群【宇和町】
・新池東丘陵上にある。12個の小さな円墳があったといわれる。
・直径6.4cmの小型の捩文鏡(ねじりもんきょう)が出土した。また、金環、銀環、銅環、勾玉、馬具、鉄刀、須恵器など多数出土している。
笠置峠古墳【宇和町岩木】
・標高411mの山頂にある高地性古墳。
・平成9年より調査開始。
・県内で初めて供え物を象った土製品が出土した。
・5世紀前半の首長クラスの古墳と見られる。
樫木駄馬(かたきだば)古墳【宇和町坂戸】
2003/8/23
・町指定史跡
・坂戸古墳小群の一つ。
・直径約15mの円墳。全長7.5m、玄室長3.6m、、幅1.5mの両袖形横穴式石室。
・6世紀末頃の古墳と見られる。
所在地 宇和町坂戸樫木駄馬1422 標高280m
墳丘 円墳 直径11.9m 高さ基底より4.5m
推定編年 7世紀前後
内部構造 両袖形横穴式石室
石室 主軸方向 南西 S31°E 全長7.5m
羨道 長さ3m 幅1.5m 高さ0.8m
玄室 長さ3.6m 幅1.5m 高さ1.4m
奥壁 一枚石 幅1.5m 高さ1.4m
天上石 現存4枚 最大のもの前後2.3m
宇和町には160基以上の古墳が観とめられるが、それらのほとんどは消滅した。当所の古墳は本町に残る代表的なもので、石材も大きく最も完全で美しい。昭和49年12月9日宇和町文化財史跡に指定された。なおこの谷一帯には古墳が群集し、その数49基....余ともいわれ、坂戸古墳群の名称で県下にもよく知られている。
宇和町教育委員会
坂戸古墳【宇和町坂戸】
2003/8/23
「この谷あいは古墳地帯で、県下で坂戸古墳群としてよく知られる。明治初期ころには70余基の古墳が数えられたというが次第にその姿を消し、現在樫木駄馬古墳が....」
天皇水の井戸
「古代には、清涼な清水のわく泉に神霊が宿ると考え、不老長寿の王水として神聖化した。泉の近辺には古墳も築かれ、この泉の側にも俗称宇和津彦古墳があった」
河内奥ナルタキ古墳【宇和町岩木】
・町指定史跡
・河内奥古墳小群の一つ。
・東西14m、南北16mの円墳。
小森古墳【宇和町山田】
・町指定史跡
・標高240mの山頂にある。
・山田古墳小群の一つで、前方後円墳。
谷ヶ内古墳【宇和町小野田】
・町指定史跡。
・久枝古墳小群の一つ。
・標高240mの山腹にある。
長作森(ちょうさくもり)古墳【宇和町】
・直径8.9cmのほう製の内行花文鏡が出土している。
道仙寺古墳群【宇和町】
東大谷古墳【宇和町岩木】
・町指定史跡
・河内奥の観音岩の北西、標高340mの山中にある円墳。
久枝大窪台【宇和町久枝(ひさえだ)】
・斜面の巨石の岩陰から銅矛32本が出土したと伝えられる。
・宇和島藩士の井関盛英が、天和元年(1681)に幕府巡見使に献じた「宇和旧記」によれば、「寛文八申年、新正月と云事はやりて、誠の正月の如く祝へり。其時、久枝村長七と云ふ者、彼正月を祝はんとて、焼物に木の根をほりに大窪台と云ふ所へ参り候て、一鍬二鍬掘り候へば、かねの音仕り候故、深く掘り見候へば、鉾五本掘り出し申候。本より此所に山王の社跡有之候故、是は山王の御ほこたるべしとて、則ち御正体にかのほこを致し、ちいさきほこらをかまへ、毎年九月十五日祭礼のかたち仕のよし」と伝える。
松ノ本古墳【宇和町田苗】
・町指定史跡。
・田苗古墳小群の一つ。円墳(南北14m)。
妙法寺裏山古墳【宇和町田苗】
・町指定史跡。
・玄室長2.5m、幅1.7mの横穴式石室。羨道長2m、幅1m。
・直径10数mの円墳と見られる。
霊神塚古墳【宇和町】
・5世紀後半のものと見られる。
・横穴式石室の一部が残っている。
・古墳上方の畑からは、陶質土器と見られる台付壷が出土している。
「伊延村に在り。億万年山と号す。本尊阿弥陀、長六尺余、恵心作。観音・勢至・地蔵長二尺八寸、空海作。開山勅諡宝覚禅師東山湛然和尚。
宇和旧記云。此寺地昔は淵なりしに、霊蛇かくれ住て庶民を害せし故往来をとどむ。後二条院嘉元二年、宇都宮永綱と云者かの蛇を射留往来の人を安ず。然るに霊蛇祟を為に依て、後醍醐天皇嘉暦元年丙寅歳、彼淵の半を平げ、大小の両池を掘、精舎を草創して蛇霊を截断し、宇都宮家の繁栄を祈る為に二百貫の地を寄附せり。今の安楽寺是也。
按、昔淵などに大蛇住て人を害ひし事所々にみえたり。然れども、蛇は水中に住物ならず、是必蛟なるべし。蛟は和名抄美豆知と有て、水蛇の義なり。■雅曰。蛟似蛇而四足。山海経曰、蛟大者十数囲、卵如一二石甕能呑人とあり。昔此物の淵に住て人を害ひしなるべし。されど国々に勇士有て射取などしけるほどに今は絶て此物有る事をきかず。」(愛媛面影)
「御延村に在り 臨済宗なり 当院内は往古毒蛇栖む所の池なり 嘉元中宇都宮永綱なる者射を善くす勅を奉して毒蛇を射殺す功を以て多田城を賜ふ 後ち彼蛇祟を為す
是を以て嘉暦二丙寅年其の池を埋め以て伽藍を創立し二百貫の地を賜ふ 後ち天正中兵火にかかり伽藍及び什宝文書等焼失す
永綱の孫宇都宮石見守宣綱再建して掌宇漸く旧に復す 文禄中戸田氏寺領を没収し樹木を伐採す 爾後大に頽毀す 寛永十四丁丑年再び火災にて綸旨朱印国郡領主の寄附書等三十余匣を失ふ 伊達秀宗本郡を領するに至って田若干を施捨し 以て香火料に給す(明細書)
伊延村安楽寺は山号を億万年山と云ふ 後二条院嘉元年中宇都宮永綱といふ人射を善くす 此寺昔は淵にて霊蛇住みて人を害す 永綱霊蛇を射殺しけるに風雨不順にして変災打続きければ後醍醐天皇御宇嘉暦元丙寅年彼淵を半分平らけ生蛇の如く曲木を以て蛇の形を彫て水上に臨ましめ平らけし地に精舎を建つ 即ち此寺なり
永綱又弐百貫の地を寄附して永く退転なからしむ 門前左脇堂に永綱の本像を納む 此本像の内に書付あり 左の如し
謹奉造立永綱大禅定門之御像、竊以、往古者作
現後両像、剰顕 蛇心之迷 試事何乎頃当家逢 弓矢之急難、其刻或迄 蛇堂 為 敵焼滅矣、家門己欲
亡而未 亡、是天之運数歟、且先祖積善是余慶歟、神霊之加護矣、忽求 一仏師
盖造 立之、即且為 後代、且為 子孫、即今建立新像伏 尊霊、依 此功徳 頓截
断心妄念、可 到 兜 平内院 者也、然即其天下国家安寧兮長掌 尭舜風調雨順、万民豊薬、倍歌
周道 兮、惟造立大檀那、
宇都宮石見守藤原朝臣宣綱公 ......」(伊豫温故録)
※一種の英雄伝説か?「この地の城主が弓の名人で、化け物を退治することでこの地を治めることを許された」というモチーフで語られている。宇都宮永綱はこの功績により下木城(東多田)を賜ったという。
絹本著色虎関師錬像(1幅)
・県指定有形文化財[絵画]
絹本著色回塘和尚像(1幅)
・県指定有形文化財[絵画]
(*1)日本三大薬師:一畑薬師(島根県)、山田薬師(愛媛県宇和町)、満願寺の薬師如来(愛媛県津島町)
| 当社沿革
往昔の事は不詳なるも口碑により約壱千年前天照大神、天之御中主神、素盞之男命を祭神とし三柱権現として祭祀された小祠と推定されている。66代一條天皇の御宇攝政藤原兼家の祖神たる天之児屋根之命を主神とし市杵島姫之命、濡津姫之命、田霧姫之命、武甕之命、(鹿島大神)経津主之命(香取大神)大物主之大神を祭神として創建再立された社であると送り伝へられている。当部落民は家孫繁栄、五穀豊饒、悪疫退散、和平開運、延命長寿、武運長久の守護神として信仰尊崇していた。皇紀1840年 今より約790年前(西暦1118年)平安廟88代高倉帝御宇、治承4年藤原秀郷6世の孫足利又太郎忠綱伊豫国歯長城主となるや同山腹に歯長寺を建立す(現今は宇和町江良孝謙天皇勅願寺歯長寺に移転)又山頂に八幡大神を勧請(現今吉田町立間八幡神社に転祀)後土佐国長曽我部元親東征に際し歯長城の落城するや剃髪して歯長又太郎忠綱と号し歯長寺に之を迎えへ元親の軍門に降る。後部落民は又太郎を慕い八幡大神及び又太郎を当社に祀る。亦忠綱は足利氏の大恩ある平氏恩顧を慕い安芸の国厳島大神及び忠綱の氏神たる春日大神を奈良の国より勧請して奉斎せり。降りて皇紀2276年(元和元年)日光東照宮造営のことあり全国に神社造営の盛んとなるや皇紀2360年(徳川光圀■ず)263年前現今の本殿が建立され今に及んでいる。降りて明治41年現在の拝殿改築され大いに神威を昂揚せり。(日露戦争終了後)同42年神明神社、金刀比羅神社、八坂神社、若宮神社、龍神社の境内末社を猿田彦神社に合祀し尊崇を集め、昭和41年10月氏子民の浄財を以て境内及び社殿の改修を図り清浄なる神域を建設し、昭和52年創祀1000年祭を厳修し世界平和に寄與し今日に及んでいる。 昭和53年8月 宮司謹言 |
境内社:神明神社、新田神社、八坂神社、金刀比羅神社、若宮神社、猿田彦神社、★猿田彦神社、春日神社、龍王神社、大山祇神社、八幡神社、弁天社、高森神社
金幣(1振)
・県指定有形文化財[工芸品]
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大窪山【宇和町】
大畑山【宇和町/八幡浜市】
・標高 645.2m
大野山【宇和町/野村町】
・標高 796.5m
大判山【宇和町】
・標高 798.7m
鳥殿【宇和町】
・標高588.5m
極山【宇和町】
御篠山【宇和町】
竜王山【宇和町野田/明浜町】
・藤原純友が博多で敗れて伊予に逃げ戻ったときに、追捕吏・遠保(とおやす)が竜王山に登って純友逮捕策を練っていると竜女が出現し、逮捕術を与えたという。
堂所山【宇和町】
・標高 593.2m
オオヒトサマの足跡石
高森山【宇和町/吉田町】
・標高 634.9m![]()
アベマキ【宇和町岩城】
・山田大池の辺にある。
・胸高幹周4.1m。
・四国最大のアベマキの巨樹である。
スギ【宇和町岩城 三島神社】
トチノキ【宇和町石城】
タブノキ【宇和町石城】
イチョウ【宇和町石城】
山田桧【宇和町西山田 山田薬師】
クスノキ【宇和町西山田 山田薬師】
エノキ【宇和町西山田 山田薬師】
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肱川(宇和川)【宇和町】
鳥越川【宇和町】
深ヶ川【宇和町】
根笹川【宇和町】
西川【宇和町】
岩瀬川【宇和町】
深山川【宇和町】
藤川【宇和町】
大谷川【宇和町】
緑川【宇和町】
滝山川【宇和町】
倉谷川【宇和町】
板ヶ谷川【宇和町】
カラ谷川
ゲジゲ谷川
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下川橋
2003/8/24
・大正15年3月![]()
宇和文化の里【宇和町卯之町3丁目】
1997、1998
・県指定「宇和文化の里」は開明学校、先哲記念館、民具館のある中町(なかんちょう)通りで構成される。
田之筋のせりわり
2003/8/24
・この名称は通名ではない。いせきこたろうが勝手に命名したもの。
・車高3m以上の車は通行不可
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笠置峠【宇和町/八幡浜市】
・宇和町岩木−八幡浜市釜倉
・標高411m
モロイ岩
・頂上よりやや下に下りたところにある。
鳥越峠【宇和町/八幡浜市】
・県道25号線、宇和町−八幡浜市境界に位置する。
鳥坂峠【宇和町/大洲市】
2003/8/24
・国道56号線、宇和町久保 鳥坂−大洲市に位置する。
・標高430m
★「鳥坂峠の狼」の伝説で語られる峠は、宇和島街道(国道56号線から見て西側を抜ける山道)の方であろう。今回訪れた峠のほうも、辺りは杉・ヒノキなどの植林が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗く不気味な空間を創り出しており、妖怪出現スポットといっても過言でないほどである。(2003/8/24)
タイマツ峠【宇和町/大洲市/野村町】
羽子の木峠【宇和町/野村町】
歯長峠(はながとうげ)【宇和町/三間町】
歯長城跡
法華津峠【宇和町/吉田町】
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・足摺宇和海国立公園
・標高 436m。
・眼下に段々畑とリアス式海岸、真珠筏の縞模様が美しい法華津湾が広がる。
・遥か水平線の向こうには九州連峰を臨むことができる絶好の展望地である。
西村清雄詩碑
「山路越えてひとり行けど主の手にすがれる身は安けし」
・明治36年(1903)、大洲より宇和島への途中で作詩した。
野福峠【宇和町/明浜町】
三瓶隧道【宇和町郷内】
・大正6年(1917)完成。
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林道久保鳥越線
・県道八幡浜宇和線2003/8/24
・幅員 4.0m、延長 12.3km
林道八ヶ森線
★2003/8/24:「絵馬堂へようこそ!」
オオヒトサマの足跡石【宇和町山田】
・堂所山山中にある足形がついた巨岩。
・オオヒトサマが谷を跨いだ時についたとか、出石寺の仏様と山田薬師様が長い棒で荷物を担いだ時に踏ん張って出来たとかの話が伝わる。
鬼の火打ち石【宇和町山田】
・高さ約10mの巨岩。オオヒトサマが不要となって捨てた火打ち石だという。
松葉町騒動【宇和町】
「藤堂領の時松葉町の名主三瀬六兵衛毛利家と内通し藤堂和泉守を討て大名とならん事を企つ其弟七兵衛は蔵村に住せしか下人久七此計畧を洩れ聞き藤右衛門といふ者に語る藤右衛門即時大洲に出て此事を訴へたる旨を七兵衛聞き付け直ちに弟勝八同道にて蔵村を立ち出で松葉町へ行く時六兵衛は仏事を営み数僧を請して斎を出し居たるか既に大洲より役人来り六兵衛へ人質を出すへき旨を命ぜしが六兵衛命に応せず役人火を家にかけ乱入す六兵衛一族酒蔵に.....」
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游の里:ユートピア宇和【宇和町明間 文治ヶ駄馬】
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