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吉田町(Yoshida Town)このページの最新更新年月日は |
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(1).「山なみに 海とミカンがにあうまち」
(2).「花とみかんと文化の町」
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イメージキャラクタ:吉田くん、たまこちゃん
町の花 町の木 町の花木 町の鳥 ミカン メジロ
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吉田町観光協会(役場産業課) 0895-52-1117
吉田町観光文化センター 0895-52-1999
・北宇和郡吉田町は、宇和島市の北っ側にある人口14,000人弱の町じゃわいね。
・かつては吉田藩3万石の陣屋町じゃった。吉田藩は、明暦3年(1657)、伊達10万石宇和島藩からの分知により誕生したんよ。
町名の由来:はるか昔、この辺り一帯が葭(よし)の群生する湿地帯であったため、葭田と称した。
大字 字
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上甲家住宅【吉田町東小路】
・国登録有形文化財
・大正初期の建造物
旭醤油醸造場【吉田町東小路】
・国登録有形文化財
・大正初期の建造物![]()
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食籠(1合)【吉田町立間尻 大信寺】
・県指定有形文化財[工芸品]![]()
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薬師如来坐像【吉田町立間 二番耕地 医王寺下】
・町指定有形文化財:彫刻
薬師如来坐像【吉田町与村井】
・町指定有形文化財:彫刻
神像【吉田町法ヶ津】
・町指定有形文化財:彫刻
八十八体仏【吉田町裡町】
・町指定有形文化財:彫刻
・江戸時代後期頃に地方の仏師が四国八十八ヶ所霊場の本尊を模刻し、それを武士や町人が長福寺に寄進した。
陣屋跡【吉田町御殿内】
・町指定史跡
・明暦3年(1657)、吉田藩初代藩主伊達宗純が構えた居館跡。
・万治元年、田を埋め立てて陣屋を造った。
善門寺跡【吉田町寺家】
・町指定史跡
・奈良朝時代建立との説もあるが定説はない。
・永録3年(1560)石城の戦で廃絶した。
藩主の墓所【吉田町寺家】
・町指定史跡
・宇和島藩主・伊達秀宗の供養碑、4名の殉死者の碑、吉田藩初代藩主・伊達宗純、3代藩主・村豊、7代藩主・宗翰(むねもと)及びその夫人の墓碑がある。
石城跡【吉田町竹城下】
・町指定史跡
時観堂跡【吉田町桜町】
・町指定史跡
・寛政6年(1794)に吉田藩が設立した藩校。
御用井戸【吉田町御舟手】
・町指定史跡
・直径約2m、水深約10m。
・藩の御舟手役所にある御船頭高月家役宅にあった井戸。
・藩政当時汐濡れした御船道具の洗い場に充てられたと伝えられる。
西蔵寺跡【吉田町雪森】
・町指定史跡
吉田藩刑場跡【吉田町郷蔵】
・町指定史跡
伊達兵部一族の墓【吉田町寺家】
・町指定史跡
・歌舞伎の狂言「伽羅先代萩」や小説の「樅の木は残った」で有名な仙台伊達騒動の政争に敗れた伊達兵部一族の墓である。
・伊達兵部の嫁と三人の子を預かり、この地で生を終わった。
法ヶ津本城跡【吉田町法ヶ津】
・町指定史跡
安藤継明廟所【吉田町御舟手 海蔵寺】
・町指定史跡
・寛政5年(1793)、吉田領内で勃発した百姓一揆(吉田騒動)を切腹を以って解決の方向へ導いた吉田藩家老・安藤継明の廟所である。
僧日述謫居跡【吉田町東小路】
・町指定史跡
・将軍徳川秀忠の怒に触れ、吉田藩預けとなった不受不施派の僧。
・16年間ここに閑居した。
僧日述の墓【吉田町立間尻】
・町指定史跡
・日述は延宝9年(1681)9月1日、72歳で病没し、聖人山に葬られた。
犬尾(いぬび)城趾【吉田町立間尻】
・町指定史跡
・戦国の士豪・法華津氏の本城であったが、後に法華津城の支城となった。
・大友軍との激戦地となった。
お八人さまの墓(八烈士の供養碑)【吉田町大工町】
・町指定史跡
・約300年前、横暴な家老であった山田仲左衛門(宇和島藩初代藩主伊達宗純の寵臣)を暗殺しようと企てて失敗に終わり、切腹の刑に処された8人の下級武士の墓所である。
・第二吉田隧道入口の右の林の中の小さな祠堂の中にある。
氏名 戒名
長兵衛 長山道水禅定門
徳兵衛 徳室道元禅定門
覧右衛門 覧翁道悟禅定門
四右衛門 四禅道聖禅定門
五右衛門 五空道禅定門
三助 三心道界禅定門
四平 志雲道起禅定門
久助 久林道昌禅定門
・この戒名は海蔵寺の荊林和尚が付けた。
・墓石には「寛延三年庚午九月二十八日起」と刻まれている。→c.f.吉田藩の山田騒動![]()
おねり【吉田町吉田】
・町指定無形文化財
七ツ鹿踊り【吉田町立間】
・町指定無形文化財
河内口説(かわちくどき)【吉田町喜佐方】
・町指定無形文化財(昭和60年指定)
・約250年前から伝わる民俗行事。
・盆に行われる行事で、歌舞伎や芝居の名場面を集めて構成される踊り。新仏を弔うとともに豊作祈願として奉納されてきた。![]()
龍王鼻流跡【吉田町】
・町指定天然記念物
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法華津本城跡【吉田町法花津】
・町指定史跡
・法花津の領主清家氏が天文15年に本城とし、7支城を持った。
・西園寺領海防の拠点となった。
犬尾城(いぬびじょう)跡【吉田町】
吉岡城跡【吉田町喜佐方】
石城(せきじょう)跡【吉田町竹城下】
・町指定史跡
・標高120mのところにある。
・土居清宗が1546年に入城した。
・大友軍の侵攻に備え、5回の来襲を撃退した。![]()
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法華津一族の墓【吉田町】
法花津屋(ほけづや)三引(みつびき)邸跡【吉田町魚棚1丁目】
久代屋(くしろや)の土蔵造り【吉田町本町2丁目】
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安楽寺【吉田町河内 甲371】
・山号:清涼山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・天正年間、御手洗弥三郎道隆が登蓮寺跡に創設した。この寺の名前は、今も部落名「東蓮寺」として残っている。登蓮寺の消滅については、@天正年間、長曽我部氏の侵攻により焼亡した。など諸説有り。
A山崩れにより倒壊・埋没した。
B大友氏により破壊された。(大友氏はキリシタンであり、武門神の八幡を除いて各地の社寺を破壊した。)
御手洗三郎の墓
・本堂右手の山腹にある。
・御手洗弥三郎道隆は、法華津殿清家播磨守範延の旗本で、喜佐方吉岡城の城代を務めた人物。
忠魂碑
・秋山好古の書。
・吉田三傑の山下亀三郎、清家吉次郎と秋山好古の間には交友関係があっ
た。
★山下亀三郎
・山下汽船創立者
・世界の海運王
・内閣顧問も務めた。
大公孫樹
無逸門
・清家吉次郎邸(北小路 吉田高校前)にあったものを、翁の50年忌に移転した。
★清家吉次郎
・〜昭和9年2月23日没
・教育者
・吉田町長、県議会議員、衆議院議員を務めた。
医王寺【吉田町立間 二番耕地2710】
・山号:如意山
・院号:宝珠院
・宗派:天台宗
・竜王山の裾にある。
・南の谷間にあった円乗院東光山円竜寺を吸収一体化している。
・万治2年(1659)、初代藩主・伊達宗純が祈祷所として整備。
・貞享元年(1684)、大阿闍梨法印大僧都智■(■=おうへんに眞)大和尚の中興開山。
・天明4年(1784)、5代藩主・伊達村賢が再建。
本堂
・円乗院の阿弥陀如来も安置している。
厨子
等身座像薬師瑠璃光如来
脇侍仏(日光・月光菩薩)
透かし堂
・本堂左側にある。
・北辰妙見・商売繁盛の仏であり、密かに念ずれば生涯小遣いに困ることがないという。
採燈護摩大祭
・毎年、2月第2日曜日の午後に行われる。
大師堂
・明治21年建立。
ミニ八十八ヶ所霊場
・医王寺〜竜王山
一乗寺【吉田町立間尻 甲743】
・山号:最上山
・宗派:日蓮宗
・遠見山の裾にある。
・明暦3年伊達宗純公が建立したと伝える。寺伝では、万治2年創立とある。
枝垂れ桜
・かつては、この寺の境内に見事な枝垂れ桜が植わっていたというが、昭和30年代に枯死。
鬼子母神堂
・弘化5年5月5日建立。
・天井には48枚の花鳥の絵が描かれている。
お火焚
・12月12日に行われる。
・1年間の寺社のお札・お守りなどを焚く。この火で炙った餅を食べると、翌年一年間の無病息災の御利益を与かる。
円通寺【吉田町沖上】
・山号:東持山
・宗派:臨済宗
・本尊:観音菩薩
・元禄15年、沖村の庄屋・佐治兵衛が開基。
・大乗寺の浩雲祖養禅師が開山。
・明治17年再建。
海蔵寺【吉田町御舟手】
・山号:幡竜山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・本尊:釈迦牟尼仏
村井保固(むらいやすかた)の墓
★村井保固(安政元年〜昭和11年)
・吉田三傑の一人。
・村井保固は安政元年9月24日、吉田藩御船手に父林虎市と母さよの次男として生まれた。幼名を三治といった。
・13歳で奉公にでたが、その傍ら毎晩漢学の勉強に通っていた。
・明治2年に村井家の養子となり、名を保固と改めた。
・教師を目指し勉学に励んでいた彼は、西園寺公成との出会いが契機となり、宇和島の不棄英学校に入学する。英学校では教師中上川彦次郎に刺激され、学問への意欲と西洋文明へのあこがれをかき立てられた。
・明治10年、24歳で慶応義塾に入学。福沢諭吉の教えを受け、犬養毅、尾崎行雄らと親交を結ぶ。
・卒業後、当時アメリカと貿易をしていた森村組に入社。
・明治12年ニューヨーク支店勤務となり、持ち前の情熱と誠実さで実業界でめざましい活躍を遂げた。
・その一方私財を投じて、実業奨励会、愛郷会、吉田病院、吉田中学(現吉田高校)、図書館を設立、郷土の教育・福祉に貢献した。
・昭和11年2月11日、83歳で没。
安藤継明廟所
句碑
「有明けの 戸に又戻る しぐれかな」
坂村真民「念ずれば花ひらく」の碑
・平成3年6月建立。
・坂村真民は、吉田高校在職時にこの寺を訪れた。
宗昌寺【吉田町鶴間】
・山号:補陀山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・俗称「サルボ山」の麓に位置する。
・海蔵寺の隠居寺として開基。
・昭和5年、三世・宝宗和尚が再建。
大女狐の化身出没伝説
・裏庭の井戸の傍らに柚の古木があった。その木陰より大女狐の化身が出没したとの言い伝えが残る。
・古狐退治の為、尾張より宗昌寺へ入山した尼僧が祈願したところ、翌朝井戸の傍らで大狐が死んでいたという。
おどい(古井戸)
・旧参道途中にある。
三十三観音像
観音堂
・十一面観音を安置する。
桜
かつては吉田十二景に選ばれた桜の銘木があったらしい。
大信寺【吉田町立間尻】
・山号:恵林山
・院号:常照院
・宗派:浄土宗
・本尊:阿弥陀如来
本堂
大仏堂
・平成3年建立。
・安置される大仏は、光背に永仁弍午三月二十七日の記年されている。
・永禄3年(1560)、立間の普門寺より、普門寺→寺家谷(立間)→安養寺[後に大信寺へ改称]のルートで戦火を逃れて運び込まれたという。(※寺家谷は、一名「大仏谷」と呼ばれる。)
善光寺堂
・文久2年(1862)建立。
・善光寺如来像を祀る。
食籠
・県指定有形文化財
吉田藩主伊達宗純公母堂の墓
・「常照院殿泰誉光安慧林善尼公大姉」
村上道順の墓(道順堂)
・「道順様」とも呼ばれる。
道順祭
・江戸時代の名医として語り継がれている村上道順を偲ぶ祭り。
・4/17に行われる。
・奉納子供相撲で賑わう。
・村上道順は伯方島生まれで、元禄期に今の吉田町に移って開業した町医者。
・道順は診察の前に一杯の酒を所望するだけで治療代を殆ど取らず、「赤ひげ」として町民に慕われ、1697(元禄10)年4月19日に死去した。身寄りがなく大信寺に弔われ、命日には好物だった酒と豆腐が供えられる。
大乗寺【吉田町立間1-3661 (寺家郷蔵)】
・山号:玉鳳山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・伊達家の菩提寺で、天保山を借景とした庭園がある。
大乗寺庭園
藩主の墓所
伊達兵部一族の墓
水引地蔵
・弘法大師作とも伝えられる。
・雨乞いに霊験有り。立間郷の大旱魃時に祈願することで慈雨を得たとの伝説が残る。
・「昔立間郷四五之両月旱魃村田渇水、其時云 葩玉 有 僧、生平地蔵菩薩、成 晨香夕燭之勤、向 地蔵 曰、菩薩者被 護 五穀、若有 方便、使 村田種苗、不 然秋不 得 納、秋不 納者、檀越乏、檀越乏、則仏法亦乏、拙僧亦口皮辺乏、若不 補 口皮辺 者、朝暮献 香花灯燭 無 力、言了、傍退而静坐、其夜天晴無 雲、早朝見 田面、水溢 蛙、村人成 不思議、謂 希有、看 田中 有 大足跡、尋 其跡 者、即入 地蔵茅屋之中、看 薩捶[←つちへん]像、泥土着 身全体尽湿、此故村人得 力種 村田、其年之米穀籾生 籾、寔地蔵方便難 有、自 是悉皆同 心而奉 尊信 之、干今有焉、以 是世々号 水引地蔵」(吉田古記)
尼地蔵
・「古昔有 盗兵者、而催 徒党、大勢来欲 焼 寺奪 法財、干時地蔵菩薩、現 老比丘尼、設 酒食 饗応 之、盗兵者、乱酌 酒飽成 食、依 老婆尼心切、忘 焼、尼向 盗兵 曰、此寺莫 焼却、本尊長八尺、忝弘法大師一刀三礼之作也、焼 此茅屋 者、可 憐仏体焦土、大師再無 出 生干世、作仏亦豈有焉、尼老衰、故不 能 出 本尊 憑伏各々、莫 焼 此寺、盗兵者、老尼懃意不 浅言了、終不 焼而退 寺、従 其以来村里老翁、言伝号 尼地蔵 云爾 」(吉田古記)
御茶堂 大淵庵
・昭和63年6月、京都嵯峨野の岡松慶久氏より寄贈された茶堂を移築・再建したもの。
橘観音(果祖田道間守公御廟所)
・昭和23年11月分霊を伏見より勧請した。
大楽寺(だいらくじ)【吉田町河内 中】
・山号:金仙山
・宗派:浄土真宗
・元々は天台宗大楽院として建てられた。宇都宮堂房(いえふさ)によって開基された。堂房は、豊前国の宇都宮鎮房の第3子。堂房は、萩森城主・宇都宮房綱を頼って九州より敗走してきたが、房綱は天正13年(1585)に長曽我部氏に討たれてしまっていた。そこで、房綱の姉婿である菊池武国を頼って、この地に落ち延びた。
・大楽寺はムササビ寺として有名。
・発明和尚
★ムササビを見ることができるらしいわい。
トサミツバツツジの自然林
民俗資料館
長福寺【吉田町裡町3丁目 (魚棚)】
・山号:光明山
・宗派:浄土宗
・本尊:阿弥陀如来
ニホンタチバナ
長福寺の名水
北野天満大自在天神祭祀堂
清家播磨守範延霊廟
東蓮寺【吉田町】
「(その1)
むかし、東蓮寺谷に東蓮寺という真宗寺がありましたが、長曽我部に焼討ちされるのを聞き、本尊阿弥陀如来を河平にある、せいけん寺に移しました。後に又大楽寺に奉安したとの説もあります。
せいけん寺が焼討ちされたおり、大切なものは側にある堂に預けたそうです。聞く所によれば、寺は消失後も再建されず、大楽寺に奉安し、親鸞上人の直筆と称する妙号は堂に残し、又、大楽寺以前の毘沙門天を「うねもり」に移した跡に別に阿弥陀如来を勧請したそうです。
(その2)
東蓮寺は一向宗で、見真大師の六字の名号をその檀家である川平の共有として保存していましたが、だれが建立したのかはわからず廟屋敷という所の附近に多く五輪の塔が出土することがあるのは、山崩れにより、廃寺になったものと考えられます。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)
東多田八幡宮
桧ノ木段大相撲
福巌(禅)寺【吉田町法花津 和田】
・山号:徴妙山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・本尊:阿弥陀如来(恵心上人自作という)
・長和5年(1016)以前、恵心源信僧津を開山として創建。
法華津一族の墓
・法花津本城は、西園寺公広の15将に挙げられる清家播磨守範延が居城した。
山門
・安永9年(1780)庚子に修復。
明淵寺(明渕寺)【吉田町裡町1丁目 (魚棚)】
・山号:玉龍山
・宗派:浄土真宗
・本尊:阿弥陀如来
・万治2年(1659)、大田正貞上人により開山。
立正寺【吉田町南君 西】
・山号:草雲山
・宗派:曹洞宗
大公孫樹
・慶長12年(1607)、南海山立正寺として開設。
・寺伝によれば、元和3年3月10日、愉岳玄悦■座開祖。
禅堂
・御大師様、御地蔵様、(聖)観音様、子安観音様の4体を安置する。
・子安観音様は「お産の観音」として有名。安産の御礼に底抜け袋を奉納する。
郡蚕の霊碑
・大正8年、蚕の供養のために建立。
六地蔵
・天保10年8月29日、西部落の人々が建立。![]()
安藤神社【吉田町西小路】
犬日神社【吉田町立間尻】
大雷神社【吉田町喜佐方】
「大雷神社は、天徳2年社司阿部家の祖、藤原重則という人が五人の家来を従え、土佐の国より移住され、藤原家の祭神雷公宮を現在の社殿の南向う釘切の山腹に奉安されたのを、現在の宮床に遷宮されたときいています。
以来社殿を改造すること二回、今日にいたっています。
当時の石造りの狛犬は現在も保存してあります」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)
賀茂神社【吉田町南君】
住吉神社【吉田町】
境内末社:淡島神社
・古雛が供えられている。
健雄神社【吉田町深浦 池の浦】
「健雄神社は、いつごろ祭られたかは知りませんが、昔、やとおもてに流れ着いた蛇を今の氏神様にお祭りして有るとか言われています。
氏神様の水ために蛇の絵を書いてあげた所、その年は深浦に悪病が出て大変だったそうです。それで水ためを海にすてたとも言われています
戦争時分には、多くの人が深浦へお参りに来ていました。又、健雄神社は今でも、いぼの神様として皆お参りしています。お参りした方にたずねてみますと、良くなっています。とのことです。お礼参りにたこの絵を奉納しています。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)
天満神社【吉田町白浦】
戸島神社(門島神社、とじまじんじゃ)【吉田町知永】
・祭神:海少竜神、豊玉彦命、大物主命、猿田彦命、大山祇命
・祭日:春祭4月18日、秋祭10月18日
・「弘化3年(1846)9月16日、渡部帯刀相勤む」
(社記)
姫宮神社【吉田町魚棚】
日吉神社【吉田町玉津】
三島神社【吉田町玉津】
峰住神社【吉田町魚棚】
八幡神社【吉田町立間】
八幡神社【吉田町喜佐方】
「」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)
八坂神社【吉田町立間】
龍前神社【吉田町牛川】
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大師堂【吉田町河内上】
河内口説
観音堂【吉田町玉津】
「観音堂は、老人の人も月に一度は掃除をしたり、又、夏柑も植えて収入にしています。御手洗清真が、書き残したものでは、戦国の頃、豊後大友の家臣御手洗弥三郎道隆といえる者、主命により家臣数十名を従え、現在の吉田町南君に上陸し、同地方を治め、喜佐方村にきて、吉岡城を構えました。土佐の長曽我部との戦いに破れて、主従密かに世陰に乗じて筋浦(今の筋)より深浦に逃れて、ここに居住し後に庄屋となりました。その戦の重傷者二名は後に死亡し現在深浦の観音堂の所に埋葬されています。現在も墓標二基が有ります。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)![]()
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御地蔵様【吉田町玉津】
「御地蔵様は、いつ頃から深浦にお納りしてあるか分りませんが、石に書かれてあるには、寛政時分のことで、地主深浦、孫之丞と横にしるされています。天下和順、奉納六十六部廻国供養で、今では、厄・災難の御地蔵様として皆御参りをしています。御礼には、よだれかけを奉納しています」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)
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遠見山【吉田町立間尻】
・標高322.2m
・藩政時代には狼煙山とされた。
竜王山【吉田町立間】
・c.f.医王寺
金仙山【吉田町河内】
・c.f.大楽寺
うねもりの山【吉田町】
犬尾(城)山【吉田町】
・宗昌寺より真向かいに見える。
・標高130m。
・法華津氏居城。
・大友氏の侵攻により、1561年犬尾城は陥落した。
・山頂までの道路が整備されている。
・山頂からの展望は良好。
サルボ山【吉田町鶴間】
・c.f.宗昌寺
帆柱山(ほばしらやま)【吉田町】
・標高521m
・戦国時代には西園寺氏の火山(ひやま、海辺防禦の信号基地)であった。
・NTT法花津無線中継所がある。
御太鼓場山【吉田町】
槇の山【吉田町/宇和島市】
・標高438.5m![]()
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立間川
国安川
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桜橋【吉田町】
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吉田十二景
吉田十景
@法華津峠
A桜橋
B犬尾城跡
C大良の鼻と小島の灯台
D吉田夏祭り
E国安川
F吉田町立図書館
Gみかん取り
H吉田公園
I桜の小道(立間川沿い)
法花津八景
・明治年間、吉田の文人、飯淵櫟堂(いいぶちれきどう)、荻野春泉(おぎのしゅんせん)など八家によって選定された。
@鳴谷滞瀧(なるたにのたいろう)
A三児漁火(みつこのいさりび)
B三尾走帆(みつをのそうはん)
C新城夜雨(しんじょうのやう)
D和田春耕(わたのしゅんこう)
E小島遊舫(こじまのゆうほう)
F漁礁間鴎(ぎょしょうのかんおう)
奥浦五景
・奥南村(現吉田町)
・俳人岡田燕子(おかだえんし)の歌詞により示された。
@ A B C D小島 立てる巌もめずらしく 生ひそふ松もおもしろく
景色筑紫の山々も 見ゆる小島のなつかしさ
吉田十景十勝
・大正14年4月、吉田新報社がその発刊十周年を記念して選定した。
【十景】 【十勝】 @遠見山の月 @須賀崎(すがざき)の汐干狩 A宗昌寺晩鐘 A三輪橋の夕涼み B安藤社公園 B立間川の蛍狩り C住吉高燈篭 C待合桟橋の魚つり D只波(ただなみ)の夕照 D御殿前の松並木 E嶺太(れいた)の晴嵐(せいらん) E蔓天満宮の藤花 F長栄橋帰帆 F玉凰山禅寺の庭 G法花津雪景 G太鼓塲山の夕照 H紫禿(むらさきはげ)の暮靄(ぼあい) H立間村の蜜柑園 I蒲田(かまた)の落雁(らくがん) I一乗庵のしだれ桜
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野福峠【吉田町】
・標高340m(トンネル口)
穴御前(穴の御前様)【宮ノ谷】
・海抜280mの位置にある鍾乳洞。
・「鴫谷兵庫守没落ノ時其室入リテ自刃セル所」(玉津郷土誌稿)
法華津峠(ほけづとうげ)【吉田町/宇和町】
・足摺宇和海国立公園
歯長峠【吉田町/宇和町】
・峠から東方にはカーレンフェルト(カルスト地形)が見られる。
・四国八十八ヶ所霊場遍路道(42番仏木寺〜43番明石寺)、官道・大河内(おおかわち)路などの旧道はハイキングに好適。
十本松峠【吉田町/三間町】
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喜佐方児童公園【吉田町】
吉田町ふれあい運動公園【吉田町鶴間甲1507】
・休館日:月曜日、祝祭日の翌日(月曜日が祝日のときはその翌日)
・電話番号:0895-52-4155
温水プール
・利用料金:大人400円、小人200円(中学生以下)
ガーデンプール
・利用料金:大人400円、小人200円(中学生以下)
ふれあいの森【吉田町御殿内】
吉田公園【吉田町御殿内】
吉田ふれあい国安の郷(くにやすのさと)[歴史公園]【吉田町鶴間1503】
・平成7年(1995)5月オープン。
・開館時間:9:00〜17:00
・休館日:月曜日、祝祭日の翌日(月曜日が祝祭日のときはその翌日)
・入場料:大人200円、小人100円(中学生以下)
・運動公園に隣接している。
・広さ5970uの敷地に総事業費7憶4800万円を投じて武家や敷きや商家、農家、漁家、米倉、水車小屋、番屋、火の見櫓などを移転改築・復元した。
法華津屋の復元店舗
・安政6年(1859)の建築という。
・法華津屋は江戸時代に御用商人として財をなした豪商である。
・中の売店には、日本各地の「吉田町」の特産品も置いてある。
祭り館
・乗物籠、牛鬼、神輿などを展示している。
吉田町立図書館【吉田町】
観光文化センター【吉田町西小路】
吉田フィッシングセンター【吉田町】
吉田藩の山田騒動【吉田町】
・吉田藩は、明暦3年、宇和島藩十万石のうち三万石を分知して開かれた。だーいら【吉田町喜佐方】
・山田仲左衛門は三間村の医者で、吉田藩初代藩主伊達宗純の病気を治した功により、延宝3年御殿医となり、併せて剣道指南役を任された。天保年間には家老職を任された。
・山田は藩創業時の改革を断行し、17家の家臣を整理した。これにより怨みを買い、吉田領81ヵ村から選り抜かれた青年9人が山田の暗殺を企てた。
・その後山田は貞享3年、仙台伊達に終身幽閉された。「国森丘を「だーいら」(寺屋敷)といいます。大楽の訛で、然も片言などではありません。そういう点から大楽寺に関することかもしれません。又「でーら」は「寺」の訛だと思われますが、ともかく墓標に用いた青石を多く発見しました。又経文をかける(墨にて)小石を折々掘り出すことを思えば、寺跡と言い伝えも事実に近いものだと考えられます。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)御仮屋床【吉田町喜佐方】「大崎着の丘を御仮屋床戻り畑といっています。往古藩主の仮屋で、もろやよりくしげ越の麓井の辺に墓もありますが、これは普道院の墓だと言い伝えられています」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)おやす場【吉田町喜佐方】「東蓮寺谷のうねに、一本の老松があって、「おやす場」と称する所があります。藩政の頃藩主が出猟の際の休みの場所だったのでしょう。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)
筋海水浴場【吉田町】
バサコ海水浴場【吉田町白浦】
貝の浦海水浴場【吉田町奥浦惣代】
★ワシが小さいときには、バスん乗ってようここに海水浴に行きよったもんじゃ。
吉田三傑
@山下亀三郎
A清家吉次郎
B村井保固
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