伊豫の隅々

弓削町(Yuge Town)


このページの最新更新年月日は
2003年12月6日
です。

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).「人も町も元気 愛と夢のある島」
(2).「みんなでつくろう「うるおいとゆめのあるみどりのふるさと」文化のまち弓削町」

選定モノ
町の花 町の木 町の花木 町の鳥
つつじ

特産物

インフォメーション
弓削町役場  (TEL)0897-77-2500

沿革
・面積8.81ku、周長20kmの小さい島。
・中世には「塩の荘園」として栄えた。
字と地名探訪
 
大字
文化財探訪
国指定有形文化財

定光寺観音堂【弓削町土生】

・国指定重要文化財
国指定無形文化財

国指定無形文化財

国指定天然記念物

県指定有形文化財

県指定無形文化財

県指定天然記念物

法皇ヶ原【弓削町下弓削】

・県指定名勝
・弓削神社境内にある風光明媚な海岸。
・樹齢200〜300年を経た松林が広がる。
町指定有形文化財

薬師如来像【弓削町 東泉寺

久司山古墳【弓削町鎌田112,鎌田90】

・町指定史跡

小狩尾古墳【弓削町上弓削1139】

・町指定史跡
町指定無形文化財

雨乞踊り【弓削町】

・町指定無形文化財(昭和56年指定)
・室町時代から行われているという。
・7〜8月頃、雨を司る竜王に踊りを奉納する。
・踊りは、先頭に旗持ち、続いて大太鼓、小太鼓、鉦が従い、円を描きながら進む。
町指定天然記念物

その他の文化財

史跡探訪
城址

遺跡

(くじら)遺跡【弓削町久司浦】

・鯨神社背後の丘陵上にある。
・旧石器時代の遺跡で、サヌカイト製のナイフ形石器(国府型ナイフ)が採集されている。
古墳

久司山古墳【弓削町】

・町指定文化財
・5基の横穴式石室を持つ。
・7世紀前後の古墳時代後期のものとされる。
・尾根の南端には、ドルメン支石墓であったという説が残る平らな巨石がある。

福羅古墳【弓削町佐島】

・佐島の横峰山(標高119.9m)にある。
跡地
神社仏閣探訪
寺

願成寺【弓削町上弓削502】

験乗宗八坂寺弓削別院【弓削町日比316-4】

西方寺(さいほうじ)【弓削町佐島263】

自性寺(じしょうじ)【弓削町藤谷832】

定光寺【弓削町土生241】

惣観寺【弓削町引野】

潮音寺(ちょうおんじ)【弓削町下弓削400】

東泉寺【弓削町久司浦988】

神社

大森神社【弓削町久司浦】

・祭神:天児屋根命、武甕槌命、経津主命、姫大神
「東寺古文書の文治4年(1188)の条に、島主明神の免税田一反、同じく文治5年(1189)の条に、島戸主明神の免税畑二反、更に、同古文書(三分一帳)の応長元年(1311)の条に鯨島尻の島屋という社の免税田80歩、免税畑二四〇歩などとあるが、これら島主といい島戸主といい島屋というのは、あるいは大森神社の前身なのかもしれないが、大森神社そのものの創建は、貞享4年(1687)だと伝えられている。この当時は島尻の大根多高地に神社を構えていたが、嘉永4年(1851)に明神■におろし、その7年後の安政5年(1858)には、久司浦字後(うしろ)に遷宮した。そして、昭和3年(1928)11月、同地に社殿を再建、今日に至っている。
境内にある明治以降のものとしては、文政2年(1819)5月に寄贈された石燈篭1対がある。」(弓削町誌)

佐島八幡神社【弓削町佐島】

・祭神:応神天皇、神功皇后、三女神(みつめのかみ)
「石清水八幡宮(京都、男山八幡宮ともいう)の荘園であった佐島については、同八幡宮に佐島に関する古文書が残っていないので、実情を解明しにくい状況にあり、その創建の年すらも推定しがたい。
本浦(ほんうら)西海岸丘の現在八幡宮のたっている地域は、もともと厳島神社の境内地であったという。ところが、元見山にあった八幡宮が本浦に移転後、更にこの境内に移転されて来て、いつしか、八幡宮が中心になり、厳島神社は、慶長4年(1399)再建の八幡宮の本殿に向かって左側に鎮座することになったのだと、語り伝えられている。本殿に向かって右側に四坂神社と甕(みか)神社の一棟がある。同神社はもと別宮であったが、昭和39年神輿庫を建てる際に一棟にした。四坂神社は、もと四坂島の明神島にあったのであるが、いつのころか、現在の境内地に遷されたという。明神島は、かつて佐島の所有地であった時代があり、佐島・明神・引野の人々が共同して、この島に製塩燃料の竹笹を刈りにいったのである。「佐島明神引野山子安安全祈処」と書かれた木札は、そのことを物語るものであろう。甕神社も、前者と同様に、浦之奥の山腹に祭ってあった大将宮を、天保2年(1831)に遷宮したものだという。その時の庄屋は、菅善兵衛(初代菅又右衛門の八代目)、組頭升屋伊兵衛、橋本勘蔵、寺社奉行竹本吟右衛門、神主は宮原上総元春であったという。
 この神社には、宮原宮市が奉仕していたが、大正13年(1924)弓削神社に転任するに及んで、それより約13年間、宮原の兼任という形になる。その後、昭和13年(1938)福田貢が宮司として赴任し、今日に至っている。
 この神社で見るべきものは、拝殿の天井にある羅針盤である。この羅針盤は、卯(東)酉(西)が逆に記入されているところの日本独特の逆針の羅針盤である。寄進者は故繁村清太郎船長であり、考案者は金沢清左衛門(明暦年間)と伝えられる。
 境内にある明治時代以前のものとしては、55段の石段を登りつめた両脇にある一対の石燈篭、これは天明3年(1783)の寄進である。ついでその燈篭の後側の狛犬一対は、文化11年(1814)の寄進。地区の道路より、石段を19段登った右側の神幸丸願主重吉なる石燈篭は、文政9年(1826)の寄進、向かって左側の金毘羅大権現世話人安右衛門なる石燈篭は、嘉永5年(1852)の寄進等々である。」(弓削町誌)

高浜八幡神社【弓削町沢津】

・祭神:応神天皇(誉田別命)、神功皇后(息長足姫命)、三女神

(ちゃく)神社【弓削町引野】

・祭神:大山祇神

弓削神社【弓削町 下弓削】

・道鏡伝説が残る。
・創建年代不明であるが、応長元年(1311)の記録にある浜戸宮が前身と考えられる。
・その後、法皇宮弓削宮と改称し、現在の名に至っている。

幸神(境内末社)

阿波島神社(境内末社)

石灯篭

・享保17年(1732)のもので、弓削町内最古のもの。
御堂

塚

地蔵

自然・景観探訪
山

久司山【弓削町下弓削】

三山【弓削町】

・標高325.3m

伊勢山【弓削町】

・標高56.6m

立石山【弓削町】

・標高313.6m

古法皇山【弓削町】

・標高279.4m

石灰山【弓削町】

・標高219m

佐島観音山【弓削町佐島】

横峰山【弓削町佐島】

・標高119.9m
樹木

川

渓谷

滝

橋

風景

法皇ヶ原【弓削町下弓削】

その他自然景観
道探訪
峠

林道

三石林道【弓削町】

碑探訪 公園探訪

大谷桜公園【弓削町】

大橋記念公園【弓削町】

・平成8年3月、弓削大橋開通に合わせて完成した。

中崎公園【弓削町】

・弓削島の南東部の高台の上にある。
・弓削町出身の医学博士、村上治朗氏の遺族からの寄附をもとに造られた。

農村運動公園【弓削町佐島】

聖松跡地公園【弓削町土生】

深坂池親水公園【弓削町】

佐島みんなの広場【弓削町佐島】

祭り・イベント探訪 施設探訪

ゆげトピア(健康浴場) 【弓削町】

・昔から中国で薬石として利用されている「麦飯石」を使用している。

豊島コミュニティセンター【弓削町豊島】

国民宿舎弓削ロッジ【弓削町日比】

伝説探訪

道鏡伝説【弓削町】

・弓削島には、奈良時代に政権を誇った僧、弓削道鏡に纏わる言い伝えが数多く残る。
・河内国(大阪府)に生まれ、孝謙天皇の寵愛を受けて実力者になった道鏡は、やがて下野国(栃木県)に配流されて最期を遂げた。弓削島との接点となるような史実は今のところ見つからない。

弓削神社境内の玉石

法皇ヶ原の名の由来

百貫島【弓削町】

弓削の東方1kmほどの海上に小さな島が浮かんでいる。この島は「百貫島」と呼ばれる。昔大阪のある商人が一人娘を連れて大阪へ帰る途中、娘が急に苦しみ出し、この島に差し掛かったところで息を引き取ったので、この小島を銭百貫で買い取り、島に娘を手厚く葬ったことからこの名が付いたという。
レジャー・行楽
キャンプ

海水浴

松原海水浴場【弓削町】

その他


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