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hitorigoto.JPG (4454 バイト) Archive <2002>

31 Dec. 2002

 今年もいよいよ今日が限り。天気予報では夜半から明日朝にかけて雪と言うことだが、俄かに信じがたい程の穏やかな年の暮れ。小春日和である。
 庭木の葉がすっかり落ちて久しいがこの冬は例年に比べ暖かいのであろうか、芝生には僅かではあるが青みが残っている。そんな我家の庭の一等地に沙羅の木が植えてあるのだが、その木には既に新芽がふくらみ始めている。

021231_2.jpg (18415 バイト) 沙羅の木の新芽

 ついこのあいだ落葉したばかりであるというのに、もう春の支度とは随分と気の早い樹である。他の樹はどうかと思い見て回ったが、新芽をふくらませているのは沙羅のみであった。明日になれば新春であるとは言え、寒さの本番はこれからである。そんな中春を待ち焦がれふくらみ始めている芽を見ると何故かほっとする。


30 Dec. 2002

 予告編ばかりで、いったいいつになったら長崎の旅日記が掲載になるのかというお問合せ(と言うよりは催促!)を複数頂きました(^^ゞ。取り合えず書きあがっている初日、12月1日の分を掲載しましたのでご覧ください。郷秋<Gauche>としても、年内に一気に公開したかったのではありますが、なかなかそうもいかず・・・。


24 Dec. 2002

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た。
これはキリニウスがシリア州の総督であった時に行なわれた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、
その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、
マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、
あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、
布にくるまって葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」

Buon Natale!

<新約聖書 ルカによる福音書 第2章 第1−14、新共同訳による>


5 Dec. 2002

 3泊4日、函館経由長崎・五島への旅から昨日なんとか無事に帰ってきました。

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函館:ハリストス正教会              長崎・五島:頭ヶ島教会

 こんな教会を巡る旅でした。写真もたくさん撮ってきました。「旅日記」で紹するためにはもうしばらく時間がかかりそうですが、なんとか年内には仕上げたいと思っていますのでどうお楽しみに。


18 Nov. 2002

 またまた飛行機の話題である。
 今朝の新聞に「輸送量飛躍的アップ -コミューター路線好調 -」という記事を見つけた。この記事によれば2001年度の輸送人員は、5年前の474,000人から約3.7倍の1,754,000人に拡大したという。

 さて、コミューター(リージョナルとも言う)路線とはどのようなものを指すのかということであるが、現在の法律上の定義は「100席以下の小型航空機を使い、都市間を結ぶ定期的旅客輸送」ということらしい。具体的にはJ−AIR(名古屋-高知等)、中日本エアラインサービス(NAL、名古屋-松山等)、日本エアコミューター(JAC、伊丹-出雲など)、北海道エアシステム(HAC、新千歳-釧路等)、フェアリンク(仙台-伊丹等)、琉球エアコミューター(那覇-久米島等)、天草エアライン(熊本-天草等)、オリエンタルエアブリッジ(長崎-福江等)などが運行する各路線を指し、そこで運行されている機材をコミューター機もしくはリージョナル機と呼んでいるのである。

 これらのエアラインの多くがカナダ・ボンバルディア社のターボプロップ(プロペラ)機であるDHC-8あるいは同社のジェット機CRJ-100/200用いている。またNALがオランダ・フォッカー社のFokker50を、JACとHACがスウェーデン・サーブ社のSaab340Bを運行しているがいずれも30席から50席級の機材である。

 このコミューター路線好調は数年前からの規制緩和が進み新たな路線が次々に開業されたことが大きな要因であろう。路線の拡大に合わせてここ1、2年でかなりの数のボンバルディア社の旅客機が導入されているが、今度はここに国産のジェット旅客機が参入するというのである。

 国産の旅客機と言えばYS-11を思い浮かべる方も多いのではないかと思うが、64席で1200m級の滑走路で離着陸できるYS-11はまさにコミューターの代表と言うべき存在であるが、残念ながら衝突防止警報装置の搭載ができないために2006年で日本の空を去ることが決定している。このYS-11の後継として先にあげたボンバルディア社DHC-8が次々に導入されているのである。

 今回計画されている旅客機は純国産。何故「純」かといえばYS-11の場合、残念ながらエンジンはイギリスのロールスロイス社製であったからである。今回の計画は石川島播磨重工業が2009年度をめどに50席級旅客機向けのジェットエンジンを開発し、三菱重工業が2007年度を目標に30席級の旅客機を開発。軌道に乗れば機体をストレッチし50席級の機体も手がけるというものだ。

 先に上げたボンバルディア社のDHC-8は39席の100/200型の他に機体をストレッチした56席の300型、74席の400型が存在する。またジェットエンジン搭載のCRJ-100/200は50席である。

 こうして見ると新たな純国産ジェット旅客機は、YS-11の後継機として着々と導入されているボンバルディア社の2種類のリージョナル機と真っ向から勝負する形となるようである。2006年にはYS-11が姿を消すことにはなるが、その3年後には、今度はエンジンまでもが国産の純国産旅客機が日本の空を飛ぶのだとすれば、飛行機ファンならずも誇らしく思われる方も多いのではないだろうか。
 一日も早くその勇姿を見たいものである。


13 Nov. 2002

 来月1日から4日かけての函館経由長崎の旅の予定がほぼ決まった。10月1日に申し込んで11月1日に発売になったチケットが先週手元に届いたのだが、まだであった宿とレンタカーの予約を今日、したのである。

 前半の函館は滞在時間が2時間45分、実質2時間と考えると空港からタクシーを飛ばしてハリストス正教会、聖ヨハネ教会、カトリック元町教会を見てすぐに空港に戻るのが精一杯だろう。ひょっとしたら昼食も機内でと言うことにもなりかねない。かなり忙しいけれど、とにかく羽田から函館に行って更に福岡まで飛んで1万円(いや、1フライト毎に航空保険料400円がかかるから正確には11,200円)だから文句を言える筋合いではないだろう。

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今回購入した「東京→福岡」の航空券。運賃「\400」と印字されているのがおわかりいただけるだろうか。

 今回の旅のメインはなんと言っても長崎・五島列島である。2年前に訪れた平戸島、生月島は「島」とは言っても九州本島と橋でつながっているので、島であって島ではない。事実、私は佐世保で借りたレンタカーで2つの島を回ったのである。しかし今度の五島列島は文字通りの島である。五島列島はその名の通り、北から中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島と5つの島が並んでいる。勿論この5つの島の他にもたくさんの小さな島が周りにはあるが、いくつかの例を除いては橋はかかっていないのでそれぞれの島へは船または飛行機で行かなければならない。

 今回の旅では最初に列島の南に位置しかつ一番大きな福江島に行く。函館から羽田を経由し福岡空港には17:40に着く。博多港から五島に向かうフェリーが出るのは真夜中の00:01なのでそれまでは天神の屋台ででも飲んでいることになるだろう。
 このフェリーは2日の朝9時に福江港に着く。早速レンタカーで島を一巡り。この島で回るのは5つの教会である。そしてこの日は福江港近くのホテルに宿泊。さすがに「島」ともなると大手のチェーンのホテルはない。それでもインターネットで検索すると結構な数のホテルがあることがわかるが、私は港に近いビジネスホテルを予約した。試しにYahooグルメで検索してみても何も出て来なかったが、現地に行ってから鼻と感を働かせれば、美味い魚を食わせてくれる店が見つかることだろう。

 翌朝7:50発のジェッフォイルに乗って列島の北側にある中通島へ。ここでは橋で結ばれている若松島、頭ヶ島にあるものを含めて9つの教会を回る計画なのでちょっと忙しい。初日の福江島は福江「市」で、福岡から737が飛んで来る空港もあり、列島の中の「都会」なのであろうが、この中通島はおそらく「離島」の趣なのではないだろうか。宿を検索してもたくさんは出てこない。食事をする店も多くはないだろうと2食付きで6千5百円というビジネスホテルを予約。さて今度はレンタカーの予約をと思って電話番号を見ると先ほどのホテルと同じ番号なのである。案の定(という言うよりは当然)先ほどのおばさんが電話にでて、ホテルの宿泊客は1割引きになるし1人なら「軽」で良いんじゃないですかと進められ、結局「シンコーグループ」のホテルとレンタカー(軽)を利用することになった。電話に出たおばさんの話し方ものんびりしていていかにも「離島」という感じ。安いし、案外「当たり」の宿なのかも知れな。

 2つの島、いずれも朝着いて一日回りその晩はその島に泊まる事になった。最終日は朝の船で長崎港に向かうが羽田への便は16:05発なので長崎市内で少しは時間が取れそうである。長崎市内はあらかた見てはいるが、大浦天主堂にはもう一度行ってみようかと思っている。

 函館と長崎・五島への3泊(内1泊は船中)4日、約4,000Kmの旅に必要な予約は全て済ませた。出発までの半月訪れる予定の教会の歴史などをもう少し調べる事にしよう。


6 Nov. 2002  長き夜の供に旨酒本とジャズ

 先々週、「海猫」を読んでからちょっと谷村志穂にはまっている。
 先週木曜日、都内に出る用事があったので、電車の中で読もうと思って買ったのが「シュークリアの海」。そして土曜日に、やはり用事で横浜・山下町まで出かける前に買ったのが処女小説だという「アクアリウムの鯨」。「海猫」は一日で一気に読んでしまったけれど、「アクアリウムの鯨」は読むという作業を楽しむためにゆっくり、ゆっくり読んでいる。わざわざ読むために店に入ったりして。

 青葉台の駅前から環状4号を柿生方面に5分ほど歩いたところにお気に入りの居酒屋がある。まあ、言ってみれば今はやりの渋めで小洒落た居酒屋。薄暗くて郷秋<Gauche>の好みのジャズがかかっている。でも、出てくるものは和風で、おでんの大根とか明太子の卵焼き(博多の屋台で食べた明太子の卵巻きを思い出させてくれる)とかが旨かったりする。

 わざわざそんな店に一人で入って読んだりしているのである。作品自体も勿論悪くはないんだけれど、先にも書いたように本を読むという作業自体を楽しむ行為とでも言えばいいのだろうか。カウンターに一人で座って、ほの暗いスポットライトの、ここなら何とか読めるという場所を探し、そこにページを持って行きお気に入りの日本酒をちびちびとなめながら読むのである。はたから見ればなんとも侘しい光景なのかも知れないが、当人にとっては至福の時なのである。

 あまり外で酒を飲むということをしない郷秋<Gauche>ではあるが、先週は2回もそんなささやかな時間を楽しんだのである。「長き夜」は、旨い酒と本と音楽で過ごすのが一番である。


28 October. 2002

 別に読書週間だからという訳ではないけれど、このところ良く本を読んでいます。先週読んだのがこれ。

umineko.jpg (7311 バイト) 谷村志穂著 海猫 新潮社 2000円(税別)

 失礼ながら作者についてはほとんど何も知らず、10年くらい前に「結婚しないかもしれない症候群」でデビューした北大農学部卒の作家という程度の知識。「結婚しない〜」だって当然読んでいない。12月に函館に行く予定ですのでその前に何か函館に関する小説を読みたいと思っていたところ、新潮社の「波」誌上で刊行を知り取り寄せたのです。

 この「取り寄せた」と言うのが、実はちょっとしたミソ。馴染みの書店に注文したところ、版元品切れで増刷の予定もはっきりしていないと連絡。そうなるとますます読みたくなるのが人の常。なんか手に入らないかと考えて思いついたのがINTERNET通販。これまでもLPやCD、楽譜などでは散々利用しているのですが、本を買う事はしていなかったのです。

 早速 http://shopping.yahoo.co.jp/books/ で調べてみれば、ちゃんと在庫がある。近くのセブン・イレブンで受取りができて、その場合には手数料・送料がかからないと言うので早速職場近くのセブン・イレブンデ受取れるように注文したのです。
 中身についてはまったく期待していなかったのですが、なかなかどうして。ちょっと重たいテーマながら読み出すと止まらずに朝方までかかって一気に読んでしまわずにはいられないほどでした。

 そんな訳で、他にどんなものを書いているんだろうかとご本人のWebsiteを見てみたら、いろいろ書かれているんですね(作家だから当然)。Mail Addressもあったので「読みましたよ、良かったですよ」とMailしたら多分、ご本人から、たった2行ではありましたがRe-Mailをいただいたりなんかしちゃって。マネージャーとか出版社の関係者が本人に成り代わって返事を出しているとすれば、もう少しちゃんとしたMailですね。わずか2行!というのがいかにもご本人が忙しい中出しました、という感じがします。作家も読者あっての商売ですからね、大事にしてもらったと言う事でしょうか。「今後とも、どうぞ支えて下さい。」なんて書いていただきましたので、応援しちゃいましょう!というわけで紹介をさせていただいた次第なのであります(^^)。


27 October. 2002

 これ、何だかわかりますか?

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 ちょっと硬めのスポンジで出来ていて厚さが約13ミリ、2つセットで使います。

 正式な名前は知らないんだけれど、いわゆる「フット・ケア商品」なんです。絵の左側の丸い穴に親指を入れて、その右側のくぼみに人差し指、中指、薬指(足の指の場合もこう言うんだろうか・・・。足の指で薬なんかつけたくないし、とても出来そうにないけれど)と次々にはさんで行くのです。そうするとそれまでくっついていた5本の指がギュッと開くわけですね。これがすごく気持ち良いんです。1日中皮靴履いて歩き回った日なんかに、寝る前にこれを15分くらいつけているとすごく楽になります。

 いったいどういうところで売っているのかわからないけれど、お薦めします。結構いいです。僕はもらったんだけど、何故かキティーちゃんの絵なんかが入っているので、ファンシーグッズの店で売っていたりなんかするんだろうか・・・。


20 October. 2002

 郷秋<Gauche>の休日。
 いつもよりは遅く、いつもの休日よりは早く目を覚ました空は今にも降り出しそうにどんよりと曇っている。朝食の後、家の回りを南側の庭、駐車場、北側の芝生、西側の畑そして和室の前の植えこみと、ぐるりと一回り(こう書くと一回りに15分くらいかかりそうに聞えるけれどそんなことは、全然ない)。先週芝生も刈ったし雑草も取ったから、落ち葉が少しあるけれどきれいなものだ。真夏だと一週間で雑草が生えてくるけれど、さすがに秋。芝刈も先週のが今年最後になるかな。

 実家からもらって来た月見草。初夏に咲く花のはずだけれど4、5日前にも咲いていたなと思ってよく見たら、種ができていたの弾けかけた殻ごと切りとって新聞の折込広告を広げて種を取り出した。ゴマ粒よりもずっと小さなく、芥子粒よりももっと小さい。来年の春に播いてみよう。果たしてちゃんと育ち花が咲くかどうかわからないけれど。
 ところで、本当の「月見草」をご存知の方はどれほどいるだろうか。「月見草」と聞くと多くの人が夏に黄色い花をつける「オオマツヨイグサ」を思い浮かべる。私の記憶に違いがなければ、太宰治が富士山の見える何とか峠に咲いているオオマツヨイグサを見て「富士山には月見草が良く似合う」と言ったのがそもそもの間違いの始めで、多くの日本人がオオマツヨイグサのことを「月見草」だと勘違いをしている。本当の月見草はもっと清楚で可憐で儚い花である。このことについては、来年の夏、今年取った種が見事に育ち花をつけたときに詳しく書くとしよう。

 昼食の後にはクルマを洗った。今にも降り出しそうなのに降らない。それならばと洗い始めたのだが、案の定降り始めた。霧雨程度だったのでとにかく積もりに積もった埃と排ガスが混じりあってできた堆積物だけでも落しておこうとせっせと洗っているうちに止んだ。それならばと雑巾でふき取り始めると再び霧雨。降るのか降らないのかはっきりしろよと空を見上げて(こころの中で)大声で怒鳴りつけたら再び止んだ。また降ってくるのかな思案していて、拭くだけでワックス掛けができるという不織布を半年ほど前に買っていたことを思い出した。これで拭くだけでワックス掛けができるならと306とアストラの両方をせっせと拭いてみた。
 普通のワックスを掛けたほどピカピカにはならないけれど、まあ、きれいになったかな、という感じ。果たしてどれほど効果が続くものやら。

 クルマの掃除が終わったところで時計を見たらまだ3時。2台掃除したわりには早い。「拭くだけワックス」の効果か。折角クルマもきれいになったことだしと言う訳で久しぶりにクルマ屋さんを冷やかしに出かけた。SAABを売っている店はちょっと遠いので前から気になていたアルファロメオの店に行くことにした。ここは306を買ったブルーライオンと同じ会社が経営しているので、何となく行きやすい感じ。フィアットもおいてあったけれど、お目当ては勿論156。30分ほど運転席に座ったり、トランクやボンネットを開けてもらって中をのぞき込んだりしてきた。運転席のシートベルトのアンカーを動かそうとしたらツマミが取れてしまって慌てたけれど、運転席の足元に転がして知らん顔することにした(^^ゞ。
 雑誌で読んだだけではいまいち飲み込めなかったセレスピードについて質問してみたが、さすがに現物を触りながらだと良くわかった。要するにフェラーリの(ロードカーの)F1と同じらしい(たぶん)。トルコン式のオートマとはだいぶ違うようなので今度試乗してみよう。

 雲が厚いのでちょっと暗くなり始めたけれどまだ4時半。この道を真っ直ぐ4、5キロほど行けば306で世話になっているブルーライオンがある。307のSWとブレークが出たばかりなのでちょっと寄ってみた。
 ハッチバックの307は306と比べるとブヨンと大きくて軽快さがまったく感じられなくて感心しなかったけれど、ホイルベースが100mm、全長が200mm延ばされたワゴンボディーはハッチバックよりもむしろバランスがとれていて、なかなか好ましい感じがした。同じボディーシェルながらシートアレンジの違いによって2車種を出すというのはこれまでの輸入車では考えようもないことだったけれど、輸入車5位のポジションを確実なものにして、更にはヴォルヴォを蹴落とし4位の座を狙おうとするプジョー・ジャポンは攻めまくる。306SWに続き206SWも投入するなどの攻勢が効を奏し、2003年にはBMWに次ぐ輸入車第4位のポジションを獲得するだろうと言うのが郷秋<Gauche>の読みであるが、さて如何に。

 しかし、307SWには驚いた。フロントスクリーンに続いてルーフの半分ほどまでもがガラスなのである。さぞかし夏は暑いことだろうと思うのは早計。ボタン一つで3分割されたシェードがそのガラスを蔽ってくれるのだ。ボタンひと押しでだ。2列目、3列目のシートは取り外しができるのだというが、驚きは2列目中央の席のシートベルト。ちゃんと3点式なのである。ではどこからシートベルトが出てくるのか。答えはなんと「天井」である。天井からシートベルトを引き出し、腰の右側にカチリと差し込み、更にそこから左に引っ張ってカチリ。すごい!天井からシートベルトが出てくるクルマなんか他にあるか?「プジョーじゃないみたいですね」って言ってみたら、「いいえ、プジョーです。ハンドルの真中にちゃんとライオンがついているでしょう」とのこと。確かにステアリング・ホイルの真中に立派なライオンのエンブレムがついている。プジョーであることに疑う余地はない。
 4速のATだけれど、Dポジションからレバーを左に倒すとマニュアルでシフトチェンジができるという。走っている最中でも切り替えができるのかと聞いてみたら、「じゃあ、試してみてください」というのでそのまま約5kmの試乗に。まあ、これくらいの距離では何もわからないけれど、少なくとも306よりははるかに上等にできている。でも楽しさでは306が上だろう。ワゴンボディーとハッチバックを比べても勿論意味はないけれど。

 そして夕方のビールの時から読書。読書とは言っても別に重たいものを読んでいるわけではない。先日海辺のカフカを読んで以来、また読んでみようかなと思っていた「ダンス・ダンス・ダンス」だ。今日のところは、ドフフィン・ホテルの歪んだ時空の中に現実に存在する「いるかホテル」から「僕」が15階の自分の部屋に戻るまで。
 この「ダンス・ダンス・ダンス」、郷秋<Gauche>的にはつい最近に書かれた小説のような気がするのだが、携帯電話もインターネットも登場しないのが何故か変な感じ。コンピューターという言葉は時々出てくるけれど、そのコンピューターはいま主流になっているパーソナル・コンピュータではなく、ホストとかメインフレームなどと呼ばれていた所謂汎用大型コンピューターの端末機のことのような気がする。
 「僕」が乗っているクルマにしたって、スバルの「レオーネ」だ。いま時、この雄々しい名前を持つクルマの形を思い浮かべることができる人がどれほどいるだろうか。村上の作品にも、明治・大正の大文豪の作品のような巻末の注釈が必要な時期が刻々と近づいて来ているような気がしてならない。たとえばこんな具合に。
 注34 公衆電話:二十世紀の終り頃まで駅・街頭・店先などいたるところに設置されていたコインを入れて使う電話のこと。外出先から電話をするときにはこの公衆電話を使ったが、多くの場合発信専用(喫茶店などに設置されていたピンク色の電話は着信もできた)なので、自分から連絡をすることはできても、外出時に誰かから電話がかかってくることはなかった。緊急時の連絡に困ることはあったが、いつでも行方不明になることが出来る便利な時代でもあった。」

 何かをしなければならないということのない、郷秋<Gauche>の静かな休日なのでありました。おやすみなさい。


15 October. 2002

 クルマを好きな郷秋<Gauche>は自動車の月間雑誌を3誌定期講読しているが、今晩はそのうちのひとつで創刊号から愛読しているNAVI(二玄社刊)の11月号を読んでいた。NAVI11号は日産の新しい「Z」の特集である。その中のひとつ、下野康史(かばたやすふみ)氏が書かれた「人生の選択」と題する記事を読んでいた私は、ぎくりとした。
 そこにはこう書かれていた。

 「(前略)ZのバージョンSTカが360万円、エルグランドXが358万円だ。エルグランドを買う気なら、フト、Zにもコロべる。逆もまた真なり」(二玄社刊 月刊NAVI2002年11月号80ページより転載)

 下野氏はこの記事において、新しいフェアレディZとエルグランドを比較試乗して、どちらを選択するべきか、という旨のことを書いている(私としては、いかに価格が同じ、エンジンも(基本的には)同じとは言ってはみても、互いに比べるべきものかとは思うが、そこはあえて奇を衒ったのであろう)。

 ここで下野が使った「コロべる」つまり「ころぶ」は「転ぶ」であり「キリシタン信徒が改宗する」(岩波書店刊 広辞苑第五版)意味から「宗旨変え」するという意味で使ったことは自明である。
 しかし、「転ぶ」という言葉をこのような内容の記事において使うことが許されるのであろうか。
 下野氏も「転ぶ」が必ずしも適切な言葉ではないことを承知の上であえて使ったのであろう。だからこそ「転べる」ではなく「コロべる」と書いたのでる。

 もう一度広辞苑を見てみよう。「転ぶ」の意味として、当然知っているころがる、倒れるの次に「キリシタン信徒が改宗する」という意味があると書かれている。更に「転び」の項には「転びキリシタン」として、江戸時代、キリシタン信者で、宗門を捨てた者、とし、更に、聖職者の場合は、転びバテレン・転びイルマンとのご丁寧な解説が付いている。

 私が疑問に思うのが「転ぶ」のが何故「改宗させられた」あるいは「改宗せざるを得なかった」ではないのかという点である。どのような過酷な拷問を受けても最後まで転ばずに殉教した切支丹がいることは既に知られるところである。転ばなければ、そこに待っているのは殉教という名の死である。死を選ぶか改宗を選ぶかは結局は本人の意志によるところで、最終的に改宗つまり「転び」を選んだのであれば、それは自らに意志によるものであるから「転ぶ」と能動体で現されるたのであろうか。

 しかし、転ぶか転ばないかは、多くの場合個人の問題ではなく家族・一族のそして部落全体の問題であったようだ(ここでは詳しく書かないが、多くの文献により一人の「転び」が家族・一族さらに部落全体の転びにいたることを知ることができる)。聖職者の場合であればなおさらのことであったであろう。

 広辞苑の編者である新村 出氏につい私は詳しく知らないがキリシタン言語学者であったという。だとすれば多くの切支丹が「転んだ」のではなく「転ばせられた」あるいは「転ばざるを得なかった」ことは十分承知の上で、最終的には自分の意志で「転んだ」のであると捉えたのであろう。確かに「転ばされバテレン」などという言葉はおおいに違和感がある。
 この点について三省堂の新明解国語辞典(第四版)は「江戸時代、キリシタン信者が弾圧を受けて改宗する」と、明解に一歩踏みこんだ表現をしていることを評価したい。

 考えてみれば、禁制・弾圧の200年を奇跡的に生き延び再び信仰を取り戻した「切支丹」は、すべからくて「転び」であった。時折の「踏絵」を踏まざるを得なかった人々であり、その末裔なのである。そうしなければ信仰を守ることができなかったから。そして、彼らは踏んだ後に許しを乞う「おらしょ」を唱えたのである。

 「まるで踏絵だな」とは私も時折り使う言葉ではある。しかし私は「転ぶ」という言葉を使うことはない。「踏絵」は権力者(為政者や組織の長あるいは有力者)がいつの時代でも時に使う手である。私たちもそんな踏絵に出会った時にあるいは転ばなければならない時もある。しかし400年前の踏絵と、この時代の踏絵は基本的に違う。少なくとも現代の踏絵は、踏まなかったからと言って生命までをも奪われることはないからである。

 2台のクルマのどちらかを選ぼうかとする時に、どちらを選ぶかによってその人となりをある程度知ることはできる。少なくともフェアレディZを選ぶかエルグランドを選ぶかによって、その人がどのような指向の人なのかを知るとこはできよう(もっとも、たとえ同じ値段だとしても、基本的には同じエンジンを搭載しているとしてもフェアレディZにするかエルグランドにするか迷う人はいなだろう)。
 いずれにしても「転ぶ」という言葉を使うほどのことはない。下野氏が書く記事とは付き合いの長い郷秋<Gauche>ではあるが、少なくとも今回の記事は奇の衒い過ぎであり、同時に言葉を選び間違ったのではないかと言いたい。


13 October. 2002

Congratulations Takuma !

 昨年の同じ時期にもやはりF1の話題について書いた(こちらをクリック)。なぜなら、毎年この時期にFormula Oneの日本グランプリが、三重県にある鈴鹿サーキットで開催されるからでる。もっともただ開催されたということだけでは郷秋<Gauche>も「筆指」をそそられることもないのだが、昨年はベテランのジャン・アレジがその年にデビューしたキミライッコネンに祝福を与えるかのように自ら握手のためにその腕を差し伸べた行為を書き止めておきたかったのである。そして今年は、苦しい苦しいデビューシーズンを送りながら全17戦の最後の最後となった母国グランプリ、鈴鹿において初のポイント獲得、5位入賞を果たした佐藤琢磨について書かないわけにはいかない。

 20歳の時に鈴鹿のレーシングスクールでそのキャリアをスタートさせたという佐藤のレーシングドライバーとしてのスタートは、ヨーロッパの多くのドライバーと比較するる大変遅いものであった。ここで詳しく述べる事はしないが、昨年、名F1ドライバーを送り出していることで有名なイギリスF3を制して、今シーズンF1にデビューした佐藤である。

 佐藤以前にも87年デビューの中嶋悟を始め鈴木亜久里、片山右京、井上隆智穂、中野信治、高木虎之助といった日本人F1レギュラードライバーがいるにはいたが、その多くはホンダのあるいはその他のジャパンマネーを期待して選ばれたドライバーであった。その意味において、ドライバーとしての才能を自ら示し、F1にそのシートを見つけたのは佐藤が最初といって良い。佐藤は真の意味において日本人初のF1ドライバーと言ってもよいだろう(だからと言って郷秋<Gauche>が中嶋、鈴木、片山といったドライバーを卑下するものではない。彼らの辛苦と努力なくしては佐藤の実力をもってしてもF1の扉を開くには更に多くの年月を要したことは確実でなのであるから)。

 名門イギリスF3チャンピョンの佐藤をもってしてもF1では苦戦を強いられた。大きなクラッシュも経験し、予選12位、決勝8位というのがこれまでの彼のベスト・リザルト。そして向かえた日本グランプリ。佐藤だけではなく勿論ホンダとブリヂストンにとっても母国グランプリということであるから当然、力が入る。ドライバーとしては力が入るとともにそのプレッシャーは筆舌に尽くしがたいものがあるのではないかと思うが、予選の結果は佐藤にとって初めてのシングル・グリッド、7位であった。

 今年のF1は(昨年も同様であったが)、圧倒的に早いフェラーリをウィリアムズとマクラーレンが追い、そのずっと後を残りのチームがついて着いて行くという図式である。各チーム2台ずつのエントリーなのでフロント・ローからサード・ローまでは上位3チーム6台が独占と言うのがパターである。ツーリングカーのレースのように3クラス混走のレースと思えばわかりやすい。1stクラスはフェラーリの2台。2ndクラスにウィリアムズとマクラーレンの4台そして3rdクラスにその他の14〜16台である。
 こう考えれば、予選7位というポジションがいかに素晴らしいものであるのかご理解いただけるであろう。この予選7位を「第2のポールポジション」と呼ぶ人もいるほどなのである。そして決勝5位!

 残念ながら郷秋<Gauche>が決勝レースの模様を見るのはこれからである。普通に考えれば結果がわかっている試合を見るほどつまらないものはないわけだが、今日のレースは違う。佐藤にとって、真のF1ドライバーとしての最初のとも言える記念すべきレースなのであるから。


12 October. 2002

 もうすぐクリスマスですね。
 ?
 今年もクリスマスが近づいてきましたね。
 ?
 まあ、当然ですね。クリスマスまでゆうに2ヶ月以上あるんだから。でもね、考えてみれば、たとえば6月12日と比べてみれば、4カ月も近づいているわけですから(^^ゞ。ちなみに今年のアドヴェントの最初の日曜日は12月1日です。

 勿論今年もやりますよ、郷秋<Gauche>のお薦めクリスマス・アルバム Best 30。でもこれって結構大変なんです。クリスマス用のアルバムが発売になるのは大抵11月中旬。まあ、どんなに早い場合でも10月下旬ですからね。だから勝負は約1ヶ月。新譜の発売予定を掴むのが大変なんです。と言う訳で去年の新譜(これを陳腐という!)でごまかそうと、Amazon.comに4枚も注文してしまった郷秋<Gauche>なのでありました。去年の「陳腐」ならまだ良いのですが、なんと8年も前に出たアルバムも!何だかわかりますか?8年前に出て、今では当然スタンダードとして載っていなければならないのにこれまで
http://plaza28.mbn.or.jp/~musica/christmas.html に載っていなかったアルバム。わかった方は今すぐ gauche@dream.com までそのアルバム名とアーティスト名を明記のMailをお送りください。正解者の中から郷秋<Gauche>の独断と偏見によって選ばれた方1名様に郷秋<Gauche>謹選のCDをお送りいたします(^^)。


11 October. 2002

 今朝、出勤のためにクルマに乗ったら外気温度計が15と表示していた。15と言うのは今年の夏以降に表示された一番小さな数字である。その瞬間、私は「あっ、冬だ」と思った。しかし、良く考えてみればつい2、3日前までは蒸し暑くて夏物のスーツをクリーニングに出すのをためらっていたほどなのに、秋を通り越して冬を感じてしまうというのは不思議ではないのか。

 日本には春夏秋冬という大雑把に4つの季節があると言われている。その4つの季節が「巡る」ともいう。つまり、4つの季節が順繰りに交代していくと言うわけだ。
 先に大雑把と書いたのは4つの季節を更に6つずつに分けた二十四節気(にじゅうし-せっき)という考え方があるから。たとえば今の季節、「秋」ならこんな具合だ。

立秋  8月 8日
処暑  8月24日
白露  9月 8日
秋分  9月23日
寒露 10月 9日
霜降 10月24日

 余り見聞きしない季節(を表す言葉)もあるが、立秋や秋分はどなたもご存知の通り。この二十四節気に従えば今は寒露を過ぎたところということになる。また春夏秋冬をそれぞれ3つに分けて言い表すこともある。秋であれば初秋・仲秋・晩秋と言う具合である。

 季節を4つに分けるにしても、さらにその一つ一つを3つに分けるにしても、6つに分けるにしても、その基本はいくつかの季節が順繰りと巡ってその時期が来ると次の季節に交代するという考え方だ。1の次は2、2の次は3というように。でも果たしてそうだろうか。

 俳句の季語に「夜の秋」というのがある。秋の季語ではなく、夏の季語である。昼間はまだ暑い日が続いているのに、夜になってTシャツだけでは涼し過ぎるかなと感じる、夏のたたずまいなのにふと秋を感じる夜のことを「夜の秋」という季語で表現する。本当の秋の夜のためには「秋の夜」という季語が、もちろんある。

開演を待つ赤ワイン夜の秋  郷秋<Gauche>

 この「夜の秋」という表現はまさに夏であるのに秋を感じる、夏であるのに同時に秋であるという捉え方である。そこで、仮説。

 季節には春夏秋冬の4つがあるが、これは順繰りに巡り交代するのではなく、1年中、どの時点でも、常に4つの季節が同時に存在している。

 所謂夏にも春・秋・冬という季節が同時に存在している。ただし、この3つの季節の勢力がこの時期には弱くなっているために所謂「夏的季節」が強調される結果になり、こういう状態を「夏」と呼ぶようになった。
 「今年の夏は冷夏である」という表現があるが、こういった年の所謂夏は「夏的季節」の勢力が弱く、「秋的季節」や「冬的季節」の特徴がやや強調されるために本来の夏的夏にはならずに「冷夏」と呼ばれるようになった。
 クルマの外気温度計が15度と表示していた、今朝の横浜の山の手の山奥では一時的に「秋的季節」の勢力が弱まり、たまたま「冬的季節」の勢力が若干強かったために人々に(実は郷秋<Gauche>だけであったかも知れないのだが)「秋なのに冬だ」と感じさせる結果になったのではないだろうか。

 1年中、どの時点でも常に春夏秋冬4つの季節は同時に存在している。たまたま「秋的季節」の勢力が相対的に強くなっているいまの時期のことを一般的に「秋」と呼ぶのである。


9 October. 2002  村上春樹著 『海辺のカフカ』を読んで 郷秋<Gauche>的書評

 それにしても、何故「僕」が15歳でなければならないのか。「僕」の名前は田村カフカ。

 書店に行けば、たとえそれがどんな書店であったとしても、その店の一番良い場所に山と積まれ、発売からわずか1ヶ月で上下巻合わせて50万部以上売っているというのだから、既にお読みになった方も大勢いることだろう。いまさら私が書くのもどうかと思わないではないけれど、これまで彼のほとんどの作品を読んできた者の一人としてはやはり何がしかを書かないわけにはいかないだろう。

 村上春樹がこれまで描いてきた「僕」は20歳代後半から、30歳代半ばであるはずである。しかし今回の「僕」はなんと15歳。しかし、歳こそ違っても「僕」は紛れもなく村上がこれまで描き続けてきた、ある種のジャズとある種のクラシック音楽を好み、異常と言っても良いほどのきれい好きで、料理の才能があるらしく、主にジムで身体を負荷をかけることが好きな「僕」であり、この点についてはこれまで多くの村上作品に親しんできた読者を裏切ることはない。ただし、今回の「僕」はなんと言っても15歳であるから離婚経験はなく、ビールも飲まない。その代わりに、(たった)15歳ではあるけれど寝ることが相応しい、あるいは必要であると感じた女性と容易く寝ることができるという特殊な能力をはこれまでの「僕」からしっかりと引き継がれている。
 これらのことを考えると、田村カフカくんが15歳であるというのは「世界でいちばんタフな」と断ってはみたところで余りに違和感が大きいが、15歳の「僕」が家出をするというのはいかにも不自然であるし、自分の母親であるかも知れない女性と交わるためにも30歳では歳を取り過ぎているからと言うことなのであろうか。
 私としては、これまでのどの作品に登場した「僕」よりも更に村上的進化を遂げている「僕」であるにも関わらず15歳であるということには最後まで馴染むことができなかった。もっとも「僕」が15歳でなければ、この物語は成り立ち得ないのではあるが。

 2つの物語が同時に始まり、いつしかそれがひとつに収斂されていくという構造は、私が彼の(現在のところの)最高傑作と考えている「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と同じである。登場する図書館も森も「世界の終りと〜」に登場するものと同一と考えてよいだろう。また、あるもの(こと)をキーワードにして幾人かの登場人物が一つの場所に集められてゆく様は「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」と同様。今回はそれが羊や札幌ではないということである。
 「森」について言えば、村上としては「世界の終りと〜」で描ききれなかった部分を更に踏みこんで、と言うよりは判り易い形で書きたかったのではないかと思われる。その意味では今回の作品の森に関する部分を「世界の終りと〜」の続編として読むこともできるが、それほど多くない枚数で「森」のことに触れるよりは、その森の世界だけを更に深めた作品を求めたい読者は私だけではないかも知れない。なぜならば、村上の作品にとっての「森」は、それなくして村上の作品のほとんど全てが成り立ち得ないほどに重要な、彼自身の中枢をなすものであるからである。

 長編ではあるが(意図して使ったのであろう薄手の紙のせいで、見かけよりもずっと多くのページを擁している)、村上の作品としては判り易いものの一つであり、先にあげた3つの作品のエッセンスを同時に楽しめるものであると言うこともできよう。また逆に、3つの作品を読んでからではないと、この作品を十分に理解することはできないと言えるかも知れないが。
 いずれにしても、多くの村上作品を読み継いで来たファンにも十分楽しめると共に、新たな「ムラカミ・ワールド」への入門書としても相応しいものであることは確かである。

村上春樹著 海辺のカフカ
新潮社 上下巻ともに1600円(税別)

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3 October. 2002

 以前からの「独り言」の読者なら、郷秋<Gauche>がクルマを好きなことはご存知の通り。その好きさ加減は、ちょっと、を通り越して相当、とかかなり、という程度だということもご存知かも知れません。
 ただし、郷秋<Gauche>が本当に好きなクルマというのは大概がホンダのS800とかロータスエランとかジネッタG15とかアルピーヌA110とか、30年以上の前の小さなクルマなのです。たとえばポルシェだって、何かの間違いで欲しいものをもらえるとしても、欲しいのは最新のモデルじゃなくて1973年のSだったりする(73のカレラって言いたいところだけれど、僕の腕ではきっと乗りこなせない。Sだって危ないところだ)。

 そんな僕が、毎日の足として安心して乗れるクルマとして欲しいと思っているのがSAABの9-3(サーブのナイン・スリー)。その9-3がついにモデルチェンジしたのです。余りにもカッコ良くなり過ぎた9-3をご覧ください。Cピラーのラインがセクシーなほどに美しいとはお思いになりませんか?

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500号となったCAR GRAPHIC 2002年11月号より転載させていただきました。CG誌上でも小さいのですが飛びっきり美しい写真です。是非誌上でお確かめください。

 僕が欲しかったのはこの前の9-3。もとを辿れば93年に登場した2代目900と同じ、目立たない素朴な形をした、でも毎日使う道具としての温かさを感じさせる9-3なのです。アストラを修理に出している間の代車として乗っていた3日間ですっかり虜になってしまいました。借りていたのはハイプレッシャータイプの2.0Tだったと思いますが、アクセルを思いきり踏みつけるとちょっと躾の悪い感じがしましたが、乗る人を何ともほのぼのとした気分にさせてくれる「人間臭さ」みたいなものにすごく引かれたのです。

 新しい9-3はヨーロッパでは既に9月初旬に発売になっているそうで、日本でも来年の3月には導入になるということですから早く買わないと今の9-3を新車で買うことができなくなりそう!新しい9-3じゃカッコ良過ぎて郷秋<Gauche>としてはちょっと恥ずかしいのであります。
 誰か買ってくれないかなぁ・・・。


1 October. 2002

 9月11日に書いた、ANAの「一日乗り放題」の続報です。
 結論から言えば「惨敗」というところです。一路線1万円で乗れる「超割」も席数が限定されているようですが、今回の「一日乗り放題」では更に少ない席数となっているのでしょう。それと、ANAのSiteで「一日乗り放題」の専用時刻表があるのを見落としていたのも敗因の一つでした。取れたのは次のチケット。

東京(羽田)1000  --> 函館            1115  853便  767-300
函館          1330  --> 東京(羽田)  1455  862便  747-400
東京(羽田)1600  --> 福岡            1745  259便  747-SR

 函館-->東京(羽田)は1625の便を取りたかったのですがこれが取れずに1330の便になってしまいました。函館に「寄って」福岡に行くという当初の目的は達成できることになりましたが、函館には実質1時間半しか滞在できませんから、いかに函館空港が市内に近いと言っても・・・(^^ゞ。
 今回のフライト・スケジュールを調べていて気付いたのは、これまで5便全てがYS-11で運行されていた札幌(丘珠)<-->函館便のうち3便が12月からはBombardier DHC-8で運行されるということ。今回も乗り逃す結果になったわけですが、これからますますYSに乗るのが難しくなってくるということですね。

 福岡到着以降の予定は、今のところこんな風に考えています。
 まずは天神あたりの屋台で腹ごしらえをして、博多港へ。夜中の12時に博多港から出る船に乗って五島列島の南端の島、福江島に向かい翌朝9時に福江島着。レンタカーで島内を巡り福江泊。翌朝には中通島に渡りわたり、やはりクルマを借りて島内を一回りして宿泊。次の日にジェットホイル(水中翼船)で長崎港に行き、長崎空港から羽田に帰って来る予定。3泊(内1泊は船中)4日、約4,000Kmの長い旅になりそうです。


24 September. 2002

 ここ数日、頭の中でグルグル回っている曲があのです。松任谷由実の「緑の町に舞い降りて」という曲です。

 1979年にユーミンがリリースしたアルバム「悲しいほどお天気」に収められている曲ですが、僕はユーミンのオリジナルの方は聞いたことがなく、グルグル回っているのはHi-Fi Setが同じ年に発表した8枚目のアルバム「QUARTER REST」に「Destiny」と共に収められた方の「緑の町に舞い降りて」なのです。僕にとってのこの曲は、ユーミンではなくHi-Fi Setなのです。ちなみにこの曲は山本潤子さんではなく大川 茂さんが歌っています。

緑の町に舞い降りて

作詞:松任谷由実 / 作曲:松任谷由実

輝く五月の草原を
さざ波はるかに渡ってゆく
飛行機の影と雲の影
山すそかけおりる
着陸ま近のイヤホーンが
お天気知らせるささやき
MORIOKAというその響きが
ロシア語みたいだった

三つ編みの髪をほどいてごらん
タラップの風が肩にあつまる
もしも もしもこの季節
たずね来ればきっとわかるはず
あなたが気になりだしてから
世界が息づいてる

銀河の童話を読みかけて
まどろみ 心ははばたく
あてもなく歩くこの町も
去る日は涙がでるわ

セロファンのような午後の太陽
綾とる川面をゆっくり越えて
いつか いつかこの季節
たずね来ればきっとわかるはず
誰かが気になりだしてから
世界が息づいてる
新しい笑顔お土産に誰かのもとへ帰る

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東芝EMI LP:ETP-80124(1979) / CD:CT30-5174(1988)

 なかなかいい歌詞でしょう?MORIOKAというその響きがロシア語みたいだった」とか「セロファンのような午後の太陽」と感じ、表現できる感受性と表現力のすごいこと!曲もすごくいいんです。それにしてもいつもは5月に蘇るメロディーがなぜ初秋のいま頃になってグルグル回り出したのか・・・。

 この曲のタイトルと歌詞を読めば「私」が飛行機でMORIOKAという緑豊かな町の空港に着陸した、ということがわかるわけなのですが気になるのは機内放送で着陸地の天気予報を伝える飛行機、つまり民間の旅客機がどこに着陸したのか、と言う事なのです。MORIOKAが盛岡市のことであることは容易に想像がつきます。だとすると着陸したのは盛岡?でも、盛岡には空港はないんです。

 歌詞の中に「銀河の童話を読みかけて まどろみ 心ははばたく」という部分がありますが、「銀河の童話」は当然宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」のことですね。だとすると「緑の町」は花巻市と言うことになるのでしょうか。花巻にはちゃんと空港があります。でも、普通は(地元の方には申し訳ありませんが)この花巻空港が盛岡の空港であると思われているのではないでしょうか。そう考えれば、「私」は花巻空港に降り立ちバスで1時間ほどの盛岡の町で幾日かを過ごした、というのが一番自然な解釈のような気がしますがいかがでしょう。僕も盛岡(賢治縁の場所もいくつかあります)は4、5回訪れたことがありますがいつも仕事で、ゆっくり楽しむ事ができずにいましたが、いい町です(盛岡のことをほんのちょっとだけ書いたものがあります。こちらの3/18をご覧ください)。

 さて、次ぎに気になるのは「私」がどこから花巻空港に飛んで来たのかと言うことです。現在花巻空港にはJASが大阪、札幌、福岡、名古屋の各空港からの便を運行していますが、このアルバムが出された1979年当時には東京、八戸、大阪、札幌の各路線(いずれもYS-11)が運行されてます。えっ、盛岡は新幹線じゃないの?とおっしゃる方も多いことと思いますが、東北新幹線の大宮-盛岡間が開通したのは1982年、更に上野-盛岡間が開通したのは1985年なのです。新幹線開通前の仙台以北は東京からはかなり時間がかかる場所でしたから、盛岡に行くには飛行機が一番早かった時期がしばらくあったのです。もっとも1983年に滑走路が2000mに延長されジェット機(DC-9)が就航したのもつかの間、2年後の新幹線上野-盛岡間開業と同時に東京-花巻線は休止となってしまうのです。

 ユーミンが作詞した当時には大阪、札幌からも花巻に舞い降りることが可能だったわけですが、まぁ、東京から飛んで来たと考えるのがやはり順当でしょうね。となると、この歌詞の世界を追体験しようとすれば東京-花巻便が既にないわけですから大阪、札幌、福岡、名古屋の各空港のいづれかから飛んで行くしかないようです。もっとも当時はYS-11でしたが、勿論いまはMD-81かMD90、大阪からの夜の便だとAir BusのA300になります。また、歌の中ではタラップで地上に降り立ったようですが、いまではボーディング・ブリッジから直接ターミナルビルに入ってしまいますから「三つ編みの髪をほどいてごらん タラップの風が肩にあつまる」を追体験することは無理ではないかと思います。だって、万が一いまでもタラップを使用しているとしても「三つ編み」にしている女性は、まずいないでしょうから(^^)。

 長崎・五島への旅も実現していないのに、「緑の町に舞い降りて」を賢治縁の場所を訪ねてみたいなどと思っている僕なのでした。まあ、飛行機で花巻へというのは無理かも知れませんが宮澤賢治の故郷、花巻をゆっくり訪ねる旅は来年の夏までには実現させたいと思っております。乞う、ご期待!

ご参考までに:Hi-Fi-Setの「緑の町に舞い降りて」を収めた「QUARTER REST」 CD:CT30-5174 は廃盤になっているようです。ベストアルバムにも収められたこともありますが、これも当然廃盤でしょう。それでも、何としてでも聴きたいとおっしゃる方は郷秋<Gauche>にご相談ください。Hi-Fi Setのオリジナルアルバム、全19タイトル全てをコレクションしている郷秋<Gauche>が何とかいたしましょう(^^)。


22 September. 2002

 明日は秋分の日、秋の彼岸の中日である。毎年この時期になるとその美しい姿を見せてくれるのが彼岸花。別名曼珠沙華とも言い、俳句の世界では彼岸花と詠まれるよりも梵語の赤い花という意味の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と詠まれる事の方が多いようである。

四方より馳せくる畦の曼珠沙華  中村汀女

 彼岸花は死人花、天涯花、幽霊花、捨子花など、全国各地で1000種を越える呼び名を持っているというが、血を思わせるほどの鮮やかなその色や、リコリンという毒を持ちまた墓地に咲いていたりすることが多いために日本では余り歓迎されない花のようであるが、私は好きである。欧米ではその美しさから園芸植物として栽培されてもいるという。

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 花をつけて初めてその存在を知るという植物は少なくない。私は春に辛夷の花を見るたびに、あぁ、ここにもあったのかと思うのだが、彼岸花もまた同様である。何もなかったはずの場所なのだが、秋の彼岸になると律儀にその姿を見せ、彼岸が過ぎた頃には跡形もなく消えてしまう。

 調べて見ると、冬の間に葉を茂らせて球根にたっぷりと養分を貯め込み、春になるとその葉も消えて暑い夏を地中でじっと耐え、彼岸近くになると1日10センチもの勢いで茎を伸延ばして花をつけるのだという。暑さを残した年でもあっても、秋の訪れの早い年であっても咲くのは決まって彼岸である。温度ではなく日の長さを計って咲くのであろうか。不思議である。


20 September. 2002

 今朝、クルマのアンテナの先にトンボが留まっていた。幾日か雨が続いたあとの快晴。気温20度。すっかり秋の風情である。
 そう言えば日が暮れるのも随分と早くなっている。調べて見ると今日の横浜の日の入りは17:41。一番遅かった6月下旬から7月はじめにかけては19:01だったので、既に1時間20分も早くなっている。どうりで帰宅時には暗くなっているはずである。

 日の出・日の入の時刻の表を見ていて面白いことに気がついた。
 今年の冬至、つまり1年で昼間の時間が一番短い日は12月22日であるが、日の暮れ、つまり日の入が一番早いのは冬至の半月も前の12月6日なのである。6日の日の入16:28に対して冬至の22日の日の入は16:33である。

2002年12月 6日      日の出  6:36 / 日の入 16:28 / 昼間の時間  9時間52分
2002年12月22日(冬至) 日の出 6:47 / 日の入 16:33 / 昼間の時間  9時間46分
2003年 1月 2日      日の出  6:51 / 日の入 16:40 / 昼間の時間  9時間49分

 ご覧の通りで、冬至である12月22日は昼間の時間こそ確かに1年で1番短いのだが、1年で一番日の出が遅いわけでも、日の入が早いわけでもないのである。更に調べてみると夏至と日の出・日の入の関係も同じであることがわかった。

2002年 6月13日      日の出  4:25 / 日の入 18:57 / 昼間の時間 14時間32分
2002年 6月21日(夏至) 日の出 4:26 / 日の入 19:00 / 昼間の時間 14時間34分
2002年 6月26日      日の出  4:28 / 日の入 19:01 / 昼間の時間 14時間33分

 夏至である6月21日は昼間の時間こそ確かに1年で一番長いのだが、冬至の時ほど大きなズレはないとは言え1年で一番日の出が早いわけでも、日の入が遅いわけでもないことがわかる。

 このことは、あるいは小学校で習っているのかも知れないが、いつのまにか 冬至 --> 1年で一番昼間の時間が短い --> 日の出が遅い&日の入が早い、と勝手に思いこんでいたわけである。
 とまれ、季節は夏から秋へさらに冬に向かって確実に進んでいるのである。

注:日の出・日の入の時刻は郷秋<Gauche>が住む横浜の場合。


19 September. 2002

 8月15日に鶏卵大だった西瓜のその後の報告です。
 昨年の小玉西瓜の出来に気を良くして今年は「大玉西瓜」に兆戦した郷秋<Gauche>でしたが、残念ながら今年は大成功とはなりませんでした。
 6月、7月の発育が良くなかったこともあり、ようやく8月中旬になってから小さな実を付けたのに気付いたのですが、そのあとになって野菜作りの本をみて失敗であった事に気が付いたのです。その本によれば「雄花が咲いたら朝のうちに受粉し、収穫日の目安にするために交配日を記録しておく」のだという。大失敗!人口受粉が必要だったのです。でも昨年の小玉西瓜は放っておいても次々に小さな実をつけるのでそれを摘んでやらないといけないほどだったのですが。

 とは言え、とにかく実をつけたのだからと、大きくなるのをひたすら待っていたのですがなかなか大きくならないのです。昨年の小玉西瓜は直径15センチ程で収穫したのですが、今年の大玉西瓜はラグビーボールのように少し長細いながら20センチ程になったところで最長を止めてしまったのです。大玉と言うのだから40センチくらいになるのだろうと期待していたのに・・・。

 結局、その本に書いてあった交配後おおよそ35日で収穫ができるという記述を信じて一昨日収穫し、丸1日冷蔵庫で冷して昨晩切ってみました。包丁で切るというよりは、ほんのちょっと刃を当てると刃に沿ってパリッと割れる感じ。小さいながらも収穫の時期としてはちょうど良いタイミングのようでした。

 皮がちょっと厚いような気もしたけれどなかなか立派な西瓜。本当なら収穫の1週間ほど前からは潅水を控えて糖度を高めるらしいけれど、ご存知の通り雨続きの横浜では無理なこと。瑞々しい、ではなくちょっと水っぽい西瓜ではありましたが無事、我家の食後のデザートになったのでありました。

追記:今年は2株ずつ植えたきゅうりとトマトは52本と35個まで数えた程の豊作。更に15本、10個くらいは収穫したのではないかと思います。最盛期のひと月は完全に自給できたほどでした。


17 September. 2002

 郷秋<Gauche>が先週札幌と小樽に行ってきたのは一昨日書いた通りですが、小樽ではガラスの工房のほかに小樽オルゴール堂に行ってきました。3年前の冬に小樽に行った時には海鳴楼に寄ったのですが、その時はさらさらと雪の降る時期でしたので小樽オルゴール堂のすぐ近くまで行きながら余りの寒さにほうほうの体で引き上げてきたのでした。

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日本クラウン/CRCI-20370

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直径16inchのディスクと櫛歯
(上記アルバムのジャケットより)

 そのオルゴール堂で見つけたのが左のCD。数年前に発売になっていますのでお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。私が購入したのはクリスマス・ソングの定番と冬にまつわる曲を集めた「クリスマス・コンサート」ですが、他にも名曲アルバム・クラシック編とポピュラー編が出ています。

 オルゴールによるクリスマスアルバムと言えば皆さんご存知の通り郷秋<Gauche>のお薦め繰クリスマスアルバムのページでは清里のHALL of HALLS所有のアンティークオルゴールで演奏した「アンティークオルゴールで奏でるクリスマス」を紹介していますが、左のアルバムは日本の三協精機という、オルゴールの世界では圧倒的なシェアを誇る会社が1995年に開発した電動式の80弁ディスクオルゴール<オルフェウス>での演奏を収めたものです。

 私たちが良く知っているオルゴールは小さな円筒形のシリンダーが回転し、このシリンダーに埋めこまれたピンが櫛歯を弾いて音が出る仕組みになっていますが、このディスク型は約40センチの金属製の円盤に付けられた突起が爪車を介して櫛歯を弾く構造で、シリンダー型よりより大きな音量でより豊かな表現が可能なのだそうです。

 この<オルフェウス>は本体の高さ188.3cm×幅73.5cm×奥行55.7cm、重さ80Kgと私たちが親しんでいる小さなオルゴールとは異なり堂々とし重厚な風格を持っています。
 19世紀後半のヨーロッパにおいて完成されたディスクオルゴールですが、21世紀の今日、日本の企業によって再現・製品化され、何とも心地よい音色を聞かせてくれるのは嬉しいかぎりですね。さらには、今ではHDDやDVD用のモーター、産業用ロボットなどを生業とする企業がこのオルゴールを生産していると聞くにつけ、まだまだ日本の企業も捨てたものではないと思うのは郷秋<Gauche>だけではないのではないでしょうか。

収録曲
1. アヴェ・マリア(シューベルト)
2. カノン(パッヘルベル)
3 聖しこの夜
4. アヴェ・マリア(J.S.バッハ/グノー)
5. ホワイト・クリスマス
6. クリスマス・イブ(山下達郎)
7. 天使のセレナーデ
8. 歓喜の歌
9. もみの木
10.花のワルツ(チャイコフスキー:くるみ割り人形より)
11.月の光
12.トロイメライ
13.冬(ヴィヴァルディ:四季より)
14.そりすべり(アンダーソン)
15.ジングル・ベル

 山下達郎のクリスマス・イブをはじめ収録曲はサンプリングしたものではなく、全て最長90秒という演奏時間と5オクターブと6度という音域に合わせたオリジナルの編曲が施さそれ、それ用に製作されたディスクを使って実際に演奏された音を収録していますので、名機<オルフェウス>を素晴らしい音色を存分に楽しむことが出来ます。

 <オルフェウス>のメーカー、株式会社三協精機製作所オルゴールの詩というオルゴールについての情報満載の素敵なホームページを用意してくれていますので、オルゴールに興味を持たれた方はぜひご覧ください。

*11月オープン予定の郷秋<Gauche>のお薦めクリスマスアルバム 2002-2003シーズン版では「アンティークオルゴールで奏でるクリスマス」に替えて「オルフェウス名曲アルバム クリスマス・コンサート」を紹介の予定です。


15 September. 2002

 今年の夏も終わっちゃったね。年によってははっきりと「夏は昨日で終わり、今日からは秋」というようなこともあるけれど、今年の夏は気が付いたら終わっていた。夏と秋の境目に気がついた人もいたかも知れないけれど、今年の夏の終わり頃の僕は何故か忙しくて気が付いたら夏が終わっていた、と言う感じ。

 ふくしま点描には書いたけれど、8月の末には福島に帰って会津への短い旅。会津若松の街はまだ残暑の中だったけれど吾妻山や磐梯山の周辺は既に尾花が咲いてトンボがたくさん飛んでいた。
 福島から残暑の横浜に帰り数日後には一泊だったけれど晩夏の群馬県吾妻町へ。そしてその週末には札幌へ。札幌へはY子に会いに、ではなく学生時代の仲間14名での楽しい旅。
 札幌は既に初秋。やはり東京から511マイル北上すると季節は確実に2週間以上先に進んでいるね。足を伸ばして小樽の山の上にあるガラスの工房にも行ってきたけれど、そこから見たの街と海はとってもきれいだったよ。でも、その澄んだ空気はやはり秋のもの。北の海なのにやけにきれいなその色は夏の名残、最後の輝きだったんじゃないかな。
 札幌から帰って1日おいて今度は宇都宮へ。これはまったく純粋な仕事。出張とはいえ夜はフリータイムなので下に記したようにゆっくり過ごす事ができた。宇都宮は残暑の最後に1日って感じだった。

 そんなこんなで夏の終わりの2週間は旅行用のバッグを出したまま。ともすると必要なものをそのバックから取り出してまたバッグに戻して、のような生活。こういう生活をしていると、行った先々での季節を感じる事は出来ても本来の生活の拠点での季節の移ろいを感じることが出来なくなるよね。今年の僕はまさしくそんな感じ。気が付くと秋になっていた。2週間前のあの暑さはどこへ行ってしまったんだろう。


11 September. 2002
   (9/13 不正確な部分、文章のおかしな所などを手直ししました。11日の晩は酔い酔いで書いていましたので・・・)

 宇都宮に来ている。
 このページの古くからの読者の皆さんなら、2年半前までの郷秋<Gauche>が、少なくとも月に一度は2泊3日程度の出張で全国各地を歩きまわっていた事はご承知であろう。ところが、サラリーマンの宿命と言ってしまえばそれまでではあるけれど、一昨年の4月に部署が変わって以降出張がぱたりとなくなってしまったのである。今回も昨年の夏に京都に出張して以来、1年ぶりの出張である。どうせ出かけるなら札幌か博多が良いのではあるが、私の希望とは関係なしに行かなくてはならないのが出張の出張たる所以である。

 さて、5時過ぎにJR宇都宮駅近くのビジネスホテルに入り、まずは一眠り。このところ訳あって睡眠不足が続いていたので僅かな時間でも気持ちよく眠れる。目を覚まして時計を見ると既に6時半。訳あってこのところ飲み過ぎ・食べ過ぎが続いているので飲まずに食事だけと思って出かけては見たのだが、ホテル近くには生憎食事をするような店は見当たらない。3年ほど前にも来ているので、JRの駅前には何もなく賑やかなのは東武の宇都宮駅近くである事は知ってはいたが、まあ食事くらいはできるだろうと思って歩き始めてみたが一向にそれらしい店が見つからない。それでもぶらりぶらりと15分程歩いたところで居酒屋を見つける。幸い大手の全国チェーン店ではなく、ドアのガラスからのぞくとカウンターもあり一人でも落ち着けそうな感じなので入ることにした。

 まずはビールを飲みながら取り出したのはANAの時刻表。何故かと言えば7月5日にも書いた1日乗り放題10,000円。果たしていつまで続くのかはわからないけれど、「2002年12月以降、毎月1日は乗り放題!」と言うのが創立50周年を迎えたANAのこのところの「売り」なのである。
 この1日9区間まで10,000円を利用していろいろな区間でいろいろな機種に乗り更には長崎・五島を訪ねたいというのが郷秋<Gauche>の魂胆なのである。ビールに続いてウーロンハイ、更には「浦霞」を飲みながらの90分で考え出したルートは下記の通りである。

1.東京    → 札幌   51便 ボーイング767-200
  0625      0755
2.札幌(丘珠) → 函館  353便 YS-11
  1035      1120
3.函館    → 仙台  372便 ボーイング737-500
  1430      1530
4.仙台    → 成田  3134便 ボンバルディアCRJ
  1610      1705
5.成田    → 福岡   735便ボーイング737-500
  1755      1955

 まず、朝の1便で新千歳空港へ。新千歳から目指すは札幌丘珠空港。この空港は札幌市の北部に位置し1400mの滑走路を持つローカル線専用空港である。ANA系列のエアーニッポン、エアーニッポンネットワークが稚内、オホーツク紋別、根室中標津、釧路、函館に唯一の国産旅客機YS-11を飛ばしている。今回計画している旅の第1の目玉がこの札幌(丘珠) →函館。YS-11は日本そして世界の空を30年以上にわたって飛んでいるが、突防止装置の装備など法規制の関係で遠からず日本の空から消える運命。急がないと日本国内では乗れなくなってしまうのである。

 函館からは仙台に飛ぶのだか、この間約3時間。函館空港は市街地までバスで20分という好立地なので上手く行けば約2時間の市内観光が可能となる。
 函館から仙台に飛ぶのは今回第2の「目玉」、ボンバルディアCRJに乗るためである。ボンバルディアCRJは消え行く運命のYS-11とは逆に、これから日本国内でもどんどん増えてきそうな最新のリージョナルジェット機である。仙台→成田を飛ぶCRJは実はANA機ではなく、仙台を本拠地とするフェアリンク(FRI)が運行している便である。ご存知の通り成田空港に短いながらも2本目の滑走路が完成した事で増えた離着陸枠を使って就航したもので、FRIとANAがコードシェアで運行している。
 フェアリンクのCRJは13:30発の札幌→成田便も運行されているのだが函館から新千歳に戻る時間がないために、一旦仙台に飛び仙台→成田便に乗ろうと言う訳である。

 成田からの国内便は数が限られる。ANAが中日本エアライン(NAL)のダブルコードでフォッカー50による名古屋便を飛ばしていたり、JAL系列のJ-AIRのCRJが同じく名古屋に飛んでいたりと魅力的な便があるのだが、翌日五島・福江に飛ぶ事を考えると福岡に直行するしかなさそうである。

 以上が宇都宮の居酒屋で考えた1日1596マイル(おおよそ成田→グアムに相当)、4機種に乗る空の旅のプラン。乗り継ぎの時間などの関係もあるし、0625の便に間に合うように羽田に行けるかどうかという問題もあるので本当に可能なのかどうか、もう一度よく確認をしてOKならチケットの申込みをしたいと思っている。もっとも何よりの問題は2日目に渡る予定の五島をいかに効率よく回るかなのである。一昨年の平戸島・生月島と違い島々が橋で結ばれていないためにそれぞれの島の間の交通が著しく不便で、レンタカーを借りれば済むという問題ではなさそうなのである。
 まあ、その事はゆっくり考えるとして、まずは乗り放題10,000円のプランをまとめる事にしよう。

 ANAの 「一日乗り放題」についてまだご存知ない方、私も1万円で1日中飛びまわってみたいと言う方は

 ANA ←をクリックしてご覧ください。10月1日からの受付ですのでお早めにどうぞ。


5 September. 2002

 先月の末に買っておいた「コンビニ・ララバイ」(池永 陽著)をようやく読み終えた。ようやくとはいっても、読み終えるのに2週間もかかるような本ではない。たんに読む時間がなかっただけで、夕食の後にゆっくりできる日であればいつもの就寝時間までに読み終えられる程のヴォリュームの本である。

 著者は4年ほど前に「小説すばる新人賞」を受賞し、本書が出版三作目となるようだが、恥ずかしい話しであるが私は新聞の書評欄で目にするまで池永氏をまったく知らなかった。

 「賑やかだけれど乾いているから・・・・・・」との死んだ妻の言葉に促されて幹郎が始めたコンビニエンス・ストア「MiyukiMart」を舞台にした7つの物語を収めた短編集である。
 バツイチの女性に一途な想いを寄せるやくざ、恋人に勧められエンコーをする高校生、清らかなままともに死んで行く高齢のカップルなどの七話七様の愛の形が描淡々と描かれてゆく。いずれの物語も読み終わった後には何故か懐かしいような僅かに湿った心が残される。

コンビニ・ララバイ(池永 陽著)集英社 本体1600円


1 September. 2002

 故郷からの帰り道にはいつも不思議な気分を味わう。
 年に1、2度の帰省であるが多くの場合クルマを使う。片道約300キロ程の距離であるが一般道を走るのはほんの10キロ程度でそのほとんどが東名、首都高速そして東北自動車道を一気に走りぬけるコースである。走り抜けると書いてはみたものの、文字通り走り抜けられるのは深夜・早朝に出発した場合だけで、多くの場合おっとりと出かける事になるために首都高速の渋滞につかまりたっぷり4時間以上はかかることになる。

 往路は久しぶりに吸う故郷の空気と大地の匂いを、そして時に久しぶりに会う老親の顔を思いながらあと150キロ、あと100キロと距離標識の数字を見ては引き算をしながら走る。
 時間的には東北自動車道に乗ったところでおおよそ半分。乗ってしまえば時速何キロで走るかによっておおよその到着時間がわかる。それでも宇都宮を過ぎて片側2車線になるともう少し、目印の建物が見えるとここからあと何分と言うように、早く着きたい一心で右足に力が入るわけである。

 来る時にはどんどん近づいてくる故郷のことしか考えないわけだが、しかし、数日を過ごした後に走る上りの高速は少し違う。距離標識の数字を見るたびに、少しずつ近づいてくる我家 -つまり家族がいて自分の部屋がある現在の生活の拠点- のことを思う以上に、少しずつ遠ざかって行く我家 -親がいてかつての自分の生活の場であった家- のことを思い、何故かいつも不思議な気分になる。強いていえば、微かな寂しさと僅かな後ろめたさが交じりあった気分とでも言えばよいのであろうか。
 親や故郷を捨てて都会に暮すなどと言うつもりは毛頭ない。親はいつまでも親であり、故郷はいつまでも故郷である。いつでも訪ね、いつでも帰る事ができるはずなのに・・・。 いつかは再び親と暮したいとか、故郷に戻って暮したいなどとあらたまって考えてみたことはないけれど、実は心の奥の方にそんな願望があることに自分でも気付いていないだけなのかも知れない。そんな思いが、少しずつ少なくなって行く距離標識の数字に反応してあの不思議な気分を呼び起こさせているのだろうか。


24 August. 2002

 最近ちょっと気になるCFがある。
 郷秋<Gauche>はテレビをほとんど見ない。見るのは年に17回あるFormula 1のみと言っても過言ではない。F1の中継時間は2時間弱だから×17で約30時間、その他事件・事故の報道番組くらいは見るのでこれを会わせても60時間というのが年間のTV視聴時間と言うところだろうか。もちろん食事の時などに家族が見ているTVの音を聞くとはなく聞いたり、見るともなく見たりすることはある。もっともクルマを運転するのにメガネが必要な私の視力では食卓からやや離れて置かれた小さなTVの画面は良く見えない。

 そのCFはF1の中継の時に流されたトヨタのist(イスト)というクルマのものである。トヨタのクルマのCFがF1の最中に流れるなどと言う事は昨年まではまったく考えもしないことであった。しかし、自らがエンジンとシャーシの両方を用意しティーム・トヨタとして参戦する事になったために、あのトヨタがF1中継番組のメインスポンサーとして名を連ねているのである。もちろん販売戦略の一つとしてF1に参戦したわけであるから当然と言えば当然のことなのではある。
 しかし、NSX、S2000、INTEGRA Type R、Civic Type Rといったスポーツカーを生産し、更には時々の休止期間はあるが、永年にわたってF1に参戦してきたHONDAがその中継をスポンサードするのは当然であるとしても、カローラ、マークU、クラウンのトヨタがと思うといま一つピンと来ないのである。確かにトヨタにも大昔には2000GTやスポーツ800という世界に誇れるスポーツカーが存在してはいたけれど、今日のトヨタはあくまでも実用車の大メイカー。そのイメージはあまりにもF1とはかけ離れており、ピンと来ない。そう、トヨタにもスープラというスポーツカーがあるにはあるが、これも排気ガスの低公害化が難しいとしてまもなくラインナップから落されるのである(実は作っても売れない。今年の6月の販売台数ははずか122台である。ちなみにカローラは19,528台も売っている)。

 さて、前置きが長くなったけれど、そのCFはF1が思い起こさせるスポーティーなイメージとは相当にかけ離れている。しかしそのCFを郷秋<Gauche>はなかなか良い出来であると思っている。こんな内容のものである。

 僕が駅前の広場に止めたistに戻るとイザベラの姿がない。次ぎの瞬間、イザベラが運転席の窓にルージュで書いた「Good bye」の文字を見つける。僕はistに飛び乗り、数分前に出た列車を追いかける。

    <場面は変わり車中のイザベラ>

 こうして列車に飛び乗っては見たけれどその事が本当に良かったのかどうか、自分でも自分の気持ちを持て余し落ち着かない車中のイザベラ。草原の中を走る列車の隣には線路と並行する道路が見えている(イザベラという名前からするとスペインか、でも会話は英語のような気が・・・。もっとも彼女の名前が本当にイザベラだったかどうかについてもいささか自信がない)。
 そこに僕が乗ったistが追いつき列車と並走する。僕は窓を半分だけ開けて(半分だけになったガラスにはルージュで書かれた「Good bye」が残されている)「イザベラ!」と彼女の名前を叫ぶ。その僕とistに気付いたイザベラは列車の窓を大きく開けて身を乗り出す。そして僕はGood byeの文字を指差しながら「消しに来いよ」と再び叫ぶのである。

 カローラほどではないが1ヶ月に14,964台(2002年6月)も売れているクルマのCFなので目にされた方も多いのではないだろうか。よくよく考えてみると結構「クサイ」CFではあるけれど、わずか15秒という(多分、あるいは30秒だっただろうか、いずれにしても)短い時間の中にメッセージをぎっしり詰めこんだ秀作であると私は思う。istのターゲットは20-30歳代の若年層(主に男性)とのことであるが、さすがトヨタらしい周到なマーケティング戦略の結果、このCFは見事にターゲットにはまり1万5千台もの売上を記録しているのであろう。ということは、このCFに反応した郷秋<Gauche>も気持ち的には「20-30歳代の若年層」と言う事になるのかも知れない。

 こうしてistのCFについて書いていると、どこかで似たようなストーリーを読んだようなという気がしてきました。そう、お馴染みのショート・ストーリー、Y子さんシリーズの 「第5話 夜の新千歳空港」 そして「第6話Y子からのE-Mail」 ですね。
 確かに方やクルマと列車、方や空港と飛行機、ルージュで書いたメッセージとE-Mailという違いはあるけれど、ちょっとした行き違いで離れかけた彼女の気持ちが再び僕のもとに戻ってくる(であろう)という構造はまったく同じなのです。
 この手のショートストーリーは似たり寄ったりと言ってしまえばそれまでのことではあるけれど、最近郷秋<Gauche>がちょっと気になったCFなのでありました。


20 August. 2002

 リニューアルした「おもちゃ箱」のトップページにある写真が思いのほか好評でしたので、すっかり気を良くした郷秋<Gauche>は、よせばいいのに各写真の説明などを書いたページを用意したりなんかしちゃいました(^^)。
 こちらをクリックしてしてご覧ください。


19 August. 2002

 16日からずっと雨です。台風の影響だとは思いますが時折激しく降ることもありますが、今は小止みで蝉がうるさいほどに鳴いています。

 実は昨日の夕方気がついたことのですが、何と、庭の芝生にキノコが生えてきたのです。昨夕はマッチ茸が2本だけっだったものが、今朝になったらマッチ茸が大4、小2に増え、何とUFO茸が6本も生えているではありませんか。UFO茸は3ヶ所に大小2本ずつペアで生えていました。

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左:マッチ茸                    右:UFO茸
雨の中、ファインダーものぞかずに撮りましたのでピンぼけ&手ブレの写真で恐縮です。名前はいずれも郷秋<Gauche>が勝手に命名したものですから(多分、いや間違いなく)よそでは通用しないと思いますのでご注意ください。悪しからず。食べてみたい・・・「庭のキノコ郷秋<Gauche>風」なんちゃって(^^ゞ。

 キノコに関する知識は皆無ですが、きっと地面にこぼれて眠っていた菌が、ここ幾日か続いている雨に起され活動を開始したのでしょう。この前庭にキノコが生えてきたのを見かけたのは梅雨時の6月でした。おそらくその時のキノコの子供なのでしょう。それにしても先週まで1ヶ月もカンカン照りが続いたのに、良く生きながらえて来たものですね。日照りにもじっと耐えて、自分が活躍できる環境が整うとここぞとばかりに活動を開始する。その忍耐と見極めの良さには見習うべきものがあるかもしれませんね。

(8/21追記)今朝庭をみたら全部UFO茸になっていました。マッチ茸はUFO茸の子供?今日は朝から台風一過のカンカン照り。夕方にはキノコくんたちは全滅かな。でも土の中で次ぎの雨をじっと待っているんですよ、きっと。


16 August. 2002

 昨日、夕立さえない日が何日続いているのかと書いたのが良かったのかどうかは知らないけれど、久しぶりの雨が降った。庭の草花や樹木はほっとしただろうと思い以前に、あぁ、今日は水を撒かなくていいと、安堵してしまった郷秋<Gauche>であった(^^ゞ。

 横浜の山の手の奥に住んでいる郷秋<Gauche>であるが、仕事場は更に西の山奥に向かい、都県境を少し越えたあたりである。クルマで走って5Km、直線距離だとおそらく4Km程のところである。その仕事場では午後2時頃から雷鳴が轟き大粒の雨が降り出した。これで今晩は水撒をしなくて済むわいと思い一人ほくそ笑んだのであるが・・・。
 雨もようやくあがったころ仕事を終え愛車で横浜の我家を目指すと、最初はびしょ濡れの道路がしばらくすると湯気を立てている。そしてその湯気はだんだん少なくなるではないか。ひょっとすると我家の周りでは降らなかったのではないかという嫌な予感がしてきたのはその頃からであった。案の定、僅かに進むと道路に濡れた形跡はまったく見うけられないではないか。

 案の定、我家の庭はすっかり乾ききっている。ところが、である。8時を過ぎた頃から遠くで雷鳴が聞こえたと思ったら、何やら雨音が!そう、わずか4Km程のところで降った雨が7時間後に我家にもやって来たのである。やれやれ。
 と言うわけで2日続けての「独り言」を書ける、のんびりとした週末の夜を堪能している郷秋<Gauche>なのでありました。


15 August. 2002

 夕立さえない猛暑がいったい何日続いているのであろうか。
 はやり猛暑の続いた昨年、庭の芝生を枯れかけさせてしまった反省から、夕食後の潅水をはじめて4日目である。今夕も食事を終えた9時過ぎから30分かけて庭の隅々までたっぷりと水を撒いた。それで明日の夕刻にはその水分は跡形もなく消え去っているのである。芝生だけではなく、門柱の両側に植えた紅白のハナミズキも元気がない。葉の小さなエゴノキや、いかにも丈夫そうな楠や白樫と比べるとその弱さが際立っている。似たような葉をした山法師がしっかりとしているのは意外。

 「エゴノキ」と書いたが、ご存知ない方も多いかも知れない。我家の庭にあるのは樹高3メートル程の株立ちであるが、5月頃に白い可憐な花をびっしりとつける様はなかなかの見物である。そしてちょうど真夏の今頃から実をつけ、小豆粒程の大きさ種をこぼす。我家では種が芝生の上に落ちるのでそれを拾い集め播いてやるのだが、10センチほどになったところで皆枯れてしまう。実生から育てるのはなかなか難しいようだが、今年も挑戦してみるつもりである。

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左:エゴノキの実。接写なので大きさがわかりにくいかも知れないが、 右:がその種である。

 ついでと言っては何だが、昨年のきゅうりとトマトに続いて今年は「西瓜」をご覧にいれよう。

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こちらもまた大きさがわかりにくいかも知れない。現在鶏卵大。

 昨年は小玉西瓜であったが、その出来映えの良さに気を良くし、今年は普通の西瓜の苗を植えてみた。6月、7月と生育が遅くて心配したが、3日ほど前に鶏卵大の実をつけているのを見つけた。果たしてこれが食べられるまでに大きくなるかどうか、乞うご期待、である。

 名ばかりとは言いながら立秋を一週間も過ぎると、夜の風に暑さも峠を過ぎたことを知らせる優しさを感じ取ることができる。そんな風と腰にぶら下げた蚊取り線香の匂いが、いまが夏と秋の狭間であることを教えてくれる。


5 July. 2002

 今朝の新聞各紙に掲載された「全日空一日乗り放題1万円!」という記事に気付かれた方がどのくらいいたであろうか。いつものようにトイレで新聞を読んでいた(^^ゞ“郷秋<Gauche>”は、一瞬我が目を疑った。バスや電車に一日乗車券というものがある事は知っていたが、ヒコーキ業界でそんなものが登場するとは思ってもいなかったからである。しかし、登場したのである。JALとJASの経営統合の産物と言って良いのかどうかはわからないが、ヒコーキ大好き人間にとって大歓迎である事には変わりない。

 こんな形での還元が良いのかどうかという議論もあろうかと思うけれど、“郷秋<Gauche>”的にはさてどこをどう回ってどこに行こうか、暑さのせい(にする!)で鈍っていた頭をフル回転させるのである。
 最終目的地は長崎、五島福江。札幌で寿司とラーメンを食べて、夜は博多の屋台!と思ってはみたものの、問題は五島福江への便数である。早速調べてみるとANAグループではANKの福岡15:40発が最終。伊丹からオリエンタルエアーブリッジがBombardier DHC-8-Q200(スクロールして23 Feb. 2002の項を参照頂きたい)で運行しているが、伊丹13:55の便のみだし、距離から言えば当然だけれど26,000円という運賃も結構なものだ。

 コストパフォーマンスを考えれば「博多の屋台」を諦めて、福岡発15:40のANK便で五島に入るのを最終とするプランをまとめるのが一番良さそうである。自宅から羽田までの移動を考えると、7:40の便で高松に飛んで讃岐うどんで朝食、羽田に戻り新千歳便に乗り換え空港昼食、そして長崎へ・・・。ANKの五島福江便に間に合わない(^^ゞ。
 12/2からはANAなら全国10,000円で乗れるので、12/1の最終は福岡として翌日五島福江に飛ぶ手はある。そうすれば博多の夜を楽しむこともできる。と言う訳で、売り出しの10/1までたっぷりと楽しめそうなのである。果たして“郷秋<Gauche>”がどんなルートを考え、そのチケットが本当1万円でに取れるのかどか、お楽しみに。

 何故に“郷秋<Gauche>”が五島に行きたがっているかご存知ない方はこちらをご覧あれ。


14 June. 2002

 瞼を開いてみたつもりではあるけれど、見えるのは墨黒のみである。果たして本当に瞼が開いているやら。
 もちろん、何度かの寝返りを打った結果ではあるはずではあるけれど、寝入った時と同じようにベッドの左端で(うつ伏せに寝ているらしい今の体勢で言えばということであるが)寝ているとすれば、左手を肩の少し上まで伸ばせば目覚まし時計があるはずである。
 そろりそろりと伸ばした手の先にまず触ったのは昨晩寝入る寸前まで読んでいた文庫本。ほんのちょっと手を左に動かすと、小指と薬り指が同時に目覚まし時計らしいものを捉える。私の目覚まし時計は6センチ角のトラベルウォッチである。親指と人差し指そして中指でその小さな時計を掴み、親指が探し当てた小さなボタンを押す。文字盤が深い青緑に光り、浮き上がった針が3時25分である事を教えてくれる。

 5分ほどの間眠ろうと努力してはみたが、それ以上の努力にはなんの意味もないことを悟り、まずは左肩を持ち上げごろりと180度身体を回転させる。暗闇の中、ゆっくりと上体を起し右足を床に下ろし、何も見えない闇のなかで目を凝らし自分の部屋のある方向へと歩き出す。部屋のドアは開いていた。手が探り当てた椅子に腰を下ろす。
 薄暗がりのなか左手を伸ばしブラインドのケーブルを掴むとそのまま一気に五〇センチほど引き下げ静かに手を離す。腕を僅かに左下方に動かし窓のハンドルを掴んで左に回しながら押すと、それまで分厚い木製サッシュと3枚のガラスとで遮断されていた、夜の住宅街を支配する静寂が部屋の中に静かに流れ込んでくる。外灯に照らされるバス通りを走る車はない。
 何分ほどの時間そうして通りを見つめていただろうか。一台の車が左から右へと走り去ったのを確かめてか左手を伸ばしデスクの明かりをつけた。デスクの上には昨晩読んでいた本がそのままになっている。栞に手をかけ、そっとそのページを開く。

 果たして何という鳥なのであろうか。真夜中だと言うのに2回短く鳴く。そしてそのしばらく後にもう一度。1頁半程の文字を追った後で何気なく窓の外に目をやると、ほんの僅か開いた隙間から見える外の色合いがつい先ほどとは違って見える。右手で開閉装置のストッパーを押し上げてハンドルを掴んだ左手で突き出すと窓は外に向かって大きくすべりだし、ひんやりとした空気と共に既に夜のそれではない、鈍色の空気が目に飛び込んでくる。バス通りと谷の向こうにあった、かつての山肌に立ち並ぶ住宅が窓の下半分ほどに、そして上半分に空が見える。

 いま開け放たれた窓から見えるのは濃い目のグレーに染まった家々と、それよりスプーン一杯分ほど明るいグレーの空である。鳥は正直である。人間の目には未だ夜と思われる墨黒の世界の中で、いったい何を頼りに知るのかはわからないけれど、朝の近づいた事を知り、そしてそれを知らせてくれたのだ。

*****

 久しぶりに独り言を書こうと思ってページを開いたら、なんだか得体の知れないものが出てきた(^^ゞ。そう言えば酔いに任せて書いたような記憶が蘇ってきた。読んでみたらなんだか捨てがたい気がしてきたので、中途半端and尻切れトンボの文章だけれど残しておき、気が向いた時に手を入れることにしたい。


23 Feb. 2002

 南米、コロンビアで今月20日にこんな事件があったのをご存知ですか?

 南米コロンビアで20日、南部ウイラ州ネイバ発ボゴタ行きのアイレス航空機が離陸後間もなく数人の男女に乗っ取られ、同州オボ近郊の道路に着陸。乗客のうちホルヘ・ヘチェン上院議員を誘拐して逃走した。同国軍幹部は事件を反政府ゲリラ組織・コロンビア革命軍による犯行だと述べ、政府は和平交渉の一時中断を表明した。 (以上、Mainichi Interactiveより)

 このような非合法行為が行なわれる事は断じて許せないが、コロンビアにおいてテロ組織によるハイジャック事件は取りたてて珍しい事ではないようである。今回のハイジャック事件以後、コロンビア政府は犯行組織との和平交渉を中断しその支配地域に空爆を開始したのとの続報が入っている。対テロ組織の場合、暴力に暴力で対抗してもそれを根絶できないのは既に多くの事例が証明していることではあるが・・・。事件が一日も早く解決し平和が訪れることを祈るばかりである。

 さて、今回の事件における“郷秋<Gauche>”的関心は、このハイジャックされた「航空機」についてである。

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写真左:今回の事件で高速道路に強制着陸させられた旅客機(2002年ロイター/Eliana Aponte)
写真右:Bombardier DHC-8-Q200(Bombardier社のWebSiteより)

 左の写真が今回ハイジャックされて高速道路に着陸した「航空機」の写真である。右の写真とはアングルが違うが子細に観察すれば同一の機種であることがおわかりいただけるであろう。カナダのボンバルディア社が製造するリージョナル機(数100Km程度の距離を持つ地方空港間に就航する50席程度の民間航空機)、DHC-8である。DHC-8にはオリジナルである40席クラスの100型のほか、50席クラスの300型、70席クラスの400型などがあるが、ハイジャックされたのはおそらく100型ではないかと思われる。ちなみに、このDHC-8の各型はYS-11の代替機として既に日本の空も飛んでいる(首都圏ではQ300型が羽田/大島間を1日3往復)。
 問題は、高速道路(写真を見る限りでは日本の往復2車線の国道程度に見えるが)に着陸したDHC-8が、その場所から離陸し、然るべき空港に戻れたのであろうかと言う事である。リージョナル機とは言え、往復2車線の道路に何の誘導装置もなしに着陸したパイロットの技量も対したものである。あるいは、軍のパイロットが運行していたのかも知れない。いずれにしても非常事態で着陸したのはいいが、果たしで単独で離陸できるのか。ジャンボジェットを初めとする大型のジェット旅客機は地上からの支援なしの離陸は難しいのであろうが、DHC-8のようなリージョナル機の場合には、地上からの支援なしにエンジンの再起動、離陸が可能なのかも知れない。
 このあたりの事情、続報をご存知の方はぜひお知らせいただきたいこのである。

 そう言えば武装中立国(最近この方針を放棄するとの報道があったが)、スウェーデンではSAAB製のジェット戦闘機が丘の麓をくり貫いて造った格納庫から出てきて、民家の脇の小道を通り高速道路から離陸すると言うことを聞いた事がある。以前に民家の前をニワトリを蹴散らしながら滑走路になる高速道路へと進むジェット戦闘機の写真を見たことがある。お隣の国、韓国でも高速度道路の長い直線区間で中央分離帯のない所があり、有事の際にはそこを滑走路として利用すると聞いた事がある。
 いずれにしても、すっかり平和ボケしてしまった日本人(勿論私を含め)には縁遠い話しではある。


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