23 Dec
1999
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと、大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。
彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように折ってくださった。
地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちにに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
Merry Christmas!!
<旧約聖書 イザヤ書
第9章1−5節、新共同訳による>
8 Dec 1999 “郷秋<Gauche>”の旅日記 札幌編
ライトアップされた旧道庁
手前に緑色っぽく見えているのは「雪」です。
すすきの交差点から北をみる
大通り公園の「ホワイトイルミネーション」が有名ですが、西4丁目通りもきれいです。
大通り公園とテレビ塔
いずれの写真も三脚なしなのでぶれているのはお許しを。
今回の旅日記は写真だけということにしておきましょう。札幌で何をしていたのかは詮索しないでください(^^)。
29 Oct 1999 “郷秋<Gauche>”の旅日記 会津若松編 飛び乗った新幹線いま秋のなか
7月の「岐阜編」以来久しぶり、皆さんお待ちかねの「旅日記」です。えっ、誰も待っていないって、それは失礼いたしました。
東京から新幹線で1時間20分で郡山。そして磐越西線の快速で同じ時間がかかる会津若松である。
「あいづわかまつ」、長い名前である。ついつい略してしまいたくなる訳だが、この時に「会津」と略するのは正しくない。「会津」といった場合には、広く福島県の会津地方を指すことになる。「若松」と言うのが正しい。
会津は歴史の街である。会津の街ではいまだに130年前の出来事が、さも昨日の出来事のように語られているのである。ご存知「白虎隊」の悲劇に代表される幕末の出来事である。
昨日まで「義」であると信じていたことが、多数の原理により、今日「不義」とされたという事実。すべての悲劇はここから始るのである。この事実については少なからず出版されている史家の著作をお読み頂きたい。
会津はまた、「酒の里」でもある。今回私は磐越西線で会津入りしたが、首都圏からクルマで会津に入る祭には東北自動車道郡山ジャンクションから磐越道を経るのが一般的である。が、筆者は郡山インターで高速を降り、国道49号線を使うことをお勧めする。年末年始と夏の帰省シーズンを除いては時間的に大きな差はないし、何よりも「会津に入る」事を感じることが出来るからである。
郡山インターを降り49号線を走り出すとすぐに磐梯熱海温泉である。東京にとっての熱海と同じ意味で郡山にとての「熱海」である。熱海を過ぎると上りがきつくなって来る。中山峠である。数年前に、かつての峠のトンネルの随分前から入ることの出来るトンネルが出来、いまでは所謂「峠」を感じることがないまま会津に入ることになる。
私が気に入っていた野立て看板は、旧道のトンネルを出たところにあった。「これより会津、酒の里」と書かれた野立て看板が旧道のトンネルをでて暫くしたところに立っていたのである。新道開通後、そこを通るクルマのために、この看板が新設されたかどうか、私は知らない。
さて、会津で入った店は、駅近くの「北の酒林」である。
まず、会津名物「さくら刺」と生ビール。そして「鰊の田楽」である。3月の独り言に「鰊の山椒漬け」について書いたが、残念ながらこの店には「鰊の山椒漬け」はなかった。替わりに「鰊の田楽」。田楽は会津の名物である。会津の奥座敷「東山」に至る街道筋「奴郎が前」に、その元祖といわれる店があり、随分前に訪ねたことがある。竹串に挿したこんにゃく、里芋、厚揚げを炭火で炙り家伝の味噌をつけたものである。
「北の酒林」の「鰊の田楽」は3枚におろした鰊を3センチほどに切り竹串に挿して炙り、味噌をつけてある。おそらく、本来は身欠き鰊を戻して炙ったものであろう。
こくと独特の甘みが口に広がる生酒、おろしにんにくと唐辛子を練り込んだ味噌を溶いた醤油ダレをつけて食べる「さくら刺」と、鰊の田楽を堪能した会津の旅でありました。
27 Oct 1999
いやぁ〜、こういう事ってあるんですね。
“郷秋<Gauche>”が、スペインの名チェリストにして作曲家、ガスパール・カサドの資料を集めWeb Siteを開設していることは、このページをご覧の皆さんは既にご存知のことと思います。そのカサド自身が演奏しているLPが、一日に3枚もやって来た、まさにやって来たというお話なのです。
カサドの資料を集めはじめてかれこれ2年になりますので、そう多くはない彼自身の演奏を収めたCD、彼の作・編曲作品を収めたCD・楽譜は、発売・出版されているもののかなり多くが集まり、これから先は時間がかかるだろうなというところまで来ておりました。
カサドの演奏や作品を紹介するにしても、CDで発売になっていないとか、楽譜が絶版あるいは手書きのものしか残されていないとなると、そのデータだけを並べてみても余り意味が無いのではないかと考えるわけです。比較的簡単に入手できて聴くことができる、あるいは演奏できるものでないと生きた資料としての価値がないですよね。そう思い、これまではCD化されたものを集めて紹介してきたのですが、それも限界に近づいていました。そこで少しずつオリジナルのLPを探し出したのですが、これがなかなか難しいのです。それでもここ半年の間に2枚を入手し、更に探していたところ、一昨日に思いもかけずに一度に3枚ものLPを入手することが出来たのです。
まずは、Cond:Jonel Perlea/Bamberg
Symphony OrchestraをバックにBoccherini、Haydn、Vivaldiのコンチェルトを弾いたVOX
STPL 510.790(1954-56年に録音、57年発売、入手価格は秘密)です。これは奈良県にある中古レコード屋さんに頼んでアメリカで探してもらったもの。月曜日の10時に郵便で到着。
お次がなんとCCCP、旧ソ連で1982年に発売されたらしいLP。神田の古レコード屋さんにて夕方5時に発掘。表面にはSP時代にBerlin
Philと録音したHaydnのコンチェルト、そして裏面にはFaure、Dvorak、Elgarらの小品7曲ほどを収めている。いずれも1930年代から40年代にかけてCOLUMBIAやTELEFUNKENに吹き込まれたものの復刻である。
カサドは戦後度々旧ソ連へ演奏旅行に出かけており、彼の地では人気の演奏家であったのかもしれない。しかし驚くのはこのLPにかなり詳しいカサドの紹介が、英語で載っていることである(VOX版LPなどには曲の解説はあっても演奏家の紹介がない)。旧ソ連国内での販売を目的としたのならば英語版の解説は必要な無いわけで、いったいどのような経緯でこのアルバムが作られどこで売られ、そしていったいどうして日本にやって来たのかは謎である。プチプチとノイズが入るが、その多くはオリジナルのSPを再生したときに発生したもであり、音質は悪くない。2,500円也。
さて、3枚目はMenuhin、Kentnerと共に演奏したRavel、Mozartのピアノ・トリオである(Angel
35630)。これは1960年にHMV(イギリス)に録音されたものである。しかし入手したものはアメリカのAngelレーベルである。解説には1961とあるので、イギリスでの発売とほぼ同時期にアメリカではにAngelから発売されたものかもしれない。このアルバムは、私がカサドの資料を集めていることを知っているK氏が、私のためにと求めておいてくださったものである。感謝!6時半、カザルスホール、ホワイエにて入手。
と、言うわけで3枚のアルバムがそれぞれの長い旅を終えて、私のレコード棚に収まったのでありました。私にとっても(おそらく)レコード達にとっても幸せな一日なのでありました。
CCCP版はオリジナルの録音が何なのかを確認する必要がありますが、幸いにカサドがSP時代にCOLUMBIAやTELEFUNKENに吹き込んだものはそのレコード番号までほとんどが判明(約20タイトル)しておりますので、そう時間はかからないことと思います。Web Siteでも遠からずご紹介できることでしょう。
それにしても、つい先日は版権の関係で日本での販売ができないとされているカサドの編曲作品の楽譜を在米の知人YM氏の協力を得て入手できたり、京都のM氏、今回のK氏の好意で貴重なアルバムを入手できるなど、まさに皆さんに助けられての資料収集なのであります。感謝、感謝。
9 Oct 1999
久しぶりに“郷秋<Gauche>”の独断と偏見によるお薦めアルバムである。
7月末に発売になっているので既にお聞きの諸兄姉も多いのではないかと思うが、舘野
泉 トリオによる「ブエノスアイレスの四季 〜
ピアソラ作品集」(KING RECORDS KICC 286)をお薦めする。
「舘野 泉
トリオ」とは言っても常設のグループではない。フィンランドに住む舘野が何故かアイスランドのヴァイオリニスト、チェロリストと共にピアソラの作品を録音したものである。
ピアノ三重奏での演奏であるが、このアルバムは時としてバンドネオンの音が聞えて来るかのよな”錯聴”さえ起こさせる。北欧に住む3人が紡ぐタンゴであるが、ピアソラブームの昨今にあってもなお、名盤の一つとして長く記憶されるもとなるのではないだろうか。舘野氏がライナーノーツに書かれた「タンゴ-恍惚と陶酔」も楽しい。
「ブエノスアイレスの四季 〜 ピアソラ作品集」 KING
RECORDS KICC 286 \3,059(税込)
1.ブエノスアイレスの春
2.ブエノスアイレスの夏
3.ブエノスアイレスの秋
4.ブエノスアイレスの冬
5.革命家
6.忘却
7.リベルタンゴ
8.ル・グラン・タンゴ
9.ニ長調のミロンガ
Vn:アウドゥール・ハフシタインドッティル
Vc:ブリンディース・ハトゥラ・ギルファドッティル
Pf:舘野 泉
4 Sep 1999
夜、庭に出てみました。
気付かないうちに降ったのか、芝生が少し濡れています。
虫の鳴き声も聞えます。
そんな庭のベンチに腰を下ろして深呼吸しました。
僕の肺の中に入ってきたのは秋の空気でした。
暑く長かった今年の夏もようやく終ったのです。
まだ何日か暑い日があるかも知れません。
でも今日からは間違いなく「秋」なのです。
3 Sep 1999
ここ3、4年ほど、初めての書店に入ると必ず児童書のコーナーをのぞくことにしている。お目当ては宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」である。ご存知の通り、賢治が死の床にありなお推敲の手を休めなかった完成度の高い作品であり、賢治最後の童話と言ってもよい傑作である。そして、チェロ音楽のファンにとっては数多い彼の作品の中でもとりわけ大切な作品でもある。この作品が遠因となってチェロを始めた、またチェロを始めてから賢治の作品にのめり込んだと言う方も少なくないのではないだろうか。私のこの作品に対する思い入れもまた、このページの最初の部分をご覧いただければおわかり頂ける通りである。
初めて「セロ弾きのゴーシュ」を、と言う方にはまず角川文庫版(税込み520円)をお勧めする。「雪渡り」「やまなし」「グスコーブドリの伝記」など11編を収めたもので、その最後に「ゴーシュ」をご覧いただける。まずは原作をお読み頂いた後に子供向けの所謂「絵本版」をご覧になることをお勧めする。
私は本で読んだものが映画化されても決してその映画を見ることはしない。原作を読んだときに創りあげた、その作品に対する私自身のイメージを壊されるからである。原作を読むことでその受け手は、それまでの自身の経験、言い換えればその人なりの人生を土台としての解釈をし、自身の中にイメージを創り上げる。本を読むと言うのはその本に書かれている内容を知ることではなく、そこに書かれていることを元にして自分なりのイメージを創り上げる作業である(ここでいう「本」とは所謂文学書のことであり、ビジネス書などは単に知識を得るためだけのもの)。
映画を筆頭にする映像作品は文字で現された作品(文学)と比しその表現ははるかに具体的であり、結果として受け手の創造(想像)の余地を著しく制限してします場合が多い。例えば小説の場合、その主人公がどんな風貌なのかは書かれている事実を元に受け手が自由に組み立て創りあげることができるが、映画の場合にはその主人公に扮する俳優が主人公そのものであるかのよな錯角を起こすのである。
「セロ弾きのゴーシュ」の場合も勿論同様で、まずは原作をお読み頂き、その中から自由に「ゴーシュ」のそして楽長の風貌、人となりを想像し、「第六交響曲」や「インドの虎狩り」がどんな曲なのか想像してみるのは楽しいことであろう。知る限り全ての絵本で「ゴーシュ」は男であるが、一体原作のどこ「ゴーシュ」が男であると書いてあるのだろうか。確かにゴーシュ自身が「おれ」と言い楽長が「ゴーシュ君」と言ってはいるが、「おれ」は東北地方では女性が使うこともある言葉であるし、「君」は目下の女性に対して使うこともある。例えばの話しであるが、「ゴーシュ」が女性であったとしたらどうなのだろうか。
一般に「第六交響曲」はベートーヴェンの第六交響曲「田園」であるとされているが、それ以外の曲だったとしたらどうなのか(仮にベートーヴェンの「田園」とするならば、冒頭の「トランペットは一生けん命歌っています」の描写はおかしくなる。なぜなら、「田園」では、トランペットが一生懸命に歌う箇所はないからである。-宮沢賢治の音楽-佐藤泰治著より引用)。「インドの虎狩り」にしても間宮芳生作曲のもの(アニメーション映画用に間宮が作曲したものがあるらしい。そではそれで興味深いが。)を聴いてしまえばそのイメージが固定化されてしまうであろう。自分だけの「インドの虎狩り」があっても良いはずである。
初めて「セロ弾きのゴーシュ」をと言う方にはまず原作版を、その上でいくつかの「絵本」を楽しまれることをお勧めしたい。
<原作>
「セロ弾きのゴーシュ」 角川文庫(本体505円)
「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
上記角川文庫版が底本として使用。残念ながら私は持っていない。
<絵本>
「セロひきのゴーシュ」
福音館書店(本体1100円)画:茂田井 武
「セロ弾きのゴーシュ」 徳間アニメ絵本19
徳間書店(本体1500円) 画:オープロダクション
本文が原作とは異なり、アニメ映画の脚本を使っているようである。
(これは大田区の小林和広さんにお教え頂いたものである)
「セロひきのゴーシュ」
岩崎書店(本体1300円)画:オープロダクション
「セロ弾きのゴーシュ」 偕成社(本体2000円)画:赤羽末吉
<関連書籍>
「チェロと宮沢賢治 -ゴーシュ余聞-」
音楽之友社(本体1800円)
「宮沢賢治の音楽」 筑摩書房(本体3107円)
賢治については多くの研究者とその果実としての書籍があるので私などが言及するのはとりわけ躊躇するところであるが、私自身もまた「セロ弾きのゴーシュ」の一人であることをもってお許し願いたい。
1 Sep 1999
行き付けの店のマスターが亡くなった。連絡をくれたのは一緒によくその店に通った仲間の一人であったが通夜の場所と時間はわかるのだがマスターの名前がわからないのだという。
「小堀 勉」と言うのがマスターの名前であった。通夜の会場に入ってマスターの名前を知った。10年ほどの付き合いになるが、私もマスターの名前を知らなかったのである。マスターは私の名前も職場も家族も知っているというのに。
あの店に行けばいつだってマスターはいる。マスターが作る上手いものが食える。調理場から時々顔を出すマスターと話しをしながらしこたまビールを飲む。
ジャスが好きで、馴染みの客だけを呼んでライブをやったこともあった。トランペット、キーボード、ベース、ドラムス。
「マスター、ピアノがないのが淋しいね。このテーブルのところにちょうどピアノが入るよ」
良く我々が陣取ったU字型のテーブルはちょうどC7と同じくらいの大きさであった。
「マスター、このテーブルを取り払ってピアノを置いたら。譜面台のとこの蓋も開けないようにしておくとピアノの上がちょうど今のテーブルと同じくらいの大きさだよ。ピアノの回りに背の高いスツール、いっそのことバス椅子でも並べりゃ飲み食いにもちょうどいいんじゃない。席数も今と変んないよ」
「郡司さん、かね出してくれんの?」
「そうか、ただじゃピアノ入んないよな」
無責任にけしかけてはいたのだったが、はたして本当にピアノが入った。C7じゃなくて中古のアップライトだったけれど本物のピアノであることには違いない。そんなにひどいピアノじゃなかったが、運び賃と調律代だけでどこからか貰ってきたらしい。
駅4つ分ほど離れたところに引っ越してからはすっかりご無沙汰していたので、マスターが入院していたことも知らなかった。マスターが入院してからはママが調理場に入っていたらしい。今は閉めているんだろうけど、一週間もすれば開くんだろう。マスターに会えないのは淋しいけれど、ママが一人で切り盛りするんじゃ行かないわけにはいかないね。
マスターの通夜には私の他にも馴染みの客が結構きていた。私も知っている名前の札が立てられた花籠が何台も並び、白い花で飾られた額の中にはやけにすましたマスターの顔があった。
マスターと呼ばれる生き方。名前を知らないまま別れてしまうんだから考えてみると変なもんだね、マスター。(8月中旬の出来事であった。)
6 Aug 1999
夏は暑く、そして冬は寒くあれ。 “郷秋<Gauche>”としてはこう思うのですが、そうは言っても今年の夏の暑さは尋常じゃない。首都圏では2週間近く真夏日が続いているわけで、おまけにここ2、3日はカンカン照りかと思うと急にバケツをひっくり返したような雨が降ってくるといった具合。多少なりとも涼しくなればまだ良いわけですが、単に湿度が増すだけでまったく良いところなし。で、こう毎日暑い日が続くと思い出すのが3年前の夢のような休日。
古くからのこのページの読者は、“郷秋<Gauche>”が以前に、「ささやかな夢は、老後を森のなかの湖が見える小さな小屋でセロを弾いて暮らすことです。」と書いたのをご記憶だろうか。「たまには美しいピアノ弾きにも登場いただきたいものです(ご希望の方は写真付きの履歴書をお送りください)。」と書いたのはご記憶だろうか。まあ、記憶にないのでしょうね。特に二つ目は。未だに一通も写真付き履歴書が送られて来ないから(^^;。
実は3年前にその「老後の夢」を3日間程体験したことがあるのです。場所はとある湖の見える山のなか。ログハウスでこそなかったけれど、限りなく“郷秋<Gauche>”の好みに近い山荘。
わずかに開けたカーテンから洩れる光と小鳥の鳴き声で目を覚ます。シャワーの後は小鳥のさえずりを聞きながら、サンデッキでゆっくりとスープとバゲット、サラダとエスプレッソの朝食。
食事の後は開け放った窓から入る気持ちの良い風を感じながら、その頃始めたばかりのLeeのエチュードのおさらい。少なくとも半径50m以内に「うるさい!」などと言う人はいない。練習が終ると散歩。湖の見える尾根まで登ってみたり、車で湖畔まで行き、サンダルを脱いで水際を歩いてみたり・・・。散歩から戻るとフレッシュトマトとバジルのカッペリーニ、フレッシュミルクで昼食。そしてシエスタ。
シエスタの後は夕飯のメニューを考えながら湖畔まで降りて買い物です。戻ると良く冷えたビールを飲みながら、夕食の準備。牛フィレのきのこソースなんかを作って食べましたね。食事が終るとまたLeeのエチュード。小一時間練習したあとはブラウニーやビル・エバンス、MJQあたりを聞きながら本を読んで眠くなるのを待つ。
そこには“郷秋<Gauche>”の理想の日々があったわけですね。短い間でしたが。次にあんな素敵な日々が訪れるのは一体いつのことなのでしょうか。素晴らしいセロがやってきました。腕も少しは上がりました。食事のレパートリーも増えたとなると、次回は是非「写真付きの履歴書」で選ばれたピアノ弾きにも登場いただきたいものです。
「一億使ってもまだ二億」も買いました。あとは当ることを祈るばかりですね(^^;;;。
“郷秋<Gauche>”の真夏の夜の夢でありました。
25 Jul 1999
16日の独り言に対して、「何のこっちゃ?」とか「そんな美味しい話しがあっていいのか、羨ましい」などというMailを頂きましたので、ここいらで種明かしを。
実は、我が家にやってきたのは女性ではなく男性なのです。イタリア語でセロはVioloncello。イタリア語の名詞には男性名詞と女性名詞の区別があり、語尾が<a>のものが女性、語尾が<o>のものが男性と決まっています。セロの語尾は<o>ですから、我が家にやってきたのは男性ということになる訳です。しかし、私も含めて世の多くの男性セロ弾きはセロを女性だと思っているのではないでしょうか。何故かって?それは当然ですよ。優しく抱きかかえて弾くのですから男であって欲しい訳がない!(女性のセロ弾きはどう思っているのでしょうか?陽子さんのセロはゴリラちゃんではなくゴリラ君、つまり男性ですね。(^^))
何と種明かしにもなっていないという、お粗末なお話でした(^^;;;。これまで「楽器が悪いから上達しないんだ!」と言って来たけれど、その言い訳が通用しなくなってしまったのが辛いところです。
16 Jul 1999
昨日、イタリア娘が我が家にやって来ました。
何の気まぐれかイタリア語を勉強しはじめたのが4年前。最初の一年間は我ながら結構熱心に勉強し、まあ中学生の英語程度にはなったかなと思いましたが、廻りを見渡してもイタリア人は無論のことイタリア語を話す日本人もいない。つまり、まったく必要のない言語を勉強することほど無意味かつ難しいことはないとつくづく感じたわけです。これ以上の上達のためにはイタリア娘のガールフレンドでもできない限り無理と、後の3年間は2、3ヶ月に一度思い出したようにテキストを開いて眺めるだけでしたが、思いもかけずに我が家にイタリア娘がやってきたのです。しかも飛び切りの美人が。今のところは寝室こそ別にしていますが、すっかり私のことを気に入ってくれたようで、こうして私がThinkPadに向かっている間も側にいてくれますから、これからが楽しみです(^^)。
なかなか上達しない言い訳に「そりゃあ〜そうだよ。話し相手がいないんだから」というのが通用しまくなってしまったのが良いことなのか、悪いことなのか・・・。
日本には何年かいたようですので余り心配はしていないのですが、さすがにこの梅雨時は体調も思わしくないのかも知れません。大事にしてあげないといけませんね。
しばらくは私の側にいてくれるようです。でも、いつか来る別れの時のことを考えるとちょっと切ない“郷秋<Gauche>”なのであります。
9 Jul 1999 “郷秋<Gauche>”の旅日記 岐阜編
午後の新幹線で名古屋へ、そして在来線の快速で岐阜に来ました。岐阜は5月に続いて2回目。2度目とは言っても岐阜の町についてはほとんど何も知らない。でも来る前に地図を見て驚きました。何せ地図が入り組んでいる。びっくりするほど多くの町名が書かれ、その境界線がまた実に入り組んでいる。こういう町は歴史の古い城下町かつ現在でもその尾を引いている保守的な町。その他岐阜について知っていることと言えば「柳ヶ瀬ブルース」(^^;と長良川の鵜飼いくらいか。大体5月に来るまで「岐阜」と漢字で書けなかったほど(皆さんは書けますか?書ける?僕だけか、書けなかったのは(^^;)。
6時頃からホテルの近くをうろうろしてみて気が付くのは繊維製品問屋、洋品店(ブティックと言うには余りにも・・・)が多いこと、そしてJR岐阜駅近くに小さな商人宿が多いこと。古くからの繊維の町であり、かつての賑わいを今に伝えているとは言え、シャッターを下ろしたままの店が多いのと、開けている店をのぞいてもその構えと品揃えは30前のままと言えるところが多い。それでも代が替わったのでしょう、古い町並みの中に突然しゃれたブティックが現れたりします。
やっと見つけた最近ありがちな「ちょっと洒落た居酒屋」で食事をして、もとへ、ビールを飲んで外に出るとまだ明るい。駅前の大通りにParcoを見つけ、店内の案内を見ると上の方に楽器店と50,000タイトル!(おそらく岐阜では一番大きい)のCD屋さんがあるというので入って見ました。楽器店は電気ギターばかりなので即パスしてCD屋さんへ。50,000タイトル!とは言っても多くの地方のCD屋さんの例に洩れずJ-POPと所謂洋楽中心。クラシックとジャズはチョロチョロ。クラシックのコーナーの壁に張ってあるポスターは、右端から順に竹松
舞、村治佳織、ヨーヨー・マ、諏訪内晶子というラインナップでした。並んでいるCDはマと古澤
巌のものがやけに多いのが印象的。今井信子のヴィオラによるバッハのチェロ無伴奏のアルバムがディスプレイさていたりするのは担当者の好みなのでしょうか。ちょっと売れない品揃えに思えましたが、これまた地方のレコード屋さんではどこも結構充実しているギター(「アルハンブラの思い出」や「禁じられた遊び」など)のアルバムがちゃんと並んでいましたので安心?した“郷秋<Gauche>”なのでありました。で、何も買わなかったかというとさにあらず。何故か「特価、857円」のNAXOSが並んでいましたので何気に眺めていると
Maria Kliegel の名前が Dvorak、Elgarの名前と共に飛び込んできました。Maria
Kliegel はCassadoの無伴奏を弾いたアルバムを持っているけれど、どういう人なのかはまったく判らないままとなっていました。 DvorakとElgarのコンチェルトならばたとえ「はずしても」クルマのチェンジャーに入れておけば良いかと思い購入。もう1枚、
Dvorakのピアノ連弾の曲集があったのでこちらも。
ホテルに戻ってMaria Kliegel
のアルバムを開けてライナーノーツを見ると女性のチェリストで(当たりまえか、マリアなんだから)ロストロポーヴィッチのコンクールでGrand
Prixを取り、その後アメリカでシュタルケルに師事した云々と(たぶん)書かれているようです。家に帰って聞くのが楽しみです。
と、言うわけで岐阜の夜が更けてきました。明日は早起きして仕事です。さて、寝るとしますか。
8 Jul 1999
星まつりの前夜に、また1つの巨星落つ。
お恥ずかしい話しだが、つい1年ほど前まで既に過去の人と思い込んでいた盲目の作曲家、ホアキン・ロドリーゴが6日に97歳で亡くなったという。ギター協奏曲
Concierto de Aranjuez
がつとに知られているが、あらためて調べてみるとピアノ、フルート、チェロ、ハープなどのための協奏曲も残している他、合唱曲、声楽曲などもあることが判る。
追悼の意味を込め久しぶりに「アランフェス」を聴いてみようかと探してみるが、案の定見つからない。いやはや、2週間前の「Waltz
for Debby」の時と同じである。いや、更に悪い状況。散々探した挙げ句結局見つからずじまいである。辛うじて見つけたのが、ギターとオーケストラではなく、ブラス+αのバンドを従えてマイルス・デイビスが吹く「Sketches
of Spain」である。おそらく15年ぶりにターンテーブルに載せたアルバムであるが、これがなかなかGOODであった。ギル・エバンスが編曲・指揮したもので、1960年にニューヨークで録音されている。
先にビッグ・バンドではなく「ブラス+αのバンド」と書いたが、この「+α」が
ミソ 。通常のビッグ・バンドでは使われないテューバやオーボエ、ハープなどが使われているのである。ギルの編曲・指揮であるが、所謂シンフォニック・ジャズではない。実に自由で伸びやかなマイルスのトランペットを聴く限り、おそらく彼のパートは書かれておらず全て彼のインプロヴィゼーションまかされている、つまり完全なジャズであると言えるであろう。それでいて彼のソロと、おそらくはスコア通り吹いているのであろうオーボエが絡むあたりの妙は流石としか言いようがない。
このアルバムも前回ご紹介した「Waltz for Debby」と共に、クラシック・ファンのためのジャズ入門としては最適な1枚としてお勧めする。
「Sketches of Spain/Miles Davis」 (CBS SONY 25AP756)
は、現在は勿論CDで聴くことができますが、“郷秋<Gauche>”としては、可能であればぜひLPでお聞きになることをお勧めいたします。JAZZはLPで聴くに限ります。それも、ちょと明かりを落とした部屋で
On the Rock
をナメながら。自宅で無理ならジャズ喫茶でどうぞ。でも、いまどきジャズ喫茶などというものがあるかどうか・・・。
それにしても、いよいよLP、CDの整理をしないといけない時期に来ているようですね。聴きたいものが見つからずにレコード屋に走るの言うのは最悪です。しかし収める場所がないというのは何ともしがたい、とは言っても沢山あるという訳ではなく単に整理をしていないだけなんですが(^^;。
25 Jun 1999
今日は久しぶりに皆さんにお勧めCD情報です。
実は、1ヶ月ほど前の名古屋出張の折りに、食事に入った店でかかっていたCD。ふと気がつくと小さくJAZZっぽいビートルズが聞えてくる。良く聞いてみると、歌っているのはヘレン・メリル。ヘレンがビートルズを歌ったアルバムなんてあったかな〜?“郷秋<Gauche>”は、実は(入れ込んでいると言うほどではないけれど)ヘレン・メリルが好き。あのハスキー・ヴォイスがたまらない。大のお気に入りはこれまた大好きな(結構入れ込んでいて彼のLPコレクションはちょっと(実はかなり)自慢)クリフォード・ブラウンとのアルバム。1954年にEmArcyに吹き込んだこのアルバム「Helen
Merrill with Clifford Brown」は今でもCDで手に入るはず(EMARCY 32JD-106)。「The
Complete EmArcy Recordings of CLIFFORD BROWN」(19JD-1010201-10、中古屋さんで探してください)でも聞くことが出来ますが、こちらは同じDiskでBrownieの「With
Strings」も聞けちゃうからご機嫌かつお得。あたりまえか、9枚組なんだから。
前置きが長くなったけれど、ヘレンがビートルズを歌ったアルバムがあったわけで、昨日新宿のタワーでGet。詳しい方からは、今頃なに言ってるの、なんて言われそうですが、1970年に佐藤允彦(Pf,
Arr.)、荒川康男(Bs)、猪俣 猛(Ds)と共に東京で録音、同年発売と言うアルバムです。こちらも現在はCDが店頭に並んでいます(Victor
Entertainment VICJ-23172、ちなみに陽子さんと同じレーベル!)。収録曲は、Let
it be/Lady Madonna/And I love him(ご存知の通り女性が歌うと her が him
になる)他となっています。不思議なのが現在この手のアルバムを作れば、絶対に外せない(と思う)YesterdayやMichelleが収められていないこと。ビートルズ現役時代に選曲するとこうなるのかと、妙に納得したりするわけです。
またまた前振りが長くなりましたが、なぜこのアルバムにこだわるかと言うと、実は先程あげた曲の他に「Norwegian
Wood」が収められているのです。フゥ〜、やっと本題。で、Jazzyな「ノルウェーの森」と言えばスタークさんの編曲による陽子さんのアルバム。この2曲をぜひ聞き比べて欲しいのです。
聞き比べと言えばもう一つ。「ノルウェーの森」に入っているWaltz
for Debbyです。これはBill Evansの傑作中の傑作で、ビルの兄の娘、デビーのために書かれた愛らしいワルツです。ビルのピアノ・ソロもいいけれど、白眉はスコット・ラファロのベース・ソロとオブリガートを得た演奏。
アルバム・タイトルもずばり「Waltz for Debby」で聞くことができます。勿論Jazzのスタンダード・ナンバー、アルバムとして今ではCDで手に入ります。Jazz入門者にも最適なアルバムですが、“郷秋<Gauche>”としてはぜひLP(RIVERSIDE
SMJ-6118、整理が悪いので大汗かいてやっと見つけ出しました。でもおかげでグールドのゴルトベルクとインベンションを発掘!)を手に入れて欲しいところ。なぜならばジャケットが秀逸。勿論CDも同じ図柄ですが、残念ながらこちらは12cm角、LPなら31.5cm角です。CDのジャケットじゃ鑑賞!とはならないのです。
なんだか、Waltz for DebbyのことやらHelen Merrillのことは前にも書いたことがあるような気がしてきたのですが・・・。まっ、いいか!
17 Jun 1999 紫陽花の小道園児の傘の列 “郷秋<Gauche>”
アジサイの季節である。が、もう暫く前に梅雨に入ったはずの関東地方では雨は一向に降らず、時折見かけるアジサイの花もすっかり埃にまみれアジサイ本来の姿を見せてはくれない。
アジサイはユキノシタ科の落葉低木。日本原産のガクから改良された園芸品種である。漢字で「紫陽花」と書く(私はこの漢字で書き表すのが好きである)他、七変化(しちへんげ)、額の花、などと呼ばれ、書かれることも多い。また希に「オタクサ」と呼ばれることがあるが、これは1823年にオランダ商館の医師として来日したドイツの医学者・博物学者、シーボルトが日本で妻とした「お滝」の名に因み命名したことによるものである。シーボルトが長崎郊外に開いた鳴滝塾跡(現在はシーボルト記念館が建つ)を1月に訪ねたが、敷地内には幾株もの紫陽花が植えられていた。瑠璃色に染まり雨にぬれているさまはさぞ美しいことであろう。
陰うつな梅雨時、人知れず雨にぬれその美しさの更に深みを増す紫陽花。決して華やかではないが、その慎み深い美しさを、私は好きである。
1 Jun 1999
新しいアルバムを手にいれた。新しいとは言っても実は中古盤、しかもLP!
新しいLPを手に入れると言うのは10数年ぶりの出来事。
このLP、実は京都の斉諧生氏に無理を言ってお譲りいただいたもの。昨年11月にこのページでも書いたことのある、スペインが生んだもう一人の名チェリスト・作曲家、ガスパール・カサドのものである。確かに彼自身の演奏、彼の作品を収めた国内盤のCDは事実上無いに等しい状態であるが、海外ではかなり出回っており、今ではINTERNETのおかげで日本にいながら注文・入手することができるのはありがたいことである。しかし、LPとなると話しは別である。無論10数年前にCDに取って代わられてからLPが新たに発売されることはない(最近クラシック、ジャズの分野で時折出てくるが当時のベストセラーの復刻である)。SP時代のカサドのアルバムで日本国内で発売になったものは「愛の言葉」はじめほんの数タイトル。LPモノーラル時代にいくつかのアルバムが発売になった記録が残っているが、存命中も(日本においては)決してメジャーな演奏家ではないので多くの枚数が出たとも思えない。つまり今となっては中古盤としての入手もほぼ不可能であろうと思っていたところに、斉諧生氏が国内版のLPを入手されたと聞いて驚いたのである。
さて、このアルバム、タイトルもずばり「DUO CASSADO」。最愛の妻、原智恵子の伴奏により自作の「愛の言葉」他6曲を63年、つまり死の1年前に当時のソ連で吹き込んだものである。その録音がLP時代後期となった81年に日本で発売になったものである。カサド没後17年、想い出の地フィレンツェに一人残る原智恵子の名も、日本の往年のファンにもさすがに忘れられつつある時期の発売であったのではないかと思う。
海外のサイト経由で入手するに至り、既に30枚ほどのカサドのアルバム(自身の演奏および作品)を収集することができたが、今回入手した「DUO
CASSADO」は日本語のライナーノーツが添付されている点でも貴重である(国内盤なんだから当然か(^^;;))。これまでのところほとんど判っていなかった原智恵子について子細な説明がある。また、「ガスパール・カサド、ディスコグラフィー」としてSP、LP合せて42タイトルが紹介されている。こちらは既に収集済みのアルバムや手元の各種資料との照会が楽しみであるが、非常に貴重な資料である。
「DUO CASSADO」をお譲りいただくお願いをしている頃に、カサドがバッハの無伴奏を弾いた3枚組アルバムが売りに出ている情報を某雑誌で見かけた。既に買い手がついているものとは思いながらも電話をしてみた。案の定既に販売済みとのことであったが、「ちなみにおいくら?」と聞いてみたところ5万円との答え。これではとても手が出ない。1957年にVOXに吹き込んだもののはずであるが、私はこの録音をCD化したものを14ドル99セントで購入している。30分の1の価格で同じ物が手に入ったと喜ぶべきか。なかなか商売熱心な店で(奈良市!にある)カタログを送ると言うので住所と電話を伝えておいたところ早速FAXが入った。「カサドがブラームスのソナタを弾いたアルバムが1万円」とのこと。LP時代最後の頃、高音質盤(録音がディジタル)が1枚2800円くらいだったはずなのでそのくらいは出してもいいと思うけれど・・・。
これまで縁のない世界であったが、げに恐ろし気な世界のようである。
ともあれ「DUO CASSADO」の入手により私のカサド収集・研究にも弾みが付きそうである。
30 May 1999
4月18日にあんなにANAのことを「良く」書いてあげたのに未だにANAから何も届かない!
でも、あの程度で付け届けがあるとすれば、このページでフェラーリのことを褒めちぎったら来月には360
Modena (僕はF355のほうが好みです)が届く?はずないか(^^;;;;;。
29 May 1999 <1
Jun 99 再改訂>
「星の王子さま」、この本のタイトルは少なくとも日本では非常に有名である。「カレーの王子さま」は知らなくても、おそらく100人中96人は「星の王子さま」を知っている。書いた人はフランス人のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。この舌を噛みそうな名前も、自分では言えなくても聞けば「そうそう、そのサンなんとかさんが書いた」と、これも100人中87人は知っている。
ところが、である。いったいどんな内容の本なのか知っている人は少ない。「ゾウを飲み込んだウワバミの絵が帽子に見える」と答えられるのは100人中39人である。まあ、ここまで判ればたいしたもの。しかし、この先を知っている人はぐっと少なくなって100人中6人くらいである。かく言う私も先週の日曜日に読むまでは「ウワバミの帽子」までしか知らなかったのである。
この児童文学を読むに至ったきっかけは朝日新聞の日曜版である。もうひと月半ほど前になるだろうか、「100人の20世紀」の何十番目かでサン=テグジュペリが紹介されていた。これを読んで私も上記の87人か39人のうちの一人であることにあらためて気がついたのである。早速近くの書店に行ったが見つからない。当然である。子ども向けのコーナーは見ていない。しかたがないので家に帰ってもう一度新聞を開くと、岩波書店から出ていると言う。文庫ではなくどうやら単行本として出ているようである。「星の王子さま」と「岩波」の取り合わせに違和感を感じながらも書店に注文し待つこと10日。文字通りReader
Queueには入ったが読んだのは先週のことである。
1962年11月に初版が出て私が購入したのが98年12月発行の69版である。一体一度に何部刷っているのかは判らないが、36年間、年に2度ずつ版を重ねている。これはたいしたことである。さすが岩波。訳者は内藤
濯氏、ケースの下には「小学6年、中学以上」と書かれている児童書である。ほとんどの漢字にルビがふってあるので4年生くらいからは十分読めるだろう。しかし、いかんせん50年近く前の翻訳なので読むには読めても、現代の小学生が読むとかなりの違和感を感じそうな言葉、言い回しが随所に出てくる。これを36年間出し続けたのがいかにも岩波らしいとも言える。私をして、原典を読まずして(読めない!)岩波版をテキストに現代語訳してみたいを思わせたほどである。
著作権の問題から岩波が独占してきたのであろうが、奥付を見るとマルCは1946年となっているがこれはフランスでの出版年。初版は亡命先のアメリカで43年に出版されている。彼がコルシカ島を飛び立ち王子さまの星に向かったのが44年。戦時加算を入れたとしてもサン=テグジュペリの著作権2006年には切れるはずである。そうなると新しい出版社が新しい訳で出してくる可能性も大である。これを待ち再び読んでみたいものである。
内容はと言えば、きっとみなさんもどこかで聞いたことがある言葉、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」、だけを記しておこう。後はぜひご自分でお読みいただきたい。
「星の王子さま」 岩波書店刊行、単行本1,360円、岩波少年文庫版(こちらは53年の初版以来85刷)600円。たった今買ってきた岩波少年文庫版の挿み込み案内をみたら何とCD−ROM版が出ている!Win/Macのハイブリッド版単体が4,600円、特装本とのセットが5,700円。お好きな版でそうぞ。
著作権の戦時加算について間違った記憶に基づいた記載がありましたので関連の箇所を訂正しました。ちなみに著作権保護期間の戦時加算とは、「第二次世界大戦が起こった昭和16年12月8日から対日平和条約が発効した日の前日の昭和27年4月27日までの約10年5ヶ月を保護期間に加算する」と言うものです。こんなところにも50年以上前に負けた戦争の影響があるのです。<1
Jun 99>
25 May 1999
新潮社から遠藤周作文学全集の刊行が始った。3年前の召天以来今か今かと待っていたので早速初回の配本となった第1巻を購入し、以後の配本分の予約注文をした。
遠藤周作文学全集は、実は今回が初めてではない。昭和50年2月から12月にかけて全11巻が今回と同じ新潮社から刊行されている。旧全集は四六版、各巻350頁程で定価1,500円、新全集はA5版300頁程で全15巻、各巻4,700円から5,600円とのこと。旧全集が彼の代表作である「沈黙」を収めた第6巻から配本が始ったのに対して、今回は初期の長編小説を収めた第1巻から順に配本されるようである。旧全集と比し3倍以上の価格になったことと、文字級数が上がったことが物としての全集の違いと言えようか。
さて、収録されている作品であるが、旧全集が純文学系作品を中心に既刊行の作品の再収録であったのに対して、新全集には未刊行の長編、日記が収められているのが新しい。当然のことであるが旧全集刊行以降の作品、「侍」、「深い川」、「スキャンダル」なども収められるので収録作品の数は旧全集よりも当然多くなるであろう。また、今回は純文学以外の作品の中から「おバカさん」なども収められるようである。残念ながら手元に詳しいカタログがないので小品、評論の中からはどのようなものが収められるのかさだかではないが、旧全集収録の作品の中から新全集では未収録となる作品がでる可能性もある。
遠藤文学を理解するためには「沈黙」に代表される直接キリスト教と日本人の係わりを取り上げ作品と共に、彼のキリスト教信仰に根差す、その信仰によって形成された優しくも哀しい遠藤独自の視点で書かれた所謂「狐狸庵物」や数多い中間小説にも触れる必要があろう。
もちろん新全集全15巻の収録作品は既に決定済みのことではあろうが、今後更に規模の大きな全集が刊行されるとは思いにくいので、今回の全集では全20〜25巻ほどのヴォリュームとして、その多くが遠からず絶版となるであろう、遠藤文学の秀峰と秀峰の谷を埋めるような、純文学以外の作品も収めて欲しいものであると願うのは私だけではないはずである。
18 Apr 1999
17時ちょうど着のANA62便。ゆうこが帰って来るとすればきっとこの便だと僕は確信した。しかし、何か特別の理由があったわけではない。
雨の日曜日、シャワーの後、コーヒーと冷蔵庫のポテトサラダで遅い昼食を済ませて部屋を出た。今日戻ってこなければゆうこは永遠に僕の元には戻って来ない。高速湾岸線を走るクルマのテールランプを水飛沫越しに見つめながら、僕はそう確信したのだった。
ゆうこが乗るのは決まってANA便だった。子どもの頃に乗ったANA便のスチュワーデスがとても親切だったので、中学生の頃までANAのスチュワーデスになるのが夢だった。音楽の道に進んでいなければ今ごろは毎日空の上だったかも知れないと、楽しそうに話しをしてくれたことがあった。だからどこへ行くにも、ANA便がある限り他の会社の便には乗らないのだという。そして、
「ANAだけにした方がマイルが貯まるのも早いでしょう」
と言って笑ったゆうこの顔が目に浮かんだ。
12月初めにこんなに積るのは初めてだと、札幌育ちの友人が言うほどの季節外れの大雪の日、僕は何度も一緒に帰ろうとゆうこに言った。しかしゆうこは降りしきる雪を黙って見ているばかりだった。
クリスマス・イヴの夜に部屋に戻ると「メリークリスマス」、とゆうこからの短いメッセージが留守電に入っていた。そして3月31日にE-Mail。受信簿に
<Yuko> の文字を見つけた時には驚いた。何度かMailを送ったのにRe-MailがなかったのでノートPCを持たないで出かけたものと思い込んでいたのだった。私からの何通かのMailをゆうこは確かに読んでいたのだ。開いてみるとたった一行。
「横浜の桜は咲きましたか?
札幌はまだ寒い日が続いています。」
たった一行のMailでも私は嬉しかった。そして、桜の花が咲いているうちにゆうこはきっと帰って来るだろうと考えた。しかし、桜の下でのうんざりするよな騒ぎが去り、花びらが舞ってもゆうこは帰って来なかった。帰って来るとすれば今日以外にありえないと思ったのにはまったく根拠がなかった。ただ、そう思いたかっただけなのかも知れない。空港の第二駐車場にクルマを入れたのが15時半。札幌からの次のANA便は17時ちょうど着の62便。これまでにもゆうこが何度か使っていた便だ。きっとこの便でゆうこは戻って来る。今日のこの便で。
ハンドバック一つのゆうこが僕の目の前にいた。
「私、帰って来るつもりなんかなかったの。急に飛行機が見たくなって千歳に行ったの。そうしたら3時半の便に空席があって・・・」
「僕も急に飛行機が見たくなって羽田に来たんだ」
「ねえ、明日、どこか桜の見れるところに連れって行ってくれる?」
「裏磐梯あたりがきっと見頃だよ」
「ありがとう、あなたはいつも優しいのね」
僕は、「飛行機を見に来ただけなんだ」と言い、二人でクスッと笑った。そして唇を重ねた。
25 Mar 1999
いよいよ「隠れたる美味いもの」シリーズ最終回である。最終回はと言えば、まさに「隠れに隠れた」美味いものである。その名は「鰊(にしん)の山椒漬け」。まず100人中99人、いや1000人中999人は知らない。福島県の人間でもまず浜通り(太平洋岸、常磐線が通る南北に長い地域を言う)の人は知らない。中通り(東北本線、東北自動車道が南北に通る福島県の中心部を指す)の人間でも知っている者は極僅かである。この「鰊の山椒漬け」、福島県は会津地方の伝統食品なのである。「漬け」というくらいだから漬物の一種と言っても良いのかも知れない。
用意するのはまず本郷焼きの鰊鉢。本郷焼きは、戊辰戦争、白虎隊で有名な会津若松の南10Km程の会津本郷町特産の焼き物である。鰊鉢とは文字通り「鰊の山椒漬け」を作るための鉢で、陶器の深めのバットと思えば大きく違わない。この鰊鉢に身欠き鰊を一列平らに並べる。その上に山椒の葉をこれまた一面に並べ、その上に再度身欠き鰊を一列平らに並べる。これを繰り返す。数段になったところで家伝の醤油垂れを鉢に廻し入れ鰊に重しをかける。身欠き鰊に垂れと山椒の香りが染み込むまで納戸の奥で寝かせておくのである。この垂れがまさに「家伝」であり、最近でこそ一部の土産物点でも売られるようになったようだが、かつては家庭であるいは飯屋・飲み屋で客に出すために作ると言った具合だったので、家により店によりまちまちの味であったようだ。まさに家庭の味、おふくろの味、と言ったところであろう。鰊だけではなく人参の千切りを一緒に漬け込んであるものもある。
「鰊の山椒漬け」は例に漏れず酒の肴である。日本酒、それも会津の酒に合うのは当然である。ビールにも良く合うが、どうもワインにはいけないようである。2、3センチ程の巾に切り小鉢に盛り、漬け込んでいたのとは別の山椒の葉を手の平でパンと叩いて香りを出し上に飾る。
海から遠い会津ならではの保存食品である。会津にお出での節には、夫婦二人きりで切り盛りしているような小さな飲み屋で「鰊の山椒漬け」があるかと聞いてみてはいかがだろう。会津の酒の美味さは“郷秋<Gauche>”が保証するが、美味い鰊にあり付けるかどうかは運次第である。
23 Mar 1999
「隠れたる美味いもの」編第3弾!何故か海なし県、山梨の「煮貝」である。蜆(しじみ)を煮たものではない。鮑(あわび)の煮貝である。なぜ海のない甲斐の国で鮑の煮貝なのか。
話しは戦国時代まで溯る・・・、と言うほど大袈裟なものではないが。いやいや戦国時代、武田信玄が考えた「軍事用食品」なのだという。腹が減っては戦ができぬ、と言うわけで戦の時の蛋白質補給のために静岡の海で採れた鮑を醤油で煮付け、甕に煮いれて馬の背に載せ甲斐の国まで運んだのがその始まりだと言う。馬の背で揺られているうちに醤油の味が程よく鮑に染み込み、海辺で煮付けた直後よりも更にまろやかな味になったのだという。
甲府にはいくつかの専門店があり、デパートの食品売り場などでも売られており山梨では比較的ポピュラーな食べ物となっているようだ。但し、もとが鮑であるから決して安いものではない。大粒の鮑3個ほどが入ったパックで3〜6千円ほどである。"うらかすが"あたりの飲み屋で頼むと薄切り5切れほどで2千円は取られる。安いものもあるが、これは輸入物の鮑を使っており身が硬い。高くても国産鮑の柔らかいものを買うべきである。
3〜5ミリほどの薄切りを小鉢に盛り、煮凝りをかけ貝割れなどを飾り酒席に供する。清酒が一番であるが甲州種で作った地の葡萄酒ともまた良く合う。
山梨に遊びに行った同僚が職場の土産に「〇〇餅」を買って来たりすることがある。職場での茶請けにはこれも悪くはないが、お世話になった方に鮑の煮貝を差し上げれば、あなたの株が大幅に上昇すること請け合いである。鮑の煮貝はちょっと高いな、と思われる方には冬場であれば土産用の「ほうとう」もお勧めである。
さて、次回はいよいよ知る人のみぞ知る、「鰊の山椒漬け」の登場である。乞うご期待(すっかり連載物のノリ(^^;;;
)。
20 Mar 1999
さて、いよいよ今日は「氷下魚」のことである(と、格好つけるほどのことでもないが)。氷の下の魚と書いて「こまい」と読む。氷の下の魚と言うくらいだから寒い北の海に住んでいるのだろう。冬の出張の時に食べた店で、夏に行った時に頼んだら置いていないと言われたからきっと冬の魚だ。札幌に行ったときに地元の方に勧められ食するまで「氷下魚」などという魚は知らなかった。北海道以外で探しても、「飲み屋」の品書きにもないしスーパーでも見かけない。でも千歳の空港ではちゃんと売っている。
泳いでいる姿を見たことはないが、売っているものから想像すると体調15〜25センチ程の魚である。売っているものも飲み屋で出されるものも、頭と腹わらを取り除き一夜干しにしたものしか見ていないのでどんな顔つきなのかはわからないが、(何の根拠もないが)結構獰猛な顔付きをしているような気がする。白身の魚である。これを軽く炙り、マヨネーズに七味唐辛子をかけたものを付けて食する。身がしまっているので箸でほぐすのには骨が折れる。油気のない魚なので手で千切ってマヨネーズを付けてそのまま口に運ぶ。日本酒、ビール、ウイスキー、特に飲み物は選ばないが(ワインにはどうだろうか?)食事のおかずにはならない。もっぱら酒の肴である。
昨日記した「豆腐よう」同様、首都圏ではまず手に入らないので、北海道出張の帰りには必ず買って帰って来る。札幌に出張する同僚に買って来てもらう。これを教えてくれた知人がクール宅急便で送って来てくれることもある。空港でかっても頭を除いて20センチほどのものが6匹ほどで1000円くらいなので特に高級魚ということではないようである。それでも食べ応えのある「ほっけ」と比べると随分と割高ではあるが、品書きに「氷下魚」とあれば迷わずこれを頼むのがすっかり癖になってしまった“郷秋<Gauche>”でありました。
19 Mar 1999
さて、昨日書きそびれた「豆腐よう」の話しである。「豆腐よう」と書いたが実は「よう」も本来であれば漢字で書くべきところであるが、残念ながらその漢字がPCの辞書にはないのである。言葉で説明するとこんな文字である。
1. 食偏を書く
2. その右側に三本目の横線の下に縦棒が出ない「羊」を書く
3. 2の変形羊の下に、魚の下と同じような点を四つ打つ
これが「よう」である。「美味いもの」と書いた通り、これは食べ物である。その名前から判るように「豆腐」の加工食品である。確かに豆腐を賽の目切りのような形こそしているが、名前を聞かずに食べて、これが豆腐の加工食品と気がつく人はまずいないだろう。
角砂糖を一回りほど大きくした白い固まりが、濃いピンクのドロリとした液体の中に隠れているのである。瓶詰めであったり小さなパックで小分けになって箱に入った形で売られている。ドロリとした濃いピンク色の正体は泡盛と赤麹である。そう、沖縄の特産なのである。沖縄名物の「チャンプルー」に入っている豆腐が随分と硬くて驚いた方もあるかと思うが、沖縄特有の硬い豆腐を大き目の賽の目に切り、泡盛と赤麹の汁に漬け込んで熟成させたものである。熟成の過程でどのような科学的な変化が起こっているのかは定かではないが、食べごろとなった「豆腐よう」はまるでチーズのような風味と舌触りとなっているのである。
ではこの「豆腐よう」をどのように食するのか。これはあくまで酒の肴である。できれば白磁の小皿を用意したい。ここに「豆腐よう」一片をとり、赤麹の汁をかける。間違っても一口でパクリ、などとしてはいけない。小さな(元)豆腐の固まりを爪楊枝でちょいちょいと削ぎ落とし、汁をつけて口に運ぶのである。飲み物は泡盛が一番であるのは当然であるがウイスキー、焼酎などでも良い。ミネラルウォーターやお湯で割ったものではなく、できれば生のままが良い。許されるのはオンザロックまでであろう。角砂糖よりほんの少し大きな「豆腐よう」でダブル2杯はゆける。それ程豊潤でこくのあるものである。
5年ほど前に沖縄に行ったときに、同行の食品栄養学のM教授(人乳、つまり母乳をはじめ豆乳を含めた乳製品の研究を専門とされている)に教えてもらった「豆腐よう」であるが、それ以来すっかりFunになてしまった“郷秋<Gauche>”なのでした。ただ、なかなか本土では手に入らないために、沖縄の知人が上京の折り、また沖縄出張・旅行の友人などに頼んで買って来てもらうのである。大体が1000円から2000円。これで一週間は楽しめるから安いものである。かつては琉球王朝の貴族のみが食したと言う「豆腐よう」であるが今では空港の土産物屋で手に入れることができる。但し、知らない人は決して手を出さず、「ちんすこう」を買って来るのである。購入の折りには「琉球セメント」のものをお勧めする(どうしてセメント会社がこのようなものを作っているのかが不可思議であるが、私が知る限りではここのものが一番滋味なのである)。
18 Mar 1999
いやはや、気がついたら3月も半ば過ぎ。長崎の旅日記を書いてから早一ヶ月半になるわけですね。時間の経つのが早く感じるのは歳をとった証拠といいますが・・・、確かに歳をとりました(^^;。
長崎の後、実は盛岡と仙台にも行きました。盛岡行きの直前まで、長崎同様本来の予定の一日前に出発、花巻を歩いてみようかと思っていたのですが、いずれまた気候の良いときに行くチャンスもあるだろうということで予定通りの旅となりました。とは言っても、賢治の匂いのしそうなところには一応足を運んでみました。賢治の代表作、「注文の多い料理店」を出版したという「光原社」の看板を掲げているのは観光客目当ての所謂土産物で、ちょっとがっかり。でもそれらしく整備をした通りには賢治やチェロの像があり、かなりの雪が積る中それらの廻りはきれいに雪を退けてありました。雪の中のチェロや賢治像がいかにもそれらしくてほっとしたものでした。新緑の頃にでも花巻を訪ねる機会があれば良いのですが。と、書いた途端に「緑の町に舞い降りて」が浮かんで来てしまいました。行くとなるといったん花巻行きの便のある空港まで行って、飛行機で花巻入りしないとなりませんね(知らない人は何のことかさっぱり判らない、知る人のみぞ知るこの事情。お知りになりたい方はご連絡ください。特別にお教えいたしましょう(^^)。)
盛岡での仕事が終るとすぐに仙台に移動。去年の1月にも行った牡蠣専門店「かき徳」(予約受付電話022-222-0785)に直行。相変わらず混んでいましたが、予約を入れておきましたのですぐに上手い牡蠣にありつけました。仙台においでの節にはぜひご賞味あれ。牛タンなんか食べに行っちゃだめ。ここの牡蠣は本当に美味いんです。
サラリーマンには戦々恐々に季節ですが、少なくとももう一年は出張の多い仕事が続きそうです。「出張が多くて嫌になっちゃうよ」と、言いながら(^^)(^^)(^^)の“郷秋<Gauche>”なのでした。
さて、「“郷秋<Gauche>”の独り言」をご覧のあなただけに耳寄りな情報です。「陽子の部屋」トップページが近々リニューアルします。ただし著作権処理が上手く行けばというこですが、どうぞお楽しみに。
もう一つは1、2ヶ月先になりそうですが、陽子さんのこのところの定番にもなっていますカサドの無伴奏、この作曲者でありスペインが生んだ名チェリスト、「ガスパール・カサド」のサイトがオープン予定です。“郷秋<Gauche>”が作る4つ目のサイトですが、カサドのサイトとしてはおそらく日本では初めてのものになるのではないかと思います。こちらもお楽しみに。
書き出したときには隠れたる美味いもの、「豆腐よう」と「氷下魚」のことを書こうと思っていたんだけれど(^^;。まぁ、別に急ぐことでもないので。次回のお楽しみとしましょう。
29 Jan 1999 “郷秋<Gauche>”の旅日記 長崎編
28日8時50分のANA便で長崎へ。余り朝の便に乗ったことがなかったので知らなかったけれど、この時間の羽田は離陸ラッシュ。僕の乗った便の前後には計10機程が並んでいた。
離陸が遅れ、さらに向かい風が強いとのことで長崎空港に着いたのは11時。バスで市内に入り、まずは路面電車の一日乗車券(500円)を購入。路面電車が残る街はどこも表情豊か。全国で廃止になった電車の車両が走っていて、都電の番号を付けていた電車もある。運賃が安いのも特徴。4系ある路線はどれもどこまで乗っても大人100円。計らずも生き残った路面電車は市民に愛されかつ環境に優しいという。
ホテルのチェックインには間があるので荷物をもったまままずは「出島」へ。いまだに「出島」であると思っていた私にはいささかショックであったが、開国と同時に無用の長物となった出島は明治37年には港湾改良工事によりすっかり「陸地」と化していた。それでもその歴史的価値に鑑み復元作業がされている。何年か後、再び「島」となった時にはぜひとも訪れてみたいものである。
遅い昼食、「ちゃんぽん」を食べてホテルにチェックイン。荷物を置いて再び長崎の街へ。
まずは、遠藤周作の「沈黙」の舞台となった外海町と共に今回の旅の大きな目的であった(一番大きな目的は仕事です(^^;)大浦天主堂へ。切支丹弾圧以来7世代250年を経た後、潜伏(隠れ)切支丹とフランス人神父プティジャン神父とが出会った、まさにその場所である。隠れ信徒の「マリア様の御像はどちらに」との言葉にプティジャン神父が案内した幼いイエスを抱いたマリア像が祭壇の右側にあった。
大浦天主堂のあとは隣接するグラバー亭、オランダ坂を歩いてホテルに戻リ、夜に備えて厚着をして今度は稲佐山(長崎の街と角力灘方面を一望できる展望台)へ。夕暮れのオレンジが僅かに残る時間からすっかりやみに包まれるまでの何とも言えない時間を寒風にさらされ展望台で過ごした。一昨年冬、長崎から鹿児島に向かう列車の車窓にみた天草の夕暮れと共に長く記憶に留まるであろう夕暮れの一時。
稲佐山を降りて向かうは歌で有名な「思案橋」近くのすし屋。地元出身の知人お勧めだけあってさすが!
一夜明けて今日はいよいよ外海(そとめ)町へ。20年前に「沈黙」を読んで以来の私にとっての聖地。ド・ロ神父が造った出津教会の予想を上回る大きさと端正な、そして静かな佇まいに驚いた。出津教会のある外海は長崎市内から片道1時間15分をようする。外海から戻ってからは浦上天主堂、シーボルト記念館を経てホテルへ。
観光旅行の嫌いな“郷秋<Gauche>”ではありますが、計らずも大々的に「観光」をしてしまいました(夜の部省略は悪しからず)。出島がすっかり復元され、遠藤周作文学館(記念館?)が出来たころにでも再び訪れる機会があることを願ってやみません。
 |
このページの最初に戻る |
|